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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

どこかの指示

2018-12-12 14:34:08 | 政治


>改正出入国管理法が国会を通過した。>欧米諸国の先例を見るまでもなく、移民法案が将来の禍根になることは論を待たない。

そうですね。沖縄のハブ対策に、マングースを導入するようなものでしょうね。

>何故今移民法案になるのか。

いつものごとく、日本人は近視眼だからでしょう。本人には、眼前の問題しか見えていない。

>リンク>以下引用~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>日本の大手コンビニで働く外国人店員は4万人を超えているというが、米国ではアマゾンのような企業は、技術を使ってレジ係の仕事をなくそうと試みている。>この先の10年は、これまでに比べ変化のスピードはますます速くなるだろう。>政府は社会的なセーフティーネットの見直しや、仕事を失った労働者への再教育など、すべきことは数多くあるはずだ。>ここでなぜ移民政策を推進するのだろう。
(略) >引用終わり~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>世界の趨勢は介護はロボット化の方向に進んでいる。

そうですね。

>にもかかわらず日本だけが移民による(安い)労働力導入で対応しようとしている。

わが国は、今人手不足で悩んでいる。だが、頭脳不足といった話は、ついぞ聞いたことがない。日本人の仕事は人手により行うものでしょう。頭脳労働にはなりませんね。

>何故か。

日本人は、無哲学・能天気ですからね。考える人が存在しない。

>おそらく目的と理由が反転しているのだろう。

‘嘘から出たまこと’ というのでしょうか。

>移民推進が本当の目的で、その口実が人手不足と考えると辻褄が合う。

そうですね。移民推進が本音 (私意・我儘・身勝手) で、その建て前 (口実・言い訳) が人手不足と考えると、つじつまが合いますね。

>そういう政策をどこかの指示のもと遂行しているのだろう。

‘疑心暗鬼を生ず’ ですね。それは、無哲学・能天気による国民の病でしょう。’あるべき姿’ の内容を公言する個人のいない社会では、疑心暗鬼は常在しますね。
現実の内容は頭の外にあり、これは見ることができる。非現実 (考え) の内容は頭の中にあり、見ることができない。だから、我々は、自分の考えを語らなくてはならない。しかし、日本人の判断では、見ることのできる内容は ‘本当’ のことであり、見ることのできないものは ‘嘘’ である。だから、誰しも嘘つきにはなりたくない。そして、自分の考えを語ろうとは思わない。また、相手の考えを尋ねようとする人もいない。これが、疑心暗鬼の現状です。

我々は、考える人になりましょう。そして、我々の行き着く社会の有様を考えましょう。それには、非現実 (考え) の内容を表現する構文が必要です。文法に時制 (tense) というものがあれば、非現実の内容は文章になります。文章には意味があります。矛盾を含まない文章は、すべて正しい考えを表しています。矛盾を含む文章も、その矛盾を取り除けば、正しい考えになります。現実の内容は一通りしかありませんが、非現実 (考え) の内容は無数にあります。文章の内容は、話の筋として頭の中に残ります。時制は、英語にはありますが、日本語にはありません。時制があれば、非現実 (考え) の内容は文章になって、脳裏に蓄えられます。ですから、我々日本人も日本語と英語の勉強をして時制の大切さを理解して、非現実 (考え) の内容を文章にして発表することに努めましょう。さすれば、我々の社会から疑心暗鬼も消えてなくな.るはずです。

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道徳の教科化

2018-12-10 15:30:20 | 教育

(略)
>戦前と戦後とは、哀れなまでに遮断・断絶され、修身科は感情的に「全否定」されることで戦後へと継承されることはなかった。>それが「修身科=悪玉論」の実体である。

わが国においては、感情論が支配的ですね。歌詠みのようなものか。

>しかし、私たちは歴史を検証せず、歴史から学ぶという視点を欠いては何も生み出すことはできない。>また、歴史を深く多角的に検討することなしに、新しい教育の創造はありえず、あるべき道徳教育の展望を開くことは不可能である。>今後の道徳教育にとって必要なことは、「賛成か反対か」の単純な二項対立の議論に終始するのではなく、過去の修身科の功罪を学問的に検証し、未来の道徳教育の展望を切り開く努力を重ねることである。

