黄昏どき

老いていく日々のくらし 心の移ろいをありのままに

戦争のない平和な世界を

昭和20年8月9日の頃

2015年08月09日 | つぶやき

昭和20年

物資は益々不足しており 食糧難もひどくなっていた

4月

樺太庁豊原高等女学校へ入学

 

制服も校章も姉のお下がりで  無い人の方が多かった

憧れの学校に入学できた喜びと期待に満ちていたが・・・

教室で勉強したのは 4月ひと月と雨の日だけ

 

自給自足のため

5月からは1里(3.75km)位離れた所の原野を開墾する作業だった

 

2年生以上は泊まり込みで ニシン場 や 援農に行っている

 

1年生が5組 1クラス1ヘクタールくらいの原野を開墾しなければならない

 

木を切り倒し 根っこを取り除き  麦やジャガイモをを蒔く

道具は ノコギリや 鍬 

早生まれで小さく体力がないので 皆より作業も手鈍い

空腹であり いやで よく仮病を使い 睨まれた

 

学校の校庭には

避難用の タコツボ(一人だけはいれる防空壕)を掘った

 

ソ連の参戦が脅威だったが 

 

8月9日ソ連が宣戦布告 とうとう不安が現実になった

宗谷海峡が封鎖されたら

樺太は孤立する

 

その日

長崎に新型爆弾が投下されたことを知る

 

原野に植えた麦が 雑草の中で ポツン ポツンと 割りばしくらいに延びていた

 

被害に遭われた方のご冥福と

戦争がない平和が続くことを祈る

 

 

美しい花が観られるのは幸せなこと




Sさんから頂いた写真

レースのカーテンは 末摘む花さまを参考にしました

コメント (1)
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