皿に半分ほど入った水を指しながら“지금 물이 얼마나 있는 것 같습니까?”と尋ねる簡単な心理テストがあります。この質問に水が“반이나 남았다”と答えるほうを肯定的な思考様式,そして“반밖에 안 남았다”と答えるほうを否定的な思考様式であると診断します。
目の前に置かれた対象は同じなのに,心理状態によって正反対の反応を示す事象は数多くあります。人間が物事を認識する過程自体が主観性から逃れることができないためです。例えば,教室をいっぱいに埋めた子どもたちを見て,子どもたちが一人ずつ抜けていくことを考える人もいれば,からっぽだった教室に子どもたちが一人ずつ入ってきて賑やかになった過程を思い出す人もいます。
다と모두は,どちらも「あるもののすべて」を指す点では同じですが,上記で述べた二つの対立する思考様式を反映しています。다は다하다から派生した言葉であり,모두は모으다から分かれた言葉です。このような語源からわかるように,基本的に다は全体が,消耗してなくなってしまう状態を想定しているのに対し,모두は一つ一つが集まって全体を形作っていく状態を前提としています。
・코로나 19로 마을 사람들이 다 죽었다.
〔コロナで村中の人はみんな死んだ〕
・삼둥이가 태어났다는 소식을 듣고 마을 사람들이 모두가 모여서 축제를 열었다.
〔三つ子が生まれたというので,村のみんなが集まってお祭りをした〕
もう一度考えてみましょう。
A:사과를 다 먹었다.
B:사과를 모두 먹었다.
Aの사과를 다 먹었다は,リンゴ1個を丸ごと食べた場合と,あったリンゴを全部食べきった場合の両方を指すことができます。一方,Bの사과를 모두 먹었다は,リンゴを複数個,1個も残さずに食べたという意味だけを持ちます。
このように,다 먹었다は,リンゴの個数や,食べた人や食べた人の数に関係なく,食べきったという意味を表すことができます。一方,모두 먹었다は,リンゴの個数が複数の場合にのみ使用され,1個も残さずに食べたという意味で,より具体的な情報を提供します。
つまり,다が1つのものの全体を指すのに対し,모두は複数のものを1つずつ欠けることなく指すという点で大きな違いがあります(もちろん例外もありますが)。
다: 一つのものの全部
모두: 多くのものの集まりのすべて
次の例を見てください。다と모두,どちらが使えるでしょうか。
C:하고 싶은 건 [다・모두] 해봤어.
〔やりたいことは全てやった〕
D:목숨이 있는 것은 [다・모두] 죽게 되어 있다.
〔生きとし生けるものはすべて死ぬ運命にある〕
この2つの例文では,다と모두は,いくらでも入れ替えて使えます。
E:이 방은 창문이 [다・모두]닫혀 있다.
〔この部屋の窓は全て閉まっている〕
F:이 방은 창문이 [다・모두]다섯 개다.
〔この部屋は窓が全部で5つです〕
Eは다と모두の両方が使えますが,Fは모두しか使えません。その理由は,다は数えられるものと数えられないものに幅広く使われるのに対し,모두は一つ一つ数えられるものにのみ使われるからです。
ですから모두は,液体や気体などの物質名詞や,愛,平和,最善などの抽象名詞には使えません。“사랑을 다 주었다.”は自然な表現ですが“사랑을 모두 주었다.”はぎこちなく聞こえます。
ただ抽象名詞の中でも希望,望み,夢などはひとつの場合もありますし,いくつか持っている場合もありますので,これらの場合は다も모두も使えます。
・컵에 든 물을 다 마셨다. (○)
・컵에 든 물을 모두 마셨다. (?)
〔コップに入った水を飲み干した〕
・사랑을 다 주었다. (○)
・사랑을 모두 주었다. (?)
〔愛をすべてささげた〕
また,賭博やギャンブのときに“돈을 다 걸었다.”という表現は自然ですが,“돈을 모두 걸었다.”は不自然です。しかし“만 원짜리 열 장을 모두 걸었다.”のように言えば,紙幣は数えられるので自然な表現になります。
・돈을 다 걸었다. (○)
・돈을 모두 걸었다. (?)
〔金をすべて賭けた〕
・만 원짜리 열 장을 다 걸었다. (○)
・만 원짜리 열 장을 모두 걸었다. (○)
〔1万ウォン札を10枚すべて賭けた〕
・어린 시절의 꿈은 다 이루어졌다. (○)
・어린 시절의 꿈은 모두 이루어졌다. (○)
〔子どものころの夢は全て叶えられた〕
一方,仕事の進行や過程が最後の段階や状態に達したことを示す場合は,다を使います。たとえば,“다 된 죽에 코 빠졌다.”という諺を知っていますか。直訳すると「できたおかゆに鼻水が落ちた」ですが,「ほとんど完成というところで,ちょっとしたことでそれを台無しにしてしまう」ことを比喩的に言ったものです。この場合の다は거의と同じ意味を持ちます。
このように,物事の進行や過程が最後の段階や状態に至ったことを示す時には,거의(ほとんど),대부분(大部分)と言う意味で다を使います。またこの다には완전히(すっかり),끝까지(終わりまで)という意味もありますから,여름이 벌써 다 지나갔어요. というと「夏もすっかり過ぎました」,어학 연수를 다 마쳤어요. というと「語学研修を(最後まで)終えました」という意味になります。「もう着きましたよ」というときも거의 다 왔어요.といいますよね。
・작년에 심은 나무가 벌써 이렇게 다 자랐다.
〔去年植えた木がもうこんなに大きくなった〕
・이대로 전쟁이 계속된다면 그 지역 사람들은 다 죽어간다.
