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蹴撃天使RINA 〜おんなだらけの格闘祭 血斗!温泉の宿?!〜  【第八回】

2017年04月28日 | Novel

 しまった! と思った時にはもう遅く、「どん!」という衝撃音と共に、冷たい床板へ向かって、痛みで歪んだ顔を打ち付けて倒れた。そんな彼女の醜態を睨みつけたまま、構えを崩さないソンヒ。

 ゆっくりと《旋風夜叉》の右脚が上がっていき、絵茉の頭の側まで接近すると、先程とは反対にものすごいスピードで、まるで頭蓋骨を粉砕するかのような勢いで、ソンヒは脚を降り下ろした。
 はっ?!
 殺気に似た邪悪な気配を、瞬時に感じ取った絵茉は、ダメージ回復を待つ間もなく床からばっ!と身をよじり、鉄槌のようなストンピングを間一髪で避けた。見ればソンヒの踵が当たった部分の床板には、稲妻のような亀裂が走っていた。

「……いつまでも寝たふりしてんじゃないわよ、あの程度でくたばっちまうアンタじゃないでしょ?」

 冷たく言い放つ、ソンヒの顔を見て絵茉は、上体をむくりと起こしその場で胡座をかくと、額に手を当てて何と彼女に対し、満面の笑みを見せた。

「いやぁ、ダマされた! さすが《旋風夜叉》の名は伊達じゃないわ。まさかこう来るとはねぇ、想定外よ」

 あっけらかんとした口調で喋りかける絵茉に、ソンヒは驚きつつも、努めて冷静を装い、表情を崩す事なく彼女と対峙する。

「――攻撃が効いてないのかって顔してるわね? そんな事ないって。今でも頭がズキズキ痛いし身体もちょっと痺れているわ。あなた、いい《武器》持ってるじゃない? もっと自信持っていいと思うよ」

 せっかく渾身の打撃技で一矢報いたというのに、絵茉の《上から目線》な発言にソンヒはカチン! ときて、とうとう感情的になり彼女に怒鳴った。

「……何でよ? 何で私の《精一杯》がアンタには通用しないのよ?! 何で平然としていられるのよ?!」

 絵茉はゆっくりと立ち上がり、ぱんぱんと袴に付いた埃を払うと、腕を小軌道で回しながら右腕を敵前に付き出した。
 泰拳(ムエタイ)独特の構えだ。
 そして持ち上げた左足で、大地を踏みしめるように床板に落とすと、己の視線はソンヒの黒い瞳に向いたまま動かない。
 いまや感情的になった《旋風夜叉》の繰り出す変則的な蹴りが、まるで意志を持った生物のように蠢き絵茉に襲いかかる。そのスピード、威力、正確さたるや――万が一防御に失敗すれば確実に意識は飛ばされ、寒空の下で《敗北宣言》を聞く事になりかねない。
 ソンヒの爪先が、絵茉の側頭部に狙いを定めて空気を切り裂き迫ってくる。ここが何もない野外であれば、距離を取って逃げる事も可能であるが、生憎ここは角力祭が行われている闘技場・神楽殿の舞台上。一旦闘いが始まった以上、この舞台を降りれば「負け」てしまうし、勿論ノックダウンすれば「負け」なのだ。だから ―― どうしても「勝ち」たければ、絶対に立ち向かわなければならない。

 本部席では初居御大が、じわりじわりと声援のボルテージが高まっていく観客たちを背に、腕を組み今後の成り行きに目を凝らす。
 その舞台上では息巻く女侠たちの腕と脚が交差していた。
 後ろの方にいる見物客にも、皮膚と皮膚がぶつかり合って発生した破裂音が聞こえたのだ。その音は、見ているだけの人々にも絵茉の受けたであろう衝撃を伝えるのに十分だった。
 果して《泰拳姑娘》は被弾してダウンしてしまったのだろうか?
 否!
 絵茉は己の上腕を強靭な盾と化し、頭部を一撃必殺の上段蹴りから防御すると、次に来るであろう《二の太刀》に気を配りつつ、その身体を瞬時に、開いていた相手との間合いを詰める。
 ソンヒの表情が一瞬歪んだ。
 裾の長い袴で遠目では判らないが、絵茉の棍のような鋭く重い膝蹴りが、彼女の鳩尾を的確に捕らえたのだ。
 ソンヒは更なる一打を撃ち込むべく《用意》はしていたが、自分が考えていたより遥かに速く、そして鋭い膝蹴りを被弾してしまった為、困惑と突如襲いかかった痛みとで《次の一手》が、一瞬にして吹き飛んでしまったのだった。
 この好機を逃す絵茉ではない。彼女の追撃の手は一時たりとも緩まない。白いバンデージで巻かれた左右の拳が、年令よりも幼い表情をしている《旋風夜叉》の鼻や頬骨を、そして顎に至るまで打ち砕かんとばかりに、一定のリズムで殴打し続ける。
 ビジュアルの残酷さ、妥協なき闘争の凄惨さに、それまで騒いでいた見物客も水を打ったように静まり返った。《おんな》同士の対戦故に、多少好奇の目で見ていた一部の人たちにも「これは闘いである」という《既成事実》を突き付けた格好となった。

 ――あなたとあたしとの差はね、一瞬のチャンスを見逃さず、ちゃんとモノにする所。この《武林》において潜ってきた修羅場の数の差といってもいいわ。

 固い拳の当てられた箇所が内出血を起こし、綺麗だったソンヒの顔も徐々に腫れ上がっていく。
 がしっ!
 絵茉は殴るのを止め、頭部を腕で挟み込みしっかりと固定すると、今度は膝頭を何度も何度も鼻柱へと叩き込んだ。泰拳独特の《首相撲》というやつだ。捕らえた相手を逃がさないように首を両の腕で固め、己に優位なポジションでの攻撃を可能とするこの戦法は、十分に距離を取って攻撃するスタイルが信条のソンヒには有効だった。
 数えられない程の膝頭を喰らい続け、視線が飛んで定まらなくなった韓国人女武芸者は、意識は朦朧とし頭部は力なく上下するものの、まだ反撃の意思を捨ててはいなかった。
 がつん!

 ――なっ?!

 再び《泰拳姑娘》の脳天に雷が走る。
 ソンヒは不自由な体勢をどうにか動かし、背骨をエビのように「くの字」に曲げて、踵を蠍の毒針のように相手の頭頂部へ突き刺すように蹴ったのだ。《旋風夜叉》の持つ柔らかな身体が可能とする難易度の高い技《蠍針脚》だ。死角からの蹴り技に、不覚にもダメージを受けた絵茉は、条件反射的に頭部をロックしていた腕を解いてしまう。

