好奇心はある 意欲もまだある
気力 実行力が減ってしまった
空回り
体力が落ちて助けてもらうことが多くなった
物忘れや 勘違が多くなった
昨日もナイナイ
毎度探すのは玄関ドアの鍵
呆れる夫の鍵をかりて出かけたが
コートのポケットに入っていた
少々落ち込んでいる時
手作りの花びら餅をいただいた
Sさんの心遣いが嬉しい
もうすぐ誕生日がくる
ひと足早い ご馳走のプレゼント
パット春になった
2012年3月10日のブログ記事一覧-黄昏どき (goo.ne.jp)
セルゲー ジャーロフ 指揮の
ウクライナの ドン・コサック地方 の軍隊だった
ロシアから亡命して トルコで結成
アメリカに渡り世界中で演奏した
娘時代 1956年(昭和31年)
来日し
札幌まで聴きに行ったことがある
力強い歌声
迫力のある コサックダンスなどに 熱狂したことが
思い出される
白系ロシア人亡命者は日本にも沢山きた
旭川市には ビクトル・スタルヒン
スタルヒンは最後まで無国籍者だった
神戸の モロゾフや ゴンチャレンコの創業者
ニコライ堂
函館のハリスト教会 など数多い
形は違っても
争い 戦争は人を不幸にするだけ
Don KosakenChor Russland - Двенадцать разбойников (De Twaalf Rovers)
何時の演奏かわからない
一日も早い停戦 ウクライナの平和を願い祈っています
3月の空の旅
東京への出張で 我が街から飛行機に乗ったのは
今から45年以上前の事だった
1966年(昭和41年)に旭川空港が開港し
飛んでいたのは
国産のプロペラ機 YS11 60人乗り
所要時間はたしか3時間45分だったと思う
ネットから拝借
3月の初旬
ジェット機より安全だと言うが
乗ったことのある人に脅かされ 好奇心と不安な気持ちが
入り乱れていた
機体は大型バスに羽が生えたようで華奢
思っていたより小さい
快晴の行きは快適で 全く揺れなく
眼下の景色を楽しみながらの飛行だった
帰りは
午後から荒れた天気になった
羽田空港では 旭川便は天候の回復待ちだったが
欠航にはならず
1時間ほど遅れて飛び立った
離陸したとたん途端
牛乳の海の中に入ったようだった
何も見えず息するのも辛い感じがする
おまけに
ガタガタ ミシミシ バリバリ 荷物の棚がゆれ動く
華奢な機体が ばらばらになりそうで 不安があふれる
時々エレベーターが下がるように急降下する
ドス~ンと響く
隣の席は 赤ちゃんを抱いたお母さんだった
見ると真っ青な顔をしてぐったりしている
人懐こい赤ちゃんはケロリ
私が抱っこしていることにした
客室乗務員も見に来たがそのまま
赤ちゃんをあやしながら過ごした
赤ちゃんに癒されたのが良かったのだろう
酔うこともなく
無事 冬の旭川に到着した
その後滑走路も広がり
1982年(昭和57年)にはジェット機が飛ぶようになった
今は懐かしい YS11 搭乗の貴重な体験
(YSが日本の空から消えたときにも載せたことがあった)
これから嵐がやってくる予報
まだまだ籠りの日々
北国の春はまだ遠いが
ワクワクしながら待ちわびる
戦闘をやめ穏やかな日が来ることを待ちわびる
夫の写真 蔵の中から
手紙の整理しながら
夫の樺太時代の昔ばなしになった
師範学校の寮生活では 大部屋暮らしで
2年前に亡くなった親友と一緒の部屋
暗闇で上級生に殴られたことなど
ゴッホ展で札幌に行った時
彼の家を訪ねたことがあった
少し子供に返っていた彼は にこにこ嬉しそうだった
良き理解者の優しい奥さんから今年も賀状が届いた
野の花らんまん
再び 載せました
眼科受診だった
日曜日に夫が救急診察してもらったはじめての病院
詳しいことは後日述べるが
私も診察していただき二人共 この先生に診ていただくことを決めた
飛び入りで 紹介状も持たない高齢者なのに
丁寧に診察し
わかりやすく詳しく 納得いくように説明して下さった
診察に長時間かかり帰宅したのは 3時近かった
疲れてしまったが 安心した
感謝で一杯である
昨日は 桜もちをいただき
夜は手巻き寿司