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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

中島聡氏

2018-12-16 16:34:01 | 国際・政治


(略)
>先日、日経BPのイベントでの講演しました。>私 [中島聡=なかじま・さとし] の書物に掛けて、「なぜ、あなたの仕事は世界で通用しないのか」というタイトルでの講演を依頼されたのですが、問題は本人よりも組織の問題である場合が多いので、主にそちらの話をしました。

わが国の組織の話ですね。

>つまり、実際の内容は「なぜ、日本企業は世界で通用しないのか」というタイトルが相応しいものです。

日本の企業は、国際企業になれないのですね。

>大きな理由として、三つを上げました。>・ITのことが分からない経営者 >・ゼネコンスタイルのソフトウェア開発 >・ビジョンの欠如 >最初の二つは、主に日本の大企業に当てはまる話ですが、経団連を見ても分かる通り、日本の大企業は、パソコンもまともに使えない「IT音痴」な人ばかりです。

時代遅れの感がありますね。

>そんな連中が経営をしている限り、どう考えてもAmazonやGoogleと戦えるわけがなく、そこを治さない限りは、日本企業は沈んで行くばかりです。

そうですね。彼らは、IT産業ですからね。

>終身雇用制と年功序列の弊害です。

わが国は、代々仕える忠義な家臣のいる国ですからね。

>米国の場合、そんな企業はさっさと市場から消えてしまいますが、日本の場合は、多くの従業員を抱えた大企業は出来るだけ倒産させない、という日本政府の方針もあり、その手の企業がいつまでもゾンビ状態で生き残る構造になっているのが大きな問題です。

そうですね。序列社会には、老舗が多く残っていますね。

>企業の健全な新陳代謝が進まないのも大きな問題です。

日本人は、どこにも向かわない。’来るべき世界’ を想定できないからでしょう。

>二つ目は、ここでは何度も話している話題なので、説明は省略しますが、ITゼネコンと呼ばれる大手IT企業だけでなく、家電や自動車を作っているハードウェアメーカーまでもが、同じように「(理系の大学を出た)正社員が仕様書を書き、下請けの(安月給の)プログラマーがコードを書く」という根本的に間違ったソフトウェアの作り方をしているため、優秀なエンジニアが育たないし、良いソフトウェアが作れないのです。

適材適所が必要でね。

>3K(きつい、給料安い、帰れない)と呼ばれるブラックな職場が出来る原因もここにあります。

不自由を常と思えば不足なしか。

>三つ目は、日本の大企業とベンチャー企業の両方に当てはまる話ですが、「こんな世界を作ろう」「自分たちの存在目的は何か」というビジョン(=企業理念)に欠ける会社が多いため、良い人も集まらないし、ビジネスプランも定まらないのです。

そうですね。日本語文法には、時制 (tense) というものがない。だから、非現実 (考え) を内容とする文章が作れない。つまり、日本人には世界観がない。
非現実を内容とする文章には、三つの独立した世界 (過去・現在・未来) があり、その世界の内容を英語では事細かに規定できます。
‘我々は、どこに行くのか’ の問いには、現実の内容からは語れません。
現実は、頭の外にある。その内容は、見ることができる。非現実 (考え) は、頭の中にある。その内容は、見ることができない。文章を理解することが必要である。
日本人の考えによれば、見ることのできるものは、’本当’ のことである。見ることのできないものは、’嘘’ である。
誰しも、嘘つきにはなりたくない。だから、自己の考え (非現実) を明らかにすることを差し控えている。つまり、時制のない文章では、非現実の内容の正当化はできないのです。

>ソニーやホンダなどの日本の高度成長期を支えた日本企業も、創業者が存在した時期は、しっかりとしたビジョンのあった会社でしたが、創業者がいなくなり、サラリーマンが経営者をするようになり、ビジョンも薄れ、売り上げやシェアばかり追いかける、面白くない企業になってしまいました。

現実ばかりを追いかける企業になってしまったのですね。日本企業が ‘元の木阿弥’ になったのですね。

>経団連の重鎮たちが、全員、起業経験のないサラリーマン経営者という体たらくなのです。

起業体験は、ビジョンを必要としますからね。

>これは、日本企業だけに当てはまる話ではなく、米国の企業でも創業者がいなくなった後にビジョンがぶれてしまうケースが良くあります。

創業者には、カリスマ性が備わっていますね。

>企業にも寿命があるのです。

企業は人により動くもの。

>日本のベンチャー企業のスケールが米国のそれと比べて小さいのは、やはりしっかりとしたビジョンを持たない経営者が会社を率いているため、結局、日銭を稼ぐためのビジネスに走ってしまうのです。