「噂には聞いていたがこれ程とは… 《蠍針脚》、見事なりッ!」

 この彼女の超人的な技に、初居御大も見物客も驚き、大いに沸き返った。
 だが、結局のところこの《蠍針脚》は「防御」の為の技であり、敵を一撃必殺で倒す事の出来る「攻撃」ではなかった。せっかく絵茉の《首相撲》地獄から脱出出来たというのに、ソンヒはがくっと片膝を付き、肩で大きく息をするのが精一杯だった。
 褐色の女武芸者は、静かに前へ足を踏み出す。
 蓄積されたダメージで身体はふらふら、視線は虚ろになっているが、それでも目の前にいるのが自分の《敵》と認識し、僅かな目力で睨み付けた。
 そんなソンヒの姿を見て、憐れみや尊敬、驚きと慈しみ……目頭は熱くなり、様々な感情が自身に降り掛かってくる。《旋風夜叉》が自分のの相手としては最高の人間だった――という事だ。だからこそ敬意をもってこの勝負を終えねばならない、絵茉はそう決めたのだ。
 一歩また一歩と、距離を狭めつつ相手の様子を伺うと、遂に意を決しソンヒ目掛けて全速力で駆け出した。
 自分を仕留めに来る事は十分に理解しているものの、もう爪先すら動かすだけの余力も残っておらず、ゆらゆらと棒立ち状態の女武芸者の姿が瞳に映る。
 濃紺の袴の裾を翻し、猛禽類の如く絵茉は跳び上がった。そして両膝を胸部に、両肘を頭部に突き刺すと、相手を突き破らんかの勢いで突入する。
 絵茉の掲げる武芸・秋元流古泰拳の秘技《神雕雙爪》だ。
 恐ろしい程勢いの付いた彼女の身体はソンヒを、固く冷たい床板へ、鈍く大きな衝撃音と共に打ち倒すと、前方へ二回転程した後やっと停止した。
 絵茉は立ち上がり、くるりと振り向くと、厳しい表情で行司の方を見た。突如彼女に睨まれた、初老の男性は一瞬、その眼光の鋭さに怯んだがすぐに言わんとする事を理解すると、手にしている瓢箪形をした黒い軍配を、さっと絵茉の方へ掲げた。

「勝者……秋元絵茉ッ!!」

 行司の勝ち名乗りを聞いた途端、神楽殿を中心とした《角力ノ儀》会場は、割れんばかりの大拍手と歓声に包まれた。絵茉は行司と四方の見物客に向かって一礼すると、舞台の下で待機している運営スタッフのひとりに、冷却剤を持ってくるように指示をする。
 程なくして用意された、ジェルの入った冷たく柔らかな冷却剤を、内出血で腫れたソンヒの顔に優しく当て、目が覚めるのをじっと待った。
 そして数分後、絵茉の膝枕の上で韓国人女武芸者が、ゆっくりと目を開ける。

 ……わたし、負けたの?

ソンヒが眼を、瞼を動かして訴えかける。絵茉は、試合中とはうって変わり穏やかな表情で、「そうよ」と言わんばかりに首を縦に振った。
 彼女のランゲージで、自身の《敗北》を悟った瞬間、少しだけ顔色を曇らせたソンヒだったが、すぐに安堵し柔和な表情となり、顔の筋肉を動かすだけでも辛いのにほんのり笑顔まで浮かべた。

 ――あなた、最高の《女侠(おんな)》ね。

 彼女だけにしか聞こえない、僅かな距離で《称賛の言葉》をかけた絵茉は、肩を貸し、ソンヒをゆっくりと立ち上がらせると、共に熱戦を繰り広げた《同志》を、再び四方の見物客たちに披露した。
 今までに経験した事のない、身内以外から受ける多くの歓声や拍手に、ソンヒはすっかり感激してしまい、とうとう絵茉の胸元に、顔を押し当て泣き出してしまった。

「……ずっと独りだと思っていた。だけど私と同じ《武芸の道》を歩んでいる女性が貴女をはじめ、この地域にこんなに居るなんて――それに勝敗はともかく実際に肌を合わせられて……もう最高よ」

 近隣に比べて、武芸が盛んだと云われているこの温泉郷であるが、その武芸人口の一割にも満たないと思われる女武芸者――いわゆる《武芸女子》の胸の内を聞いたようなソンヒの発言に、絵茉もこれまで以上に武芸の修練と、女子の武芸修行者の底辺を拡げるために努力しなければ、との思いを一層強くするのであった。

 ともかく、今年の《角力祭》のテーマである《日本対多国籍軍》の初戦は、《泰拳姑娘》秋元絵茉の勝利で幸先の良いスタートを切る事が出来たのであった。

 

「……気合い十分だな、ジェシカ?」

 控室代わりのテントの中では、次の取り組みに出場する黒髪白肌の《碧眼魔女》ジェシカ・ペイジが、何度も何度も白い皮製のオープンフィンガー・グローブで覆われた両手を組んでは放したりして、高ぶる闘志を落ち着かせようとしていた。だが自分にしてみれば、何故こんなに緊張しなければならないのか、不思議でしょうがなかった。

「おい、話を聞いてるのか?」
「あ、ああ悪いビアンカ。それで……何の用事だ?」

 自分の話を彼女が全く聞いていなかった事に《装甲麗女》ビアンカは、怒るどころか「やっぱりね」とばかりに、呆れてため息をついた。

「あなたの対戦相手のリナだけど、あまり舐めてかからない事ね」
「何故? 只のスクールガールじゃない。それとも彼女はモンスターなの? 自慢じゃないけど私だって、総合格闘技ではそれなりの実績を積んで、《名前》だって少なからず知られた存在。その私があんな小娘に負ける? ハッ、冗談じゃない!」

 ジェシカは苛立っていた。「負ける」などとビアンカは一言も発していないにも係わらず、ネガティブな単語にはつい、過剰に反応してしまうのだ。

「……まぁ、茶飲み話程度に聞いといてくれ。彼女……リナだけど、公式な試合の記録は高校生の参加する、全国武道大会の出場しかない 。後はみなイリーガルなものばかり ―― 《武林》でいう「果たし合い」という奴だ。己の倫理観が唯一のルールという試合を、彼女は負けなしで生き残ってきた……と、初居センセイから昨晩伺った。どう出る、女子ライト級の世界ランカーさまよ?」

 そう言うと、ビアンカは白熊のような巨躯を揺らし笑った。人一倍プライドの高いジェシカが、自分を嘲笑するような彼女の態度に、数回自らの掌に拳を当て、胸の内に渦巻く怒りを、対戦相手を叩き潰す為の闘志へと徐々に変換していった。

「……それでも、相手がスクールガールである事に変わりはないわ。五分で勝敗(けり)を着ける ――いえ、三分ね。いい? 三分後に観客の歓声を浴びながら、絶対私はここに戻ってくる」

 ジェシカは、側に置いてあったミネラルウォーターを、ぐっと一口飲むと立ち上がり、数秒間シャドウボクシングをして、身体の隅々まで意識が行き渡るかどうか動作確認をすると、そのままテントと外とを仕切るカーテンを開け、戦場である神楽殿へと、寒空ゆえに身体から湯気をたてながら向かった。

 RINAはカーテンの隙間から、そんな気合い十分の、対戦相手であるジェシカの様子を眺めていた。 格闘技雑誌などで度々目にする《ビッグネーム》との一戦に、こちらもジェシカ同様緊張しているかと思いきや、RINAのなかではそれほどでなく、逆に普段闘う《武芸者》以外の相手とあって、展開が読めないという点でむしろ楽しみで仕方なかった。

「……あいつ、“三分で片付けてやる!" って息巻いているわ。プロのMMAファイターらしいわね、全く ―― ああやって自分の内の“弱さ” を 吐き出して、自身の気持ちを《理想の戦士像》に近付けていくの」

 来るべき取り組みに備え、準備運動をしていた遥が、神楽殿上の《碧眼魔女》をみてRINAに解説をした。

「相手、相当やる気みたいよ? リナちゃんも負けずに“三分で ―― ” ってハッタリかましちゃえばいいのよ」

 テントの中に敷かれた畳の上で、闘いでできた患部を、氷枕で冷やしていた絵茉もつい口を出す。そんな諸先輩からの「励まし」に、にこりと笑って応えるRINA。

「時間なんて分かりませんよ。可能ならば一刻でも早く勝負を決める ――これが闘いの原則ですから。もし相手にそれだけの実力が無ければ……そういう事です」

 伸縮性に富んだ、ネイビーブルーの競技服の上に、真っ白な胴着を羽織り、RINAはもう一度黒帯をぎゅっと締め直す。たったそれだけでも気持ちは戦闘モードへと切り替わる事ができる。
 これでもう、後戻りは出来ない。
 目の前には、今から自分が《倒すべき相手》しか映っていなかった。
 既にジェシカの待つ神楽殿に向かう間、小さく深呼吸をするRINA 。祭が始まった当初は、気になっていた見物客の声援ももう気にならない。

 「Come on!」と、オーバーランゲージで挑発をする《碧眼魔女》を、下からちらりと眺めたRINAは、にやりと笑みを浮かべるとひらりと跳躍し、そのまま舞台上へと登った。

 ――さぁて、祭に《華》を添えましょうか……?

