黄昏どき

老いていく日々のくらし 心の移ろいをありのままに

戦争のない平和な世界を

食糧難の日々

2015年08月08日 | つぶやき

戦争時 昭和18年頃(1943年)から食料は不足だった

 

お米は配給で足りなく

ジャガイモや麦を混ぜるのが当たり前

 

代用食と言って ジャガイモ カボチャ だけの時も多かった

 

砂糖も配給で 甘いものには飢えていた

 

ご飯は盛り切りでお代わりなんて出来ないし

いつもお腹が空いていた

 

何処の家でも空き地に植え 道路の端にも植え

 

鑑賞用の花など植えている所はなかった

 

昭和19年(1944年)

 

樺太豊原の国民学校6年生だったが

4年生以上が全員 ゴミ捨て場に

ジャガイモ カボチャ ルタバカ(大きな蕪のよう)を作り

沢山収穫した

 

みそ汁の給食になり(主食はなし)嬉しかった

 

自給自足 が当たり前だった




コメント (2)
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