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 蹴撃天使RINA 〜おんなだらけの格闘祭 血斗!温泉の宿?!〜【第四回】

2017年04月20日 | Novel

 ――気持ち悪い、それに……寒い。

 埃臭く薄暗い空間に自分がいる、という事だけは未だ意識もはっきりせず、視界も定まっていないRINAにも嗅覚等でわかっていた。ただ、今自分がどのような状態で、何処にいるのかが不明な為、得も言われぬ恐怖をひとり感じていた。
 まず身体を起そうにも両手両足が固定されていて動く事が出来ない。そして背中から尻にかけて、硬く冷たい感触がありずっと同じ体勢でいたのか、特に背中の辺りが痺れて痛い。叫び声を上げようにも口の中には、ごわごわとした繊維質な物体――多分タオルが咥えさせられていて、舌は動かせず低い呻き声だけが漏れるだけだ。
 RINAはスカートの中が外気に触れている事に気が付く。いったい自分はどんな体勢を取らされているのだろう、そう思うと恥ずかしさと恐ろしさの入り混じった感覚が、震えと変化して身体中を駆け巡る。
 ぱっ! 突然目の前が明るくなった。光のまぶしさに彼女は一瞬目を閉じる。RINAの視界に映ったもの、それは天井の梁に備え付けられている舞台照明用の大きなライトだった。
 可動域の狭い首を動かし辺りを見渡すと、固定式の連結椅子が自分の周辺を囲むように設置されていている。どうやら自分が今拘束されている場所が、劇場か何かである事を理解した。
 両手首や足首には革製の枷が施されており、それぞれが小さな舞台の四隅に固定され、繋がれた腕や脚が無理矢理広げさせられ大の字を描くRINAの身体。また舞台と身体とを固定する金具の長さが短いので、彼女は身を起こせず腰を僅かに浮かせる事ぐらいしか出来なかった。
 身体は動かせず言葉も発せられない、出来る事はといえば卑猥に尻を動かすのみ。RINAは絶体絶命の状態に陥っていたのだった。

「……おいおい、あんまり動くとスカートの中が丸見えになっちゃうぜ。お嬢さん?」

 何処からか男性の声が聞こえた。
 RINAは反射的に脚を閉じようとするが、大股を開かされたまま舞台に固定されてしまっているので、閉じる事も隠す事も不可能だ。結局彼女は無駄に抵抗するのを止めるしかなかった。
 劇場の出入口から、ぞろぞろと体格の良い男たち数名が入ってくる。しかし彼らの多くは腕なり脚なりを怪我しているらしく、どこかしかに包帯が巻かれており湿布薬の匂いが鼻の奥を付く。
 厚手の濃紺のジャンパーを着た吊り目の男が、舞台に上りRINAの頭の側でしゃがみ込み、真上から見下ろすように彼女の顔を覗いた。

「よぉ、覚えているかい?……俺だよ。温泉街で会ったよな」

 鶏冠(とさか)のようにつんと立てた髪、そして額にはタオルの鉢巻きをした男――朱堂(すどう)ケンジの顔が、消えかかっていた記憶の底から浮かびあがりRINAは、はっ!と目を見開いた。彼女が温泉街に着いて真っ先にトラブルに巻き込んだ、その《張本人》がそこにいるのだ。背後にいる男たち数名も、どうやらその時彼とツルんでいた連中らしい。

「嬉しいねェ、感動の再会ってヤツだ。おっと、そのままじゃ喋れねぇよな」

 ケンジはRINAの頭を起してタオルで作った簡易猿轡を解くと、ようやく楽に口呼吸が出来るようになった彼女は大きく息を吸った。唾でぐっしょり濡れた猿轡を手にすると男は、匂いを嗅いだりして己の《変態性》をわざとRINAに見せつける。
 その行為を目の当たりにし嫌悪感丸出しの表情をするRINA。

「どういう事よ? 私を暗がりで気絶させ……こんな場所へ連れ込んで」

 ケンジの顔をぐっと睨みつけるが、彼はまったく動揺する素振りを見せないどころか、顔をすぐ側まで近付けて彼女が嫌がる様子を楽しむ余裕まであった。RINAの《武器》である拳脚を拘束し、抵抗できなくしたからこそ可能な行動ではある。

「どういう事? 決まってるじゃねぇか、お前への《復讐》だよ!」

 そういうと、RINAの顎を掴み口を強引に開けた。白い歯とピンク色の口内粘膜が男の眼に晒される。次の行動がまるで読めない武芸少女は、胸の奥底から湧き上がる不安で目を潤ませた。
 工業用オイルと鉄の匂いが入り混じる、ケンジの武骨な人差し指と中指がRINAの口内へと遠慮も無しに突如侵入する。

「がっ……あぉ゛っ!」

 彼は少女の舌や歯茎を、滑る様に指を移動させ口内を蹂躙していく。この行為のあまりの異常さと、ダイレクトに脳内へ届く触感の気持ち悪さで、RINAは吐き気を催した。歯で指を噛み切ろうとしても、顎の関節部分を凄い力で押さえられているので、抵抗すらできないでいた。

「……三年だよ。三年掛かったんだよ、あの角力祭に出場する《権利》を得るまでに。お前は知らないだろうがこの町ではな、あの祭に出場できる人間だけが《強者》として認められ尊敬されるんだ――周りの連中は早々に舞台に上がって闘っているというのに、“神事に参加できる品格に達していない”と伯父貴や神社のお偉いさんに勝手に烙印を押されて、自分一人だけが見物人として見なきゃいけないこの悔しさが分かるか!」

 ケンジは散々まくし立てた後に、RINAの口からやっと指を抜く。《口虐》からやっと解放された彼女は思いっきり嘔吐(えず)いた。

「そして今年、やっと許可が下りて明日は大暴れできるはずだった……それをお前が一瞬にして《台無し》にしたんだぞ!」
「げほっ……ちょっと何言ってるの?! 祭に出場できる事と街で女の子を襲う事とは別でしょうが! あんたなんか出場できなくて当然だわ!」

 少女に《正論》をかざされてますます頭に血が上ったケンジは、平手打ちを二発RINAの顔へ力一杯に張った。
 両頬が腫れあがり真っ赤になる。
 しかし彼女は決して怯む事なく、瞳には《怒り》を湛えたままであった。自分に屈しないRINAに対し彼はだんだんと怒りを募らせていく。

 ばっ!

 ケンジがRINAのセーターの裾を掴むと一気に捲り上げた――彼女の顔色が一瞬で蒼白となる。
 微妙に酸味を感じる汗の匂いが、少女の身体から外気へ放出されると、白く弾力のありそうな腹部と彼女自身の清純さを表すような、淡い桃色のブラジャーを纏った小振りな乳房が、男たちの好奇な視線の前に晒された。
 RINAは「ひっ!」と小さく悲鳴を上げる。もっと大きく、そして甲高く叫び声が出るものだと自分では思っていたが、彼らの放つ狂気に包まれた、異様な《空気》に気圧されてそれを許さなかったのだ。
 誰かがひゅ~と歓喜の口笛を吹いた。
 ケンジはRINAの上へ馬乗りになると、枷で動かせない両腕を更に押えつけて、呼吸で波打つ彼女の腹に口を付け、卑猥な音をわざと出して思い切り吸った。

「~~~~~~っ!」

 自分の身に起きている信じられない出来事に少女はパニック状態に陥り、叫ぶ事も忘れ口をぱくぱくと開閉させるのみ。更に彼の舌がナメクジの様に這いまわり、瑞々しく艶のある彼女の肌をゆっくりと唾を塗りたくりながら穢していく。
 吐きそうなほどの嫌悪感が、頭のてっぺんから足のつま先に至るまで全速力で駆け巡る。
 力の限りあげ続けた悲鳴もだんだんと涸れ全身を、そして頭を震わせて嫌がるRINAに構わずへその穴や腋の下を舐め回して、彼女の体内から発せられる《少女のエキス》をケンジは十分に堪能する。
 溢れ出る涙と鼻水でぐしょぐしょになるRINAの顔。

「嫌っ、いやっ! やめて変態っ!」

 抵抗する度にケンジの厚みのある掌が、少女の頬を打ち据える。何度も何度も叫んでは殴られるを繰り返す末、遂にRINAの瞳から《抵抗》の炎が消えた。あれほど《闘志》にあふれ幾多の敵を撃破してきた《襲撃天使》は、《悪魔》のような彼の暴力に屈し身も心も壊れてしまったのだろうか?
 抵抗できない彼女を《玩具》に、凌辱を楽しみ恍惚の表情をみせるケンジとは対照的に、焦点の定まらない虚ろな目をし、最早生気も失せたRINAは青褪めた唇で小さく、壊れた《喋る人形(トーキングドール)》の様に同じ言葉を繰り返すだけだった。

 ……きもちわるい……きもちわるい……きもちわるい……

 涙も声も枯れ果てぼろぼろの状態となったRINAは、桃色のブラジャーの上からふたつの乳房を鷲掴みにされていても抵抗する事もなく、ただただ一切の思考を停止させ彼の《生すがまま》となっていた。ケンジは小振りながらも形の良い、弾力と張りのあるRINAの胸を強く揉みしだくが、抜け殻のようになってしまった彼女からは何の反応も返ってこない。

「…………」
「ふん……壊れちまったか」

 嫌がって抵抗したり罵声も悲鳴も上げず、まるで《人形》を相手にしているような面白味に掛けるRINAの反応に、それまで狂おしいほどに渦巻いていたケンジ自身の《破戒衝動》も萎むように失せていき、自らその身をRINAから退けて舞台を降りていった。

