>義務教育を受けなければ人は成長できないというのは、単なる1つの意見でしかありません。>政府の学校教育など受けなくとも、人は学び成長できる生き物なのです。
そういうことも、考えられますね。
>親の不安に付け込んでいるだけ
そうとばかりは言えないようですよ。社会全体の知的水準を上げることになっているでしょう。
>義務教育が無かった時代というのは、民間の教育組織などが市民の教育を請け負っていたものです。
そうですね。しかし、無学の人も多かったのではありませんか。
>そして、それと同時に過去の日本では政府の学校教育など存在しなかった頃は地域が一体となって子供を育て教育するという意識がとても強かったのです。
それには、個人差・地域差というものがありますでしょう。
>教員免許を持った公務員と呼ばれる教師ではなく、商人や農家などの社会的に意義を持った職業の人々が、地域の子供に読み書きなどを教えるのが普通でした。
私の住んでいるところは農村ですが、明治初期生まれの女子はほとんど門毎無学でした。明治後期生まれの女子も就学期間が三年程度で、漢字が苦手でありました。
>冷静に考えてみて欲しいのですが、学校の教師たちは教科書に書かれたことを黒板に書き写し、子供に覚えなさいと命じているだけです。
そういう見方もあるでしょうね。
>別に、これはある程度読み書きができる大人などであれば教員免許を持っていない人でも出来ることが分かるはずです。
それは、そうでしょうね。
>それどころか子供でさえも学ぶ意欲があれば教科書などを独習すれば事足りてしまうでしょう。
それにも個人差があるでしょうね。
>こういうことを書くと>「それならば集団生活はどうやって身に着けさせるんだ?」
そうですね。同年代の人々との付き合いは、大切ですね。大統領・皇族の子供でも、学校教育は受けさせますね。寄宿舎生活も良いですね。
>「一人で好きな事だけをさせていれば我がままな奴になる」
若者には、個性を伸ばす環境が必要でしょう。
>「社会性が身につかないだろう」
同年代の人たちとの対話が特に必要ですね。
>「上下関係が無いから礼儀の無い人間が育つ」・・・などの意見が出てくるはずですが、それならば家以外の場所で他者とふれ合い周囲の人間のことを考える機会を与えればいいだけです。>別にそれは義務教育の中だけでしかできないことなどではありません。
そうですね。上下関係は、丁稚奉公でも鍛えることが出来ますね。
>例えばですが、図書館など公共空間を利用する際に館内では静かにすることや、迷惑にならないように飲食を控えることなど他者を尊重することも学べるでしょう。
特別な宗教教育を受けなくても、人は神社・仏閣などでは静かにしていますね。これは、気分・雰囲気による効果でしょうか。
>そのほかにも、習い事などを身に着けさせるなどすれば指導者などへの敬意を学ぶということだって別にできるはずです。
あなたのご意見は、我が国の義務教育制度を国民制度皆保険制度でなくて、自由診療にする様なものですね。
>学校など行かなくても、真剣に試行錯誤すれば子供が日々成長するということは難しくもなんともないということが簡単に理解できるでしょう。
‘親から学ばぬものは、自己の経験から学ぶ’ といったようなものですね。これには、良い場合とそうでない場合とがあるでしょう。
>結局のところ、政府の学校が無ければ読み書きも計算もできない人間になるんだよという不安を学校関係者があおっているだけなのです。
能力の問題というよりも、縦社会の序列競争が気にかかっているのではありませんか。
>そして、家庭の親たちがその不安に負けて義務教育だからと言いながら子供を政府の学校に差し出しているだけなのではないでしょうか。
義務教育であっても私立の学校なら、問題がないということですか。
>人は本来、誰かに強制されなくとも学ぶ力も意欲も備えているのです。
そうですね。人間は知識欲を持っていますね。子供の書店でのタダ読みを見ればわかります。
>歴史上、義務教育などまともに受けていなくても偉大な功績を上げた人々は多数存在するのです。
おっしゃる通りですね。でも、そうでない人も大勢いますね。
>あなたが親であるならば、まずご自身の子供を信じるということを学びましょう。
自分の子供を信じたら、どうなるのでしょうか。義務教育が要らなくなるのでしょうか。