時制は、日本語文法になくて、英文法にある。だから、英米流の高等教育を受けると、非現実 (考え=哲学) の内容を文章にすることができます。我々日本人は、日本語と英語を熱心に学んで、時制の大切さを十分に理解して自己実現を可能にしましょう。

>日本のITベンチャーの多くが、ガチャ、FX、仮想通貨などの「弱者から搾取するビジネス」に手を出しているのは残念でなりません。

本当に、残念ですね。わが国には、眠りを覚ます蒸気船が必要ですね。

(略)


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エンゲージメント

2018-12-14 21:10:56 | 国際・政治



>■日本企業は生産性も給与水準もエンゲージメントも低い
>私は世界最大のネットワークシステム会社、シスコ米国シリコンバレー本社の戦略担当部門マネージングディレクターとしてグローバルで活動してきました。>また外資系戦略コンサルティングファームの日本・アジア代表などを歴任してきました。>主なクライアントは、トヨタ自動車、日立製作所、GE、NTTをはじめIT、ハイテク、消費財などの日米の各業界を代表する企業です。>多くの日本の企業は、「給与水準」が大きく低迷し、海外の先進企業の後塵を拝しています。>「一人当たり生産性」は、OECD統計で、日本が米国より32%も低いのです。これでは給与水準は上がりません。

そうですね。生産性が低いのでは、給与水準は上げられませんね。

>なぜ日本は生産性が低いのでしょうか。>その原因が、組織の風土、従業員の意識の低さと考えられます。>ここでの意識とは「エンゲージメント」とも言われています。>一人ひとりが仕事に自ら考え決めた夢と誇りを持ち、夢の実現に夢中になって諦めずに結果を出していく気持ちです。

英語の ‘engagement’ は、日本語の ‘関わり’ のような単語かもしれませんね。 日本人のように無哲学・能天気では、自ら考えて決めた夢は持てませんから、’夢の実現に夢中’ など夢のまた夢でしょうね。

>従業員意識調査をすると、日本企業のエンゲージメントの度合いは、海外企業より大きく劣っており、大半の日本企業がグローバル平均の半分に低迷していることが明らかになっています。>このため、仕事のスピードが遅くなり、環境の変化や想定外の事態への対応が後手後手に回ってしまっています。

日本人には、意思がない。優柔不断・意志薄弱で、仕事のスピードが遅くなり、環境の変化や想定外の事態への対応が後手後手に回ってしまっているのでしょう。

>生産性と給与水準の低迷、そして従業員の意識の低さが、失われた20年で顕在化した日本企業の“失敗”です。

残念ながら、そうでしょうね。

>■日本企業“失敗”の3大症状
>これまで私は日本の経営を、特に失敗を重ねている日本の企業の荒廃した現場を、何百と観察してきました。>そこから日本の企業の失敗の本質が見えてきました。>日本企業の“失敗”の3大症状をまとめてみます。
>症状1:競合他社のまねや前例の踏襲ばかりをしてしまう。

これは、‘人のふり見て、我がふり直せ’ ですね。日本人の手本は、すべて現実の中にある。現実の内容を現実の中で再現すれば、それは模倣となる。模倣の競争は、過酷なものになりがちですね。

>症状2:時間よりも完璧な仕事をすることを優先してしまう。

日本人は、凝り性ですからね。向上心がある。製品の仕上がりが良いです。‘時は金なり’ を忘れていますね。

>症状3:社内は保身に走る「指示待ち族」ばかりになっている。

意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. だが、日本人には意思がない。だから、他人の指示を待つことになる。
意思 (will) は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語脳には未来時制がなく、日本人には意思がない。
仕方がないので、‘無為無策’ でいる。日本人は、おとなしい。’座して死を待つ’ のか。
自己の意思を示す人は、当事者・関係者になる。示さない人は、傍観者にとどまる。’わが国は、世界の中にあって世界に属さず’ と言ったような関わりのない状態か。

>症状1は「競合他社のまねや前例の踏襲ばかりをしてしまう」というもので、本来見るべき現実世界の環境の変化を見ずに、競合他社のまねや自社のかつての栄光(前例)に縛られてしまっている状態です。

