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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

学歴  

2022-11-28 18:05:47 | 文化

>高卒でも年収1200万円のエンジニア男性が”学歴”に思うこと   >キャリコネニュース の意見 - 10 時間前   

>学歴についてはさまざまな考え方がある。   

>キャリコネニュースが実施する学歴に関するアンケートには多くの意見が寄せられているが、今回は「学歴は必要」と考える大学院卒から高収入の高卒など、読者の声を紹介する。(文:コティマム)   

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>「学歴がなければスタートにすら立てない」   

>東京都の30代男性(教育・保育/正社員/年収800万円)は、筑波大学大学院卒。   

>学歴について「一種のスクリーニングとして機能するのは確か」と語る。   

>「学歴があるから有能とも、有能なら学歴があるとも言えないのは当然としても、“学歴なく有能だ”ということを示したければ、実務で示すしかない」

 

そうですね。有能は実務の内容ですね。   

 

>その言葉に答えるような回答が、神奈川県に住む40代男性から届いている。   

>男性は高卒でITエンジニアの正社員として年収1200万円を稼いでいるという。   

>それでも「求人の前提はほぼ大卒」として「いくら良い人材でも、学歴がなければスタートにすら立てない可能性がある」と学歴の必要性を実感しているようだ。

 

そうですね。わが国は序列制度の国ですからね。学歴は足の裏に着いた飯粒のようなもの。誰もが取らずにはいられない。これは序列メンタリティのなせる業でしょうね。   

 

>自身の学歴に「不満はないがコンプレックスはある」とも打ち明けた。  

 

足の裏に付着した飯粒は誰もが気になりますね。   

 

>同じく「スタートが大事」と考えるのは、大卒の大阪府・50代女性(流通・小売系/正社員/年収400万円)だ。   

>自身の経験か人材を管理する立場からか、持論をこう断言していた。   

>「新卒でスタートラインでの年収などかなり変わる。   

>任せられる仕事も違う。   

>出世していけば変わるだろうけど、このご時世それが見込めないなら、スタート大事!」   

 

そうですね。陋習の是正には、まず機序 (mechanism) の理解が必要ですね。       

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。      

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。その原因は非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、この種の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。    

 

 

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奥村歩氏  

2022-11-27 02:07:09 | 文化

>日本人の幸福度が低すぎるのは「遺伝子的な要因」にあった   >昨日 17:00  

>本記事は、奥村歩氏の著書『スマホ脳の処方箋』(あさ出版)の中から一部を抜粋・編集しています   

>■日本人の脳は慢性的に疲れている   

>「世界幸福度ランキング」というデータがあります。   >これは320日の「国際幸福デー」に合わせて国際連合が毎年発表しており、149の国・地域を対象に各国の国民がどれだけ幸福を感じているかを数値で示しています。   >ランキングは、国民の主観的な幸福度を数値化する調査データに以下の6項目を加味して決められています。  >11人当たりの国内総生産(GDP   >2)社会保障制度    >3)健康寿命   >4)人生の自由度    >5)他者への寛容さ   >6)国への信頼度   

>2022年に行われた調査では、1位フィンランド、2位デンマーク、3位アイスランドでした。   

 

これらの国々は幸福な国として定評がありますね。毎回調査で上位にランクされますね。   

 

>さて、日本は何位だと思いますか?   >なんと54位です。   >これは先進国のなかでは超下位です。   >アメリカ、イギリス、フランス、ドイツなど欧米諸国はもちろん、台湾やシンガポールなどアジア諸国・地域と比べても日本は下位です。   >このランキング調査は2012年から始まりましたが、当初から日本の順位は低く、その後も下降傾向にあります。   

 

日本も生活をエンジョイできる国になると良いですね。    

 

>日本は世界で最も長寿を誇ります。  >経済的にも豊かで、医療の国民皆保険が適用されるなど社会保障も他国に劣っていません。  >それなのに、なぜ幸福度が低いのでしょうか?    