そうですね。しかし、議論が出来なければ、問答無用の二項対立に終始せざるを得ませんね。世界観 (world view) がなければ、自他の世界観比べ (議論) は不可能ですね。
世界観は、考え (非現実) の内容ですね。非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。見ることができない。その数は無数にある。
現実 (事実) の内容は、頭の中にある。見ることができる。数は唯一である。見ることのできる内容は、’本当’ のことである。そうでないものは、’嘘’ である。誰も嘘つきにはなりたくない。だから、自分の考え (非現実) の内容は明らかにしない。そして、議論にはなりません。

日本人には、現実があって非現実がない。唯一の正解があって、多数の正解がない。没個性があって、個性的な人々が存在しない。個性的とは、アニマルのような目の色や毛の色の違いではなく、考えの違いのことである。
文章があれば、意味もある。日本人は、ばらばらな単語のまま (小言・片言・独り言) で用事を済ませることが多いので、発言に意味がない。それでも用がたせるのは、聞き手の忖度 (推察) による。忖度は、聞き手の勝手な解釈であるので、発言者に責任はない。とかく、この世は無責任。だから、議論にはなりません。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻語でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

非現実 (考え) の内容を文章にするためには、文法に時制 (tense) というものが必要である。時制のある文章は、非現実の三世界 (過去・現在・未来) を表すことができる。時制は、英語はあって、日本語にない。だから、日本人は考えの内容に注意を払わない。その結果、無哲学・能天気の状態になる。学問的に検証し、未来の展望を切り開くのが難しい。だから、我々日本人は、日本語と英語の学習を熱心に行い、時制のある文章内容の重要性を理解することが大切ですね。そして、文章内容を通して自己実現を目指しましょう。

>以上の点を踏まえれば、道徳の「教科化」は、道徳教育を政治論から解放し、教育論として論じるための土俵を形成するために必要な制度的な措置であったと評価できる。

そうですね。評価しますね。

(略)


痛みを伴う改革

2018-12-08 20:25:16 | 政治

>私は日本が80年代のバブルの時期に大学・大学院を卒業しましたが、その頃はまだ終身雇用・年功序列が前提で、大学は入学時に優秀な学生を選り分けるためのフィルターでしかなく、企業は一流大学の学生であれば、大学での成績など全く関係なく採用し、必要な職業訓練は就職してからしてもらえる、そんな時代でした。

社畜の時代でしたね。

>しかし、その後、コンピュータ、インターネット、モバイルデバイスなどによって、世界は大きく変わりました。>リコンバレーを中心に、あらゆる産業をソフトウェアが飲み込むという大変革が起こり、数多くのベンチャー企業が生まれ、その中で、Microsoft、Apple、Amazon、Google、Facebookなどの企業が、旧来型の企業を追い抜いて成長して来ました。

そうですね。

>日本は、この大きな変化に全くついて行くことが出来ていません。

そうですね。常に後追いの姿勢では、この国に大変革は起こせませんね。

>未だに高度成長期を支えてきた大企業が社会全体に大きな影響力を持っているし、就職先としての人気です。>政府も、その手の大企業を護送船団方式で守るという、時代遅れの政策しか取れません。

戦艦 ‘大和’ を最後まで温存していたようなものか。

>ベンチャー企業は、以前よりは立ち上げやすくなったとは言え、資金面でも人材面でも、米国と比べると格段に難しいのが現状です。

米国・米国と、米国の後追いも大変ですね。

>この「なぜ日本が変化に対応できないのか」という疑問は長年私の中にありますが、その大きな原因になっているのが、日本の官僚システムだと私は見ています。

それは、日本人の無哲学・能天気にあるのでしょう。

>米国では、政治家が法案を作るし、政権が変わるたびに官僚のトップクラスがすべて入れ替わるし、政治家が思い切った政策の変更をすることが可能です。

そうですね。彼らは個人主義ですからね。考えは、個人個人で違っている。責任者個人の意思はどこまでも尊重されますからね。そうでなければ、トップクラスをすべて入れ替えることにも意味がない。

>それに対して、日本では、法案を作るのは政治家ではなく官僚だし、政権が変わっても官僚は入れ替わらないため、政策の継続性がとても高いのです。

日本人には意思がない。自らの意思を表明する政治家もいなければ、その政治家個人の意思を擁護しようとする官僚もいない。政治家の無哲学・能天気は、政策の継続性を高めていますね。