変化に対応するのは頭を使わなくてはならないから、大変な仕事ですね。猿真似は、わが国の得意技でしたね。一段と、低い水準の脳の持ち主でも行える活動ですね。

>症状2は「時間よりも完璧な仕事をすることを優先してしまう」というもので、顧客への対応などをさて置いて社内の満足感を優先し、タイミングを逸してしまう状態です。

凝り性ですね。物に心を込めることにご執心ですね。おかげで、製品の仕上がりも良い。時間は ‘ただ’ かな。大きな損失を被ることもあるでしょうね。

>症状3は「社内は保身に走る『指示待ち族』ばかりになっている」状況で、人事の多くが「減点評価」や上司との「属人的なつながり」(親しさ)の度合いで決まってしまい、部下は上司の顔色をうかがってばかりになっている状態です。

そうですね。日本人には、意思がない。他者の忖度 (推察) が横行していますね。出る杭は、打たれる減点評価。親分・子分 (人間序列) の関係でつながっている ‘なあなあ主義’。

>■日本企業には「夢のビジョン」が欠落している
>この3大症状が、同じような失敗を繰り返す日本企業の現場の実態です。

そうでしょうね。

>この根本原因は、米国の先進企業が持っている共通の判断基準である「Vision」つまり「夢のビジョン」がないということにつきあたります。

ビジョンの内容は、非現実 (考え) です。日本人の脳裏には、非現実の内容は宿らない。

>注意していただきたいのは、「夢のビジョン」は日本の企業が掲げているビジョンやミッション、経営理念ではないということ。>日本の企業が掲げているビジョンは経営陣の自己満足にすぎません。

そうですね。会社の大義名分ではないのですね。

>本来の「Vision」は「具体的な夢」をさす言葉なのです。

それは、日本人には難しい。具体的なものは、日本人の脳裏では夢にはならない。具体的なものは、すべて現実の中にある。

>たとえば、5年後に実現したい企業の夢は何か、顧客に感動をもたらし従業員が夢中になれる夢や実現させたい理想の状態を、それぞれの企業の事業環境のトレンドや潮目の変化を観察して設定することです。

夢は、日本人の妄想ですね。真実の内容は見ることができる。夢のように万人が現実に見ることができないものは、嘘にしかならない。これは日本式の判断法です。
日本人の考え方は、英米人と違います。特に、非現実 (考え) の内容に対する評価が違います。ですから、’この国には何でもあるが、ただ夢と希望がない’ ということになります。
我々日本人も、日本語と英語をよく勉強して、非現実の内容 (哲学) に対する理解を深め、その価値を認識するようになれば、現今の失敗の解決も容易になることでしょう。


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現状打破

2018-12-14 09:33:53 | 政治


(略)
>政治の現状を打破するためには、来る国政選挙において、反自公勢力が多数議席を獲得する必要がある。

そうですね。

>その目標を実現するには、反自公陣営が大同団結、連帯することが必要不可欠である。

そうですね。小異 (現実) を捨てて、大同 (非現実) につく必要がありますね。さすれば、大同団結が可能になります。’あるべき姿’ (非現実) の実現に情熱を燃やす主権者が求められています。

>オールジャパン平和と共生も、その目的のために行動している。>ところが、肝心かなめの野党勢力の対応が不明確なのである。

野党勢力は、無哲学・能天気なのでしょう。非現実の内容を実現することには、関心がないのではありませんか。

>本当に政治刷新を実現しようとしているのか、疑わしいとさえ言える。

そうですね。日本人は、政治が苦手ですからね。考え (非現実) ることは、苦手ですからね。非現実の内容を現実の内容に変換できれば、それは時代の創生となります。
現実は、頭の外にある。その内容は、見ることができる。日本語は、写生画のための言語である。ただ、現実のみを描写する。だから、浅はかな感じがする。
非現実 (考え) は、頭の中にある。その内容は、見ることができない。ただの話である。理解が必要である。世界観となる。その内容は奥が深い。思慮深い人間の発言になる。
日本人の判断によれば、見ることのできる内容は、’本当’ のこと (真実) である。見ることのできない内容は、’嘘’ である。
誰も嘘つきにはなりたくない。だから、誰も自分の考え (非現実) を述べることはしない。だから、日本人は、‘考える人’ にはならない。

日本人には、世界観がない。だから、話が奥深くない。自他ともに世界観 (考え) 比べができない。それで、日本人は議論に興味が持てない。ともすれば、’数合わせ’ で物事の決着を図る。
文法に時制 (tense) というものがあると、非現実の内容を文章にすることが可能になる。時制は、英語にあって、日本語にはない。非現実の世界は、過去・現在・未来の独立した三世界があって世界観 (world view) と呼ばれている。非現実の内容を文章にする構文が文法にあると、どうしてもその内容を考えずにはいられなくなる。だから、人間は ‘考える人’ になる。そして、英米人にとっては、高等教育が大切な非現実の教育 (哲学) になる。これは、日本人の実学 (技術) 重視の姿勢と対決している。時制のない日本語を使う人は、英米流の高等教育が役立たない。日本語脳の持ち主は、英米流の教育についてゆけない。だから、英米留学は、日本人に人気がない。
我々日本人は、日本語と英語を学んで時制の大切さを理解して、思慮ある人間としての言動を身につけなくてはならない。