そういうことも、考えられますね。
>親の不安に付け込んでいるだけ
そうとばかりは言えないようですよ。社会全体の知的水準を上げることになっているでしょう。
>義務教育が無かった時代というのは、民間の教育組織などが市民の教育を請け負っていたものです。
そうですね。しかし、無学の人も多かったのではありませんか。
>そして、それと同時に過去の日本では政府の学校教育など存在しなかった頃は地域が一体となって子供を育て教育するという意識がとても強かったのです。
それには、個人差・地域差というものがありますでしょう。
>教員免許を持った公務員と呼ばれる教師ではなく、商人や農家などの社会的に意義を持った職業の人々が、地域の子供に読み書きなどを教えるのが普通でした。
私の住んでいるところは農村ですが、明治初期生まれの女子はほとんど門毎無学でした。明治後期生まれの女子も就学期間が三年程度で、漢字が苦手でありました。
>冷静に考えてみて欲しいのですが、学校の教師たちは教科書に書かれたことを黒板に書き写し、子供に覚えなさいと命じているだけです。
そういう見方もあるでしょうね。
>別に、これはある程度読み書きができる大人などであれば教員免許を持っていない人でも出来ることが分かるはずです。
それは、そうでしょうね。
>それどころか子供でさえも学ぶ意欲があれば教科書などを独習すれば事足りてしまうでしょう。
それにも個人差があるでしょうね。
>こういうことを書くと>「それならば集団生活はどうやって身に着けさせるんだ?」
そうですね。同年代の人々との付き合いは、大切ですね。大統領・皇族の子供でも、学校教育は受けさせますね。寄宿舎生活も良いですね。
>「一人で好きな事だけをさせていれば我がままな奴になる」
若者には、個性を伸ばす環境が必要でしょう。
>「社会性が身につかないだろう」
同年代の人たちとの対話が特に必要ですね。
>「上下関係が無いから礼儀の無い人間が育つ」・・・などの意見が出てくるはずですが、それならば家以外の場所で他者とふれ合い周囲の人間のことを考える機会を与えればいいだけです。>別にそれは義務教育の中だけでしかできないことなどではありません。
そうですね。上下関係は、丁稚奉公でも鍛えることが出来ますね。
>例えばですが、図書館など公共空間を利用する際に館内では静かにすることや、迷惑にならないように飲食を控えることなど他者を尊重することも学べるでしょう。
特別な宗教教育を受けなくても、人は神社・仏閣などでは静かにしていますね。これは、気分・雰囲気による効果でしょうか。
>そのほかにも、習い事などを身に着けさせるなどすれば指導者などへの敬意を学ぶということだって別にできるはずです。
あなたのご意見は、我が国の義務教育制度を国民制度皆保険制度でなくて、自由診療にする様なものですね。
>学校など行かなくても、真剣に試行錯誤すれば子供が日々成長するということは難しくもなんともないということが簡単に理解できるでしょう。
‘親から学ばぬものは、自己の経験から学ぶ’ といったようなものですね。これには、良い場合とそうでない場合とがあるでしょう。
>結局のところ、政府の学校が無ければ読み書きも計算もできない人間になるんだよという不安を学校関係者があおっているだけなのです。
能力の問題というよりも、縦社会の序列競争が気にかかっているのではありませんか。
>そして、家庭の親たちがその不安に負けて義務教育だからと言いながら子供を政府の学校に差し出しているだけなのではないでしょうか。
義務教育であっても私立の学校なら、問題がないということですか。
>人は本来、誰かに強制されなくとも学ぶ力も意欲も備えているのです。
そうですね。人間は知識欲を持っていますね。子供の書店でのタダ読みを見ればわかります。
>歴史上、義務教育などまともに受けていなくても偉大な功績を上げた人々は多数存在するのです。
おっしゃる通りですね。でも、そうでない人も大勢いますね。
>あなたが親であるならば、まずご自身の子供を信じるということを学びましょう。
自分の子供を信じたら、どうなるのでしょうか。義務教育が要らなくなるのでしょうか。
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