戦争時 昭和18年頃(1943年)から食料は不足だった
お米は配給で足りなく
ジャガイモや麦を混ぜるのが当たり前
代用食と言って ジャガイモ カボチャ だけの時も多かった
砂糖も配給で 甘いものには飢えていた
ご飯は盛り切りでお代わりなんて出来ないし
いつもお腹が空いていた
何処の家でも空き地に植え 道路の端にも植え
鑑賞用の花など植えている所はなかった
昭和19年(1944年)
樺太豊原の国民学校6年生だったが
4年生以上が全員 ゴミ捨て場に
ジャガイモ カボチャ ルタバカ(大きな蕪のよう)を作り
沢山収穫した
みそ汁の給食になり(主食はなし)嬉しかった
自給自足 が当たり前だった