>日本では優秀とされる子は海外に行っても同様に優秀生として評価されるのか。
それは、難しいでしょうね。
>日本での優秀生は、知識の暗記力が優れている子や先生の言う事を忠実に守っている子。
自己の表現に欠けていますね。
>自分の考えを発信しなくても紙ベースの成績が良ければ優秀生として扱われる。
紙に何を書くかが問題でしょうね。
>そんな日本の優秀生も、海外に行ってしまえば、ただの人と同様の評価しかされないことも少なくない。
没個性では、仕方のないことです。
>実際に日本では最上位に位置する子どもでも海外に行って挫折したという例は少なくない。
‘井の中の蛙、大海を知らず’ ですね。知識不足だから、日本人には海外留学の人気がない。
>先にも挙げたように、日本では記憶力(知識の暗記)が優れている生徒や、先生の言うことに忠実に従う生徒が優秀生として、ペーパー上で評価されることが多い。
そうですね。日本人は、思考停止の状態にあるために暗記力だけに頼ることになっています。日本語では、自己の考えを述べることができないのです。
考えは非現実の内容であります。考えの内容は、頭の中にあって、見ることができません。
現実は、見ることができます。非現実 (考え) は、見ることができません。見ることのできる内容は、本当のことでありますが、見ることができないものは、嘘であります。
誰も、嘘つきになりたくありません。見て来たような嘘をつく気にはなれません。だから、他人の考えを受け売りだけをするようになるのです。となれば、日本人の教育は、暗記力の勝負をさせる作業になります。
>しかし、海外では、記憶力ももちろん必要ではあるが、それ以上に自分が得た知識を駆使して自らの意見を発信出来たり、先生に対しても様々な意見を言える生徒の方が注目され、優秀生として扱われることが多く日本とは全く逆の評価軸が存在している。
‘日本の常識は、世界の非常識’ですかね。
>教えられたことを単純に暗記するのではなく、自ら調べ、自ら学ぶことによって様々な知識を反芻し、自分の意見として発信する必要性を海外では求めている。
そうですね。自己の意見の発信が必要ですね。
>実際の授業でも「あなたはどう思いますか?」などの問いかけも多い。>日本ではそういった問いかけを見かける機会は少ない。>せいぜい「ここまでで分らない人は?」などの落ちこぼれのあぶり出しの質問が教師から出る程度。>だから日本の優秀生は海外では発信力の無い普通の人という評価になってしまう。
そうですね。非現実 (考え) の内容は、一人一人違いますからね。自己の考えが表現できないのであれば、没個性の人間ということになります。
>この状況を鑑みれば、日本の最高峰である東大が世界からみれば46位・京大が74位に甘んじているのも合点がつく。>むしろ東大は46位に位置出来ているということに驚く程だ。>産業界で近年叫ばれている東大・京大生は使い物にならないというのもこういう状況なのだから至極当然というべきか。>東大出身者は確かに知識の量は多いかもしれないが、ビジネスの場で必要な「君ならどう思う?」「君の意見は?」という要求に対して自信を持って答えられる人間は少ないのではないだろうか。>今の日本の優秀生では日本の社会は持たなくなる。
そうでしょうね。 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)
>そうさせないためにも日本の教育に革命をもたらし、即戦力として活躍出来る人材の育成が急務となるのではないだろうか。
そうですね。その革命の内容が問題ですね。何かあなたに名案がありますか。
>現状の画一的な教育で、同じ様な人材を作るシステムでは限界が来ている。
そうですね。金太郎飴のような顔をした人間ばかりでは、役に立ちませんね。顔のない人間であっては困ります。
>改めて日本式の暗記力だけの優秀生ではなく、自ら考え、世の中の為に何が出来るのか?を本当に考えられる大人に育ってもらえるような教育システムを確立する必要がある。
そうですね。それで、あなたは新しい教育システムの構想をお持ちですか。
文章には意味・意義がある。ばらばらな単語には意味がない。非現実 (考え) の内容を文章にすることができれば、自己の考えの意味・意義が表現できる。英文法には、時制 (tense) というものがある。時制のある文章は、非現実・考えの内容を表すことができる。だから、英米人は、自己の考えを述べることができる。ところが、日本語には時制が無いので、日本人は、自己の考えが述べられない。それで、他人の受け売りばかりをする。ここが我々の問題でしょう。
我々は、日本語と英語を共に良く学び、時制の大切さを十分に理解して自己の表現力を非現実の内容により豊かにする必要があるのではないでしょうか。
.