黄昏どき

老いていく日々のくらし 心の移ろいをありのままに

戦争のない平和な世界を

飢えとお米

2022年08月21日 | 戦争

ゆめぴりか5Kg 二袋が届いた

 

米農家さんから直接届けてもらうようになって

数年たつ 

 

粘りがって 冷めても美味しく 北海道米は自慢できる

 

最近夫の食欲が落ち 食べる量が減ったが

それでも毎日いただけるのは 幸せなこと

 

 

 

日本全体では お米を食べることが少なくなり

食料需給率が38%と低い 

輸入が出来なくなったら どうなるのだろう

 

 

 

77年前の敗戦後は お米を見ることも出来なく 飢えていた

ジャガイモ カボチャ デンプンカス 

 

昭和21年の今頃は いちばんひもじかった

 

大きくなったイタドリも食べた

 

銀シャリ(白米)を食べたい が夢だった

 

 

 

 

 

1997年7月

インドネシア バリ島では 1年に3度お米がとれる

 

旅した時 丁度稲刈りをしていたが

 

青々とした棚田も見られた

 

夫のフイルム撮影


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三宅 一生さん と 森 英恵さん

2022年08月20日 | つぶやき

一世を風靡した ファッションデザイナー

 

三宅 一生 さん 森 英恵 さんが相次いでお亡くなりになった

 

夢を与えて下さったお二人に感謝し ご冥福を祈る

 

 

一生さんの

 

プリーツ プリーズ を愛用していた時期があった

 

ちょっと高いお値段だが 

軽くて手入れが簡単で便利 手洗い出来て皺だからアイロンもいらない

太っても痩せても大丈夫


札幌に行った時 二女に連れて行ってもらったのが始まりだった

 

私から見たら 流行を追わず 何年でも着られる洋服であり

旅行時はいつも持ち歩いていた

コロナで外出が減り出番が少なくなったが

久しぶりに昨日着てみたら 楽

 

 

2000年スイスに着て行った 22年以上前に購入したもので

グラデーションが気に入っている

 

ゴッホ展にの帰り 大丸で買ったのが最後だが

皆愛着がある

 

 

 

森英恵さんの洋服は憧れであり 夢だった

 

着ることは一度もなかったが お皿があった

 

 

 

 雨の予報

はがきを出すついでに スーパーへ 

後30mのところで 大粒の雨が降り出した

走ることは無理 ヨタヨタ歩き濡れて帰る


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空 虹と夕焼け

2022年08月19日 | たより

ふと空をみると虹が 縦に🌈

 

 

空も染まっている 居ながらにして楽しむ

 

 

山は見えないが 東北(左)にも微かだが🌈

 

 

 

西の窓も染まっているので 慌てて見ると

 

 

 

 

夫には見えないので可哀そうだが

高校野球を楽しんだ

東北勢が2校残って喜んでいる

 

 

桐蔭と下関国際 の試合は

判官びいき  まさかが勝利した

 

 

 

 

今朝の空 風は冷たい 最高気温25℃の予想

 


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77年前のこと & 空

2022年08月18日 | 戦争

17日の夕方 東から南の空が染まっていた

 

わけもなく嬉しい

 

 

 

 

 

8月18日は

敗戦後樺太から引揚げた日であり 33歳になった孫の誕生日である

予定だった 引揚げ船 小笠原丸に乗っていたら

 

孫も存在しなかった

 

77年経っても 運命の不思議さを感じているが

 

 

樺太引揚げの記 2

 

私たちが乗った 白龍丸には 船倉に

 

 

大勢の朝鮮の人たちが乗っていた

 

おそらく 強制的に樺太に連れてこられ

炭鉱などで労働させられていた人たちだったと思う

 

お酒でも飲んでいたのだろう

 

今までのうっ憤を晴らすように大声でわめく

 

うなり声は 暴動でも起きるのかと 恐ろしさでいっぱいだったが

 

今思えば 一番の犠牲者だった 

 

小樽に入港した時 上陸するのは見ていないが

 ふる里 朝鮮に 無事 帰ったのだろうか

 

 

 

 

樺太には大勢の朝鮮の人がいた

 

5・6年生の時のクラスにも 権さんという名の人がいた

 

勉強はできる方だったが 女学校は受験しなかった

 

一度部落へ遊びに行ったが お母さんは日本語は話せず

 

白い服を着ていた記憶がある

 

樺太に取り残された 人が多かったが

 

権さんはどうなったのか ふと思う

 

 

 

 

🤧 🤧 🤧 🤧 🤧

 

熱は出ないが まだすっきりしない身体

喉がイガイガ 偶に咳がでる

籠っている

 