 

我が国人は水と安全はタダだと思っている国ですからね。幸福な事など何もありません。      

 

>日本をよく知っている外国人は、この調査データをとても不思議に感じるようです。   

>実際、GDPや健康寿命などのデータでは、日本は外国と比較して文句なしの上位です。  >しかし、(4)人生の自由度と(5)他者への寛容さのスコアが低い。  >これらが、足を引っ張って、日本の幸福度が低いという結果が現れたと分析されています。   

>4)人生の自由度と(5)他者への寛容さのスコアが低いということは、日本人には次のような特徴があるといえます。   

>・人生の選択肢に幅広さがなく、縛られて生活している   

 

そうですね。日本人は不自由を常と思えば不足なしと考えていますね。   

 

>・人間関係を警戒して、心が開けない   

 

そうですね。人を見損なってはいけないと気配りをしていますね。日本人は礼儀正しい人間に成らなくてはならないのです。    

 

>人間は幸福を感じると脳内で神経伝達物質のセロトニンが分泌されます。  >セロトニンは別名「幸せホルモン」とも呼ばれており、正常に分泌されているとポジティブな気分が湧き上がり、活動的な生活の原動力となります。  >しかし、人間関係のストレスや生活への不安・不満を抱えすぎると、セロトニンは分泌されづらくなります。  >そして、このセロトニンの減少が続くと身体の不調を引き起こす脳機能の低下をもたらし、脳は疲れた状態になってしまいます。   

 

日本人はストレスや不安・不満を沢山抱えていますね。   

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。      

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、この種の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。    

 

>「世界幸福度ランキング」で長期的に低迷している実態を見ると、日本人は日常的に多くのストレスや不満を感じていることがわかります。  >それはセロトニンが分泌されづらい環境ということであり、日本人の脳が相当に疲れていると考えられるのです。   

 

日本人は酒に飲まれる (急性アルコール中毒) 人が多いですね。短調の演歌を好んで歌いますね。夢と希望が持てないのでしょうね。日本語の文法には時制がありませんから未来の内容は想定外になっています。    

 

>■セロトニンが枯渇しやすい日本人   

>日本人の脳が疲れているのには、いくつか理由があります。   

>まずひとつ目は、残念ながら日本人は脳内物質のセロトニンが枯渇しやすい遺伝子を持っています。   

 

それは残念なことですね。    

 

>脳が働くには、神経伝達物質と呼ばれるエネルギーが何種類も必要となります。   

>先ほども触れたセロトニンはその代表的なエネルギーのひとつで、心身の健康の安定やストレス抑制に深く関係しています。   

>そのセロトニンは神経細胞同士のつなぎ目に放出されますが、一部のセロトニンは回収されてリサイクルされます。   

>セロトニンを再回収する役割を担うのが「セロトニン・トランスポーター」と呼ばれるたんぱく質で、これまでの研究では次の3つの遺伝子タイプが存在するとわかっています。    

>1)ストレスに強いタイプ   >2)ストレスに強くも弱くもないタイプ    >3)ストレスに弱いタイプ   

>日本人の大多数は、(3)であると考えられています。   

>ストレスとは、環境変化のことです。   

>ストレスに強いか弱いかは、変化に対する順応性の高さの差です。   

>3)の遺伝子タイプを持つ日本人はストレスに対して過剰に反応。   

>脳内で放出されたセロトニンがリサイクルされず、脳内エネルギーを消費してしまうというわけです。   

>日本人はストレスに弱いことを隠す人が多くいらっしゃいます。   

>診察室で患者さんに「ストレスがありますか?」と聞くと、「そんなものは無縁です」と答えるものの、とても辛そうに見えることがよくあります。   

>「弱い人だと思われたくない」と人目を気にする日本人気質は、さらにセロトニンを枯渇させて、脳過労を加速させます。   

 

日本人は見栄と外聞を気にする質ですね。   

 

>ちなみに、ラテン系の国(スペイン・イタリア・ブラジル・アルゼンチンなど)は(1)の遺伝子タイプを持つ人が多いといわれています。   

 

ラテン系の国々はハッピーな国のようですね。   

 

>彼らは陽気な性格で、楽しいときには大笑いをします。   

 

私もイタリア人のグループと一緒の飛行機に乗り合わせたことがありますが、彼らは機内で大合唱をしていました。  

 