 黒いオープンフィンガー・グローブで覆われた拳を、ジェシカに向かって突き出し、闘う意思を示したRINA 。
 そんな両者の戦意を汲み取った行司は、縦に手を振って《戦闘開始》の合図を満場の見物客たちに知らせる。
 いよいよ《角力ノ儀》第二戦、ジェシカ・ペイジ対武田リナが始まった ――

          


蹴撃天使RINA 〜おんなだらけの格闘祭 血斗!温泉の宿?!〜  【第七回】

2017年04月28日 | Novel

 雲ひとつない晴天の冬空に、花火の破裂音が何度も鳴り響いた。この地域に住む住民たちが、年に一度の楽しみとしている《角力祭》の開始を告げる合図だ。この花火の音をきっかけに地元住民たちや観光客たちは、ぞろぞろと開催場所の大鍬神社へと集まっていくのだ。

 祭最大の目玉である、一般参加による格闘大会《角力ノ儀すもうのぎ》が始まるまで、まだしばらく時間があるというのに、既に境内はごった返しており、人々は神社周辺に数多く立ち並ぶ露店へ集まり《食い歩き》を楽しんだり、また年配の方々は今年の《角力》の勝敗について、喧々諤々議論したりして各々楽しいひととき過ごしていた。だがそんな《好事家》たちをもってしても、今年の角力祭の勝敗を予想するのは難しかったようだ。
 例年であれば「何処どこの何某」と、参加者の素性がわかっているので勝敗予想も立てやすかったが、今回彼らの《知っている顔》といえば毎年参加している秋元絵茉のみで、プロレスラー時代を含めてここ十年近く、祭の舞台には上がっていなかった今井遥の現在の実力は全くの未知数であるし、RINAや三人の外国人参加者たちについては全く《情報》など持ち合わせてはいなかった。ほぼ知らない《参加者たち》の顔ぶれ、ましてや全員が女性という異例の“初物尽くし”に、昔から祭を観続けている年配たちは戸惑いを隠せず「初居様も遂に色ボケしたのか?」など“悪口”が飛ぶ始末である。しかしそんな《堅物》の常連とは違い、若年層や“一見さん”の観光客にはおおかた興味を持ってもらえたようで、角力祭史上初となる、“おんなだらけ”の《角力ノ儀》の開始を今や遅しと待っていた。

「は~い、神事の会場はこちらになっておりまーす、くれぐれも前の方を押さないようご注意願いまぁす!」

 角力祭のスタッフの証である白い法被を着て、紅白の鉢巻きを頭に締めたケンジが、拡声器を片手に大勢の見物客の誘導を行っていた。もっともケンジ本人はこんな雑務が面白いはずもなく、祭に出られない悔しさと伯父である初居の監視下でこき使われている惨めさが、彼の《不満》となってその表情に現れていた。

「こらっ、ケンジ! もっと真面目にやらんかぁ!」

 高齢とは思えぬ大きな身体を揺らして、初居御大がケンジの元へ駆けより叱咤する。

「お、伯父貴ぃ?! やべぇ!」
「……事の流れからいえば、お前さん今頃は拘置所へ放り込まれて、もっと惨めな思いをしている身の上なんじゃぞ。もっとそれを自覚してしっかり働かんかい!」

 本来であれば《強姦未遂》とはいえ、被害者であるRINAが警察に訴えれば、ケンジは逮捕されていてもおかしくない状況であった。だが初居御大が彼を「自分の観察下に置く」という話で、この事案は《手打ち》となったのだ。もし仮にケンジが不穏な動きをみせようとも、初居の手元には絵茉が撮影した《犯行現場》の動画データはあるし、もし彼の監視下から逃げ出せたとしても、《武林》の好漢たちによる広大なネットワークを駆使して、居場所を見つけ出す事も容易である為、《武》の才能のないケンジにとっては完全に“八方塞がり”な状況であった。

「でも……自分が出られなかった祭に何の意味があるんだよ? これだったら家でじっとしていたほうが、ナンボかマシじゃねぇか?!」

 ケンジの自分勝手な屁理屈に、初居は「またか」と肩を落とした。

「それだからお前は、いつまでたっても“一人前の男”として認められんのじゃ! いいか? 目先の不満ぐらいでブツブツ言うな、もっと先を見据えろ。ワシがせっかく《特等席》で奉納角力を見せてやる、と言ってるんじゃから、ケンジは彼女らの闘いをしっかり目に焼き付けて、来年の角力祭に出られるように努力せい!」
 
 熱い伯父の言葉にケンジは魂を揺り動かされるが、《女性だらけの出場者》という、例年では有り得ない“奇妙な事態”が彼の脳裏に引っかかり、完全には納得しきれないでいた。そんなケンジの空気を察したのか初居は話を続ける。

「……なぁケンジ、強さとは何も男性だけの《専売特許》ではないぞ? お前さんとは別の世界の《住人》である武林の女性たちは、数多の英雄・好漢に引けを取らぬほどの強さを持っておる。そんな彼女たちが今回この祭に期せずして一堂に会したんじゃ、彼女たちを舐めてかかると痛い目にあうぞ」

 伯父の言葉にケンジは、妻であるビアンカの顔がふっと脳裏をかすめた。

 ――あぁ、そういえば夫婦喧嘩になるとアイツには、全く歯が立たねぇもんなぁ。

 《最凶の身内》の存在を思い出し、ようやく納得したケンジであった。

 

 

「絵茉さ~ん、おまたせしました」

 闘いの舞台となる神楽殿より、少し離れた場所に設置された、角力祭出場者の控室であるビニールテントの中へ、遥に連れられてRINAが入ってきた。ロングの髪をゴムでひとつに束ね、白い上衣と濃紺の袴という古武道然とした清楚な出で立ちに着替えた絵茉が、ふたりを笑顔で出迎える。

「遅いじゃないの。さては遥姉ぇの“趣味”に付き合わされて、いろいろコスチュームを着せられてたな?」
「リナちゃんの素材自体がいいもんだから、イメージが湧いちゃっていろいろ引っ替え取っ替え着せているうちにこんな時間に……十分堪能させてもらいました、はい」

 満足げな表情をした遥をみて、RINAと絵茉は顔を見合わせて笑った。

「まったく遥姉ぇは、いつまでたっても可愛いモノに目がない《少女趣味》が抜けないんだからぁ。おかしいと思うでしょリナちゃん?」
 
 少々呆れ顔の絵茉に対し、RINA自身は言葉を発せず、ただニコニコと笑うだけで否定も肯定もしない。しかし笑顔の裏側に隠された疲労の色を、絵茉は見逃さなかった。

「ふぅ……あ、そうそう。それで遥姉ぇコーディネートのコスチューム、どんな感じ?見せて見せて」

 絵茉が興味津々に、茶色のコートに身を包むRINAに目を移す。じっと彼女が自分の身体を見つめるので、《蹴撃天使》は顔を真っ赤に染めて恥ずかしがった。

「リナちゃん、見せてやりなよ。あ、何ならコートのボタン外そうか?」
「結構です!」

 遥の冗談を、真剣になって怒るRINA。年長者ふたりの意味ありげな「にやにや」が止まらない。
 視線を浴び気恥ずかしさ一杯で、思い通りに動かない手で少女は、ひとつひとつゆっくりとボタンを外し、コートの襟元を徐々に広げていく。

 おおっ!