「どうしたんです、ケンジ兄ぃ?」

 仲間たちが一斉に彼の側に駆け寄る。ケンジは納得がいかない表情で大きくため息をついた。彼女に対し、傷付けてしまって「悪かった」という思考は残念ながら持ち合わせておらず、あくまでも抵抗しなくなったからイタズラし甲斐が無く「つまらない」と感じたのだ。

「……お前ら、好きにしろ」
「えっ?」
「だって面白くねぇもん、この女。正直飽きちまったよ」

 ざわめき立つ周りを余所に、ケンジは舞台の側にある連結椅子のひとつに腰を掛けると、手をひらひらとさせて「さぁ、やれ」と合図を送った。
 坊主頭の巨漢が、滾る性衝動を抑えられず一目散と舞台へと上っていく。衣服も乱れ力無く大の字で拘束されているRINAを見るや、ずずっと涎をすすった。
 
「く、黒髪ポニーテール……たまらんっ!」

 巨漢はでっぷりと突き出た腹を揺らし興奮する。そして《行為》に至る前準備として、ベルトを外しズボンを下しかけたその瞬間――醜い尻に激痛が走った。

「痛ぇぇぇぇぇ!」

 前屈みになり、尻を押さえ悲鳴を上げる彼に、ケンジをはじめ皆が一斉に注目する。血がだらだらと流れる尻肉には一本の割り箸が突き刺さっていた。
 ケンジが割り箸を強引に抜き取ると、更に巨漢の尻から血が吹き出し仲間たちは、今自分たちがいるこの空間が、一気に修羅場へと変化した事に色めき立つた。

「お、落ち着け……落ち着けったら!」

 不安に陥る仲間たちをなだめるケンジ。
 だがその間にもひとり、またひとりと音もなく飛んでくる《割り箸》手裏剣の犠牲となり、手や太腿に深手を負った男たちは激痛にのた打ち回った。
 ケンジは出入り口付近の柱の陰に、怪しい人影を見つけた。

「誰だ?! こんな酷い事しやがるのはッ!!」

 彼の怒声に応えるべく、人影が一歩前へ踏み出した。背の高い大柄の女性と、手に割り箸数本とスマホを構えたソバージュヘアの女性がその姿を現した――遥と絵茉だ。

「リナちゃん!」

 遥は、舞台の上でぐったりとするRINAへ向かって叫んだ。
 すっかり生気を失い、小さく息をするだけの《友達》を目の当たりにして、絵茉は怒りで唇をぐっと噛みしめる。

「……よぉ、バカ坊ちゃんたちが揃いも揃ってご苦労な事で。よくも、よくもリナちゃんを……絶対許さないっ!」

 ケンジは、自分の《犯行》の一部始終が記録されているであろう絵茉のスマホを奪うべく、ふたりに向かって突進していった。
 絵茉は手元に残っている割り箸を全て投げた。彼女の《気》が注入された箸はコンクリートの床へ鈍い音を立てて突き刺さり、恐怖で足がすくんだケンジはそれ以上前へ進めなくなってしまった。これぞ彼ら《素人》には真似のできない、武林の世界に生きる武芸者たちのみが使える、何の変哲もない生活日用品を己の気を込める事によって、殺傷能力のある武器へと変化させる《内功術》だ。
 近距離で向かい合うケンジと絵茉。
 絶対に自分ひとりでは敵わないと、分かっているケンジは情けない顔をして絵茉に許しを乞う。

「なぁ、許してよ……ちょっとした《悪戯》じゃな……」

 絵茉の、目にも止まらぬショートレンジの肘打ちを顎に喰らい、《言い訳》を全て喋り終える前にケンジの意識は明後日の方向へ飛ばされた。彼はその場へ正座をするように崩れ落ちる。

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 彼女は収まらない怒りを叫びへと変え、RINAやケンジの仲間たちのいる舞台方向へ駆けていく。

「やっちまえ!」
「ぶっ殺せぇ!」

 加速がついた絵茉は両膝を前に突出しジャンプすると、怒号が交錯する男たちの固まりの中に飛び込んでいった。勢いの増した膝小僧は男性ふたりの胸骨に突き刺さり、絵茉の身体を乗せたまま彼らは後方へと転倒した。
 すばやく身を起こし背後に迫る馬面男の顔面に肘を、前方にいる歯欠けの男の腹へ前蹴りを叩き込み《活動範囲》を徐々に広げていく絵茉。その間に遥は舞台へと上り、拘束されているRINAの側へ駆け寄った。
 舞台と枷とを繋いでいる金具を遥は全て取り外すと、彼女の乱れた衣服を直してあげ、涙と鼻水で汚れた顔も綺麗にハンカチで拭き取った。

「……ちゃん、リナちゃん、わかる? 遥よ!」
 聞き覚えのある女性の問い掛けに、自己防衛の為に閉じていた意識が次第に戻っていくRINA。虚ろだった瞳に生気が戻ると、少女は目の前にいる遥に力無く寄りかかり、しゃくり上げて泣き叫んだ。

「はるかさん……わたし……わたし……うわぁぁぁぁ!」

 冷たくなっているRINAの身体を温めるように、遥は優しくその身を寄せて抱きしめた。寒さと恐怖で冷え切った少女の小さな身体より伝わる、冷気を打ち消すべく彼女は己の体温を分け与える。

「怖かったねよ、心細かったよね……そしてよく頑張ったね」

 幼子をあやすかの如く穏やかに、そして慈しむようにRINAに語りかけ彼女の《心の枷》を解いていく遥。その頃、舞台の下で長い髪を波打たせ闘っていた絵茉は、大勢いたケンジの仲間たちをほぼ始末し終えひと息ついていた。

「……一旦店に戻ろう、遥姉ぇ」
「そうね。リナちゃんをゆっくりと休ませたいしね」

 ふたりは未だ脱力したままのRINAを担ぐと、この忌々しい場所から一刻でも早く立ち去ろうと、歩く速度を速めたが、出入口のど真ん中には先程まで姿を見せていなかった筋骨隆々な大柄の金髪白人女性が、通せんぼをして彼女たちを一歩も先へ進ませない。
 金髪白人女性から放たれる《闘気》がふたりの気と共鳴し合う。先程まで相手にしていたケンジやその一味のような素人ではない、本物の《武芸者》だけが持ち得る、混り気の一切無い純粋(ピュア)な闘気がびんびんと伝わってくるのだ

「ウチのダーリンに歯向う者は誰であろうと叩き潰すっ!」

 見た目からはおよそ程遠い、彼女の口から出た流暢な日本語も然る事ながら、《ダーリン》というこれまた意外性のある単語に絵茉と遥は目を丸くする。

「は? ダーリンって……誰よ?」

 きょろきょろと辺りを見回すふたり。そこへ今しがたまで気を失っていたケンジがふらふらと立ち上がり、金髪女性の元へ歩み寄った。彼が「ビアンカ」と名を呼ぶと、彼女は黙ってケンジの頬にキスをした。

「俺だよ、彼女は俺様の嫁なんだよ! おいビアンカ、俺を色香に惑わせる悪女たちをやっつけてくれよ!」

 当然、勝手に《悪女認定》されたふたりは黙ってはいない。かといって《妻》のビアンカに、これまでの経緯を話してもどこまで信用してもらえるか分からない。絵茉は肉体によるコミュニケーションに賭ける事にした。

「ここに来て《本物》のお出ましとは……ここはあたしが引き受けた、だからリナちゃんを安全な場所へお願いっ、遥姉ぇ!」
「わかった、だからアンタも気を付けて! 只者じゃないよ彼女」

 遥の忠告にこくりと首を縦に振ると、絵茉は掛け声と共にビアンカの首筋へ肘を思いっきり叩き込んだ。
 だが鍛え上げられたビアンカの肉体には全くダメージは無かった。ゴムのように硬く弾力のある筋肉に阻まれて、彼女の肘は《攻撃対象》を打ち抜く事ができず、いとも簡単に弾かれてしまった。このビアンカの強靭な《筋肉の鎧》を前に、戸惑いの色を隠せない絵茉。

 ――こうなったら、闇雲に攻撃して突破口を開くしかないっ。

 絵茉は不動の白人女性へ向けて肘や拳、それに脚も総動員しての連続攻撃を開始した。確かに肉体へ己の《武器》を当てている感触はある。しかしその攻撃がちゃんと効いているのか? というと正直彼女にも自信は無い。ひとつでも《当たり》がいいのが入って相手が怯んでくれればチャンスはある、ぐらいの希望的観測でしかなかった。
 だがその《希望》も早々に砕かれた。
 ビアンカが絵茉のスピードのある攻撃に徐々に慣れだし、ボディーへ無数に打ち込まれる攻撃のひとつをキャッチする事に成功したのだ。

「しまった!」

 絵茉の顔から血の気がさーっと引く。
 ビアンカはニヤリと笑うと、彼女の身体を軽々とリフトアップした。そして日常生活では有り得ない高所からの視界に驚く絵茉を、劇場に備え付けられている連結椅子へ放り投げた。肉の塊が無機物へぶつかる衝撃音が響き、息も詰まるような激痛が絵茉の身体中を駆け巡る。

「く……っ!」

 彼女は思わず痛みで顔をしかめた。
 そして壊れた椅子を周辺に投げ捨てながら、痛みでその場にうずくまっている絵茉の元へ一歩、また一歩とビアンカが近付いていく。どんな時も持ち前の強気と愛嬌で乗り越えてきた《泰拳姑娘》だったが、今回ばかりはそうは簡単にいきそうもない。相手の持つ肉体の強靭さに加え圧倒的な体重差……この状況下では戦局をひっくり返すのは不可能に近かった。
 コンクリートの床を引き摺る音が近付くにつれ、絵茉の鼓動が次第に速くなる。

 ――ここまでなのか?

 絵茉は無念の表情で目を閉じた。
 諦めかけたその時、別の方角から靴を擦る音か聞こえた。
 
 ざっ!