〔このまま戦争が続けばその地域の人はすべて死んでいく〕
・아무것도 하지 못한 채 청춘이 다 지나갔다.
〔何もしないうちに,青春は通り過ぎてしまった〕
・미국에서의 학업을 다 마치고 내년 9월에 귀국한다.
〔アメリカでの学業をほとんど終え,来年9月に帰国する〕
*性質の異なる過程を複数こなしていれば,모두が使える。
다を名詞として使うとこんな言い方も出来ます。
・내가 가진 건 이게 다예요.
〔ぼくが持っている物はこれがすべてです〕
・얼굴만 예쁘면 다냐? 〔顔さえよければいいのか〕
・시험 성적이 다는 아니지요.
〔試験の成績がすべてではないでしょう〕
・돈이면 다라고 생각하는 세상이다.
〔金さえあれば何でもできると考える世の中だ〕
・마음이 떠나고 나면 그걸로 다지.
〔心が離れてしまえばそれで終わりだ〕
모두は,もともと副詞としてしか使われませんでした。しかし,いつの頃からか모두に助詞をつけて名詞のように使う現象が起こりました。このような現象を反映して,今では모두を副詞であると同時に名詞として認める辞書もあります。
・여러분 모두가 건강하시기를 빕니다.
〔皆さんすべてが健康でありますように〕
・담임 선생은 우리 모두를 비난했다.
〔担任の先生は私たちみんなを非難した〕
・환경오염은 우리 모두의 책임이다.
〔環境汚染は私たちみんなの責任だ〕
・회사는 이번 프로젝트에 참여한 모든 직원에게 노력상을 주었다.
〔会社は今回のプロジェクトに参加したすべての社員に努力賞を与えた〕
しかし,韓国語話者の会話では모두は,ほとんど副詞としてしか使われず,上の例文のように名詞として使われるケースはほとんどありません。모두を名詞として使うことは,文法的には正しいですが,口語では自然ではないと判断する人もいます。
다を,過去形を表す語の前に置くと,実現できない未来の出来事を逆説的に強調することができます。次の例を見てください。
・간식을 그렇게 먹어댔으니 밥은 다 먹었다.
〔おやつを食べすぎて,もうご飯を食べる気がしない〕
・비가 이렇게 억수같이 쏟아지니 길은 다 떠났다.
〔雨がこんなにザーザー降るから,道は完全にぬかるんでしまった〕
また,不快な思いをしたり,驚いたり,予期せぬことが起こったときに다を使うと,かなり効果的です。“뭐 이런 놈이 있어?”と言ってもいいですが,“뭐 이런 놈이 다 있어?”と言うと,非常識な人に対する驚き,呆然,怒りなどの感情が一段と際立ちます。
・이렇게 먼 곳엘 다 오시다니…….
〔こんな遠いところまで来てくださるなんて〕
・별 말씀을 다 하십니다.
〔そんなことおっしゃらずに〕
ところで모두よりも다の発音が簡単なため,다は口語で,모두は文語で使用される傾向があり,다よりも모두は格式ばった印象があります。かしこまった場面では모두を,カジュアルな場面では다を使うのが一般的です。
しかし, 2つの単語はまったく同じ感覚で聞こえるわけではありません。 “내가 가진 건 다 너 줄게.”と言うと,所有物だけでなく,愛情のような内面的な部分まで残らず与えるという意味に聞こえますが,“내가 가진 건 모두 너 줄게.” と言うと,目に見える物に重点を置いているような印象があります。
では最後に練習問題をやって,今日の授業は終わりましょう。
正しいのはどれですか。
①하고 싶은 일은 죽기 전에 (다・모두) 해놓아야 한다.
〔やりたいことは,死ぬまでに全部やっておくべきだ〕
②네가 갖고 싶어하는 건 (다・모두) 줄게.
〔きみが欲しいものは全部あげるよ〕
③이것저것 (다・모두) 해서 한 달에 100만원 받는다.
〔いろいろなことをして,月に100万ウォン受け取る〕
④사람이 (다・모두) 죽어가는 마당에 웬 한가한 소리냐.
〔人がみんな死んでいくときに,何をのんびりしているんだ〕
⑤너른 마당이 널어놓은 빨래로 (다・모두) 덮였다.
〔広い庭が,干してある洗濯物で全部いっぱいになった〕
答えは①は(다・모두)の両方,②③④⑤は다です。
MEMO
몽땅,모조리,깡그리は「全部」「すべて」「まるっきり」「すっかり」に相当する言葉です。몽땅と모조리は,다や모두よりも,すべてというニュアンスをより強く表す副詞です。これよりもさらに強い言葉として,最悪の結果を意味する깡그리があります。
・도둑이 가게의 물건을 몽땅 가져갔다.
〔泥棒が店の物を根こそぎ持っていった〕
・정전으로 수조의 열대어가 몽땅 죽어버렸다.
〔停電で水槽の熱帯魚が全部死んでしまった〕
・최근의 화재로 시의 중심부가 모조리 불타버렸다.
〔このあいだの大火で,町の中心部はすっかり燃えてしまった〕
・할머니는 사기꾼에게 재산을 모조리 빼앗겼다.
〔おばあさんは,詐欺師に財産をすっかり奪われた〕
・큰 물이 살림을 깡그리 쓸어가고 말았다
〔洪水で家財道具が何もかも流されてしまった〕
삼촌은 선물 시장에 손을 댔다가 재산을 깡그리 날려버렸다.
〔おじさんは先物相場に手を出してすっかり財産をなくしてしまった〕
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