>辛いときには人目も気にせず思いっ切り泣きます。   

>人目を気にせずに感情を爆発させられる人は、ストレスからの回復が早いことがわかっています。   

>ストレスに強いと、脳内で放出されたセロトニンがセロトニン・トランスポーターによって効率的にリサイクルされるため、脳内エネルギーが足りなくなる危険性も少なくなります。   

 

どうもありがとうございました。   

 

>奥村歩(おくむら・あゆみ)   >脳神経外科医、おくむらメモリークリニック理事長。   >1961年生まれ。長野県出身。   >岐阜大学医学部卒業、同大学大学院医学博士課程修了。   >アメリカ・ノースカロライナ神経科学センターに留学後、岐阜大学附属病院脳神経外科病棟医長併任講師等を経て、2008 年におくむらメモリークリニックを開設。  >認知症やうつ病に関する診察を専門とする。   >日本脳神経外科学会(評議員)・日本認知症学会(専門医・指導医)・日本うつ病学会などの学会で活躍。   >著書に『その「もの忘れ」はスマホ認知症だった』(青春出版社)、『ねころんで読める認知症診療』(メディカ出版)、『「うちの親、認知症かな?」と思ったら読む本』(あさ出版)などがある。   

 

 

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序列感覚  

2022-11-20 21:55:42 | 文化

>日本人の秩序感覚を考える   >20161012 CATEGORY - 日本人と英語   

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>著者は、このことについて以下のように言います。

>「日本人は、ルールさえ守っていればOKだという感覚が強すぎますね。   

>このことが、日本から例えばユーチューブのような全く新しい革新的なビジネスができない理由です。」   

 

そうでしょうね。ルールは現実 (事実) の内容であり、核心的な内容は非現実 (考え) の内容ですからね。     

現実は頭の外側にあり、非現実は頭の内側にある。同次元にしては考えられませんね。  

 

>昨今、訪日外国人の増加に伴ってホテルが足りないということが社会問題になっていますが、この問題に対する解決策としてエアービーアンドビーという民泊のポータルサイトが話題になっています。   

>日本においてはこれをまずは、「旅館業法に違反する」という切り口から批判的にとらえられました。    

>また、ウーバーという民間の配車サービスについても同様に、「道路運送法に違反する」という切り口から批判の対象になることが多いです。   

>民泊にしても、現実に「宿泊施設が足りない」という現実の問題が存在するからこのようなサービスが提案されたのに、まずは現在のルールを守るということを最優先すべき事項と認識してしまう精神構造を持っているのが日本人です。   

 

そうですね。日本人には現実が何よりも大切ですね。非現実 (未来) の内容は想定外になっていますね。非現実の内容が考えられると問題が解決しやすくなりますね。        

 

>本書にはウーバーに関するアメリカの現状が次のように書かれていました。   

>「このサービスのどこがポイントかというと、地元の人がやっているということです。   

>例えば、どこか郊外のまちに行く。   

>そこであなたが、駅前からあるところまで行きたい時に、その地元の人が乗せてくれる。   

>地元の人だから道を良く知っているのです。   

>ですから、コミュニティータクシーみたいな感じなのです。   

>しかも、運転手も客も互いに評価しあうので、ある意味では、普通のタクシーより安心なのです。   

>普通のタクシーはどんな運転手にあたるか分からないし、意外と道を知らない人かもしれないし、乱暴な人かもしれない。   

>高評価を得ている人なら安心して頼めるから、却っていいんです。   

>そういう理由でアメリカでは急速に普及しているのです。」   

 

善は急げですね。    

 

>そして、特筆すべきはこれは、日本におけるこのような現在のルールを守るということを最優先すべきと考えている人は、このような批判をする一部の人だけではないということです。   

 

そうですね。形式を重んじるところは日本人の美徳となっていますね。   

 

>「ちゃんとしたタクシーの許可を得ていない運転手に運ばれるのはイヤ、誰が経営しているか分からない民泊の施設に泊まるのはイヤ」と一般の人が思っているから、日本では規制が外されないのです。   

 