 絵茉が感嘆の声をあげる。コートが開帳されるとその中から、《蹴撃天使》と胸の辺りに大きく刺繍された、純白の空手着の上衣とネイビーブルーのセパレートとスパッツという、極めてシンプルかつスポーティーな出で立ちが登場した。

「どう? いいでしょ。現役時代の最初の頃に使っていたコスチュームで、リナちゃんのイメージにピッタリなのが残っていたので、寸法を彼女の丈の大きさに合わせ直したんだけど」

 絵茉は黙って、ぐっと親指を立て「満足」の意思表示をした。もっともRINA本人は、コスチュームが伸縮性に富んだ素材の為、ヒップの曲線が丸わかりである事が気になって仕方がなく、なかなかコートを全部脱げずにいた。

「恥ずかしいです、遥さん。せめて空手着のズボンを穿かせて……」
「あまいっ! 何度も言うようだけどこれは《お祭》なの。目立ったモン勝ちなのよ。せっかく参加者で一番若いんだからそれらしい格好をして、少しでも観客の視線を自分の方に向けないと!」

 ――それって遥姉ぇ、完全にプロレスラーの思考だよ?

 絵茉はそう思ったが敢えて口に出さなった。自分の余計なひと言が、絶対に遥の怒りに火を注ぎそうな気がしたからだ。彼女から注意を受けるRINAをみて絵茉は「悪かった」と心の中で詫びた。

「……それで、遥姉ぇの方はどうなのよ? まさかTシャツに短パンじゃないでしょうね?」
「失礼なっ! やると決めた以上、ちゃんとコスチューム着てきたわよ!……だけど見せるのは今じゃない、本番の時まで楽しみに待ってなって」

 自分ひとりだけが、上下白いラインが入った赤色のジャージ姿の遥に向かって、絵茉とひとり羞恥プレー状態のRINAは「ひどい!」とブーイングを飛ばす。そんなふたりからのブーイングにも全く意に介さず遥は、ただ黙って笑みを浮かべるだけだった。

 外では客寄せの花火の音が、未だに鳴り続いていた―― 

 時計の針が正午を回り、神楽殿では神事の時のみに着装する、特別な装束を纏った宮司が御払いの儀式を行い始めた。それまで人ごみで騒がしかった境内も、この時ばかりは水を打ったように静まり返り、バックグラウンドで流される雅楽の音色が、この場所を現実世界から神聖な空間へと変貌させていく。
 ひと通り御払いの儀式が終わると、神社職員によるアナウンスがスピーカーから聞こえてくた。

「今年の出場者の入場でございます。皆さま、どうぞ盛大な拍手でお迎えください」

 大勢の見物客からの拍手に迎えられ、角力祭に参加する六人のおんなたちが次々と神楽殿へと上ってくる。やはり参加者のなかで一番声援が多いのは、知名度が高い《地元の英雄》である遥だ。突然のレスラー引退から五年、全く表舞台に姿を現さなかった《女子プロレスの元スター》が、こんな一地方の祭に参加するなんて夢にも思わない、遠方から来た見物客にとっても、古くから彼女の事を知っている地元民にとってもこれは《ビッグ・サプライズ》であった。

「えっ、あの“悠木はるか”が? こいつはビッグマッチ並みの価値はあるぜ!」
「よくぞこの、角力祭の舞台に戻ってきた。お帰り遥ぁ!」

  久しぶりの《公の場》に少々緊張した面持ちで、声援に応え手を振る遥。一方毎年参加している絵茉にも、顔見知りの地元のひとたちから「絵茉ぁ、今年もがんばれよ!」と声援が飛ぶ。根っからの“お祭り女”である絵茉は、あちこちから掛かる応援の声に笑顔にVサインで返答した。
 次々と多くの人々から声を掛けられる遥たちをみて、RINAはちょっぴり羨ましいな、と思った。こんなに大勢の人たちが盛んに各参加者の名を口にする中、存在自体を知らない事もあるが、他の誰よりも年齢も体格も遥かに劣る彼女には、「こんな娘が……」という冷やかな視線はあっても、激賞や応援の声などは一度も上がらなかった――つまりRINAの存在は「人数合わせの参加者」という認識であって、誰のひとりも彼女の勝ち負けには最初から期待していないのだ。
 誰かがRINAの肩をぽんと叩いた。遥だった。
 顔を観衆がいる正面に向けたまま、彼女はRINAに静かに語りかける。

「……気にする事ないよ。すぐにこの見物客全員が、《蹴撃天使》リナちゃんに釘付けになるから」

 大先輩からの《励まし》に、緊張と疎外感で強張っていたRINAの表情が幾分か和らいだ。

 歓声と拍手の中で行われた、《角力ノ儀》参加者たちのお披露目も無事に終わり、遥たち日本人組とビアンカをリーダーとする外国人勢とが、神社職員たちの誘導でそれぞれ神楽殿の東西へと移動し、これから取組を行う者以外は舞台の側に座り待機した。
 現在、神楽殿の舞台上にいるのは――《泰拳姑娘》秋元絵茉と《旋風夜叉》チェ・ソンヒだ。
 お互いは視線を一度も逸らす事無く、じっと睨みつけたまま行司の「開始」の合図を待つ。
 襟に黒いラインの入った、跆拳道の道着を身に着けたソンヒが、拳を握りゆっくり腰を落とす。絵茉も負けじと、両腕を曲げ片足を浮かせる、泰拳独特の構えを取り来たるべき戦闘に備えた。
 押し潰されそうなほどの、ふたりから発せられる圧力に耐え切れず、行司がついに口を開く。

「――始めぃ!」

 号令と同時に、本部席の側に設置されている、朱塗りの大太鼓がどんっ!と大きく打ち鳴らされ、待ちに待った《角力ノ儀》第一試合が遂に開始された。
 それまで騒がしかった歓声のトーンが若干落ち、見物客たちは両者の出方を固唾を呑んで見守る。