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昨夜は限界

2022年08月17日 | たより

昨夜

ドキドキふらふら体調不良だったが熱はなく 無理して夕食の支度をした

 

手抜きだが 

五目御飯 きゅうりの酢の物 ササゲと鶏肉の煮もの

豆腐の味噌汁 他 ハム

夕食を 食べさせ 

 

砂を噛むようだったが私も胃に押し込む

 

夫の

お茶と 薬を準備したが 立っているのがやっと

 

後片付けをしないまま ベットに横になる

 

「大丈夫か」と声をかけてくれるが 頼めることは何もない

 

1時間ほどして起きると又ふわふわするが 片付け 夫に目薬をさし

 

寝巻に着替えて横になった

 

 

夜中まで眠られずにいたが その後楽しい夢をみていた

 

 コンサートで乾杯の歌を聴いたり

 

亡くなった友と語ったり

 

 

 

今日もすぐれないが昨日ほどではないので

いつものように過ごしている 

 

暑いと言うのでエアコンを入れるがすぐ切り ベランダを開ける

 

朝寝していた夫が目覚め 今度は寒いという


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寝冷え? コロナ?

2022年08月16日 | たより

朝方

 オリンピックのバイアスロンを応援している夢をみた

金メタルを取ってオメデトウと 喜んでいたが

寒くて目が覚めた

又 寝冷えしたのかも・・・

籠っているが

 

しなくてなならないことは 色々ある

 

頼りにしたいが 頼られるのもつらい

 

8月はじめ 窓を開けて寝て 朝方寒くて目が覚めた

 

熱はないが 鼻水 だるさ 喉のイガイガ が続き

おまけに下痢

もしかして? コロナ?の不安で

 

10日以上籠り人だった

 

鍼も カットも キャンセルし 眼科も延期してもらい

 

やっと治って 受診できたのに・・・

 

 

 

 

敗戦 77年前の16日は 女学校へ在学証明書を貰いに行ったり

荷物の準備で慌しかった

 


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忘れられない日

2022年08月15日 | 戦争

敗戦記念日であり お盆の中日

 

77年経っても忘れられない日

 

朝のテレビで 敗戦前日の香住沖海戦

 

を放映していた

 

はじめて知った事実である

 

 

 

 

一週間遅れの眼科受診日だった

 

娘の助けを借りないつもりだったが

 

動悸がひどく 起きていられないほど

 

夫の受診もあるので ついて行ってもらう

 

病院は お盆に関係なく診療中

 

 

昨日無事帰った孫も 今日は仕事だと

 

 

診察の結果

 二人共 良くはないが 悪くはなっていなかった

 

大事にしなければ

 

 


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うれしい来訪

2022年08月14日 | たより

突然 孫からの電話

 

「今 オ○○ス で休憩してるの 後1時間くらいで着きます

 

泊まるのは○○伯母ちゃんところ」

 

じじ ばば ビックリして長女に電話すると

 

ひと月くらい前から話し合っていたとのこと

 

1時間過ぎても到着せず心配していたら

 

やっと着いた

 

まさか!!! オートバイで・・・・

 

花のスポーツウーマン

 

 

 理学療法士になって4年目 忙しく元気に働いているらしい

仕事が楽しいと言う

 

仏壇にお参りして メロンを食べて 

記念撮影するが

 

 身長差20cm 横に並ぶと萎んだのが目立つ

 

 

 

うれしい嬉しい日だった

後ろ姿を 合成

 

 

今日は

ひまわりを見て帰るそうだが 着くまで心配している


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お盆

2022年08月13日 | たより

一年に一度 お盆に見えるお坊さん

 

例年と同じ 13日の 朝8時前にいらし

短いお経はすぐ終わった

 

  

 

緊張して早起きしたので睡魔が襲る

 

高校野球を子守歌のように聴きながら

 

二人共朝寝 

 

 

 

昭和20年のお盆の記憶はない

敗戦後も何年か記憶は無いし 仏壇も無かった 


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徹子の部屋 戦争体験

2022年08月12日 | 戦争

徹子の部屋

 

 

今日のお客様は  毒蝮三太夫 さん

 

77年前の東京大空襲を体験し 大変だった様子を

 

語っていらした

 

徹子さんも 同じ体験をされている

 

 

 

同じ年の8月9日

ソビエトが参戦し 私たちがすんでいた樺太では

婦女子の疎開(引揚げ)がはじまった

 

 

 

私たち戦争を体験した者たちが  声をあげて

 

悲惨さを語り継ぐことは大切なことだと思う

 

 

 

今日もこもり人

 

娘が玄関に荷物を置いて 私が置いた物をもって行く 


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