この間、片づけられない女性についてのネット記事があって、心理学者の方?心理士さん?が、大体ADHD(注意欠如多動性症候群)の人が片づけられないと書かれていた。具体的な片づけ方の注意が書かれていたのだが、その冒頭に、きちんと片付いていると気持ちが良いですね。。。と書かれていて、私の場合は、真逆なので、この心理学者はおかしいと感じてしまった。世の中そういう人ばかりではないことを知らないのかしら?と思ってしまった。
世の中には確かに片付いた部屋の方が落ち着く人もいるけれど、そうでもない人も結構いるわけで、私は片付きすぎた部屋にいると不安になるくらい、落ち着かない。多分育ち方に影響されているのだろうと思う。祖母も母も叔母も片づけられない性質だったから。
文豪なども、本山積みの中に埋もれて執筆している方々もいらっしゃる。
こういう私に育てられた子供たちも、あまりきれいすぎる部屋は苦手のようだし、片づけられない人に対しても寛容だからほっとしている。
確かに片付いていると探し物する時間が少なくて、合理的ではありますが、片づけしている時間も必要なわけで、先に片づけるか、後で探すかで、実は時間も大差ないのかもしれないと、ふと思った。
今日は年末年始のごみをやっと出せたので、明日回収される、缶、瓶、紙類の整理をしたので、台所が少しきれいになった。
確かに私は昔からADHDだったのだろうと思うところが多々ありますが、昔はそんな病名は付けられずに、普通の範疇の少しはみ出たところがある程度で済んでしまったのに、今は何でも病名を付けて、問題視すること自体が、問題なのでは?と思ってしまう。
大発見した人たちって、多かれ少なかれ、自閉症スペクトラムだったり、ADHDだったり、文豪などは躁うつ病とかうつ病とかも多かっただろう。
すぐに認知症だとか、ADHDだとか病名を付けて決めつけるのはやめた方が良いのではないだろうか。皆、程度には幅があり、まともな部分も沢山あっても、一からげに認知症だとか、やれADHDだとか自閉症スペクトラムだとか、決めつけるのはどうかなと思います。まあ、そうすると精神科や心理カウンセラーなどは流行らなくなってしまうでしょうけれど。