「イヤァァァァァ!」

 先に動いたのはソンヒだった。
 上下に跳ねてリズムを身体に刻むと、相手を威嚇する甲高い掛け声と共に、切れの良い高速回転の後ろ回し蹴りを、絵茉の頭部に狙いを定めて放った。鞭のようにしなやかな蹴り足が、空気を切り裂いて迫ってくる。もし接触すればダウンは確実に免れないだろう。
 絵茉は足をすぅーっと引き、身体を後ろにのけ反らせると、僅かな距離でこれを回避した。
 おおっ! と一斉にどよめく見物客たち。
 だがソンヒの猛攻はそれだけに留まらなかった。
 目標を失った蹴り足が戻ってくると、間髪いれずに今度は脚を斜め四十五度の角度に上げ、機関銃のような連続蹴りで彼女に迫る。頭や喉元、それに胸などの部位を的確に捉え、一度も着地する事なく正確に打ち込まれる足刀。しかしそのキックの“教科書通り”な正確さ故に、百戦錬磨の絵茉にすべて腕でブロックされ、勝敗を左右するような一打を絶対に許さなかった。
 にやり
 ソンヒが不敵な笑みを見せた。
 気が付けば、嵐のような蹴打の猛攻により、絵茉の立ち位置は舞台の隅に追いやられ、踵を一歩でもずらせば約一メートル真下の、がちがちに踏み固められた土の上へ落下し、《勝負》がついてしまう状況となっていた。絵茉はちらりと後ろを見るが焦りの色は全く無く、ただ目の前の対戦相手の、次の動作に注意して微動だにしない。
 すぐ側で風を斬る音がした。
 最後のひと押しとばかりに、ソンヒは胸部に目掛けて横蹴りを放ったのだ。
 あまりにも「思い通りの展開」に、退屈を通り越して怒りすら覚えた絵茉は、ソンヒが放った《だめ押し》の蹴り脚をキャッチし、腋に挟んで固定すると残った手で喉をぐっと掴み、軸足を払い舞台の床板へとひっくり返した。
 びたん!と音をたて、板の上に仰向けになるソンヒ。

「あんたの《武芸》ってこの程度?」

 絵茉は冷たく、そして悲しげな眼差しを彼女へ向けた。怒りや蔑みが入り混じる、絵茉の瞳の奥に蠢く複雑な想いを読み取ったソンヒは、何故自分に対し、そのような感情を抱いているのかが理解できない。
 わたしとあいつとは勝敗を競う《敵同士》であり、どんな内容で勝ったところで問題はないはずだ――ソンヒはそう考えていた。
 だが絵茉は違っていた。互いが持つ武の技術を最大限に駆使し、ギリギリの状態で勝負する事を望んでいるのだった。その結果仮に自分が敗けたとしても納得がいったであろうが、《コミュニケーション》が取れないまま安易に勝敗を決められたならば、悔やんでも悔やみきれない。もっとも絵茉本人は負ける気など最初からないけれども。

「あいつ……何をこだわってるんだよ? 勝てば万々歳で、文句なんか無ぇじゃねえか」

本部席にて、初居御大の隣りに座らせられているケンジが、舞台上の絵茉を見て吐き捨てるように言った。《出来損ない》の自分からすれば、彼女が「格好つけている」様に見えたからだ。

「――そこが絵茉の長所であり、短所でもあるのじゃ。自分が闘いに《ロマン》を求めていても、相手が同じ考えとは決して限らんからな」

 初居がケンジの言葉に対し補足をする。彼の目も舞台上を向いており、互いが顔を合わせないまま会話が進んでいた。

「伯父貴、珍しく考えが合うじゃねぇか」
「まぁな。だが絵茉とソンヒとの格闘技術の差を考慮すれば、特にに最短で勝負を決める程ではないじゃろうて」

 伯父の言葉に驚愕するケンジ。

「えっ、あんなキレッキレのキックでか!?」
「ソンヒの放つ蹴り技の精度や速度、それに威力は確かに凄いものがある。しかし絵茉からしてみればそんなのは全て《想定内》であって、驚くべき要素ではないという事だ。だからそれ以上のもの……“技術のキャッチボール”的な、お互いの魂をぶつけ合うような攻防を望んでいるし、彼女ならそれが出来ると信じているから、あのような態度に出ているんじゃよ」

 《武芸者》らしい伯父の解説を手掛かりにケンジは、女武芸家たちの次の展開に注目すべく、じっと舞台を凝視する。

 絵茉の言葉に衝撃を受けつつも、ソンヒは平静を装いゆっくりと、床板から身を剥がし立ち上がった。

「私の《武芸》がこの程度かって……? 冗談じゃないわ」
「そうね、昨晩のあなたの闘いっぷりは尋常じゃなかったものね。じゃあ今は何? ふざけているの?」
「なっ……!」

 怒りで顔色を朱に染めたソンヒだったが、血の気は一瞬で引き、今度は逆に冴えない表情と変わっていった。見れば彼女の唇や指先が微妙に震えている。

「《ウケ狙い》の派手な蹴りは必要ないの。あなたの、普段通りの“魂の入った”蹴りをあたしに叩き込んで来なさい!」

 力強く自信に満ちた絵茉の言葉が、それまで固かったソンヒの表情を柔和にし、全身をがんじがらめに縛っていた《見えない鎖》を断ち切った。心と肉体に掛けられていた枷から、解き放たれた彼女から放たれる《闘気》にはもう迷いの色はない。

「ふん……後悔するわよ? 血に飢えた雌虎ほど、厄介なものは無いんだから――覚悟しな!」

 デモンストレーション気味に繰り出される、パンチやキックの風を斬る音が先程とは違い、程よく脱力しているのがよくわかる。それを確認した絵茉は前髪をかき上げ、口角を僅かに上げ微笑んだ。

 ――さぁ、始めよっか?

 絵茉は誰にも聴こえない様に小さな声で囁くと、《旋風夜叉》ソンヒは黙って頷いた。 
 床を蹴りあげ、すばやく相手との間合いを取ると、絵茉に向かいミドルキックをジャブのように右へ左へ撃ち放ち、相手の《攻撃範囲》を徐々に狭めていく。

「イャァァァッ!」

 再び肚の底から掛け声を発したかと思うと、ソンヒの身体は既に高速回転を始めていた。

 ――来るかッ?

 しっかりと腕を上げ、防御の体勢に入る絵茉。思わず握る拳に力が入る。
 上段から勢いよく、鉈の如く振り下ろされる右脚。だが彼女との距離が遠すぎる――フェイントだ。その辺は十分に予想していたのか、絵茉の身体は微動だにしなかった。
 が、次の瞬間、《泰拳姑娘》の顔から《余裕》の表情が消えた
 ソンヒが振り下ろした右脚で床を蹴り、天井高く舞い上がったかと思うと、今度は逆の脚による高角度の回転蹴りを、側頭部に狙いを定めて発射したのだ。回転による遠心力で更に威力が増し、仮に被弾すれば只事では済まないはずだ。
 絵茉は冷静に着弾地点を推測し、しっかり防御できるよう半歩分、身体の位置を退かせる。 
 しかし――その時、脳天を起点に痛みが全身を突き抜けた。
 次の回転蹴りもフェイントだったのだ。ソンヒはもう一度身を捻り、利き足である右脚で、絵茉の脳天に踵を叩き込んだのだ。


蹴撃天使RINA 〜おんなだらけの格闘祭 血斗!温泉の宿?!〜  【第六回】

2017年04月28日 | Novel

 初居は背広を脱ぎネクタイを緩めると、RINAの前で胡坐を組んで座る。そして両手を上下左右へ、千手観音の手のように動かして己の内功を徐々に高めていった。最初は《男性》を前に怯えた様子だった少女も、彼から放たれる優しく包み込むような《気》に反応して、次第に心の扉を解いていく。

「……セーターを脱いで。上半身下着だけになって、ワシに背中を向けなさい」

 初居の言葉にRINAの眉がぴくりと動いた。後ろで様子を眺めていた遥たちもざわつく。
 嫌がられるだろうか?と、初居は半ば諦めていたが、驚く事にRINAは躊躇なく自ら進んでセーターを脱ぎ、ブラジャーのみの姿となって白くすべすべした背中を差し出した。彼女もまた大きな《慈悲の心》で接してくる初居大人を、固く信用し切っているのだ。RINAの《覚悟》に対し、彼は満足そうに頷いた。
 彼の全てを包み込むような《人間力》、一点の曇りもない清らかな《気》のパワーによって、固く閉ざされている彼女の、心の《開錠》がいま始まろうとしていた。