 絵茉は顔を上げると、そこには厳しい表情をしてビアンカと視殺戦を展開している遥の姿があった。
 その身体こそ多少大きくなったが、それでも彼女から醸し出される雰囲気は《襲撃天使》を名乗っていた現役時代の頃と全く変わらなかった。謎の引退を遂げてから早十年――悠木はるか、いや今井遥が闘いの舞台へと還ってきたのだ!


蹴撃天使RINA 〜おんなだらけの格闘祭 血斗!温泉の宿?!〜 【第三回】

2017年04月20日 | Novel

 抜身の刃を、目の前に突き付けられているかのような鋭い視線。じわりと押し寄せる恐怖感に目を反らしそうになるRINAだったが、歯を食いしばり負けずに《応戦》する。 

 只ならぬ空気が漂うふたりの《視殺戦》の間へ、慌てて絵茉が割って入る。

「り、リナちゃん。彼女は今井 遥 (いまい はるか) といって、あたしの姉貴的存在なの……って、ちょっと落ち着いてよ遥姉ぇ!」

 不安そうな表情の《妹分》の絵茉を見て、遥はRINAに突き付けていた《心の刃》を鞘に納めると、ようやく重苦しい空気は消え《日常空間》が戻ってきた。店内を流れている感じの良いイージーリスニングが、臨戦状態を解いたRINAの耳にも入ってくる。
 威圧感も消え《普通の女性》に戻った遥は右手を差し出し、フレンドリーにRINAへ握手を求めてきた。

「よく一歩も引かなかったね。さすが武林にその名を轟かせている《女侠》なだけはあるわね……遥よ。よろしく」

 和やかに握手するふたりの姿に、絵茉はほっと胸を撫で下ろした。

「まったく何してるのよ遥姉ぇは?! こっちは凄く焦ったんだからね!」
「いやぁ悪い悪い。でも疲れるのよ? 憎くもない相手に目力だけで威圧するのも。昔だったら全然平気だったんだけどねぇ」
「それだけ歳を取ったって事だよね」
「やかましい! 絶っ対殴る、今殴るっ!」

 狭い店内でどたばたと繰り広げられる、少しバイオレンス度の高めな《ど突き漫才》を前に、完全にぽつんと置いてけぼりとなったRINAが口を開いた。

「あの~絵茉さん、私にふたりの漫才を見せたかったわけじゃないですよね……? 念のためにお聞きしますけど」

 彼女の冷静な発言に、遥たちの動きがぴたりと同時に止まる。

「おー」
「ナイスツッコミ、リナちゃん!」

 彼女たちはこれ以上はない、バッチリなタイミングで飛び込んできた《ツッコミ》に対し、サムズアップをしてみせこれに応えた。ふたりが真面目くさった表情で行うのでそれが妙におかしくて、RINAは堪えきれずとうとう笑い出した。遥と絵茉も続けて笑う。三人の爆笑で一気に店内の雰囲気も明るくなった。

 指定されたソファーに腰掛けたふたりはコーヒーを手に、遥が用意する溢れんばかりのお菓子をつまみながら談笑は始まった。あと少しで夕飯だというのに、尋常ではない量のお菓子を前にRINAは少々困惑する。時折遥がじぃっと視線を送ってくるので、相手の気を反らさんばかりに彼女は質問した。

「あのー遥さん、さきほど私の事を“二代目《蹴撃天使》”と呼びましたよね? 私の前にもあの《通り名》を使っていた人物がいるのですか?」

 RINAの質問を受けて、絵茉と遥が顔を合わせてニヤリと笑う。

「それはわたしなの。昔……リナちゃんが武林に登場する前には、世間からはその《通り名》で呼ばれていたんだ」

 衝撃の告白に驚くRINA。

「遥姉ぇはね、十年前は人気女子プロレスラーとして活躍していてね……その時のニックネームが《蹴撃天使》だったの。キック技が売り物だったからね」
「そう、“悠木 (ゆうき) はるか”だった頃! 恥ずかしいけど懐かしいなぁ~」

 RINAは《女子プロレスラー》だったと聞いて、遥の身体の大きさにひとり納得していると、スマホを手にした絵茉が近付いてきた。

「ねぇ、観たくない? 遥姉ぇが現役だった頃の試合」
「観られるんですか?」
「うん、無料動画サイトを検索すればいくつかアップロードされてるし……ええっと」

 スマホ画面に指を滑らせて、試合動画を検索している絵茉を尻目に、大画面の壁掛け式の液晶テレビへ向かう遥。そしてDVDが並べられている棚からディスクを一枚抜き出すと、テレビに内蔵されている再生機へ放り入れプレイボタンを押した。
 テレビ画面の中では、現在より若干幼い顔をした十年前の遥……いや《悠木はるか》がキビキビとした動きでリングを駆け、ひと回り体の大きな外国人選手と一進一退の好勝負を繰り広げている。

「あ、えっ……?! 遥姉ぇ、試合の映像持ってたの? こないだは持ってないって言ってたじゃん」
「こんな田舎でも往年のファンがたまぁに訪ねてくるんで、一応は何試合かは持ってるのよ。でも自分からはめったに観返さないんでホント久しぶり」

 遥がローキックからミドルキック、そして胸板へのローリングソバットというコンビネーションを繰り出すと、それまで固唾を呑んで見守っていた観客たちが一気に湧き上がった。蹴り技のディフェンスが苦手らしい対戦相手の外国人選手は大きく後方へ倒れる。そしてふらふらになっている相手を無理矢理立たせ、ロープへ振り戻ってきたところへ素早く背後を取り、腰骨あたりに腕をグリップすると見事な弧を描いてブリッジし巨躯をリングへと叩き付けた。
 結局このジャーマン・スープレックスがフィニッシュホールドとなり、レフェリーから勝ち名乗りをうける遥の険しい表情がが画面いっぱいにクローズアップされた。
 RINAはテレビ画面の向こうに映る、初代《蹴撃天使》の活躍にすっかり夢中になり、なかなか画面から目が離せなくなっていた。

「いや、これ……凄いじゃないですか! もう私なんて二代目でも三代目でもいいです!」
「ありがとね。現役時代のインパクトが強かったのか知らないけど、リナちゃんが武林に現れた時にわたしとイメージが重なって、自然と好漢たちの間から《蹴撃天使》って通り名が出てきたんでしょうね」

 先ほどとはまるで違う、尊敬の眼差しを送るRINAに遥は、満更でもない表情をみせた。

「でも……どうして辞めちゃったんですか? プロレスを」

 RINAの率直な質問に、これまで和やかに流れていた空気が一瞬固まった。厳密には絵茉ただひとりがRINAと遥の顔を交互に見ながら、どうやってこの場を取り繕うかと焦っていた。実は彼女も随分前に同じ質問を何度もした事があるのだが理由は結局聞けずじまいで、「これは絶対に聞いては駄目なのだ」と自分なりに解釈していたからだ。
 様子見でちらりと遥に視線を送る絵茉。だが当の本人は、そんな彼女の気遣いをありがたく思いながらも、「心配しないで」とウインクしてそれに応える。

「辞めてからもう十年かぁ……以前は心の整理が付かず話す気にもなれなかったけど、今ならもう大丈夫。《おばさん》の愚痴になっちゃうかもしれないけど聞きたい? リナちゃん」

 本人はもう《笑い話》に転化させたくてわざと冗談めかして尋ねるが、隣りにいる絵茉の表情から「ただ事ではない」事を察したRINAは、背筋を伸ばし姿勢を正した。

「……お願いします」
「そんな大層な事でもないんだけどね。引退当時は理由を“一身上の都合”とだけ発表して、今でも表向きではそう言っている。だけど本当のところはね……“仲間との確執”がプロレス界を去る決意をした最大の理由なの」

 初対面のRINAはともかく、彼女との付き合いが深い絵茉にとっては、本人より初めて聞かされた《衝撃の事実》に驚きを隠せなかった。

「そんな……誰よ? 遥姉ぇをいじめた奴は?! あたしが……あたしがブン殴ってやる!!」
「落ち着いて絵茉っ! 誰それが悪いとかいう問題じゃないの。だから……ね?」

 遥は、突如として感情的になり、顔を真っ青にして怒り狂う絵茉を優しくなだめる。
 彼女が小さな頃から自分を尊敬し、またプロレス入りした時には精一杯応援してくれた事も充分過ぎるほど判っている遥は、眼の前で絵茉が自分の事の様に怒り悲しむ姿を見て、まだ幼かった頃の彼女のイメージを瞼の奥でダブらせていた。

「プロレス……特に女子の場合は感情的になることが多くてね、皆とは言わないけど自分より《劣る》選手を見つけてはストレスの捌け口にする事が多々見受けられたわ。誰かにいじめられそして別の誰かをいじめ返す……連鎖反応みたいにね」

 スポットライトに照らされ、多くの観客たちから歓声を浴びる華やかな表舞台とは違い、嫉妬によるドロドロとした負のオーラが漂うバックステージの様子を聞かされたRINAは、少し胸の奥が気持ち悪くなった。

「最初から“そういうもの”だと思ってこの世界に入ってきたし、万がいちタイマン勝負になっても負けない自信があったから、《スター選手》と呼ばれる地位になるまではぐっと我慢していたわ。お金の取れる選手になれば誰からも文句は言わないだろうって、そう思っていた」

 自然とテーブルの上の、お菓子を取る手がぴたりと止まる。

「当時そこそこ可愛い顔をしていたし、幼い頃から武芸の修練に励み培った、蹴り技という《売り物》があったから看板選手になるのに思ってたより時間はかからなかった。今でこそ総合格闘技や立ち技系格闘技の興行が普通に行われているけど、あの頃は格闘色を押し出していた選手が数えるほどしかいなかったから凄くマスコミやファンたちからプッシュされて、わたしの人気は日に日に高まっていき……そして気が付けば《スター》と呼ばれる選手になっていたの」

