hey is imamura-blog

日常の中に俺があり、俺の中に日常がある。それは矛盾の中にひそむ真実である。真実を記録する。それは事実になる。

気まぐれ

2009年06月19日 02時08分11秒 | Weblog
今日は今週日曜日に結婚する我が親友、井上司の為の楽曲作成の為、
1人スタジオであった。
短く、素晴らしく、シンプルな楽曲に仕上がった。
友人代表スピーチと共に歌う。
楽しみですな。

明日はライブだ。
ベースの弦を一年ぶりに張り替えて挑む。
ライブは俺に与えられた唯一の自己表現場所である。
自分が良かれと思い歌う曲を人々が聞く。
ベックが言っておる通り、曲を聴いての解釈は自由だ。

俺は一方的に投げかける。
それを受け取る側が主観で感じてくれればよい。
何を感じて欲しいなどは恩着せがましい事だ。
ただ、感じたままを歌えばよい。


おやすみなさい。

夢で逢おう

2009年06月16日 00時06分22秒 | Weblog


まず始めにめでたい発表。
私、今村竜也はとうとう3児の父となった。
今、嫁の腹の中に子がいる。
1月出産予定であります。
一姫二太郎、三、名倉です。どんな子が生まれるだろうか。

10年前の俺は今の俺を想像していただろうか。
まさか3人も子を授かるとは思っていなかった。
これから先、どんな生活が待っているだろうか。
さすがに1DKの我が家ともお別れだろう。

別れか。
俺は3人兄弟の長男である。
俺たち兄弟を育てる為に、父ちゃん母ちゃんは何と別れてきたのだろう。

そして俺は何と別れざるを得ない状況になるのだろう。

俺が向かう先は何処なのだろう。

もし、音楽をケイゾクする事が家族に、1人でもストレスを与えるのなら
どんなに悲しい事だろう。

全てが、俺を取り巻く全てが上手くいけばいいのにと思う。
勿論、バンドも今とウも辞めるつもりはさらさらない。

しかし、バイトの残業時間を少々増やさないとな。



志半ばで辞めてしまう事が一番後悔するからね。

それが例えば、叶わぬ夢だったり、明らかに何処にもたどり着かない
事だったりするかもしれん。

しかし、人の想いたるやとても尊く、ごく限られた世界観であっても
それは伝えないと意味がないと思う。
誰にも共感されず、
誰にも愛されず生きていくのはあまりにも寂しいじゃないか。

俺は悦びや、郷愁や、はたまた儚い想いを一生歌い続けようと思う。
それは君にとっての言葉だったり絵だったり、サーフィンだったり。
なんでもいいのだ。

本気の表現をハナで笑ったり、受け流すような輩はほっとこうぜ。

俺たちは夢をみる。

俺はいつでもここにいる。
相変わらずさ。
何も変わりはしない。
いい部分も悪い部分も変わらない事はいい事だ。
「山崎12年」のようにね。

子供たちよスクスク育て。
それだけが父の願いだ。
好きな事ができたらせっせとやりなさい。
バイトを一生懸命やってせっせとやりなさい。
何も言わん。
父ちゃんもバイトを一生懸命やってせっせとやります。

ママは少々疲れているようだ。
俺のわがままに付き合って頂いて感謝している。
ミシンを踏む時間ができるよう、俺もなるべく力添えしていくつもりだが、
すまん。もう一発踏ん張ってくれ。

俺の中で何かが終わり、何かが始まる気がしてきた。
決して死の予感ではない。
這いつくばってでも生きるぜ。まだまだ、やってない事がある。
しばらく文章を書くことをお休みする。

気が向いたらまた書く。
見てくれている人々、有難う。
まあ、メールでもくれ。
逢いたくなったら連絡くれ。普通に生きておる。
ライブでもぷらっと見に来てくれ。ゆとりあればビールおごるよ(たぶんないが)

逢えなかったら夢で逢おうぜ。
それでは。

今村竜也 



恋に落ちたら

2009年06月12日 00時39分07秒 | Weblog
娘とテルテル坊主を9個作ったにもかかわらず、
雨だった。
彼女は晴れると信じておった。
午後になりかろうじて晴れた。
俺はバイトを終え、帰宅後、彼女に
タイミングは遅れたがテルテル坊主を作って願いが叶ったんだよ
と告げた。

ジラフスキーを観にいった。
少量の缶ビールでほろ酔いの俺は彼らに
音数を減らせ。わかりづらい事は良くないことだと指摘した。
偉そうに。

ただ、楽曲とはシンプルであるべきだと俺は常々思う。
何も足さない。「山崎12年」のように。

ライブ後のステキな思い出はそっとしまっておこう。
俺は高校生になり、
吹き抜ける風はとても気持ちよく、
晴れた川沿いの道を何処までも走っていたかった。
死ぬ時に思い出すだろう。

その後、俺はルートスイートホームを素通りする事ができず
性欲が強すぎて先日、広島県から帰郷した高ちゃん宅にトイレをかりに行った。

そこには十条フォークジャンボリー君が居り、
ヘブンヘルたるウイスキーを呑んでいた。
男三人で、俺たちは円陣を組み、
ぐるぐる回り天国の話やら、地獄の話やらをした。