>この現状を踏まえれば、私たち主権者は、政治刷新に真剣に取り組んでいるように見えない政治勢力とは一線を画して、主権者主導で選挙での勝利を主導するしかないだろう。

そうですね。現実にとらわれている政治家たちは、離合集散を事としていますね。非現実 (考え・哲学) の内容で団結する政治勢力を作るしかありませんね。

>政治の流れを決める主役は主権者である。

そうですね。主権者は、政治の立役者ですね。

>政治を選択する権利を有するのは主権者である。

そうですね。主権在民ですね。

>政治刷新に不熱心な政党と一定の距離を置いて主権者に選挙への対応を呼び掛けてゆくしかないと考える。

そうですね。政治には、哲学が必要ですね。無哲学・能天気な国民は、’あるべき姿’ の内容に無関心ですね。ですから、政治に不熱心ですね。
これが英米人であると、来るべき世界 (移行すべき世界) に、熱意を燃やすことになる。夢と希望のある生活になる。移行すべき世界は、非現実 (考え) の内容である。
日本人は、どこにも行かない。死後も草葉の陰から、じっと現実の生活を眺めている。日本人は、現実の内容にしか執着が無いのである。

>(引用おわり)


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プライド

2018-12-13 11:33:13 | 政治

(略)
>■「歩み寄り」を阻む「プライド」
>仕事という戦場で、盾と剣で戦い続けているうちに、「プライド」という分厚い鎧をまといやすく、そうして肥大化したプライドは、人とつながりを作ることを非常に難しくする。>相手の気持ちに寄り添い、共感し合い、理解し合うことで、関係性は深化していくが、強すぎる「エゴ」(自我)に対するプライドは、胸襟を開いた「歩み寄り」を阻むからだ。

そうですね。責任者は孤独ですね。

>会社という狭い社会の中で、どちらかが上でどちらかが下という力関係に基づくコミュニケーションを続けているうちに、バリバリと働く女性も「プライド」を背負いやすく、「孤独」は今やおじさんだけの問題でもない。

そうですね。社会には権力者が必要ですね。そうでなければ、我々は ‘烏合の衆’ になります。

>プライドという言葉は、日本では、ポジティブに使われることが多いが、実はキリスト教では、罪の根源とみなされる7 deadly sins(大罪)の筆頭に挙げられている。その7つとは「傲慢」(pride)、「強欲」(greed)、「嫉妬」(envy)、「憤怒」(wrath)、「色欲」(lust)、「暴食」(gluttony)、「怠惰」(sloth)という感情や欲望だ。>元来、プライドは、自分の能力に対する過信、おごり、高ぶりを意味し、ほかの人の利益を犠牲にする極めて重大な罪であると考えられている。

暴君の悪政ですね。

>「Pride goes before a fall(プライドはつまずきに先立つ)」ということわざもあるが、まさにプライドとは「おごれる者は久しからず」の「おごり」にあたる。

わが国では、平家物語が有名ですね。

>一方で、「誇り」に当たるプライドは、ポジティブな効果をもたらすことが実証されている。>サウスウェールズ大学の研究では、プライドが忍耐力ややり抜く力につながり、勤勉さと献身に結び付くと結論づけられた。

自分自身から湧き出てくるプライドですね。

>つまり、プライドには「良いプライド」と「悪いプライド」の2種類が存在するということになる。実際、英語では、良いプライドはAuthentic pride (正真正銘のプライド)、悪いプライドはHubristic pride(高慢なプライド)といったように区別される。

そういうことになりますね。

>「正真正銘のプライド」とは、自分の持つ能力に対する誇りの感覚だ。>自分の作り出す作品に対する誇り、仕事に対する献身やその成果に対する満足感など、自分の内面から湧き上がってくる「絶対的な感覚」。