 遥の話にRINAと絵茉は、息をする事さえ惜しいほどにその内容に吸い込まれていく。

「だけどね、絶頂の時間は長くは続かなかったわ。わたしの成功を妬んでスターの座から引き摺り落とそうとする奴がいたのよ。それが練習生の頃からお互いに寝食を共にし、励まし合っていた同期入門の選手だった事を知った時……わかる? 親友だと思っていた娘が《敵》に回った時のショックの大きさが」

 両手で顔を覆い下を向く遥。僅かの沈黙の後ふぅ~と深呼吸すると、再び《真実の物語》を語りだした。

「同じくらいの格付けに上ってきた彼女は、わたしの事を邪魔に思い《味方》のマスコミやファンを引き込んで、わたしに対する《ネガティブ・キャンペーン》を展開し出したの。ある事ない事言うもんで最初は無視していたんだけど、プライベートにまで発言し始めた時……わたしはとうとうキレたわ」
「それで……どうしたんですか遥さんは?」

 RINAが質問した。

「シングルマッチでの一騎打ちを要求したわ、“リングの上で白黒ハッキリさせましょう”って。当然簡単には試合は組まれなかったけど、巡り巡って年末のビッグマッチでようやくその機会が訪れたの。でもね、“潰してやる”なんて最初は思っていたけどいざ顔を合わせたら、《あの頃の彼女》がチラついてどうしても《あと一歩》が踏み出せなかった。逆にわたしの顔を潰したいあの娘は、レフェリーの死角を付いて危険な技を次から次へと仕掛けてきた。警戒するだけで精一杯で注意が散漫になった所へ、電光石火の固め技でフォールを取られ……わたしは負けたの」
「どうして? そんなの簡単に返せたはずでしょ、いつもの遥姉ぇなら」

 信じられない! と言わんばかりの表情で遥に食って掛かる絵茉。

「いつもだったら、ね。でもあの異常な精神状態の中、《本気》の押え込みをされたらもう全然……返す事が出来なかった。《売り物》の蹴り技のひとつも何も出せないまま、観客たちからは《駄目なレスラー》だと罵られて……結局、大事な時に非情に徹しきれなかったわたしが一番弱かったの。それでこの試合を最後に《悠木はるか》はプロレス界を引退した、ってわけよ」

 遥はぱん! と両手を打ち《引退秘話》の終了を知らせたが、後味の悪さからかしばらくは誰も発言できなかった。

「どうしたの、みんな顔を上げて笑ってよ?ほらぁ!」

 遥ひとりだけが明るく振る舞う。話の内容とはまるで違う彼女のその態度に、違和感を覚えた絵茉は遥に尋ねた。

「遥姉ぇは……それでいいの? 自分の《選択》に納得してるの? ちゃんと答えてよ」

 真剣な絵茉の視線が痛いほどに突き刺さる。貼り付いたような偽物の笑顔も消え、うつむき加減で遥はぼそぼそと語りだした。

「絵茉、結局《闘い》っていうのはね、どちらか一方が闘争心や対抗意識を失った時、その《闘い》は成立しなくなるの。それはただの《暴力》へと変化するわ、殴り合いでも口喧嘩でもね。だからあの試合中に自分自身が非情になれなかった時点で、わたしの負けは決まったも同然だった。これ以上誰も傷付けたくなかったし傷付きたくもなかった。約五年間のプロレス人生の《いい思い出》だけを持ってここを去ろう、そう決めたんだよ……わたしの出した《答え》は間違っていたかしら?」
「遥さんは……」

 それまで黙っていたRINAが口を開いた。

「遥さんは間違っていないと思います。プロレス界からの引退は決して《逃げ》ではなく、格闘技者の誇りを守る為の《勇気ある撤退》だと……私はそう思いました」

 RINAが意見を言い終えた瞬間、遥の大きな身体が覆いかぶさってきた――彼女をぐっと抱きしめたのだ。RINAは一瞬戸惑うが、微妙に身体が震えている遥に気付くと、何も言わずに成すがままとなった。

「ありがとう……やっぱりリナちゃんは《蹴撃天使》の名に相応しいよ。明日絵茉と出るんでしょ? 角力祭。わたしも絶対観に行くから……頑張ってね」
「……はい!」

 頬を赤く染め、力強く健闘を遥に誓うRINAであった。

 店の時計は当に六時を回り、日は既に落ちて心許ない街灯の光が、寂れた商店街を照らす。少し前にRINAは徒歩で旅館へと戻り、遥の店では彼女と絵茉のふたりだけが、相変わらずコーヒーを手にお菓子を摘んでいた。

「いやぁ……いい娘だわ、リナちゃんって。真面目でしっかり者だし……アンタと大違いね」
「遥姉ぇ、それ何回目? それにあたしってそんなにダメ人間なのかなぁ?」
「うんにゃ、いい意味でのダメ人間! これに尽きるわ」
「それをどうあたしが解釈しろと?」

 RINAが帰ってからというもの、ずっとこの調子でふざけ合っているのだ。よほど遥はRINAの事が気に入ったのだろう、何度も何度も会話の中に彼女の名が登場するのだ。絵茉はうんざりしながらも久しぶりに楽しそうに話す遥の顔を見ては、うれしくなって微笑むのであった。
 突然、絵茉のポケットにあるスマホの着メロが鳴りだす。電話は『白鶴館』からだった――彼女はRINAについての事ではないかと咄嗟に思った。

「もしもし、女将さん? はい、ええ……何ですって?リナちゃんがまだ戻って来ていない?」

 嫌な予感は的中した。スマホを耳に当てたまま絵茉は硬直する。

「一体どうしたのよ、リナちゃん?」

 心配して駆け寄る遥を、手をかざして制止させると彼女は女将との話を続けた。

「はい、わかりました。こちらでもひと通り捜してみますね。それでは……失礼します」

 スマホの向こう側にいる女将に頭を下げ、通話を終了すると絵茉は力無くソファーにもたれ掛かった。
 
「それで、女将さんは何て?」
「夕食の時間になっても一向に戻ってこないんで、何か知らないか?と聞かれたわ。こんな事になるのなら、いくら距離が近いとはいえ、あたしがしっかり旅館まで送り届けるべきだった……」

 頭を抱えて落ち込む絵茉。その時、壁のハンガーに掛けられていたはずの藍色のジャンパーが遥によって胸元へ放り投げられた。遥の方を見ると既に鼠色のコートを着込んでおり、出発する準備は完了していた。

「落ち込んでる暇はないわ。直前までリナちゃんと一緒にいたのはアンタなんだから、しっかりナビゲート頼むわよ!」
「う、うん……行こう遥姉ぇ!」

 ふたりは顔を見合わせて頷くと、店の扉を開け漆黒の闇の世界へと飛び込んでいった。

 『白鶴館』周辺から始まって御鍬神社の内外に至るまで、絵茉たちは懐中電灯を照らしながら必死にRINAの姿を捜した。だが、どう考えてみても地元の人間ではない、初めてこの付近を歩いたRINAが、自分が案内した道以外を通って帰る事なんて有り得ない。

「……これが都会だったらかわいい店なんかを見つけてさ、ふらっと寄って行きそうなもんだけど。こんな田舎町じゃあ絶対有り得ないわね。う~ん」

 遥と絵茉は、商店街の奥にある路地裏の真ん中で考えをまとめていた。RINAが絵茉の通ったルート以外を選択する事がないと結論付けた今、事故や事件といった最悪のケースを想定する他は無かった。

「ねぇ遥姉ぇ、この辺って痴漢とかって出没する?」
「聞かないなぁ。大体年寄りばっかでヤリ甲斐がないでしょ、痴漢の方も」
「そうか。う~ん」

 ふたりして無い知恵を振り絞って唸っている隣りを、だらしなく黒っぽいジャンバーを着た若い男性二人が過ぎ去っていった。彼女らに全く気が付いていない二人組は、近所迷惑なぐらい大きな声でバカ話をしている。

「……でさぁ、ケンジ兄ィが街で久しぶりに可愛い女子高生を《捕まえた》らしいぜ」
「へぇ、珍しい事もあるんだな」
「別の街から旅行に来ていた娘で、黒髪ポニーテールの上玉だって言ってた」
「ポニーテール? 俺大好物」

 黒髪ポニーテールの女の子……? もしや、と思ったふたりは二人組の後を追いかけていった。
 絵茉が彼らに声を掛ける。《女性》の声に上機嫌で振り返る男たちだったが、それが絵茉だとわかると驚いた顔をして一目散にその場を去ろうとする。

「……何で逃げるのよ、ボクたち?」

 だが逃走経路のど真ん中には、腕を組み仁王立ちする身体の大きな遥が《通せんぼ》をしていた。逃げ場を塞がれた男たちは逆ギレしたのか、一斉にふたりへ襲いかかった。
 絵茉たちは互いに顔を見合わせ、「やれやれ」とため息をつくとすぐに応戦する。
 勢いよく向かって来る男の顔へ、絵茉が素早く肘打ちを一発打込むと彼は、すぐに膝から崩れ落ち意識を失った。遥の方は大振りのパンチを難なく潜り抜けて、背後へ廻り自分の太い腕を男の頸動脈へ巻きつけた。

「答えなさい、その女の子の居場所は何処よ?」
「うるせぇ、ババア!」

 男に《ババア》と言われむかっ腹の立った遥は、更に腕に力を入れて脳への血流を遮断した。男の顔が徐々に真っ赤になっていく。

「いや、嘘、ごめんなさいお姉さま!」

 泣きそうな顔の若者。先ほどの威勢は何処へやらで、すっかり遥の迫力に飲まれて見る影も無かった。

「もう一度だけ聞くわ。女の子の居場所は?」
「ご……ゴールド座。ストリップ小屋だよ! もう許してくれよぉ」
「ありがとね、坊や」

 遥は感謝の言葉を彼に掛けると、一気に力を加え締め落とした。どさっ!という音と共に道路へその身を横たえる。

「絵茉、知ってる? ゴールド座って」
「うん、場所は。でもあそこ何年も前に閉館になってたんじゃ……」
「多分こいつらバカ坊ちゃんたちが、集会か何かで勝手に使ってるんでしょ。急ぐよ!」

 ふたりは全力で駆け出した――RINAが囚われているであろう、ストリップ小屋の廃墟に向かって。


蹴撃天使RINA 〜おんなだらけの格闘祭 血斗!温泉の宿?!〜 【第二回】

2017年04月20日 | Novel

 ――うわぁ!