家に帰ると嫁がジミヘンを聞いていた。
テンションが上がり、札幌一番塩ラーメンを喰らった。

松田が復帰第一号のホームランを打ったがホークスは試合に負けた。

未来をネガティブにとらえてはいかん。
全ての出来事をネガティブにとらえてはいかん。
俺たちには無限の可能性がある。
何度も書くが、
全ては上手くいく。
上手くいかなかった時の責任は、
よろしく頼むよ。

ステキな一日よサヨウナラ。
また会おうぜ。


僕の時間は23時から始まる

2009年06月10日 23時19分57秒 | Weblog


日曜日は小泉君とミナアルコールの結婚式だった。
新郎、新婦共にガッツリ友達の結婚式は初めてだった。
昼真っから寒梅を呑んだ。
僕は日本酒が呑めないのだが、あまりのめでたさについ杯がすすんだ。
一合ほど呑んでありえないほどベロンベロンに酔った。
隣をみると高木シローンもベロンベロンだった。
植竹社長はスピーチの大役を前にありえないほど緊張していた。
キッチンは推定一升半ほど呑んでいた。

結婚式で必ず行なわれる新婦の「今まで育ててくれて有難う」コーナーは
何度も結婚式に参加しても感動する。

本当に有難うとココロより搾り出されるメッセージは偽りがない。
親に向かって有難うとココロから発する機会はあるようでない。
その機会としてこのコーナーは必ず必要なのだ。
人生の印としてね。

僕たちは思っていることを全て口に出したり、
表現できるほど器用ではないのだ。
時には真逆の言葉を発したり、裏腹な行動をとる。

思っていることを発する事は勇気が必要だ。
なぜなら、それによって己が傷つく事が多いからだ。
100%相思相愛であるべき親子であっても思いを発するにあたっては
照れだろうか、否定される事が怖いのか、なかなか言い出せんものだ。
恋愛もそうだろう。



昨日は疲れ果て、晩飯を喰いすぎ21時に寝た。
今日は起きている。
子供らが23時に眠りについた。
それを見届け僕は初めて自分自身の時間がはじまるのだ。

人生について考えた。
今いる世界、環境は俺の望む世界だ。
望まない世界は来ない。それはたぶん「死」だ。
自分で進んだ「感覚」を失う事がたまにある。
我が人生は誰かが決めたものではないか、などと思ってしまうのだ。
間違いだろうが。どう考えてもそっち方向にいってしまうのよ。
目は半開きになり、ちっせー事がいちいちしゃくにさわる。
なんだろうね。

俺が選んだ道筋やら何やらが、
成功か失敗か。
それは死ぬまで解からんね。
吉村作治氏が言っていた。「死ぬまで失敗はない」

まあとにかく。
来るべくして世界は来る。
先の事はわからん。
今、思うことは新しい歌のアイデアが浮かび、それを具体化したい
欲求だったり、
会いたい人に会う事を具体化する事だったり、
家内安全だったり、
色々だ。

なんだろうね。
自問自答の日々だ。

「物事は人生という大きなスパンで成功、失敗を判断する事を常に意識」

答えか。
もうちょい起きとくか。








勿論。上手くやる。

2009年06月02日 23時28分31秒 | Weblog
古澤ボーイより
「今村さんガタガタ言っておらんで結果を出してくれ。俺の望む兄貴に戻ってくれ。」とメールにてお叱りを受ける。
ご尤も。
すまんすまん、たしかにこのブログ、振り返ればバイトの愚痴ばかりだ。
先日呑んだ匿名の男からも
「お前、音楽をやっとる事に満足したらあかんで。それじゃサラリーマンのおっさんが集まってやっとるバンドといっしょや」
とお叱りを受ける。
ご尤も。

皆様、ご安心を。
その昔から俺はお調子者であった。
「おどけ竜也」と言われていた時期もあるほどだ。

勿論。
上手くやる。


6月19日(金)
下北沢デイジーバー
PLEASANT TAPライブ
20:20分出演予定
¥2000

7月17日(金)
下北沢ラグーナ
「今とウ」レコ発ワンマン(ゲスト有り)
20:00スタート
¥1000

8月8日(土)
下北沢デイジーバー
PLEASANT TAPイベント
「来るべき世界Vol.2」
18:30スタート
¥1500
出演
DIA SYNDICATE
orgalounge 
bashful age
ニコロマン

9月23日(水)
下北沢デイジーバー
PLEASANT TAPイベント
「来るべき世界Vol.3」
19:00スタート
¥1500
出演
デカスロン
and more...




俺は父ちゃん

2009年06月02日 00時54分46秒 | Weblog
俺は父ちゃんだ。
そう呼ばれている。
ただ、精神はたまに中学生になり、爺さんになる。

人のココロは解からん。
深い森にいるようだ。
左に行けば良いのか、
右に行けばよいのか、穴を掘ればいいのか、
解からん。
人生は消化試合ではなく、常にペナントレースである。
日々、一歩の前進が糧となるのだ。

言葉を交わすことで共感できる事もある。
共感とは同調でも群れをなす事でもないのだ。
全力で投げたストレートは音たてミットに収まる。
あちらからストレートが投げ込まれる。
パーンと音がする。
そこに共感がある。
カーブはだめだ。取った時ポスっと音がする。

寂しさは自己嫌悪の入り口だ。

今村人生33年。
このまま終る訳にはいかんのだ。
終っても「いい人生だった」と言うけどね。