>さらに悪いのは、官僚組織をピラミット型に保つためには天下り先が不可欠で、その天下り先が変化への抵抗勢力となってしまう点です。

官僚は、序列体制を使って変化に抵抗しますね。序列社会の弊害ですね。

>私が以前から指摘している「ゼネコンスタイルのソフトウェア作り」がいつまでたってもなくならない一番の理由は、日本のIT産業がIBMと戦っていた頃の「公共投資を使ったIT産業の育成」という時代遅れの政策が未だに続いており、そこで甘い汁を吸い続けているゼネコン企業にまっとうな進化圧がかからない点にあると私は思います。

それは、保護主義の弊害ですね。

>つまり、ますますソフトウェアが重要になっていくこの世の中で、日本企業の国際競争力を上げるには、霞ヶ関とITゼネコンの癒着・依存体制を破壊し、正しい形の進化圧をソフトウェア産業にかけて企業の新陳代謝を高めるしかないと私は考えています。

そうですね。保護主義は、体力低下をきたしますね。

>もちろん、霞ヶ関の官僚自身は決してそんな政策は提言して来ないので、政治家がリーダーシップを持って痛みを伴う改革をしなければならないので、そこが一番難しいかも知れません。

官僚は政治家ではないので、政治責任がない。だから、政策を立案することもない。
日本人には、意思 (will) がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本人の脳裏には未来時制がなく、日本人には意思がない。意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 意思のない日本人には方法がなく、指導力を発揮することができない。これは、政治家であっても状況は同じことである。ここが、一番難しいところでしょうね。
時制は日本語にはないが、英語にはある。我々日本人は、日本語と英語を学んで、意思の内容の重要性を理解しなければならないでしょう。我々が、意思の内容を明確に表現することができれば、日本の政治に道は拓けることでしょう。


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グローバル化

2018-12-07 21:24:02 | 政治

>グローバル化を進めた結果、国家間や民族間の対立が激化してきた。>グローバル化は多様性を認めあう社会を目指すが、多様性を認め合おうとした途端に『対立』が表面化せざるを得なかったというのが現実だった。

多国籍企業からすれば、個人の人種・宗教・軍事・領土・文化・経済・思想・歴史の対立は、彼らの商売の邪魔になりますね。
多国籍企業の経営の効率化と利益の極大化は、はたして個人の幸福につながるのでしょうかね。我々全員は、多国籍企業に養われるようになるのでしょうかね。
我々人類は、大切にしている民族性を金持ち (多国籍企業) に売り渡すことになるのかな。さすれば、人類は平和・安定に結び付くということですか。

(略)
>^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
>グローバル化が進むにつれて起きているのは、人種対立と宗教対立と軍事対立と領土対立と文化対立と経済対立と思想対立と歴史対立である。

これらの対立をさける手段として、昔の人は鎖国をしていましたね。グローバル化は、反鎖国である。

>グローバル化は欧米の多国籍企業が経営の効率化と利益の極大化のために取り入れた方向性なのだが、これが企業から個人へと急激にブレイクダウンされたのが、ここ20年ほどの社会の動きであったと言える。>「グローバル化は多様性を認める社会を生み出し、それは最終的には人類の平和や安定に結びつく」と喧伝された。