 思わず感嘆の声をあげるRINA。
 いま彼女の目の前には、外気温との寒暖差で発生した真っ白な湯煙りのカーテンに覆われた、ここ『白鶴館』ご自慢の大露天風呂が一面に広がっていた。大小様々な自然石で周辺を囲まれた、瓢箪のような形の浴槽にはざっと見積もっても、10人程度がゆったりと同時に湯船に浸かれる位の広さがあり、他に入浴客がいない今の時間、この大露天風呂はほぼRINAの独占状態だ。 さっそく木桶で湯をすくい上げ、外気で早くも冷たくなった足元や肩へ二度三度と掛け流す。湯を被った部分だけがほんのりと紅く色付いた。

 温泉街でのひと騒動で知り合った《泰拳姑娘》絵茉に送ってもらい、無事に目的地である『白鶴館』へやって来たRINAは、自分の母親よりも遥かに歳上ながらもそれを感じさせない若々しさと、この歴史ある老舗旅館を預かる事の、誇りや責任感が所作や態度の端々から感じる事のできる、凛とした美しさを持ったすばらしい女将から、挨拶もそこそこに早速この大浴場へ案内されたのだった。
 彼女は絵茉から事前に《事件》の一部始終を聞かされていたので、RINAが少しでも嫌な気分を晴らしてもらい、初めての旅行先で快適な生活を送れるように……という女将ならではの《心配り》であった。
 身体を隠していた象牙色のタオルを取り、見事な曲線を描く健康的な裸体を晒すと、ゆっくりと湯船に全身を沈めていく。
 「はぁ~~っ……」と、自然に口から安堵と歓喜の吐息が漏れだした。
 こんこんと出水口から流れてくる、僅かにとろみを感じる温水の中で、RINAは小さな掌を腕や太腿などへ、身体の芯まで充分に温泉成分を染み込ませるように、丁寧にゆっくりと這わせた。今この空間には水の音と彼女の吐息しか聞こえない。《癒し》を求めていたRINAにとっては申し分ない環境だ。熱すぎずぬる過ぎない温泉水は、硬くなっていた筋肉と心を、ゆっくりと確実に解きほぐしていく。
 邪魔するものが何もないこの最高の《時間》に、彼女は心地よさに頬を桜色に染め、うっとりとした表情で湯船の浮遊感に全身を任せ静かに瞼を閉じた。

 ◇ ◇ ◇

「お待たせっ、リナちゃん!」

 黒光りのする柱に掛けられた、年季の入った振り子時計が午後4時を廻った頃『白鶴館』の小さな玄関ホールに絵茉がやってきた。RINAは彼女にここへ送ってもらった時に、後で会う約束をしていたのだった。
 絵茉のよく響く威勢の良い声に、彼女の到着を待っていたRINAはもちろん、思い思いの時間を過ごしていた他の宿泊客も一斉に声の主の方へ振り返る。この騒々しい《訪問客》の登場に女将は少し苦笑いを浮かべ「静かに」と、人差し指を口に当てる仕草をして彼女をたしなめた。

「あはは、何やってるんですか絵茉さ……冷たっ!」

 突然冷気が顔中に拡がる。
 絵茉はわざとRINAの頬に、外で仕事をしてすっかり冷え切った、自分の掌を押し当てて驚かせたのだ。
 向き合ったまま、しばらく同じ体勢で固まるふたり。
 だが自分のしている事が馬鹿馬鹿しく思えた絵茉は、次第に腹の底から湧き上がる笑いを堪えきれなくなり、ぷっと吹き出し大笑いした。そんな彼女をみてRINAも一緒に笑いだす。気心の知れたおんな同士で笑いあうのは、彼女にとっては実に久しぶりの経験だった。

「あはは……それで何処へ連れていってくれるんです?」
「いいところ! 絶対退屈はさせないよ」

 そう言うと絵茉は「夕飯の時間までには戻ってきてね」との女将の言葉もそこそこに、RINAを旅館の外へと連れ出した。

 『白鶴館』から10分ほどの距離を歩くと、最初に見た温泉街ほどの大きさや派手さはないものの、小規模な土産物屋や飲食店などが密集する賑やかな地区が現れた。ここは土地の氏神様である御鍬神社の門前町的な場所で、店舗と店舗との間を分けるように作られた広い一本道は、まっすぐ本殿まで続いており、初詣や祭事の時には参拝客などでごった返すという。
 それほど大きくもない敷地の中では、翌日に天下の奇祭・角力祭が控えている事もあり、的屋たちによる出店の準備などが着々と進められ、嫌がおうにもお祭りムードは高まっていた。絵茉は、顔馴染みたちに挨拶しながらRINAを連れて、境内を奥へ奥へと進んでいった。
 鳥居を潜り鎮守の森へ足を踏み入れると空気は一変する。それまで微かに聞こえた生活音も周辺を囲む木々に吸い込まれ、砂利を踏む足音以外は何も耳に入らない、ぴんと空気が張り詰めた一種独特の雰囲気がおんなふたりを包み込んだ。自然とRINAの背筋もぴんと伸びる。
 森の奥でひっそりと佇んでいる、こじんまりとした大きさの拝殿へ参拝を済ませた後、絵茉は少し離れた場所に建つ、約5メートル四方もの大きさの神楽殿へと彼女を案内した。

「ここは……?」
「明日おこなわれる角力祭の舞台よ。当日はこの神楽殿周辺は町の人や見物客でいっぱいになるの」

 RINAの目は、経年によって生まれた渋い色彩や重厚感を持つ、この《闘いの舞台》へ釘付けになった。
 絵茉は舞台の縁に腰掛け、角力祭について彼女に説明をはじめた――
 昔より執り行われてた、氏神様へその年の無事や感謝を祈願する一般的な神事が、約四百年ほど前に山で温泉が発見されて以来、様々な地域から人がこの地へ集まって来るようになった頃から《角力祭》の歴史がスタートしたのだという。
 周りが山で囲われ娯楽も少なかった事もあり、祭の最中に酒を飲み気分が高揚した男たちが、ある時武芸の腕自慢を始めた事が《祭》の起源で、名称は《角力=相撲》とあるが実際に行われているのは「舞台(土俵)から出たら負け」というルール以外は全く異なる、どちらかといえば現在の総合格闘技に近いもので、この《角力祭》が元来《喧嘩》が発祥である事が窺い知る事が出来る。年に一度の祭からはかつて多くの好漢や英雄、稀に女侠もが誕生して《伝説的勝負》を残し、それが住民たちに代々語り継がれ角力祭の《箔》となり、比類なき《奇祭》として現在まで連綿と行われているのだ。

「――というわけ。どう、面白そうでしょ?」
「へぇ~、何だかカンフー映画の《擂台戦》みたいですね」
「そう! それが現実に行われているんだからロマンあるでしょ」

 角力祭の説明を聞き、内に秘めている《武芸者》の血が騒いだのか、RINAはすっかり興奮していた。

「絵茉さんは……参加するのですか?」
「当たり前でしょ。観るよりやった方が面白いに決まっているのよ、こういう事は」

 絵茉はそういうと靴を脱ぎ、神楽殿へと上ると軽やかにステップを踏んでみせる。この彼女の行動に何かを感じたRINAは、自身も素足になり綺麗に磨かれた板張りの舞台へ立った。ブーツの中で熱を持った足の裏から、直に感じられる板の感触や冷たさが実に気持ちいい。

「……わたしの言った事、覚えてます?“お手合わせお願いします”って」
「覚えてるよぉ。だからここに連れてきたのよ、明日の《最終調整》も兼ねてね。でも……本当に大丈夫?」
「何がです?」
「リナちゃんスカート穿いてるし。パンツ見えちゃうよ?」
「心配無用です!おんな同士ですから。それに誰もいないですから平気ですよ」