ベートーベンは、自分の音楽才能に自信を持っていましたね。

>こうしたプライドは周囲から共感も得やすく、また、自分のノウハウや技を共有し、他者をサポートしようとする行動につながりやすい。

献身は、共感を得やすいですね。

>脳科学的にも、他者とのつながりを促進するセロトニンの分泌と関連付けられている。>一方で、「高慢なプライド」は、自分の有能性や支配力を過度に誇示しようとするために、脆弱な自我と不安、攻撃性を伴う。>こうしたプライドは男性ホルモンの分泌と密接に関わっており、他者との関係性を阻むと考えられている。

我々は、体液性の影響を受けていますね。

>■「相対的な自信」は百害あって一利なし
>つまり、「誇り」とは、他者からの評価とはまったく関係がない「絶対的な自信」であり、「傲慢」は肩書や身分を根拠に、自分を誇大表示して見せようとすることである。>結局のところ、他者からの承認や評価に依存して得られるものであり、他人と比較したときの優位性に基づく「相対的な自信」ということになる。

‘上とみるか、下とみるか’ の社会的な判断に依存するのは、傲慢ということになりますね。
日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。世俗的な序列判断を心得ていないと、我々は日本語も流ちょうにはならず、礼儀正しい日本人にもなりません。ですから、世俗的な序列判断の獲得は、礼儀正しい日本人になるための努力であると言いうことができます。世俗的な序列順位は責任順位と何ら関係がありません。自ら責任者 (権力者) であることを主張する者もいなければ、責任 (権力) の所在を問う者もいない。ですから、この国がひっくり返った時にも、責任者は出ませんでした。とかく、この世は無責任です。責任観念のない烏合の衆は、むなしい限りです。

>こちらのほうは百害あって一利なしということなのだ。

そういうことになりますね。

>「良いプライド」は謙虚さを伴う。>職人が、現状に満足せずに、つねに高みを目指し、より良いものを作り続けようとする姿はこの典型だろう。

意思の力によるものですね。

>一方で、自分を進化させていく努力をやめ、他者との競争や、他者からの承認によって自己の存在意義を求めようとすれば、そこには最終的に、空虚さと孤独しか残らない。

恣意 (私意・我儘・身勝手) の人の傲慢のことですね。甘え (恣意の容認) は、傲慢を育てますね。他者依存は、むなしいですね。

>人は案外、まがい物のプライドにとらわれやすいものである。

そうですね。意思の確立は、難しいですからね。

>人を解放し進化させるプライドか、人を閉じ込め退化させるプライドか――。

意思 (will) は絶対的、恣意 (self-will) は相対的ですね。自己の意思に基づくプライドは正しいプライドである。恣意に基づくプライドは、傲慢である。

>そのプライドの真贋を見極めておく必要があるだろう。

そうですね。日本人には意思がない。だから、恣意的な人が多いですね。空威張りになりやすい。

>岡本 純子 :コミュニケーション・ストラテジスト


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異文化の理解

2018-12-12 22:27:05 | 学問
>異文化の人間を理解するとき、よく自文化の考え方を押し付けるのではなく、相手の文化をまずは認めよう、というスタンスがとられることがあります。

ありますね。文化の多様性を認めることですね。

>しかしこれは、自文化の正しさを押し付けようとする、絶対主義に対抗するための相対主義に過ぎないように思います。

現実の内容は、ただ一つであります。
だがしかし、非現実 (考え) の内容は、無数にあります。矛盾を含まない文章は、すべて正しい考えを示しています。ですから、あえて自文化の正しさを他民族に押し付ける必要はないでしょう。

>世の中には、絶対的に正しいといえるような、普遍的なものは存在しないのだから、それぞれの文化の価値を認めましょうということなのでしょうか。

そうですね。日の下に新しきものなし。されど、人は自己の考えを改めることができる。だから、学問は限りなく進歩する。

>私も、以前はそういう相対主義的なスタンスがいいと思っていました。>しかし、よくよく考えてみると、そういう相対主義的なスタンスではまったく相手を理解することもできないし、受け入れることもできないのではと思うようになってきました。

相手を理解していないことを前提としての相対主義のことですね。それは、受け入れられないでしょうね。

>それは、相対主義とは、「人はそれぞれ」「自分は自分」「相手は相手」ということになってしまうからです。

それは、相互理解以前の相対主義のことですね。相互理解は必要ですね。没交渉の態度では、相手の文化を認めたことになりませんね。

>何か、様々な価値観の渦巻く世の中で、「対立を起こさないようにうまく生きていきましょう」という処世術の一つ、そんな気がします。

それは、無理解を前提としているからでしょう。様々な価値観の渦巻く世の中で、無理解に起因する対立は避けなくてはなりませんね。相互理解が大切ですね。理解への努力は、文化人類学の道に通じていますね。


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