「……ふんっ!」

 《大人》は手を合わせ、内功を強く練り生成すると、ふたつの掌を少女の背中へ押し当てて、息を大きく吐き出し《気》のバルブを一気に開放した。
 掌を介して、初居の《気》が激流の如く大量に放出される。

「熱っ……!」

 RINAが、ちりちりと焼けつくような熱さを感じ、小さく唸った。
 弱り切った体内へ熱を持った《気》が休みなく送り込まれ、それまで青白かった肌の色も、毛細血管の活動が活発になるにつれ、次第に赤み掛かっていく。熱による代謝により噴出した汗で、少女の身体はしっとりと濡れて艶めかしく輝き始めると同時に、《気》を充填する初居の白いワイシャツにも汗染みが広がり、額には大粒の汗が光る。

「汚れた《気》を体内から全て吐き出せ。そうすれば新しい《気》が体内に廻り、お前さんは更に強靭な内功を得られるのじゃ」

 絶え間なく注入される初居の新たな《気》によって、RINAの体内に蓄積する汚れた《気》が燃焼され、それが熱となって身体中の隅々へ燃え広がった。彼女は熱を体外へ排出させるべく、何度も何度も深呼吸を繰り返す。RINAの精神を侵していた毒素はやがて汗に、そして涙となってどんどん排出されていき、最初は乱れていた呼吸のリズムも徐々に規則正しくなっていった。
 燃えるような熱さの中で、少女の脳裏にあの忌々しい記憶がプレーバックする。浮かんでは消え、再び浮かぶ思い出したくもない《惨劇》の記憶が次々と波のように押し寄せた。

 いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!

 突然、突き抜けるような、オクターブの高い少女の叫び声が劇場内に響き渡った。
《自己防衛》で心の奥底にしまい込んでいたマイナスの感情が、自然と悲鳴と変換され一気に噴出したのだ。
 ケンジの下衆な笑顔、 皮膚を這い回るざらざらとした舌触りや唾の匂い、そして口の中とふたつの胸に残るごつごつとした指の感触――自分が《強姦》される場面が脳裏をよぎる度に、胃から上ってくる不快感によりRINAの口内は苦味で一杯になる。
 彼女は口に手を押さえ、目に涙を浮かべて吐き気を必死に我慢する。人前で《嘔吐》する、という汚らわしい行為に羞恥心を感じ、なかなか吐き出せずにいるのだ。
 躊躇する少女に対して初居が叫ぶ。

「身体の中のものを放出しろ! 全部外に吐き出して楽になるのじゃ、リナ!」
 
 RINAはこみ上げる嘔吐感を堪え、ちらりと遥たちの顔を見る。ふたりは苦しむRINAに対し、目を背けたくなる衝動を抑え、彼女を勇気づける為に「うん」と頷いた。
 そんな少女に、畳み掛けるように御大は問いかける。

「……夢も希望もなく屍のように生き続けるか、生きて身に降りかかる災いと闘うか。それはお前さん次第だ。さぁどちらの人生を選ぶ?《蹴撃天使》RINAっ!」

 吐き気に耐え、目から涙をぼろぼろとこぼしながら、ぐちゃぐちゃになっている思考を整理する。果たして自分は《何者》なのか? 突然降りかかった《惨劇》に縛り付けられて人生を棒に振るのか、それとも闘い続ける事で心身ともに成長していくのか?
 僅かの……本人には永遠に感じられる程長い間、自問自答を繰り返した結果――ついに、口から乳白色の嘔吐物が吐き出された。同時に背中から初居の掌が離れる。
 床に手を付き、痙攣する胃を鎮める為に、はぁはぁと大きく肩を上下させて深呼吸をするRINA。

「リナちゃんっ!」

 内功の充填が完了した事を見計らって、遥たちが彼女の側へ駆け寄っていった。
 RINAは絵茉と遥の顔を交互に見る。どちらも安堵の表情を浮かべているのを見て、彼女の胸は一杯になる。一方遥たちもRINAの目や肌の色に、先程までは微塵も映っていなかった《生気》が戻っているのに気付き、「彼女はもう立ち直った、大丈夫だ」と確信した。《蹴撃天使》の完全復活である。
 上半身が下着姿のままのRINAの身体に、遥は落ちていた自分のコートを掛けてあげた。

「ありがとうございます……初居大人、この御恩は決して忘れません。それに遥さん、絵茉さん。ご心配おかけしました」

 深々と《恩人》たちに頭を下げ、感謝の言葉を述べるRINA。その表情からは自信と武芸者としての《誇り》が見受けられ、御大も目尻を下げ大変満足そうに頷いた。

「……どうやらそっちの問題は解決したようね」

 突如、彼女たちの輪の中に飛び込んでくる、微妙なイントネーションの日本語――《装鋼麗女》ビアンカをはじめとする、三人の外国人女武芸者が揃ってRINAたちの前へ現れた。

「だけど――こちらの方はまだ終わっていないわ」

 臨戦態勢をとる三人。熱く闘志剥き出しの目は、まだ彼女たちの《闘い》が終わっていない事を雄弁に物語っていた。特にビアンカは「夫に手をだした」と未だに思い込んでおり、遥を目の敵にしているのだ。

「口で言っても理解し合えないのなら、直接身体で会話する……しかないか、なぁ絵茉?」
「残念だけどそうみたい、遥姉ぇ」

 ふたりも拳を握り締め、《敵》の攻撃に備えた。
 じりじりと距離を詰め睨み合う両軍、その時一陣の風が遥の前を吹き抜けた。
 《蹴撃天使》RINAだ。
 事態が掴めずに、固まったままの外国人武芸者たちの元へRINAが向かっていく。
 茶髪の東洋系女性が、咄嗟に反応して前に出た。少し遅れて黒髪の北欧美女も動き出す。
 RINAはその場で垂直に跳び、両脚を大きく広げて双方にいる、《敵》の胸元を蹴った。少女のちいさな身体からは想像もつかない《圧力》に、ふたりは成す術もなく吹き飛ばされる。
 続けて彼女は、蹴った武芸者の身体を《壁》として利用して方向転換すると、ビアンカの方に向かって旋回し後ろ蹴りを喉元へと放つ。だが巨体の割には反射神経の高い《装鋼麗女》は、素早く防御体勢を取りRINAの足刀を掌で受け、そのまま突き飛ばした。
 バランスを崩しそのまま床へ落下すると思われた《蹴撃天使》だったが、彼女もまたビアンカが防御したのをしっかりと目視しており、体勢を崩すことなく空中で後方回転して着地し、地に足が着いたと同時に“鋼鉄の淑女”のどてっ腹へ、目にも止まらぬ速さでボディーブロ-を叩き込んだ。
 さすがにこれには反応出来なかったビアンカは、苦悶の表情を浮かべ、腹を押さえて前屈みに膝をつく。
 人間業とは思えない、この一連の動作にこの場にいる全員が、目を丸くして《当事者》であるRINAに注目した。

