食について
昭和20年から21年の冬はひどかった
配給も何もないので 母は毎日買い出しに農家を訪ねた
お金はあっても売ってくれない 物々交換だが物もない
払い下げの軍服や毛布を背負い 一里(3.75km)以上も歩き
憐れんだ農家が じゃがいも かぼちゃを僅か交換してくれるのが
その日の糧だった 吹雪の日も -30℃のしばれる日も
親子7人が生き延びるために 必死に歩き続けた
姉たちは働き 私は子守と炊事係
じゃがいも かぼちゃ だけの食事が続き
お米は見たことがなかった
白いご飯を(銀シャリ)お腹いっぱい食べるのが夢だった
腐ったでんぷんカスだけは嫌だったが
空腹に勝てず食べたことがある
皆痩せこけ 4歳の弟は体中おできができ治らず
赤ちゃんの末の妹は お誕生がきても這うこともできない
毎日泣いてばかり ひもじかったのだろう
肺炎に罹ったが やっと助かった
21年 父の不在のお正月は いも餅のお雑煮らしきもので祝った
親戚が農家の小母さんが こっそりお餅を2~3枚下さったので
弱っていた弟にだけ食べさせることができた
士別に落ち着いたおかげで 生き延びれたのだと思う
都会や 海岸だったら 誰か亡くなっていたかもしれない
今日のお昼は 夫はお餅
今では何時でも何処でも食べたい時にいただける
飽食の時代
肥満 糖尿病 などが増え続け ダイエットによる栄養失調も多い
しかし世界では 飢えている人たちも多い
勿体ない 粗食の生活を心がけようと思っている