日本人は個人判断が苦手ですから、現実に対応した臨機応変の処理は難しいですね。   

 

>私は、著者からこのような指摘を受けて、実際に自分自身のなかの「イヤ」を発見してしまい、正直ショックを受けました。   

 

我々日本人には意思がなく、その結果指示待ち人間になっていますね。

 

>これは、もう少し深めて考えてみると、日本人の「権威好き」という性質に繋がっていると思いました。   

 

そうですね。お上の大切さですね。寄らば大樹の陰ですね。お上・規制は序列人間の頼みの綱ですね。不自由を常と思えば不足なし。              

 

>日本においてビジネスマンが英語を学ぶということは、「英語を道具としてビジネスを行う」ということを実現するためだと思います。   

>この「英語を道具としてビジネスを行う」能力というものと、TOEICというテストの点数との相関関係はそう多くはありません。    

>言語能力というものは、そう簡単には測定できないからです。   

 

そうですね。それは、どの言語についてもいえることですね。    

 

>TOEICのような一方的なテストで測定可能な「読む」「聞く」という受動的な能力の測定結果を統計的に処理して「コミュニケーション」という包括的な能力を推定しようとしても無理があるに決まっているのです。

 

そうでしょうね。   

 

>現在のように多くのビジネスマンが大挙してそのような限界があるTOEICのスコアに一喜一憂している姿は、おそらくその試験を作っているアメリカのETSにも滑稽に映っていると思います。   

>それぞれの業界、それぞれの企業にとって重要なのは、必要なものを徹底的にやり、不要なものは排除することです。   

 

要・不要は個人個人で違うでしょうからね。    

 

>この当たり前のことを自らの判断で行うことができないため、相関関係はないけど、誰もが知っている英語のテストであるTOEICのスコア、すなわち英語界の「権威」にあれだけの反応を示してしまうのだと思います。   

 

我が国の大元・日本語界の権威の方はどのようになっているのでしょうかね。       

 

>本書に書かれているように、英語は「文化」ではなく、世界の人々の行動のスタンダード、すなわち「文明」であるという考え方を少しでも理解しようとすれば、このような「日本人の秩序感覚」は見直すべき点もあるかもしれないと思いました。   

 

日本人は序列人間ですから、序列に基づく秩序感覚が我々の精神にぴったりするのでしょうね。   

 

 

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P.F.ドラッカー  

2022-11-18 01:09:28 | 文化

>【不安な未来】なぜドラッカーは日本人に繰り返し警鐘を鳴らしたのか?   >書籍オンライン編集部 - 16 時間前   

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>情報が次から次へと溢れてくる時代。   

>だからこそ、普遍的メッセージが紡がれた「定番書」の価値は増しているのではないだろうか。   

>そこで、本連載「定番読書」では、刊行から年月が経っても今なお売れ続け、ロングセラーとして読み継がれている書籍について、関係者へのインタビューとともにご紹介していきたい。    

>4回は2000年に刊行、20年以上にわたって読まれ続けているベストセラー、P.F.ドラッカー著/上田惇生編訳『プロフェッショナルの条件――いかに成果をあげ、成長するか』。4話に分けてお届けする。(取材・文/上阪徹)

>ドラッカーはなぜ「明治維新」に驚いたのか   

> ドラッカーの入門書として初めて日本発で企画され、世に送り出されたのが、『プロフェッショナルの条件』。   

>本書の冒頭では、「日本の読者へ──モデルとしての日本」と題したメッセージも綴られているが、こんな書き出しで始まっている。

> 私の心の中で、日本は70年近くにわたって重要な位置を占めてきた。   

> 本書の担当編集を務めた中嶋秀喜氏はこう語る。   

>「ドラッカーさんと日本との出会いは、1930年代のロンドンでした。   

>雨宿りで近くのビルにたまたま入ったら、日本の絵画展をやっていたんですね。   

>そこで、それまでまったく意識したことがなかった日本の美術について見ることになり、魅せられたんだそうです」   

> 室町時代の水墨画や禅画だった。   

>僧侶が描いた直感的な絵にドラッカーは強い関心を抱く。   

>後に、水墨画のコレクターとなった。   

>実は千葉市美術館で、彼のコレクションを見ることができるそうだ。   

>「それで日本の歴史や文化を調べて、まず驚いたことがあったんです。    

>明治維新でした。   

>日本をひっくり返すような一種の革命なのに、それほど大きな血が流されなかったからです。   

>ヨーロッパの血塗られた革命に比べるとまったく違う、と」

 

