黄昏どき

老いていく日々のくらし 心の移ろいをありのままに

戦争のない平和な世界を

私が13歳のころ

2013年08月13日 | つぶやき

68回目の終戦(敗戦)記念日がやってくる 

 戦後生まれの方が多くなり あの頃を知る者も少なくなった

12歳7か月で終戦を迎えたが

あの頃の衣・食・住を振り返ってみよう

昭和20年8月樺太から 

母と姉妹弟7人 着の身着のままで引揚げてきた

伯父を頼って道南の木古内に一旦落ち着いたが

 10月上川郡士別町の引揚げ寮に移った

衣について 

お金があっても 物のない時代で 何処にも売っていない

皆 夏服に従姉からのおさがりを羽織っていただけであった

頂いた 綿の代わりに海藻が入った布団を 踏んでならして敷き

 肩を寄せ合って寝たが 夜中寒くて目が覚めた 

布団は布だけで綿替わりの海草は

 隅の方に団子のようになっていた

翌朝10月24日初雪が30㎝位も積り そのまま根雪になる

軍隊毛布と軍服が配給になったので 

それぞれの洋服に作り直して寒さをしのいだ

 靴下も配給の軍足(踵がないので子供でも履けた)

小学校4年生の妹は雪道を夏靴で学校へ通ったが 破れてしまい

 足が凍え泣きながら帰ってきたことがあり 不登校になる

母は和服だったが 夏のセルの単衣にもんぺをはき

 買い出しの時は 角巻替わりの軍隊毛布姿だった

私は着るものも靴もないので 女学校を休学し 

弟妹 一緒の部屋の小さな子供たちの子守とおさんどん


翌年女学校へ入り直した 配給になった軍隊の防寒靴を履き

 クラスメートにドタ靴と笑われたが 暖かいので平気だった 

今思えばミッキーマウスのような感じである

洗濯は たらいでゴシゴシだが 着替えもなく 

石鹸は魚油の臭~い粗悪品 

垢だらけの衣類や頭にはシラミが沢山住みつき 

毎晩シラミ取りが日課だった

 それでも母と一緒にいられて 恵まれた方だったかもしれない

今引っ越し準備で 有り余った衣類の整理をしているが 

あの時のどん底生活を思うと贅沢過ぎる無駄ばかりで

 反省しきりである




昭和21年北海道士別高等女学校時代

クラスに1着だけの配給の制服が当たり 嬉しかった


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