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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

香港の夜明け 3/3  

2021-04-11 14:35:11 | 文化

 

(2/3より)

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)     

 

>集会終了後も記者団に対して、「『国会が言っているからやらざるをえない』と政府に武器を与えるためにも、各国がこういうもの(マグニツキー法のような法律)を持っている。>そういうツールを日本の国会も持った方が、日本政府の外交にとっても絶対いいはずなので、このマグニツキー法は作るべきだと思う」などと法律の意義を説明。  

 

処世術に従っていつも様子見の態度を続ける日本人は、国際社会の指導者にはなれませんね。泥棒猫の姿勢をしているので他国の信頼がえられないからです。信頼に値する国になるように指導者は努力を続けましょう。

私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官

変わり身の早さは日本人の得意芸ですからね。目先・手先の事柄に神経を集中させていますね。現実があって非現実 (考え) の無い人間の特徴ですね。   

 

>「なので、中谷さんや山田さんについていって、『これやりましょう』ってやろうと思ってるんですけど...」とも話し、与党議員にも働きかけながら、制定への機運を盛り上げたい考えだ。  

 

国際社会に取り残されないためにも、我々日本人は、山尾さん、中谷さん、山田さんの政治活動を応援すべきですね。     

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。       

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。  

 

>J-CASTニュース編集部 工藤博司)  

 

 

 

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香港の夜明け 2/3  

2021-04-11 14:16:59 | 文化

 

>「香港の夜明け」メンバーは、「香港情勢に関心をお持ちの皆様に、香港人の一員として感謝の意を申し上げる」>「何よりも重要なのは、香港人が自分の未来を自らの手で決められるかどうか、そして、その決定を尊重する国際社会が存在するかどうか、だ」などと訴えた。

 

そうですね。香港人には民族自決が必要ですね。  

 

>「内政干渉」なのか これを受ける形で、日本の国会議員も相次いで発言。>自民党の中谷元・元防衛相は、香港の自由に対する脅威が、香港の国際金融センターとしての地位に影響しかねないことを指摘し、「我が国においても多くの国会議員の賛同を求めて会合を開いて、今回の香港の危機について行動していきたい」などと話したのに続いて、自民党の山田宏参院議員が「日本国内で、香港の民主化運動を支援したり、この法律に反するような行動を取れば、我々日本人ですら中国国内、香港で逮捕されるおそれがある法律だということもご説明いただいた。 

 

物騒な法律ですね。    

 

>まさに日本国内における表現の自由や民主主義について直接的な挑戦であり、看過できない法律だ」と法案を批判。 >山尾氏は「外の者が強い非難の声をあげると、よく『内政干渉』だと言われる。  

 

悪者の巣窟の中には悪人はいないのでしょうね。   

 

>私自身は、こうした人権侵害、特に国家による、自国民に対する人権侵害に対しては、内政による治癒がまったく期待できない以上、国際社会がそれに対して声をあげることは内政干渉ではないと、はっきりと言いたい」と主張した。  

 

そうですね。中国という覇者の国は昔のままですね。時代遅れの大国ですね。 

中国は中原の鹿を追う伝統的な覇者の国である。覇者の物語は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。独断専行に陥りやすい。漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。

 

>カナダ、英国などで同様の法律  >   「香港の夜明け」メンバーは、「今後は日本政府を含む民主主義の国々に協力を要請し、香港の自由に危害を加えた官僚、政治家や警察などに対し本国への入国制限、資金流通制限などの措置を求めていきたい」とも訴えている。

 

そうですね。わが国にもマグニツキー法を作ったら良いですね。   

 

>これに対応する形で山尾氏は、EUや英国が進めている、香港人の受け入れ(救命ボート)政策や、マグニツキー法制定の必要性を指摘した。 

 

我が国における人道主義の推進ですね。   

 

>   マグニツキー法は、ロシア当局の税金横領疑惑を告発した後に脱税容疑で逮捕され、09年に獄中死したロシア人のセルゲイ・マグニツキー弁護士にちなむ。>12年に米国で成立し、人権侵害を行ったとして制裁対象に指定された人について、米国へのビザ発給停止、米国内の資産凍結、米国人との取引停止などができる。>12年の時点ではロシアの当局者を制裁対象としていたが、16年に成立した法律では、制裁対象が全世界に広がった。>   最近では、サウジアラビア王室の批判を続けていたサウジ人記者ジャマル・カショギ氏が1810月にトルコ・イスタンブールのサウジ総領事館で殺害された問題に関与した疑いで、サウジの外交官や王室警備隊メンバーが制裁対象に指定されている。>   同様の法律は、すでにカナダ、英国やバルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)などで成立し、欧州連合(EU)やオーストラリアでも検討されている。 

 

欧米は立ち上がる。わが国は如何に。   

 

>「国会が言っているからやらざるをえない」と政府に武器を

>   山尾氏は、米国ではマグニツキー法をベースに香港人権法(19年成立)やウイグル人権法(20年成立)が成立したとして、「日本としても、まずはその土台となるグローバルな人権法をつくることで、この香港の問題について、私たちは政府のみならず、国会も調査能力があり、場合によっては行動を起こすことができるということを可視化することが大事」と訴えた。