そうですね。イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、以下のように述べています。

日本人は全員一致して同一行動がとれるように、千数百年にわたって訓練されている。従って、独裁者は必要でない。よく言われることだが、明治というあの大変革・大躍進の時代にも、一人のナポレオンもレーニンも毛沢東も必要でなかった。戦後の復興も同じである。戦後の復興はだれが立案し指導したのか。ある罷免された大使が、ドゴール、毛沢東、ネールの名はだれでも知っているが、吉田茂などという名は特別な知日家を除けばだれも知らないと言っているが、これは事実である。(引用終り)   

 

> もしかすると、とんでもない民族なのではないか、という思いがドラッカーの中に浮かんだのである。   

 

そうでしょうね。アングロサクソンの民族とは違いますね。    

 

>日本人に向けて繰り返した警鐘   

> そして第二次世界大戦で日本は敗戦、都市部は焼け野原になったが、ここからまた日本はドラッカーを驚かせる。   

>戦後の急激な復興である。   

>中嶋氏はいう。

>「モノが何もないにもかかわらず、わずか10数年で一気に高度成長していった。   

>そうした日本の国民の心のバイタリティに魅せられたんです。   

>このことは、いろんな原稿で書かれています」   

> 本書の冒頭の「日本の読者へ」にもこうある。   

> 私は日本の第二の奇跡を目にした。   

>それは、混乱と廃墟からの復興だった。   

>今日の日本、世界第2位の経済大国しか知らない人たちにとっては信じられないだろうが、1940年代末の日本を見て、その復興を可能とした者は、世界にひとりもいなかった。   

>ところが実際には、戦後10年、そこには新生日本があった。   

>驚くべきことに、あくまでも日本としての日本が生まれていた。   

 

日本流によるわが国の再生ですね。    

 

>ここでも、人類の歴史上、戦後日本には似たものがなかった。   

> ビジネス界にもっとも影響力を持つ思想家からの、これは最大の賛辞ではあるまいか。   

>それほどまでに、ドラッカーは日本を評価してくれていたのだ。    

>しかし一方で、もう20年以上も前からドラッカーは日本に警鐘を鳴らし続けていたと中嶋氏は語る。   

>「日本の読者に繰り返しドラッカーさんが言っていたのが、成功体験は仇になりかねない、ということだったんです」    

> うまくいってしまったがゆえに、陥る危なさがあったのだ。   

 

そうですね。成功体験からは得るものが少ないからですね。お坊ちゃま育ちのようなものですね。失敗体験なら勉強になります。経験豊かな大家になれます。他人の失敗でも良い勉強になります。          

 

> 今日日本は、140年前と50年前の二つの転換期に匹敵する大転換期にある。   

>ただし前の二つの転換とは違い、今回のそれは失政、混乱、敗北の類がもたらしたものではなく、主として成功の結果もたらされたものである。   

>成功のもたらす問題は、失敗がもたらす問題とは大きく異なる。

>「変われない日本」が苦境を抜け出すためのヒント   

> 本書の刊行から20年以上が経ち、ドラッカーの警鐘は現実のものとなってしまっている。   

>成功体験の呪縛にさいなまれ、変われないままに長い時間が過ぎた。   

 

そうですね。日本の文化には形があって内容が無い。内容が無いのは日本人が思考を停止しているからである。   

内容が無いからそれだけ形の方に余計に拘ることになっている。だから、無意味な形の呪縛に強くさいなまれることになる。      

 

>失われた20年とも、30年とも呼ばれる閉塞した時代が、今なお日本を覆っている。

 

そうですね。思考停止と無意味な形式主義の合体がわが国を覆っています。    

 

> 20年前の本だが、もしかすると今こそ、この本を読むべきなのかもしれない。   

 

