親の葬儀
入院2日でこの世を旅立った親。万一の葬儀の時は、最寄り駅近くの会場がいいなと思ってはいたが、特に会員になるなどの登録はしていなかったので、結局病院で紹介された葬儀屋さんが病院に駆けつけて下さり、病室も近い談話室で段取りの相談が行われた。
こちら側の病室のドアは、普段カーテンだが閉じられていたのだが、反対側の方はカーテンのままで、話し声が聞こえるのではないかと、私は相談中も気がかりだったが、そのまま話し合いが行われた。弟と私で、まだ喪主の上の弟は上京できなかったので、葬儀屋さんにお任せするしかなかった。
病室に戻り、看護師さんに整えていただき、入院時に、これとこれを用意してくださいと言われて用意したもののほとんどがあまり使われることもないまま、持ち帰ることになってしまった。
親は葬儀屋さんの車で家に帰り、私たちは弟の車で、一緒に帰宅した。急いで親の部屋を片付け、いつものベッドに親を休ませて、冷房を16度に設定して安置。朝までお線香をあげて、祈った。もうしらじらとしてきていたが。
親の部屋や居間の片付けなどして、お花屋さんが開くころに花屋さんまで出かけて、枕花を用意。
それから、近しい親戚には連絡。親の一番下の妹が、すぐに駆け付けてくださった。もう、親とそのおばだけが兄弟姉妹で健在だったのだ。
残っていたお茶やジュースを全部親の冷蔵庫に入れて、来客に備えた。
それから地方に住んでいる弟と姪っ子が駆け付けてくれた。東京にいても、私も間に合わなかったのだから、同じですね。
翌日にはまた一番下の叔母と、義理の叔母も訪ねてくださった。
それから、また連絡した方が良いかなと思う親戚に連絡させていただいた。北海道の親戚にはお知らせしなかった。皆同じように高齢で、あまりに遠いので、お互いに訃報は知らせないようにしているようだったので。年末に知らせればよいのだろう。
午後に葬儀屋さんが見えて、自宅では温度管理が難しいのと納棺のスペースがないということで、安置室に移動。私と息子の家族は一緒にタクシーで会場に向かった。
そこは家族葬専門の小さな会館だったが、なんと線路の高架下にあって、時々電車が走ると振動する。まあ、許してくださいね。
孫が手伝ってくれて、あの世への旅立ちの衣装を身に着けてもらって、お参りしてお別れした。こんなところに一人にするのも悲しかったけれど、宿泊施設はないらしいので仕方ないですね。こちらもいろいろ準備しなければならないし。
それで孫たちを見送って家に帰った。
親がいないので、部屋の片づけともろもろのものを洗濯。クリーニング屋さんにも連絡した。
それから、お通夜・葬儀の準備など。叔母が夕方来てくれたが、親がもう家にはいないと聞いてがっかりなさっていた。
斎場の都合でお通夜が翌日、葬儀は明後日になった。
お花が急な暑さで痛むので、毎朝手入れをしなくては。たくさんあったお花の保存料は親が突然片づけたらしく、見当たらなくなってしまった。漂白剤を1滴落とすとよいと聞いたが、それを取りに行くのも面倒で、ついお水だけにしたら、毎朝濁ってくる。
最後に棺に入れる親の好物や好きな衣類など選んでおいてくださいと言われていたので、少し前に親が話していた、何かの式のために和服に生地を縫い付けて華やかになるようにしたという着物と、夏に相手に赤紙が来て急遽結婚することになったときの絽の和服を用意。最初はくしゃくしゃのままにしていたが、皆様の前で披露するかもと言われて、慌てて畳みなおして箪笥からたとう紙を引っ張りだして、包んだ。
そのほかのものもきれいに風呂敷に包み、また好物の果物やお菓子も用意してと言われて買い物に走り、かごに入れておいた。
会場に足を運んだら、自分たちで祭壇の花を選んだとは言え、94歳という高齢で亡くなったので、華やかな方が良いかなと、結構色とりどりのお花になり、極楽浄土はこんなかしら?と思う。家族葬だったが、私の山ともも、近くにお住まいの方が来てくださり、リーダーも一緒に来てくださった。
お通夜は若い方のお坊さんが見えて読経してくださり、お通夜のいわれを講和して頂いた。
告別式は、先代のお坊さんが取り仕切ってくださった。ちょっとご体調が悪いとお聞きしていたのでハラハラしてしまったが、滞りなく終わった。斎場はすごく混みあっていて、こんなに並んで行われているのは初めてだった。叔父叔母の家族もいらしてくださって、お手伝いくださったが、子供の人数が減ってきているから、これからの葬儀はどうなるのかしら?と思った。
小さな子供たちもお手伝いしてくれた。私の頃は「子供はいい」と、蚊帳の外だったけれど、この子たちはいろいろは経験をして力強いですね。
告別式の会場に戻り、最後の精進落としを頂いて解散。親の逸話をいろいろ話して、和やかな会食となった。親の影膳には親の嫌いなものも入っていたから、親はなんと思っていただろうか?まあ仏様になられたのだから、許してくれるかしらね。
自宅に連れ戻って、祭壇としての小デスクの上の白い布を取り換えておいたので、そちらに安置。弟たちと親のアルバムを見ながら、昔話に花が咲いた。皆紙コップに精進落としで残ったペットボトルのお茶を入れて飲んでくれたので、助かる。
最後に弟が葬儀屋さんに支払い、葬儀屋さんが必要な手続き一覧をお持ちくださって、助かる。会場で余った花を小さめの盛花にしてくれて、セットしてくださった。枕花や親せきが持参してくださったお花が少々痛んできたので、助かる。
まあ、家族葬の基本料金はお安いのだが、斎場が混みあっていたので、式の場所を変えたり、また安置所の会場費なども加わり、そう格安というわけには行かなかったし、親が連れ合いと一緒の夫婦位牌を用意していて、それが院号がついていたので、お寺さんにもそれなりに包まないとならなかった。まあ、親が決めたことですからね。
急に暑くなってきたので、痛みにくいランなどを買い求めたいところです。親の冥福を祈りつつ。。。
兄弟は遠方だったり、まだ現役で時間が取れない。私が各種の手続きを取らないとならない。私の親も連れ合いをなくした時には同じくらいの年代で全てやってくれたので、私も頑張りましょう。