「……ここじゃない、私たちが闘うべき場所はここじゃないわ」

 手を前に突出し、両陣を制しながらRINAが放つその言葉に、《敵》も《味方》も一斉にはっ!と我に返る。

「その通り! 闘いの舞台……それは明日の角力祭じゃ!」

 初居大人も少女に続いた。
 目だけを左右に動かし、この場にいる六人の女武芸者たちの顔や姿を、頷きながら確認する御大。

「リナちゃん、それに遥たち。ちと紹介が遅くなったが、この三人の女性が今回の角力祭の参加者たちじゃ」

 初居の言葉と同時に、彼の側へと集合する三人の外国人女武芸者たち。

「まずは黒髪が特徴的な《碧眼魔女(へきがんまじょ)》ジェシカ・ペイジ。総合格闘技の選手で、数々の大会にも出場する実力者じゃ。この町で英語塾講師をやっておる」

 自慢の黒髪をかき上げて、ちらりと一瞥をくれ澄ました表情をするジェシカ。キツメのアイシャドーの奥に隠された、善人丸出しの優しげな目を見る限り根っからの《悪い人》ではないが、相手を突き放すような態度をわざと取って、《悪役(ヒール)》を決めこんでいる所が実に健気で可愛らしい。

「次に茶髪の彼女。《旋風夜叉(せんぷうやしゃ)》諸 松姬(チェ・ソンヒ)。普段は食品加工会社で勤務しているごく普通のお嬢さんだが、彼女もまた跆拳道の有段者だ」

 初居に紹介され、深々とお辞儀をするソンヒ。K-POPアイドルを思わせるような、童顔かつ丸顔の女性ではあるが、彼女の視線は先ほどまで激しくやり合っていた、《泰拳姑娘》絵茉から一度も外れる事は無かった。

「最後はビアンカ・レヴィン。これは遥が良く知っているな? 名前も経歴、そして実力も」

 一瞬ちらりと目が合ったが、すぐに顔を強張らせて無視をするビアンカの「わかりやすい」態度に、遥は思わず苦笑いした。

「はい、しっかりと……しかしこの感じですと、私も祭に“参加”するかのような《流れ》なのですが大人?」
「そうかも知れんな。じゃがワシは、参加者であるジェシカとソンヒをここに連れて来たまでじゃ。お前さんたちの《個人的》な因縁は全く関係ない。これは《闘いの神様》のお導きかも知れんぞ」

 初居の言葉に、遥は少し寂しいような、それでいて嬉しいような複雑な表情を見せた。

「彼女の《勘違い》はさておいて、やっぱり“お前には普通の女性としての生活は無理”といってるんでしょうね、神様は……いいでしょう、角力祭に出場させていただきますよ。それで大人、取組などは決まっているのですか?」

 遥の言葉にビアンカが反応し、呪詛のように「ダーリンを盗った」と繰り返し呟きながら、彼女を強く睨んだ。

「取組か? それならもう、既に各々が勝手に意識し合っておるじゃろ。このまま互いの《因縁》を明日の試合でぶつければいい。つまり――

 秋元絵茉 対 諸 松姫
 武田リナ 対 ジェシカ・ペイジ
 今井 遥 対 ビアンカ・レヴィン

という、《日本》対《多国籍軍》の全面対抗戦じゃ! 江湖に名高い《蹴撃天使》RINAの特別参加と元祖《蹴撃天使》である遥の復帰戦という《目玉》がふたつも揃えば、明日の祭も盛り上がる事間違いなしじゃて!」

 わっはっはと気持ちよく初居が笑う。
 祭の《主催者》からすれば、これ以上はない好条件が《偶然》重なった事もあり、笑いが止まらない気分であろう。もっともRINAを除いた参加者たちも、同じ地域にこれほどの《使い手》がいた事が嬉しくてたまらなかった。日頃町の不良や暴漢相手ぐらいにしか使えなかった、鍛え上げた武芸の技を大勢の見物人が来る大舞台で、しかも同じ女性同士で手加減なしに競える日が来ようとは、昨日までは思ってもみなかったのだから。
 《飛び入り参加》のRINAにしても、人知れず行われる武芸者同士による《果し合い》は、何度か経験しているものの、観衆の前でのオープンな闘いは、高校一年生の夏に一般参加した武道の全国大会以来であった。

「あなたが《蹴撃天使》RINAね? 噂に聞いていたよりずっと小さくてキュートで――とても手強い。明日の祭が本当に楽しみだわ」
「《碧眼魔女》ジェシカさん、私もあなたの《総合》での活躍を度々専門誌でお見受けしています。遥さんじゃないけど“世間は思っているより狭い”ですね。お互い、純粋に《凄い闘い》を皆に見せましょう!」

 他の二組とは違い、双方には《因縁》めいた感情(エモーション)がなく“余ったもの同士”で組まれた取組、という印象は否めないが、それだけに持ち得る能力を繰り出して、他の武芸者たちの闘いを「喰ってやろう」と意気込む両者。

「泰拳だか何だか知らないけど、蹴り技にかけてはわたしのほうがずっと上だからね。だから明日、覚悟しておきなさい! みんなの前で恥かかせてやるから」
「はぁ? どの口が言うのよ。最後まで舞台に立っているのはこのあたしなんだから。絶対思い知らせてやる!」

 一方の絵茉とソンヒは、最初の遭遇(ファーストコンタクト)で闘志に火が点いたのか、もの凄く互いの武芸を意識しており、どちらの打撃技が優れているのか?と早くも睨み合い、火花をバチバチと散らしていた。

「私のダーリンの心を一瞬でも奪ったものは……この手で粉砕するっ!」
「……一番面倒くさい相手と当たっちまったかな、わたし?」

 勝手に《勘違い》し、ひとりで怒りに燃えているビアンカに対し、「もう勘弁して」とばかりに疲れた表情で頭を抱える遥。
 おんな同士の闘志が交錯する中、初居大人の高笑いは止む気配もなかった。

 ◇ ◇ ◇

 温泉旅館《白鶴館》の大浴場の中に、RINAの悲鳴が響き渡った。

「きゃぁぁぁ! くすぐったいですってば、絵茉さん!」
「ダメだって、隅々まで《汚れ》を洗い流さないと! ほら、前向いて」

 恥ずかしがって嫌がるRINAをよそに、絵茉はボディソープでたっぷり泡立てたタオルを、彼女の控えめな胸元へ 押し当てると、力一杯ごしごしと擦りつけた。

「あんな男の《痕跡》なんか、ひとつ残らずキレイさっぱり消し去って心機一転、新たな気持ちで闘いに臨んでもらわなくちゃね」
「お気持ちはすごくありがたいですが、でも……恥ずかしいよぉ」

 気恥ずかしさに既に涙目のRINA。そんなふたりの様子を、大きな浴槽で身体を浮かせてお湯に浸かっている遥がにやにやしながら眺めていた。
 あの《騒動》の後、遥と絵茉はRINAと一晩過ごす事になった。心の痛手から立ち直ったばかりの彼女が心配だったのはもちろんだが、それ以上に彼女の事を心配していた初居大人が「お前たち、リナちゃんと一晩一緒にいろ」と宿泊費プラスアルファをぽんと払ってくれたのだ。

「あ、そういえば遥姉ぇと御大との関係、聞き忘れていた。やっぱり《男と女》の関係?」

 絵茉が冗談めかして言ったその瞬間、彼女の頭に遥が投げたプラスチック製の風呂桶が、見事にヒットする。

「殴るよ? あのお方はね、わたしの現役時代に《後援会長》をして下さっていて、いろいろとお世話になった……ただそれだけの話」
「つっ……普通に殴られるより痛いって」