そうですね。我々は我が民族の呪縛の機序 (mechanism) を理解すべきですね。    

 

> 求められる姿勢、変化と継続双方への関わり方、一人ひとりのとるべき行動、リーダーシップは同じである。   

>そのような意味において、人と組織との関わりについての私の著作の精髄たる本書が、明治維新と戦後日本から多くを学んだ者からの返礼として、今日の日本のお役に立つならば、これに勝る喜びはない。    

> 亡くなるまで、ドラッカーは変われない日本を心配していたという。   

 

そうでしょうね。柳の下にいつも泥鰌はいないからですね。   

 

>しかし、では、どうすればいいのか、は語らなかった。   

 

それは残念至極ですね。我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

>中嶋氏はいう。

>「ドラッカーさんは、こうしなさい、とは言わないんです。   

>最終的には、自分で行動しなさい、なんですよ。   

 

そうでしょうね。行動は各人の自由ですね。    

 

>行動の仕方は人それぞれですから。   

 

そうですね。彼はわが国の個性的な社会を目指していますね。    

 

>10人みんなに、同じようにこうしなさい、とは言えない」   

> どうすればいいのかは、一人ひとりが考えなければならないのだ。   

 

そうですね。ですから日本人の思考停止がなくなるのですね。    

 

>そこにこそ、日本が苦況を抜け出す鍵があるのかもしれない。   

 

そうですね。人手不足の国を頭脳不足の国に変える必要がありますね。    

<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)  

 

>新しい社会の主役は誰か、強い組織に何が求められるのか、成果をあげる能力とは何か、意志決定の秘訣とは、リーダーシップの本質……。   

 

日本人には意思がない。意思の無い人には責任もない。だから、日本人は責任のある指導者に育たない。我々が指導性を発揮するにはどうしたらよいか。      

 

>本書には、そのヒントがたくさん隠されている。   

>(本記事は、『プロフェッショナルの条件――いかに成果をあげ、成長するか』の編集者にインタビューしてまとめた書き下ろし記事です)

>上阪 徹(うえさか・とおる)   >ブックライター  >1966年兵庫県生まれ。   >89年早稲田大学商学部卒。  >ワールド、リクルート・グループなどを経て、94年よりフリーランスとして独立。   

>書籍や雑誌、webメディアなどで幅広く執筆やインタビューを手がける。   

>これまでの取材人数は3000人を超える。   

>著者に代わって本を書くブックライティングは100冊以上。   

>携わった書籍の累計売上は200万部を超える。   

>著書に『成功者3000人の言葉』(三笠書房<知的生きかた文庫>)、『子どもが面白がる学校を創る』(日経BP)、『10倍速く書ける 超スピード文章術』(ダイヤモンド社)ほか多数。   

>またインタビュー集に、累計40万部を突破した『プロ論。』シリーズ(徳間書店)などがある。   

 

 

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武居秀典氏  

2022-11-17 14:33:20 | 文化

>人助けをしない日本人に「グローバル人材」は無理 英語力以前に「見識と教養」が決定的に足りない   > 武居 秀典 2022/11/17 07:00   

>今年10月、英国に本拠を置くCAFCharity Aid Foundation)が、2022年版「世界寄付指数」を公表しました。   

>同指数は、世界119カ国を対象に、過去1カ月間に「見知らぬ人、もしくは助けを必要としている人を手助けしたか(人助け)」「慈善団体に寄付をしたか(寄付)」「ボランティア活動に参加したか(ボランティア)」などの質問を行い、その結果を指数化・ランキング化したものです。   

>日本は2年連続で最下位レベル   

>今年の1位は5年連続でインドネシア、アメリカは3位、中国は49位、日本はなんと119カ国中、118位でした(昨年は114カ国中、最下位の114位)。  

 

わが国は寄付の後進国ですね。    

 

>日本は長年にわたり「グローバル人材の育成」を政策として掲げていますが、なかなか成果はでていません。   

>この世界寄付指数の結果は、「なぜ、日本でグローバル人材が育たないのか」「育成すべき真のグローバル人材とはどのような人材か」を考えるひとつの示唆を与えてくれています。   

