>348529 現代教育の弊害② >kanarchy ( 22 会社員 ) 19/08/15 PM09 【印刷用へ】
>試験の成績と偏差値だけで、評価される隔離された世界に閉じこめられ、子供達は、逃げ場を失っていく。
序列社会の侘しさですね。
>当然そのはけ口は、仲間や弱者に向かっていく。
‘下におれ、下におれ’ と、心の中で掛け声をかけているのですかね。
>しかも、その閉ざされた逃げ場のない社会、隔離された社会において、その社会にしか通用しない掟が、生じるのは、自然な成り行きである。
真空地帯ですね。
(略)
>どこかの大学教授のように、自分の出した答えと結果が違ったから、結果が間違っているというのは、神をも恐れぬ所行である。>学校教育にどっぷりと浸かった優等生が言いそうなことである。> 受験勉強期間というのは、人間の成長にとって大切な年代である。
そうですね。
>その大切な時間を無意味な勉強によって浪費される。>それは、子供達には、耐えられない苦痛である。
そうですね。日本人には意思がない。だから、能動もない。受動ばかりの動作を続けると、牛馬の苦しみになる。だから、日本人はお互いに、’頑張って’ と絶えず声を掛けあっている。ちなみに日系二世のアメリカ人に ‘頑張って’ の意味を尋ねてみると、’Take it easy!’ (じゃあね) とか、’Good Luck!’ (成功を祈る) であるという。彼らの心境は、我々のものとは近づかないようである。
>彼らは、耐えられない苦痛から回避するために、現実から逃避していく。>そのとき、人格の崩壊は起こる。>典型的なのは、人格の分裂や自己の喪失、逃避である。
日本語の使用による閉塞状態でしょうね。
現実の内容は、頭の外にある。それは、見ることができる。見ればわかる。正解は、唯一つである。考える必要は無い。楽ちんである。だが、逃げ場はない。戦争中に、玉砕するまで戦い抜いた日本人のようなものですね。
>日本人の中に、国語辞典を、一冊、丸暗記している人間がどれほどいるだろうか。>ところが、受験戦争の中では、英語が話せないのに、英語辞典をまるまる暗記している人間が何人もいるのだ。>これは、狂気である。>しかし、試験制度の中では、その異常さに疑念を持つことすら許されない。
そうですね。戦争は、狂気を伴いますね。戦時中の神風特別攻撃隊のようなものですね。
> つまり、それを強要する側も、受け入れる側も、それを容認する側も全てが狂っているのである。>冷静に考えれば、普通ではない。>変態的な性が世の中に蔓延するのもわかる気がする。>全てが異常なのだ。
そうですね。日本人が、気分・雰囲気に酔いしれているのでしょうね。
山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘しています。
「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いています。
>その証拠に、一般社会において、こんな事を強要したら、立派な犯罪である。>また、それに耐えられる人間がいたら、その人自体、異常だしと思われる。>お前は、変態か。>しかし、それがまかり通る、それが、受験戦争である。
そうですね。戦争さなかの異常心理ですね。‘欲しがりません。勝つまでは、’
>戦争は、確かに異常だ。>しかし、受験戦争は、その目的が、判然としない分、さらに異常である。
受験戦争は、序列順位獲得の為の戦争です。序列メンタリティに駆動されている社会は、さらに異常ですね。
> 現在教育のもう一つの弊害は、愛国心に対する教育がなされていない事によって日本人としての誇り、自尊心が育たない事である。>また、愛国心を正面きっていえないために、教育の目的が明らかにできない事である。
自己慶賀には、警戒しないといけませんね。有頂天になって国粋主義 (超国家主義) になる。この道は、いつか来た道。
>それは、国家目標をも見失わせ、国家としてのアイデンティティをも失わせてしまう。
無哲学・能天気の人民の苦しみですね。国家目標がないから、自己慶賀という代用品で済ませようとする。だが、自己慶賀は、政治哲学の代わりにはならなで、勘違いになる。
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