 

そうですね。ところが日本人には意思 (will) がない。

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。(3/3へ続く) 

 

 

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香港の夜明け 1/3  

2021-04-11 11:45:45 | 文化

>日本にも「マグニツキー法」(人権制裁法)が必要? 香港「国安法」とどう向き合うか  >202007041700

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>   香港での反体制的な言動を取り締まる「香港国家安全維持法(国安法)」の成立・施行翌日にあたる202071日、在日香港人でつくるグループが、法律による影響を訴える記者会見を国会内で開いた。>   与野党の国会議員3人も参加し、法律を批判。

 

民主主義に背を向けた覇者の国 (中国) の安全は困りものですね。   

 

>無所属の山尾志桜里衆院議員は、「マグニツキー法」として知られる人権制裁法に言及。  

 

セルゲイ・マグニツキーは法執行機関と税務当局を舞台にした23000万ドル(当時のレートで約256億円)もの巨額横領事件を告発した[1]。そして一年以上モスクワで拘留されながら暴力を受け続け、2009年に獄中死した[2]。アメリカはこの事件を受け、2012年、関係者のビザ発給禁止や資産凍結を行うマグニツキー法(英語版)を制定した。米国で2012年に採用されたロシアを対象としたマグニツキー法は、2016年に「グローバル・マグニツキー人権問責法」(Global Magnitsky Human Rights Accountability Act)として新たに採用され、20171221日より施行されている。201710月、カナダ下院でマグニツキー法のカナダ版にあたるJustice for Victims of Corrupt Foreign Officials Act(国外の腐敗高官の犠牲者に報いる処罰)が満場一致で通過[3]201912月、欧州連合がマグニツキー法に類似した法案を設定することに合意[4]20207月、英国で北朝鮮とロシアの49の個人・組織に対してマグニツキー法が発動。 香港やウイグル自治区の人権侵害が制裁の対象になるか注目されているという[5](以上 Wikipediaより)  

 

>「そういうツールを日本の国会も持った方が、日本政府の外交にとっても、絶対いいはず」として、日本でも同様の法律の制定を訴えた。

 

私も同感ですね。義を見てせざるは勇無きなりですね。   

 

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>会見出席で「『外国勢力との結託』とみなされ、香港に帰った途端逮捕されるかもしれない」  

 

中国と外国の勢力争いという構図ですね。  

懸念されるのは、・・・・・・・・・・基本的人権をめぐり天賦人権性が否定されていることだ。これは近代の人権観念の端的な否定であり、見過ごせない。立憲主義、人権、民主主義といった近代憲法の諸概念は欧米由来のものであり、これらを後に受け入れた日本を含む国々では反発を呼ぶこともある。しかしこうした諸原理自体は、多様な個人の共生を可能にする基礎であり、普遍的なものとして受け入れなければならない。 (曽我部真裕 京都大学教授)

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。'  (カレル・ヴァン・ウォルフレン)

勿論中国においても事情は同様ですね。だから、アジア人の国は主要国の埒外に置かれることになる。  

 

>   集会を主催した在日香港人グループは「香港の夜明け」を名乗り、メンバー3人が登壇。>3人ともマスク姿で、そのうちひとりは、黒いパーカーのフードを深くかぶっていた。 >メンバーによると、「今、この場にいる香港人たちは、新しい法律によると『外国勢力との結託』とみなされ、香港に帰った途端逮捕されるかもしれないことを念頭に置かなければならない」ためだ。 

 

言論の不自由・弾圧ですね。焚書坑儒の伝統が生きていますね。物言えば唇寒し秋の風ですかね。江戸時代の風情ですね。    

 

>   日本政府は630日、法案の可決・成立を受けて「遺憾の意」を示す談話を出している。 

 

遺憾の意を表明することは我が国の伝統であり、歌詠みのようなものですね。責任のある発言とも思えない。 

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。戦時中は玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。

意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。

‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り)

‘兎角、この世は無責任’ という事か。

自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思表示の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。孤立無援になりやすい。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない蚊帳の外。

 

 

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海外留学 2/2  

2021-04-11 02:29:14 | 文化

 

>リアルな学校の同級生でも気の合うやつもいれば、合わないやつもいる。>合わないやつと無理やりつき合って、無駄なストレスをためることなどない。>少人数であっても、自分にふさわしい相手と関係を深めることのほうがはるかに有意義だろう。  

 

それはそうですね。しかし、それは外国語に不自由をしない人の話ですね。外国語に不自由している人は交際範囲を広めることは難しいです。広い外国に住んでいながら、日本人でごく限られた同国人としか交際しない人は珍しくありませんね。         

 

>●海外で暮らすこと自体には意味がある >現地で暮らさなければ、外国語を習得できないというのも幻想だ。>何年も海外留学したところで、日本人同士つるんだせいでいつまでも外国語が上達しないなんて人はいくらでもいる。