 

そうですね。日本人には世界観がないですからね。     

 

>日本では「グローバル人材=英語が話せる人」という思い込みが非常に強くあります。   

>結果、グローバル人材育成というと、英語教育の強化や早期化に行き着きます。   

>しかし、当然ですが、「英語が話せる人」=「グローバル人材」ではありません。  

 

アメリカでは英語を話せる人は人並みな人ですね。   

 

>アメリカでは、ほぼ全国民が英語を話しますが、「グローバルに通用する人材」はほんの一握りです。   

>日本人が海外でビジネスなどを行う際、英語は話せるにこしたことはありませんが、これはひとつの素養にすぎません。   

>「真のグローバル人材」に必須な素養はほかにいくつもあります。   

 

教養 (哲学) 必要でね各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.         

 

>まず、最も重要なのは「差別」に関する見識です。   

>日本でも「差別はいけないこと」と教えられますが、「内と外」を異様に区別する「ムラ社会」の特徴が今でも色濃く残る日本では、「差別はいけないこと」と頭でわかっていても、真に身についていません。

 

そうですね。日本人は序列人間で、わが国は序列社会を作っていますからね。序列関係にしか日本人の注意は働きませんね。序列関係にあれば、日本人は義理を果たすということ相互扶助が成り立ちます。義理とは、私的な序列関係から生じる義務のことです。国際関係には序列がない。彼らは序列外の人、つまり外人です。だから、義理もない。義理が廃ればこの世は闇だと日本人は歌っています。         

 

>昨年の東京五輪では、女性蔑視発言や障害者差別、人種差別などを理由に、組織委員会会長や、開会式の演出・楽曲の責任者等が相次いで辞任しました。   

>問題発覚当初、組織委員会や一部著名人から彼らを擁護するような発言があったことも含め、「差別」に関する日本社会の意識の低さを改めて世界にさらけ出しました。   

 

そうですね。身贔屓ですね。このような露出は有意義なことにしなくてはなりませんね。   

 

>以前、筆者は、日本の企業からアメリカの現地法人に赴任した際、現地で非常に徹底した「差別に関する研修」を受けました。   

>赴任前に日本でも同様の研修は受けたのですが、歴史的背景なども含めた研修の内容は、より具体的かつ実践的なもので、それまでの自身の「差別」に関する見識がいかに不十分だったか思い知らされました。   

 

その研修には英語を使った思考が必要でしょうね。   

 

>英語ができる、できないの前に、人としての見識が問われるのです。   

>日本社会全体はもとより、「真のグローバル人材」は、この最も重要な「世界の常識」をしっかり身につけることが必須であり、そのための教育のあり方をよく考えていく必要があります。

 

そうですね。世界の常識は日本の非常識ですね。      

 

>その大前提として、政治家などによる「差別発言」は、社会全体として、看過することなく、つど厳しく批判していくべきです。

>社会貢献の意識が低すぎる   

>2つ目は冒頭に取り上げた「社会貢献」意識です。   

>「社会」との関わりでいえば、日本人の多くは、小さい頃から「公共の場所では騒いではいけない」「人に迷惑をかけてはいけない」としつけられているので、海外でも日本人の振る舞いに対する評判は悪くありません。   

 

そうですね。意思の無い日本人は指示待ち人間になっていますね。   

 

>このこと自体はよいのですが、日本人に足りないのは、「社会に対する積極的な貢献」です。   

 

そうですね。日本人には意思がありませんね。意思があれば積極的、意思がなければ消極的になりますね。       

 

>それが、世界寄付指数の結果に表れています。   

>2011年の東日本大震災などを機に、日本でも「寄付」や「ボランティア活動」が増えましたが、諸外国と比較すると、日本はまだ低いレベルにあります。   

>特に、「助けを必要としている人に手を差し伸べる」という意識や行動は、ここ10年、社会全体でむしろ後退しているような気がします。   

>車椅子に乗った人を差し置いてエレベーターに乗るなどといったことは、先進諸国だけでなく、どこの国でも決して許される行為ではありません。   

>人助けや寄付、ボランティアなどの「社会に対する積極的な貢献」は、少なくとも「グローバル人材に必須の素養」です。   

>このことは、日本校を開講した欧米名門スクールが、「社会貢献」教育をひとつの柱としていることからもわかります。   

>英語教育以上に早い段階から、「積極的な社会貢献」意識を養うことが求められます。  

 