 RINAはチェック柄の、短いプリーツ・スカートの裾を摘みひらひらとさせておどける。

「それでは――」
「始めましょうか」

 互いが正面に向かい合い軽く一礼をすると、ふたりの目付きが急に変わった。それまでの《姉と妹》のような仲睦まじき関係から、相手の《強さ》を直に体感してみたい《女武芸者》同士へと変貌したのだった。
 どちらかが、神楽殿の天井に反響するほどの気合いを発したかと思った瞬間、肉付きの良い脚が同時に高く交差した。頭部狙いの上段回し蹴りだ。
 相手の蹴り脚のスピードや入射角度に驚愕すると共に、町の《喧嘩自慢の男》たちからは感じ得ない、鍛え磨かれた技術にふたりは心が躍った。
 暫しの沈黙の後、RINAが左右に蹴りを出して前進した。空気を切り裂くような鋭利な音と彼女の短い呼吸音が迫ってくる中、絵茉は冷静に己の前腕で攻撃を受け流しつつ、その間合いを詰めていく。
 連続の回し蹴りをかい潜ると絵茉は急に背中を向けた。彼女の予測不能な動作に一瞬躊躇するRINA。
 ブゥン!
 胴体を回転させ、勢いの付いた絵茉の肘が頬骨を狙って襲いかかった。
 RINAは咄嗟に反応しスウェーバックして事無きを得るが、その肘打ちの速さに驚きを隠せず彼女の腕には鳥肌が広がる。
 今度は絵茉によるキックの猛攻が始まった。上へ下へと変幻自在に、鞭のようにしなる彼女の長い脚が、RINAの懸命のブロックもお構いなしに何度も何度も打込まれていく。
 徐々に痺れて感覚が鈍くなる両腕。
 その時、赤いペティキュアが塗られた足が目に飛び込んできた。絵茉が顎に向かってハイキックを発射したのだ。RINAの意識は反応をするものの、腕が痺れてガードを上げることが出来なくなっていた。
 彼女は自ら膝を折り後ろへ倒れて、弧を描いて迫りくる蹴り脚を回避する。バタン!と板が大きな音と振動を感じたと同時に視界から姿が消えたので、今度は逆に絵茉が戸惑う番だ。
 RINAは仰向けになっている状態で、絵茉の腹部を思いっきり蹴り上げた。彼女は小さく呻き声をあげると二歩三歩と後退する。続けてヘッドスプリングで跳ね起き立ち上がると身を翻し、胸部狙いのローリングソバットを繰り出したが、これは絵茉がしっかりと反応した為に、体勢をずらされ被弾するまでに至らなかった。
 決して広くはない神楽殿の中、両者共に一歩も譲らない息詰まる攻防が繰り広げられているものの、意外な事に彼女たちからは《殺気》が感じられない。肉体や精神をぎりぎりまで酷使する武芸高手との《果し合い》とは違い、技術交流の意味合いを持つ《手合せ》であるこの闘いは、もちろん両者とも真剣ではあるが、互いが敬意を表しているので殺伐とした空気はそこにはなく、時折笑みを浮かべながらこの激しい攻防をゲーム感覚で楽しんでいるのだ。
 厚い床板の上を軽く跳ね、重低音と木の摩擦音を舞台中に響かせて円を描きながら、距離を取り相手の出方を伺うふたり。
 時折両腕をぶらぶらとさせ、リラックスした状態を保とうとする絵茉。
 右へ左へと体勢を入れ替えながら、相手の攻撃に備えるRINA。
 この均衡を破ったのは絵茉だった。
 スピードはあるものの、不用心に思えるほど軌道が分かりやすい、出鱈目なパンチを繰り出したのだ。当然の如くRINAは、冷静にそのパンチを受け流すと逆に、相手の顎付近へ正確無比な拳を打ち放った。
 だが絵茉のパンチは、RINAの攻撃を誘うための《フェイク》だった。さっと身を翻し彼女の腕を脇に挟むとしっかりと固定し、肩口に体重を乗せ目一杯に肘関節を伸ばす――脇固めだ。
 肩から肘にかけて激痛が走る。
 RINAは自ら身体を前転させこの関節技地獄から抜け出し立ち上がると、絵茉の首根っこを掴み払い腰で彼女の身体を床に叩き付け、相手の腕を頸動脈に密着させ力一杯締め上げる肩固めへと移行した。
 絵茉は全身の筋力を駆使して寝技からの脱出を試みるが、そうはさせまいとRINAも力を入れ懸命に締め続けた。揉み合いの最中ふたりの着衣は徐々に捲れあがって、下着や肌を露出するあられもない格好で舞台の上をごろごろと転がり回る。
 
「こらっ!勝手に神楽殿に上がるんじゃないっ」

 何処からか男性の声が、草履が足早に地面を擦る音と共に、ふたりに近付いてくる。
 年老いたこの神社の宮司様が、境内の見回りの最中に神楽殿の不審な人影に気付いて、一目散に駆け付けて来たのだった。

「爺っちゃん? やばっ!」
「えっ?……きゃっ!」

 勢いのついたふたりの身体は最早、自分の意志で止める事が出来ず、転がったまま舞台の外へと落下していった。
 だらしなく地面に横たわるふたりを見て、総白髪の宮司様は「やれやれ」といった表情で呟く。

「絵茉、昔っから何度もいっておろう? 普段はともかく《御清め》が済んだ大事な舞台で遊ぶんじゃない!それに何じゃ? うら若き女性が腹なんか出しおってからに……全くもってけしからん」

 気が付けば、着ていた紺色のニットセーターが胸部付近まで捲れあがり、スリムな腹部はもちろん縦長の臍まで丸見えになっていていた。宮司様に注意された絵茉は急いでセーターの位置を元に戻す。RINAも同様で、むっちりとした太腿や白いショーツまで晒していたのに気が付き、恥ずかしさで顔を真っ赤にしながらスカートの裾を直した。

「……ゴホン! それで隣のお嬢さんはどなたかな?」
「あー紹介するね、彼女はリナちゃん。『白鶴館』に泊まっている旅行客で、最近《友達》になったばかりなんだ」

 絵茉から紹介を受けたRINAは、宮司様に向かい深々と礼をした。まだ十代の年端も行かぬ女の子だというのに浮ついた所がなく、武道家らしく落ち着き払った彼女の所作に対し、彼は満足そうに目を細めた。

「ほぉ……リナさんとやら。あなたも相当の《手練れ》とお見受けしたが違うかね?」
「《手練れ》だなんて……お恥ずかしい限りです。未熟者故まだまだ修練が足りません」
「いやいや、あの絵茉を相手に互角以上にやり合う相手など、なかなかお目に掛かれませんぞ」

 宮司様より掛けられた率直な「お褒めの言葉」に対し、RINAは隣りにいる絵茉と顔を見合わせると、初めて嬉しそうな表情をみせた。

 ふたりは宮司様のご厚意で、社務所に案内されそこでお茶をいただく事となった。RINAたちは円柱型の石油ストーブを囲み、熱いお茶と甘い和菓子に舌鼓を打ちつつ宮司様と絵茉が醸し出す、アットホームな雰囲気の中談笑を楽しんだ。

「……それで爺っちゃんはね、あたしが子供の頃からいろいろ面倒みてくれた《腐れ縁》ってなわけよ」
「おい、日本語の使い方間違えておるぞ。そこは《恩人》じゃろが」
「そうともいうね。まぁ固い事は言いっこなしで」
「そこはしっかりせんかぁ! 本当に二十歳過ぎた女性かお前は?」

 年齢を超えた彼らの遠慮のないやり取りに、RINAは終始笑いっぱなしで頬の筋が痛くなるほどだった。

「リナさん、どうかね? 明日の角力祭じゃが出場してみないかね?」

 そんな談笑の真っ最中、彼女は突然祭への《出場以来》を受けて驚いた。この地へは普通に《旅行》としてやってきただけで、まさか自分に声が掛かるなんて思ってもいなかったのだ。

「えっ……《部外者》が、それも飛び入りで簡単に出場できるものなのですか、この祭事って?」
「もちろん普通は、外部からの《飛び入り参加》なんてものは認めておらん。まぁ、呼び掛けたって誰もなかなか参加はせんが。リナさんがあの娘と闘っている姿を見ていたら、是非とも絵茉共々祭に出て欲しくなってなぁ。それに……」

 急に表情が険しくなった宮司様を見て、絵茉は心配し尋ねた。

「どうしたんだよ爺っちゃん?」
「さっき電話があってな、明日参加する予定だった男衆が繁華街で騒ぎを起こし、怪我して出場が出来なくなったって連絡があったんじゃよ。祭は明日だというのに……まったく」

 宮司様の話を、特に気にも留めず聞いていなかったが、突如数時間前の出来事が頭の中でフラッシュバックし始める。

 ――繁華街……男衆……? あっ!

 記憶の糸が繋ぎ合わさった瞬間、RINAと絵茉は顔を見合わせ「まずい!」と表情を曇らせた。何といってもふたりが彼らを怪我させた《張本人》なのだから。

 ――しょうがない、あいつらに襲われたとはいえ責任の一端はわたしにあるんだし……ええい!

「わ、わかりました。私でよろしければ微力ですが、祭に華を添えられるよう頑張ります!」

 腹を括ってRINAが自ら出場を申し出ると、宮司様は飛び上がらんばかりに喜んだ。

「出てくれるのかい! よかったよかった、これで欠員の穴が一人分埋まったわい」

 ようやく出場者を《確保》できた彼は、ほっと安堵の表情を見せる。歴史と伝統のある天下の奇祭が、参加者不在によりあわや中止にもなりかねない《一大事》だったようで、少しばかり責任を感じたRINAたちは足早にこの場を去る事にした。

「……爺っちゃん、それではあたしたちはこれで」
「おいしいお茶をありがとうございました」
「おお、ふたりともご苦労様。絵茉もリナちゃんも、怪我だけは絶対せんようくれぐれも気を付けてくれよ」

 彼女らは宮司様に一礼し社務所の扉を閉めた瞬間、張りつめていた緊張が解けたと同時に得も言えぬ疲れがどっと押し寄せてきて、RINAたちは同時に大きくため息をつくのだった。

 ――しばし無言で境内を歩くふたり。いろいろな想いが頭を巡っているのだろう、彼女らの耳にはカラスたちの甲高い鳴き声も、露店の準備をする男たちの威勢の良い掛け声も全く入ってこなかった。
 僅かばかり……いや、RINAにしてみれば、長く感じた沈黙を断ち切ったのはやはり絵茉だった。

「はぁ……悪いわね、せっかく旅行に来たのにいろいろと気を使わせちゃって」
「いえ平気ですよ、もう《トラブルこそ我が人生》って感じで半ば諦めていますから」

 どこまでも優しく、そして穏やかに微笑むRINAを見ていたら、何か救われたような気になってきた絵茉は、ふふっと笑い彼女の肩を抱くと強引に自分の身体へ近付けた。絵茉の大きな胸が押し当てられ、鼻孔を塞いでいるためかなり息苦しい。

「ちょ、苦しいですって絵茉さん!」
「あ、ごめん。《愛情表現》が強引過ぎた……それで悪いけど、もう一か所付き合って欲しいんだけどいいかな?」

 腕時計で時間を確認するRINA。旅館の夕食時間まで一時間弱もある、まだ大丈夫そうだ。

「いいですよ、とことん付き合いますよ」
「リナちゃんナイス! じゃあ行こうか?」

 門前町へと出るふたりとは入れ違いに、黒塗りの高級車が神社の駐車場へと入っていく。後部座席には年齢がそのまま顔に刻まれたかのような、老年の男がその巨体を白い革張りのシートに身を任せていた。男は車の側を通りすぎるRINAたちに一瞬目を向けたが、すぐに視線を元に戻し従順そうな運転手に対し二言三言指示を出した――彼は一体何者であろうか?