 

それは本人の心がけ次第ですね。だが、日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。戦時中は玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)    

 

>いまならネット上の外国語学習コンテンツをひたすら使い込めば、読み書きでも会話でも実体験に近いかたちで吸収できる。

 

それは難しいでしょうね。母国語でならネットなしでも100100中成功しますけれどもね。テレビで見る外国の光景と、外国旅行の実体験が同じ価値にならない様なものですね。    

 

>海外で暮らすこと自体には、意味がある。>ずっと同じ場所にとどまるのではなく、行ったことのない場所に行き、そこで生活するのは貴重な経験だ。>日本の社会や文化についても、客観的な視点を持てるようになるだろう。>だが、その経験を得るために、高い費用を払って海外留学する必要があるとは思えない。 

 

安くて同じ効果があるのなら誰しも海外留学などしませんね。CDで聴く音楽と、演奏会で聴く実体験は同じ価値があるとは思えませんね。現実直視は臨場感を伴い体験者の新たな考えを呼び起こす作用があります。      

 

>違う土地に行って暮らしてみたいのなら、大学がどうのと言わず、さっさと出かければよいだけのことだ。

 

体験だけの問題ならそうなりますね。学問のしかたを知らない人は、世界中どこに行っても学問は成り立ちませんね。

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。       

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。    

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

 

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海外留学 1/2  

2021-04-11 01:55:38 | 文化

>366063        「海外留学は過去の遺物」と断じる訳 >真鍋一郎 ( 31 会社員 )           21/04/10 PM10

>以下(リンク)引用

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>●コロナで見直される「留学の意義」 >海外留学したいという人は、いったい何のために行くのだろう。

 

本場の学問を体験したいからでしょう。   

 

>研究者が最先端研究を行うために、海外の研究室に行くというのであればまだわかる。  

 

そうですね。分かりますね。   

 

>高校や大学学部レベルで、はたして留学することに意味があるのだろうか。

 

あるでしょうね。英米に留学すれば、英語が不自由なく話せるようになる。英語で考えることが大切ですね。         

 

>そのことについて、コロナ禍以降、はっきりと答えが出た。 >欧米などの大学では、留学生が渡航できず、日本でオンライン授業を受けることになった学生も多い。 >オンライン授業であるにもかかわらず、授業料の割引をしない大学も多く、激しい批判の対象になっている。>このような出来事が続いたことで、留学を志していた人たちも大学の意義について真剣に考えるようになってきたように思う。 

 

それは有意義なことですね。   

 

>スタンフォード大学やハーバード大学、マサチューセッツ工科大学といった世界的に有名な大学がいま現在、MOOCs(ムークス)&#8194;に参入している。MOOCsMassive Open Online Courses)とは2010年ごろアメリカから拡がったサービスで、インターネットを通じてオンライン講義を受けられる学習プラットフォームのことを言う。>原則として受講料は無料、受講資格も問わない。>つまりインターネット環境さえあれば、いつでも、どこにいても、誰であっても、名門大学の講義を受けられる。  

 

理想的な学問の自由が成り立ちますね。   

 

>大学の講義以外では、カーンアカデミーというネットサービスが知られている。>小学校レベルから大学院レベルまで、数学、科学、コンピューター、アート、経済などの授業をこちらも世界中の誰もが無料で受けられる。>ネット検索すれば、こうしたオンライン授業サービスのそれぞれの特色が紹介されている。>自分にとってふさわしい授業がすぐ見つかるだろう。  

 

言語の違いを乗り越えてそう簡単に授業というものが成り立つものですかね。   

 

>専門的な学術論文が読みたければ、データベースサービスで好きなだけピックアップできる。

 

学術論文の入手なら ITがなくても昔からありますね。   

 

>この種のサービスはいまだに有料のものも多いが、留学費用に比べれば大したことはない。 

 

そうですね。   

 

>基礎的な講義から、専門的な学術論文まで、重要なものはインターネットですべて手に入るのだ。  

 

ITにより、ずいぶん便利な世の中になりましたね。しかしそれは英語圏の人に限られますね。学問は英語で考えて表現することが大切ですね。     

 

>それでも留学したいという人は、授業そのものというより、人間関係を求めているのだろう。

 

何よりも外国語の習得が大切ですね。外国語ができなければ国際的な人間関係もできませんね。       

 

>海外の大学で友人を作り、人脈を作っていきたいといったことだ。>だが、それもSNSを使えば済む話である。  

 

全ては手段の話ですね。それは外国語を習得してしまった人に対する話ですね。      

 

>外国人と直接話すのは気後れする人であっても、テキストや写真を介した非同期型コミュニケーションなら馴染みやすい。 

 

それは翻訳文化国の常習ですね。日本の常識は、世界の非常識になりますね。明治時代からやってきたことですね。        

 

>同級生だとか同窓生だとか、同じ釜の飯を食ったとか、そういうことは人間関係を作るうえで特段に大事ではない。  

 

そうですね。しかし、日本人はなれ合いが好きですね。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。 

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」 

 

 

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