それは、多国籍企業が商売をしやすくするための宣伝文句でしょうね。はたしてグローバル化は、平和と安全を得るための万能薬になるのか。

>だから、当初はこのグローバル化による社会の変革は好ましいものとして手放しで歓迎されていた。

やってみなければ、わからないということか。

>またIT化による「世界の人たちとの結びつき」もまた新しい社会に相応しいと歓迎された。

IT化により世界のことがわかるようになりましたね。

>しかし、現実はどうだったのか。>グローバル化の中で多様性を認めようとする動きは、その底辺で徐々に緊張を生み出すものになっていた。

多様性を認めようとしても、それが容認不可能であることが分かったからです。布教をするということは、相手の宗教を認めない態度になるからです。

>平和や安定どころか混乱と対立が生まれ、それがインターネットで増幅されて社会を極度に不安定化させている。

それは、そうでしょうね。商売の都合は、他の分野の都合とは必ずしも同じになりませんからね。

>なぜ、こんなことになったのか。>多様性を認め合うというのは、実は別の意味の差別を生み出すものだったからである。

多様性を認めなければ、争いも起こらない。多様性を認めるというのは、争いに対する美辞麗句となる場合も多いです。

>◆多様性を認め合うというのは、別の差別を生み出す
(略)
>たとえばグーグルで「男性と女性の能力には違いがある。>女性よりも男性の方がコーディングを好む。>性別による違いを性差別だと決めつけるのを、やめなくてはならない」と主張したジェームズ・ダモアというエンジニアがいた。>この人は、この文書を出した瞬間に解雇された。>それが真実かどうかは別にして、グーグルはある特定の意見を持った人を、その意見を持ったが故に一瞬にして解雇したという事実に注目する必要がある。

そうですね。彼は、残念でしたね。

>^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
>◆グローバル化の中では保守派が抹殺される対象だ
(略)
>何のことはない。>このグーグルがやったことこそ、多文化共生は成り立たないという典型的なケースである。>結局、多様性を認めるというのは、ある種の欺瞞と矛盾で成り立っているというのが現実だと分かる。

そうですね。とにかく、商売のことが中心ですね。

>社会が指し示す方向性と違った概念を持ったら、結局のところあらゆる理由を付けられて排除されてしまうのである。

そうですね。それは、我々人間が昔からやってきたことですね。

>多様性や多文化共生は差別や排除をなくしていく動きだと捉えてはいけない。

そうですね。これは、多国籍企業の単なる宣伝文句ですね。

>「新しい差別や排除」を生み出す動きであると捉えなければならない。>グローバル化に邁進する社会、そしてその中で多様性や多文化共生を理想として突き進んでいく社会の中では、それに反する人間は「反社会的な人間」と定義されて排除される。

そうですね。グローバル化は多様性・多文化共生ではない。企業文化に統一される世界を懸命に目指していますね。

>分かりやすく言えば「邪魔者は消される」のだ。

多国籍には、民族性がない。企業文化の繁栄が究極の目的である。邪魔にさえならなければ、民族文化も生きながらえるということでしょう。

>つまり、保守的な考え方を持つ人たちは、これからより強固になっていくグローバル化の中では「反社会的な人間」として排除される対象になるということである。

そうですね。多国籍企業の商売を邪魔する者は、’反社会的な人間’ という烙印を押されることになりますね。

>現代社会ではグローバル化が止まらず、さらに国家が弱体化して多国籍企業がさらに強大な存在になっていく。

国家よりも多国籍企業の方が金持ちの場合が多くありますからね。

>まだ多国籍企業が世界に君臨しているという現実が見えていない人もいるのかもしれない。>しかし、いい加減に気付くべきだ。

何事も、この世は金の世の中ですからね。

>多国籍企業は世界を乗っ取り、彼らが推すグローバル化は止められないものとなった。>これからは、彼らの考え方に合わない人間が差別され、排除されていく。

そうですね。商売の邪魔になる者は、出ていくしかありませんね。

>たとえばドナルド・トランプ大統領のような保守的な考え方を持つ人物はこうしたグローバル化の流れに必死に抵抗しているが、「きちがい、愚か者、差別主義者」と罵られて激しく糾弾され、敵視されている。

彼は、大統領選挙では ‘泡まつ候補’ でしたね。

>多様性、多文化共生が「強制」される社会では、保守派が抹殺される対象となる。

民族性は、抹殺されますね。日本におけるアイヌ民族のようなものか。

>そんな社会の構図を私たちはきちんと認識しているだろうか?

国際的な商品は、絶えず非民族性が強調されますね。民族を超えて、富は偏在しますね。

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追及派・創造派

2018-12-07 11:29:24 | 政治

>森友・加計問題、自衛隊の日報問題など、官僚の隠蔽、誤魔化しが次々と明るみになってきているが、いずれも真相は闇の中。>うやむやなままにされてしまう可能性が高い。

そうですね。日本人には、意思がない。意思のない人間には、責任がない。とかく、この世は無責任。個人主義がない。責任ある個人が見つけられない。

>根本的なメスを入れるには、そもそも官僚組織の隠蔽、誤魔化し体質はどこからくるのか?という問題を考える必要がある。

そうですね。

>森友問題について言えば、マスコミは全く伝えないが、安倍政権を裏から支配する日本会議(秦氏の神社ネットワーク)が、人事権を握る内閣府を通じて財務省に圧力をかけた疑いが濃厚。>(自己保身を第一に考える役人が、危険を冒してまで「忖度」したとは考えにくい。>何等かの強力な圧力があったと考える方が素直。>安倍総理や昭恵夫人自身が直接圧力を加えることはあり得ない。)