意思の無い人間たちにとっての付け焼刃にならないと良いのですがね。   

 

>3つ目は「教養」です。   

>恥をさらしますが、筆者自身、海外での「仕事以外」の会話には相当苦労しました。   

>政治やビジネスの世界で活躍する諸外国の方々の「教養」には驚くほどの深みがあります。   

>いわゆる「リベラルアーツ」の世界です。

 

日本の大学の教養部はさえませんね。日本人は思考を停止していますからね。無哲学・能天気の人間です。      

 

>リベラルアーツとは、「自由に生きていくための教養」で、哲学、歴史、社会科学、自然科学、芸術、外国語など、幅広い領域の教養を指します。   

 

大学などの高等教育機関で論文作りに励めば学士・修士・博士などの称号が得られる。博士は普通 '哲学博士' (Doctor of Philosophy: Ph. D.) と呼ばれる。

私は日本のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何度も聞かれた。外国人からは、このような質問を受けたことはない。日本人は大学で、自己の哲学を作ることを学んでこなかった。だから彼らは退屈男・退屈女となって大学在学中の4年間を遊んで暮らさなければならなかった。       

政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。  

我が国の政治家には政治哲学がなく、わが国の宗教家には宗教哲学がない。わが国の科学者には科学哲学がなく、わが国の著述家には人生哲学がない。などなど。   

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)    

 

TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。

孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)(引用終り)   

 

>欧米の企業幹部などとの会食では、シェークスピアの演劇や古代ギリシャ哲学の話題などがさりげなく出てきます。   

>東南アジアでは、アジアの歴史、特に、近現代史などに関する相手の見識の深さに驚かされます。   

>大学からの勉強では遅すぎる     

>生半可な知識で対応しても、すぐにこちらのレベルを見透かされ、相手にされなくなります。   

>日本の大学でもリベラルアーツをうたうところが増えましたが、「真のグローバル人材」に必要な教養のレベルは、大学から勉強すればよいといったものではなく、小さなときから、学ぶ、触れる、身につけるといったことがなければ太刀打ちできません。   

>日本における「グローバル人材育成」のカギは、英語などではなく、ここにあると思います。   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

>そのためには、日本社会全体の教養レベルの引き上げも必要なので、学者や専門家、修士や博士課程の学生などが、自由に研究・活動し、それを社会に還元できるような環境整備が一層求められます。   

 

求めよ、さらば与えられんですかね。自由とは意思の自由のことである。日本人は意思がない。だから、自由自体にも意味がない。不自由を常と思えば不足なしの生活である。   

 

>「グローバル人材」育成のための教育としては、ほかにも「自主性を養う」とか「自分で考える力やそれを表現し、相手を説得する力を身につける」といった点などが指摘されています。   

 

そうですね。意思があるので自主性も出る。日本人には意思がないから自主性も出ない。   

 

>しかし、まずは「グローバル人材=英語を話せる人」というステレオタイプから脱却し、世界の「グローバル人材」が、どのような価値観を尊重し、行動しているのかを理解することが重要です。

>そのうえで、グローバル人材育成を阻んでいる日本社会の構造的な問題点を改善していく努力と、真のグローバル人材育成に向けた教育環境の整備が求められます。   

 

そうですね。まずは、序列社会と序列人間を廃する努力をすることですね。    

 

>円安もあり、日本人の海外留学は高嶺の花になりつつありますが、世界のグローバル化は、さらに進んでいきます。   

>日本が「ガラパゴス化」し、世界から取り残されることのないよう、将来を担う「真のグローバル人材」の育成は、われわれ大人に課せられた最重要課題です。   

 

そうですね。しかし、意思の無い日本人には必要な行動計画が立てられませんね。   

 

>そのための議論をより深めていくべきと思います。   

 

そうですね。隗より始めよですね。   

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)            

 

 

 

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