昭和20年(1945年)8月18日
敗戦から4日目
引揚げのため 樺太の豊原市を発った
大人たちと違って
危機感 不安感はなく 戦争が終わったという開放感でいっぱい
半袖のよそいきのワンピースにズボン
小さなリックに着替えと 食料だけ入れ
伯父の家に遊びに行くような呑気な気持ちでいた
父が国鉄勤務なので
後はチッキ(鉄道荷物)で送ることになっていた
午後3時頃駅に着くと
大きな荷物を背負った人でごった返し
奥地から着いた貨物列車の
無蓋車に積まれた荷物の上にも
大勢の人が乗っていた
見送りの父に促され
家族7人
無蓋車によじ登って乗った
緊迫感が漂っていた
父は豆粒のようになっても ホームにずっと立ったままだった
汽車はノロノロ進み停車が多かった
“新場”という駅では長い停車だった
いつ発車するかわからない
列車から降り 草むらで用をたそうとした時である
ポ~~ツと汽笛を鳴らしてゆっくり動きはじめた
慌てて駆け寄り 乗ろうとしたが 一人では無理
妹の泣き叫ぶ声がきこえる
その時誰かが 貨車の上から手を差し伸べてくれた
それに掴まってよじ登り やっと貨車に乗った
後で豊原医專の学生さんだったのを知る
置き去りになる恐怖感不安感は全く覚えていない
大きな夕日が綺麗だったことだけが 鮮明に記憶している
ヒマワリのようだった夕日