圧力は、空気を介して伝えられる。ばらばらな単語 (小言・片言・独り言) には、意味がない。力にも、意味がない。だがしかし、’力は正義’ である。Might is right. だから、世の中は力で動く。

>自衛隊の日報問題について言えば、法律上、自衛隊は戦闘地域では活動しないという建前を守るために隠蔽したとものと思われるが、そもそも自衛隊の海外派遣は米国(ネオコン、CIA)から圧力をかけられた疑いが濃厚。

日本人は、空気 (雰囲気) により影響を受けやすい。文章がなくても、空気によって圧力は伝えられる。

>いずれも、政治的な圧力に対して自らの組織を守るために隠蔽したもの思われるが、そもそも彼らの頭の中はどうなっているのだろうか?

相変わらず、無哲学・能天気でしょうね。あるのはこの世における処世術のみ。

>本気で国民や社会のことを考えているなら、誤りは素直に謝り、前向きに改善することを考えればいい。

日本人には世界観がない。だから、彼らには来るべき未来社会への移行は考えられていない。

>そうならないのは、社会統合より、体裁、面子、省益を守ることを優先させる意識があるからだと考えざるを得ない。

序列社会の仕来りにより、‘省益あって、国益なし’ である。戦前の陸軍省と海軍省のようなものでしょう。

>そのような体裁思考こそ、エリート官僚の隠蔽、誤魔化し体質の根っこにあるのではないか?

体裁があって内容がない。上辺が全てですからね。軽薄に見える。

>そもそも、エリート官僚の多くは、テストの点数を取るために必死で勉強してきた「受験脳」の持ち主。

そうですね。いわゆる ‘点取り虫’ ですね。

>そのような「受験脳」の持ち主たちが、役所で出世して「官庁脳」を形成し、彼らの思考回路で官僚組織の体質は出来上がっている。

彼らは出世街道を歩む。すると、道は拓ける。

>体裁思考、無難思考、前例主義、文書主義などのお役所体質は、子どもの時から勉強の強制圧力に対応すべく教科書を暗記し、ミスをしないように言われたとおりにやることが染みついている「受験脳」から来ている。

‘そつが無い’ のが上等でしょうね。

>このような「受験脳」→「官庁脳」が染みついているエリート官僚は、支配階級(秦ネットワーク、金貸し)から見ると、都合のいい下部となる。

官僚は、処世術に徹していますね。

>彼らには支配階級と闘う勇気など微塵もない。

‘出る杭は打たれる’ですからね。‘寄らば大樹の陰’ ですね。

>強制圧力に敏感に反応し、その圧力に従順に従う下部たちは、国民や社会のために事実を追求し、未来の可能性を追求するのではなく、ご主人様の言う通りに隠蔽や誤魔化しをやってくれるのだから、都合のいいことこの上ない。

部下たちは、サービス満点ですね。

>根本問題にメスを入れようとしないマスコミや学者・評論家も同類だが、追求力・創造力が全てとなる時代潮流にあって、その体質的な限界が明らかになってきている。

無哲学・能天気な方々には、根本問題にメスを入れる方策がないでしょうね。何事も時代の潮流任せですかね。

>既に、庶民は官僚やマスコミ・学者の隠蔽、誤魔化しには飽き飽きしており、もはや関心さえも持っていない。>とっくに見限られている。

それでどうにかなるのですかね。どうにもならない。座して死を待つのか。

>社会統合を担う組織は、「受験脳」「官庁脳」が染みついた官僚組織から、追求派・創造派がリードする新たな統合組織へと転換していく。

希望的観測ですか。またもや、他力本願・神頼みですね。

>新たな統合勢力が台頭していくことによって、官僚組織の隠蔽、誤魔化し体質は浄化され、旧い支配階級も力を失っていくことになるだろう。

何事も、良いことづくめですね。めでたし、めでたし。


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