 ◇ ◇ ◇

 絵茉はRINAを連れて、メインロードを一歩奥へ入った路地裏の、小さな飲食店が密集する場所へと案内する。喫茶店や定食屋、小料理屋から飲み屋まで多種多様な店が建ち並ぶ《町の台所》といった風情のある一角であるが、よく見ればいくつかの店はシャッターが締め切られており、この地域の経済がすべて川下の温泉街へ流れていった事を物語っていた。
 『喫茶 はるか』と、可愛らしい書体で書かれた看板の店で絵茉が立ち止まる。

「へぇ、いい感じのお店ですね」
「でしょ? ここにリナちゃんに会わせたい女性がいるんだ……入るよぉ遥姉ぇ!」

 軽快なドアベルの音と共に年季の入った木製の扉を開けると、タイムスリップしたかのような古めかしい店内の奥の調理場に、栗色に染めたショートカットの女性が立っていた。

 RINAは彼女の大きさに驚く。女性的なフォルムはしっかり保っているものの、明らかに何かスポーツをやっていた様な体格で、各部位のサイズが自分とはまるで違うのだ。「遥姉ぇ」と絵茉から呼ばれる彼女が、入り口に立つRINAに気が付いた。

「あら、いらっしゃい!……二代目《蹴撃天使》さん?」

 ――二代目って……? 誰なのこの人は?

 口元には笑みを、しかし瞳はしっかりと自分を見据えている、この女性に対しRINAは戦慄を覚えた。


蹴撃天使RINA 〜おんなだらけの格闘祭 血斗!温泉の宿?!〜 【第一回】

2017年04月20日 | Novel

 未だ雪こそは降ってはいないものの、凍てつくような寒さの外とは違い、暖房が十分に効いている高速バスの中RINAは、白く曇ってしまった車窓を指でこすり、小さな《覗き窓》を作って景色を眺めてみた。鉛色の寒空の元、収穫を終え何もない田畑とまばらに見える民家が左から右へ次々と飛ぶように流れていく。ついさっきまではまだ町並みには大きな建物が並んでいたのに、随分と遠くへ来てしまったのだな……と少しばかり感傷的な気分になる彼女であった。

 大学入試を間近に控えた《恋人》とは僅かばかりの間距離を置いて、高校入学以来久しぶりに《ひとりぼっち》となったRINAはこの冬休み、思いきって旅に出る事に決めた。学業と武芸の修練、そしていつも突然に始まる武林の腕自慢たちとの《果たし合い》で、彼女の肉体や精神は限界まできていた。そこで心の平安と疲労した身体を癒す為に、都心からバスで二時間弱の場所にある、山間豊かな温泉郷への旅を決めた。期間は二泊三日。存分に美味しいものを食べ、存分に温泉に浸かって肉体疲労とストレスを発散させてしまおう!と考えているRINAであった。
窓際に寄りかかって頬杖を付き外をしばらく眺めていると、上空から白いものがひらひらと舞落ちてきたのが見えた。
 雪だ。
 この冬、初めて遭遇した雪を見て何だか急に嬉しくなり、いるはずがない《恋人》に報告しようと隣を見るが、目に映ったのは見ず知らずの乗客の姿。ふと我に返ったRINAはしまった!という表情をみせ、改めて今自分は《独り》なのだと実感する。
 
 ――いるわけないよね。

驚く隣の乗客に軽く会釈をし、顔を真っ赤にしたRINAは再び顔を窓に向け直した。どんな時だっていつも隣にいた《恋人》の事を思い出すと、彼女の胸の奥はきゅんと痛み、センチメンタルな感情がどっと押し寄せて呑み込まれそうになる。

 ーーもう寝よう。

RINAは到着するまでのしばらくの間、《ふて寝》をする事に決めた。まぶたを閉じるとゆっくりと眠気の波が彼女を包み込み、身体の筋肉が次第に弛緩していき高速バスの、決して快適とは言えないリクライニングシートに身体を預けた。
 車窓の外の雪は、徐々にその勢いを増していき、木々や田畑、そして民家の屋根を白く染め始めていた。

 ◇ ◇ ◇

 辺り一面に温泉地ならではの硫黄臭が漂い、今自分のいるこの場所が《湯の町》なのだとRINAは実感する。目を移せば、新旧大小様々な温泉宿が建ち並び、湯治に来た旅行客たちが自家用車や、宿の用意した大小様々なバスが次から次へと各々の旅館に入っていく。
 だが、RINAの投宿する場所はこの賑わっている温泉街にはなかった。自分でネットやガイド本などで調べ何度も検討し 、今ある貯金との兼ね合いにより選んだ温泉宿、それはこの場所よりも更に山の方にある、こじんまりとした旅館『白鶴館』である。現在の場所に温泉街ができる以前より営業している老舗旅館で、立派な大浴場や過剰すぎるサービスを目玉にする新興のホテルや旅館に客足を奪われ近頃は訪れる湯治客も減っているが、それでも《大手》旅館にはない真心こもった《おもてなし》で、大変贔屓にしている常連客も少なくはない。
 雪が休みなく降り注ぎ、温泉水を旅館へと供給するパイプから立ち上る湯気により辺り一面が白く曇り、日常から遠く離れる《異界》感が漂うこの温泉街の中を、RINAは宿が用意した送迎バスが到着するまでの暫し間、ぶらぶらと近辺を眺める事にする。
 近くの販売所で、ふかしたての温泉まんじゅうを買って、「あちち!」と頬張りながら年期の入った土産物屋の並びを物色していると、店の壁や電柱に同じポスターが貼られているのに気が付いた。
《大鍬神社 新春角力(すまい)祭》
 赤く染められた神社の背景写真に筆文字で大きく書かれた、金色の文字が嫌でもRINAの目にも飛び込んでくる。

 ーー角力? 奉納相撲みたいなものかしら……?

 現在では珍しい格闘技系の神事に、少しだけ興味をそそられたRINAは、目の前の茶店のおばちゃんに尋ねてみる事にした。

「すいません、ちょっとポスターの件でお尋ねしたいのですが……」
「はいはい、《御鍬さま》の事ですね」

何度も同じ質問をされ慣れているのであろう、おばちゃんの対応が妙にスムーズだ。

「やっぱり《奉納相撲》か何かですか?」
「境内にある舞台で行われる、新年を無事に迎えられた事を神様に感謝する為の御神事ですよ。角力といっても今やっているお相撲とはかなり違いますけどね。因みにお嬢さんは何処にお泊まりですか?」
「はい、白鶴館に」
「それはいいですね! ちょうど御鍬さまの近所ですし、もし宜しければ見学なさるといいですよ……ただ、少し気を付けて下さいね」
「えっ?」
「角力に参加される方……特に若い男衆は、御神事前日から気が立っているので、お嬢さんも十分に用心してくださいよ。今だって、ほら」

 茶店のおばちゃんが指差す方向を見ると、肉付きのよい4〜5名の男性が、昼間から酒を煽りほろ酔い気分なのか、観光客とおぼしき若い女性二人組にちょっかいをかけていた。おばちゃんはその様子を見ては露骨に嫌な顔をする。

「ねぇねぇお姐ちゃん、俺らと一緒にどお?」

 頭に鉢巻きをした吊り目の男が、酒で赤らんだ顔をしてケタケタ笑いながら、すっかり怯えきった女性たちに迫る。逃げようとしても仲間の男たちが《壁》を作ってブロックしているのでますます脱出が困難となっていく。こんな状況だというのに廻りにいる他の人たちは彼女らを救出しようともせず、ただ関わり合いを避けようと眼を伏せ、その場を通りすぎるのみであった。

 ーープチッ!

 RlNAのなかで何かが切れた。
 茶店のおばちゃんが、大股で荒くれ者たちの方へ向かう、彼女の歩みを止めようと懸命に声を掛けるが、既に頭に血が昇ったRlNAにはもう何も聞こえなかった。 
 吊り目の男が、仲間たちの連携プレーによって逃げ場を失い、しゃがみ込んで怯える二人連れの女性に向かって歩を詰めていくその時、仲間のひとりが「痛ぇ!」と悲鳴を上げ、冷たく固いアスファルトの道路へ真っ正面に倒れた。

「どうした?!」

仲間に声を掛ける吊り目の男。

「だ、誰かが俺の膝の裏を蹴りやがった!」

 男たちは仲間を傷つけた《犯人》を捜すべく、各々が自分たちの周辺に視線を動かした。

「……どこ捜してるのよ?」
屈強な厳つい男たちが揃いも揃って、きょろきょろと目や身体を動かして犯人捜しをしている真っ最中に、突如としてRINAは姿を現した。

「何だ嬢ちゃん? 俺らは今忙しいんだよ、あっち行ってろ」

 先程何者かによって体勢を崩され、思いがけずアスファルトへキスをした太った男が、声を掛けてきた余所者のポニーテール少女に対し、追い払うように邪険に扱った。

「あ、そう」

 RlNAは素っ気なく返事をすると、もう一度同じように男の膝裏を蹴りアスファルトの道路へ、その巨躯を這いつくばらせた。

「!?」

 仲間が崩れ倒れる音を聞き、一斉に彼の方に目を向ける男衆。その視線の先には今しがたまで怯えて縮まっていた二人連れの女性客は姿を消し、代わりに涼しい顔をして笑みを浮かべるRlNAが立っていた。

「テメエか、俺の仲間に手を出したのは?!」

見るからに自分たちよりも小柄で、幼い顔立ちの彼女に対して、大人げなく凄んでみせる鉢巻き男に、《ぶりっ子》のフリをして大袈裟に怖がってみせるRINA。

「やだぁ、オジサン怖ぁ~い……ってそんなのウ・ソ」

 シュッ!

 空気を切る音と共に、突如男の視界へRINAの拳が飛び込んできた。可愛らしい顔からは想像もできない、彼女のパンチの速さに避ける事もガードする事もできず、そのまま拳は彼の鼻っ柱に直撃し、後方へと倒れていった。 
 この信じ難い光景に、RINAの周りを囲んでいる男たちが、水を打ったように一瞬静まり返った。畏怖と怒りの入り交じる視線の中心にいる彼女だけが、楽しげに撃ち込んだ拳を左右に振っておどけてみせた。この行動に、地を揺らすような激しい怒号が男たちから沸き起こり、RINAへ目掛けて皆が突進する。 それまで行楽客の往来で楽しげだった温泉街の空気は一変し、悲鳴が飛び交う阿鼻叫喚の《戦場》と化した。 
 拳を振り上げ向かって来る男ふたりに対し、RlNAはがら空きになっているボディへ素早くパンチを打ち込む。鉄の棒で突かれたような、鈍重な衝撃を腹の奥に感じた男たちは、耐え難い痛みで身体をくの字に曲げ、顔を真っ青にしてその場にうずくまった。

「この野郎ッ!」

 続いて、似合わないサングラスをしたネズミ顔の男が、モーションの大きな廻し蹴りを彼女の頭部へ目掛け繰り出した。ど素人の放つ隙だらけのキックにRINAは、当たり前のように蹴り脚を避けると、地を削るような後掃腿で細い軸足を刈り取った。彼の両足が地から離れ身体が宙に浮いたかと思うと、すぐに固い道路へ背中から落ちて男は息苦しさと激痛で動けなくなる。
 一斉に襲い掛かってきた男衆であったが、結局誰ひとりRINAに触れる事も出来ず、全員が地面にひれ伏したのだった。それまで酒の力と根拠のない自信でイキがっていた、不良中年たちの面目は見事に潰された格好となった。
 このままでは男が廃る。と思ったのか、リーダー格である鉢巻き男が頭を振り懸命に立ち上がろうとする。気付いたRINAはとどめとばかりに、彼の頭部へ目掛けハイキックを叩き込もうと脚を振り上げた。

「えっ? きゃあ!」

 格闘にはおよそ不向きな、《よそ行き》のファーブーツを履いていた事をすっかり忘れていたRINAは、雪で道路が濡れ滑りやすくなっている事を考慮していなかったため、普段通りに軸足に体重を掛けた瞬間、 濡れた道路に足を取られ尻餅をついてしまったのだ。
 腰から下半身へ徐々に広がる鈍痛。そして黒いデニムパンツの上からも通して伝わって来る、冷たくウェットな感覚に彼女は顔をしかめた。

 ザッ、ザッ……

 痛みを堪えて立ち上がった男衆が、最初の舐めた態度とは違う、怒りに燃えた表情でRINAに迫って来る。いつもならばこんな危機的状況でもあっという間に打開出来るのだが、腰から下が痺れて力が入らない今、反撃はおろか立つ事もままならず、ただ尻を引き摺り後ろへ逃げる事しか出来ずにいた。

 ――どうしよう? このままじゃ私……

 頭の中に一瞬《貞操の危機》という言葉が過る。必死に腿を叩いて回復を試みるが余りにも時間が無さすぎる。自分の胸元へ伸びる複数の男性の手を見て、RINAがどんな闘いに於いても、めったに感じる事の無かった《恐怖心》が腹の奥底から込み上げて来た。

 ――嫌っ、来ないでっ!

 両腕で胸をガードし、小さく身を縮ませ恐れ震えるRINA。幾多の《敵》を撃破してきた《女侠》の面影は既に無く、可愛らしい普通の女子高生の姿があるだけだったーーその時、RINAの後ろから見知らぬ“黒い影”が猛スピードで駆けていき、襲い掛かる男のひとりへ激突していく。
 彼女は、身を護っている腕の隙間から様子を覗き見ると、そこには自分より少し歳上らしきロングヘアの女性が、暴漢の胸板へ鋭角な膝頭をヒットさせ地面へと這わせていた。続けて迫り来る男ふたりの顎へ、肘や前腕といった固い部位を、目にも止まらぬスピードで撃ち抜いていき彼らの意識を飛ばしていく。RINAは自分と同じような《女武芸者》の登場に驚くと同時に、見た事の無い技を目の当たりにして興奮する。

 ――すごい、凄いっ! あぁ脚の痺れが早く取れないかな? あの人と一緒に暴れたいなぁ……

「リナちゃん、立って!」
「は、はいっ!」

 女武芸者の言われるがまま、RINAは魔法にでも掛けられたように、一分の迷いも無しにすっと立ち上がった。若干尻に痺れは残っているものの、闘う分には別段問題も無い。 しかし初めて出会った筈なのに、既に彼女が自分の名を知っている事には、この時点では疑問に思う余裕もなかった。一度ならず二度までも、漢としての面子を潰された鉢巻き男は、眼を血走らせて強きふたりの女性に向かって玉砕覚悟で突進してくる。
 今度は足元を取られないよう充分に注意し、男の膝関節を斜めの角度から、コンパクトな軌道で蹴り進撃をRINAが止める。関節に走る激痛に顔を歪め、膝から崩れ落ちる鉢巻き男にロングヘアの女武芸者は、腕を振り上げ真正面へジャンプし、彼の脳天へ己の硬い肘を叩き込んだ。激痛が全身を駆け巡り二度と男が立ち上がる事はなかった。

「逃げるよ、ついて来て!」

 歳上の女武芸者に言われるままに、残った力を振り絞りRINAはこの場から逃走する。 残された男衆は身体に走る激痛にうめき声を上げ、ごろごろと道路へ無様に横たわり、とても追跡どころではなかった。土産物屋の端に停めてあった、女武芸者の物とおぼしき白い軽トラックにふたりは急いで乗り込むと、灰色の排気ガスを廻りに撒き散らしながら猛スピードでこの《修羅場》から離れていった。

 ◇ ◇ ◇

 車を走らせる事約5分、色とりどりの宿泊施設が密集する温泉街が遥か遠くに去っていき、ようやく民家や商店など《人間の生活》が感じられる風景が見えてきた。

「……ええ、はい。お客様はあたしが責任を持ってお連れしますんで。女将さん、お騒がせして申し訳ありません」

 スマートフォンの相手はどうやらRlNAが泊まる事になっている『白鶴館』の女将で、聞こえてくるふたりの会話を総合すると、時間になっても指定場所に現れないRINAを心配して、食材などを各旅館へ卸している顔馴染みの女武芸者に連絡した、という事らしい。
 通話を終え、スマホを運転席の傍にある充電器に差し込むと、彼女は重苦しい空気を変えるべくカーラジオのスイッチを入れる。地元放送局のアナウンサーとベテランタレントによる、他愛のないお喋りが車内に響き渡った。

「どう、落ち着いた?」
「はい……危ない所を助けていただきありがとうございます」

 土気色だったRINAの肌の色も、落ち着きを取り戻したのか、血が通う健康そうな肌艶へと戻っていた。

「慣れない環境で、普段通りの実力を発揮するのは難しいもんねぇ。でもそれなりの闘い方も事前に想定しなきゃ、本当にアイツらに犯されていたかもよ? 《蹴撃天使》ちゃん」

 ーー!!

 武林での、自分の《通り名》を意外な人物から聞いたRINAの身体は、ビクッと一瞬硬直する。

「あなたは……誰なんです?」
「やぁね、そんなに身構えないでよ。お姐さんこわ〜い……そうね、申し遅れたわ。あたしの名は秋元絵茉(あきもと えま)、武林の連中からは《泰拳姑娘(たいけんくーにゃん)》と呼ばれているわ」

 泰拳……ムエタイ使いなのか? 戦闘に肘や膝を多用する絵茉のスタイルはRINAにとって、一種のカルチャーショックであった。

「厳密には現行のムエタイとは違う、もっとトラディショナルな古式ムエタイ(ムエボラン)を基本ベースとした、あたし独自の武術スタイルなんだけどね」
「でも凄いですっ!お時間があったら一度お手合わせをお願いします!!」
「そうね、あたしも直接身体で《蹴撃天使》の実力を知りたいしね……でも今は《リラックスする事》だけを考えなさい。リナちゃんさぁ、旅行に来たんでしょ?」

 すっかり忘れていた。
 顔を真っ赤にして恥ずかしがるRINAの表情を見て、冬景色にはまるで似合わない小麦色の肌をした絵茉は、歳上の余裕からかニヤリと悪戯っぽく笑った。
 先程まで振り続いていた雪はすっかり止み上がり、目的地である『白鶴館』がある山の麓が、灰色の雲の隙間から差し込む黄金色の太陽光に照らされ、きらきらと美しく輝いて見えた。