 顔を真っ赤にしてぷんぷん怒る遥と、頭を押さえて痛がる絵茉。彼女らのやり過ぎな《ドツキ漫才》を目の当たりにして、RINAは口をあんぐりと開け、引きつった笑いを浮かべるしかなかった。
 胸からお尻まで隅々に至るまで丹念に磨き上げられ、すっかり綺麗になったRINAは絵茉と共に大浴槽へ冷えた身体を潜り込ませた。お湯の熱がスポンジのように全身に沁み渡り、その気持ち良さから思わず「ふぁぁぁ」と同時に声が出るふたり。
 RINAは絵茉たちの恵体に目を移した。見事な曲線を描くボディラインに、自分の倍はある形状の良いふたつの胸――バレないように視線を何度も往復させて、明らかに劣る自分のボディパーツと比較しひとり落ち込む十七歳であった。
 天然の温泉成分を、白い肌に撫でつけながら遥が言った。

「……リナちゃん、明日あたしの家で《衣装選び》するからね」
「衣装って……普段着では駄目なんですか?」

 RINAが不安そうに遥に尋ねる。

「やっぱこういう“ハレの日”にはそれなりの格好で臨む、っていうのが道理だと思わない? 道の喧嘩じゃないんだし。それに《目立ったモン勝ち》じゃん、お祭って」

 遥の熱い《力説》に、絵茉も話を被せてきた。

「そうそう。あたしは自分の道着を着ていくから、リナちゃんは遥姉ぇの《着せ替え人形》になって、目一杯遊ばれてちょうだいね~」

 どうやらこの中で、一番の年少者であるRINAは《姉》ふたりの格好の《おもちゃ》となっているようで、その事を十分自覚している彼女は苦笑いで返答するしかなかった。

「……お手柔らかにお願いします」

 大浴場におんな三人の、大きな笑い声がいつまでも響き渡った。角力祭は明日の正午から開始される――本番まで待ったなし、だ。


蹴撃天使RINA 〜おんなだらけの格闘祭 血斗!温泉の宿?!〜 【第五回】

2017年04月28日 | Novel

「……選手交代ね。絵茉、リナちゃんをしっかり守っていて」
「う、うん……」

 絵茉は痛む身体に鞭を打ち、よろよろとRINAの側へ向かう。ビアンカは絵茉を追おうとするが、しっかりと経路を阻んでその先へ向かわせない遥。

「おー《かつての英雄》ハルカ・ユーキのお出ましか。これはとんだビッグ・サプライズね」
「思い出したわ、《装鋼麗女》ビアンカ・レヴィン……数年前まで欧州では向かう所敵無し、と謳われていた最強女子プロレスラー。突如消息を絶ったかと思えばこんな田舎町でお目に掛かれるとは……世間は思っているほど狭いわね」
「全くだわ。さぁ……掛かってきなさい、言っておくが私の方が《今の》あなたより何倍も強いっ!」

 腰を低く下げ、両手を大きく広げて遥を威嚇するようなポーズをするビアンカ。

「当然でしょ、こんな《おばさん》相手に勝てなくちゃ《装鋼麗女》の名が廃る、ってなもんよね」

 一方の遥は“弱い”と認めながらも“まだ自分の方が強い”と逆説的にアピールし、相手にプレッシャーを与え精神的に揺さぶりをかけた。
 ビアンカが叫び声と共に、丸太のような腕を遥へ目掛けて大振りさせた。空気を切り裂く音が耳に届く。
 遥は猛る剛腕を間一髪の所でかい潜ると、体勢を低くしまま突進し、がら空きの胴体へタックルをした。《装鋼麗女》の身体が僅かに浮き上がり、ずるずると数センチ後退する。
 “倒されてなるものか”とビアンカは彼女の上半身へがぶり、体勢を押し潰そうとぐっと体重を掛ける。背骨が軋み、床に上半身が付きそうなぎりぎりの状態を必死で遥は堪えた。

「舐めんじゃねぇ!」

 遥がありったけの背筋力を駆使し、背中にビアンカを乗せたまま立ち上がると、相手の腕をロックし身体を後方へ反らす。リバース・スープレックスにより低い弧を描いて投げられた彼女は、低い衝撃音を轟かせて固いコンクリートの床へと激突した。
 ビアンカの美しいブロンドヘアーが、長い間掃除もされていない床に、積もる埃にまみれて灰色に染まる。
 頭を左右に振り乱し、髪に付着した埃をまき散らしながら立ち上がろうとするが、突如目の前に、白い運動靴が猛スピードで接近してきた。それは一足先に体勢を整えた遥が放つ、顔面への蹴り足だった。
 確かに“手応え”は感じた。だが被弾する寸前に両腕で顔をガードしたビアンカは、肉体への被害を最小限に抑える事ができた。それでも遥のキックの圧力は凄ましく、電流の如く痺れが腕へ走り、蹴りを受け勢いのついた身体が再び後方へひっくり返る。
 ビアンカと遥はポジションを入れ替えながら掴み合い、肉のぶつかる重低音と共にごろごろと、遠くへ転がっていた。
 遥から借りたコートを被り小刻みに震えるRINAを抱き、心配そうに遥たちの様子を見守る絵茉。

「大丈夫……帰れるから、みんなで一緒に帰れるから」

 絵茉は独り言のように何度も、何度も傷心の少女に呟いて励ました。その言葉に反応したのか、力無く、それでも精一杯に笑顔を見せ、彼女に応えてみせるRINA。
 突如RINAの目が、天井の一点を見据えたまま止まった。
 異変に気付いた絵茉。その時、天井に組まれた鉄骨の梁からふたつの《影》が奇声と共に飛び降りてきた。

「いぁぁぁぁぁぁぁ!」

 絵茉たちの前に、舞い上がる埃の中から二名の女性の姿が現れる。ひとりは黒く髪を染めゴスロリ調メイクを施した、透き通るような白い肌を持つ北欧系美人、もうひとりは前髪の一部に金色のメッシュを入れた、童顔の東洋系女性であった。
 先程のビアンカと比較すればどちらも《普通》の体格をしているが、それでも彼女たちから伝わってくる《闘気》は武芸者以外の何者でもない。絵茉はRINAを自分の背後に隠し、腕を前に伸ばし戦闘態勢をとった。
 東洋系女性が甲高い掛け声でジャンプし胴を高速旋回させ、打点の高い蹴りを出した。絵茉は爪先が触れるか触れないかの微妙な距離でこれを回避するが、僅かに遅れて北欧美女が、後ろへ重心が掛かった足を掃腿で綺麗に刈り取った。この時間差攻撃に完全に不意を突かれ、褐色の女武芸者は後方へ転倒した。
 手応えを感じたふたりは互いに顔を見合わせると、次に同時に鋭い上段回し蹴りを放つ。半円の軌道の先には上体を起こしたばかりの絵茉の顔があり、もし被弾すれば一溜りもない。彼女は咄嗟に両肘を剣先のように突き出し顔を防御した。

 ぴしっ!

 女武芸者たちの脛に固い肘が突き刺さる。ひび割れるような乾いた痛みが、骨から脳へと走った。

「この野郎っ!」 

 脛を押さえうずくまる敵に対し、絵茉は脚を大きく広げて至近距離からドロップキックを撃ち、ふたりをまとめて床へ吹き飛ばした。更に攻撃を加えようと敵を追いかけていく絵茉。
 そこには、ぽつりと戦闘不能のRINAだけが取り残されていた。
 《闘えない》自分の為に、必死で闘ってくれているふたりの友人たちを、何気なく遠目でみていると、よろよろと歩く鉢巻き男の姿が少女の視界へ入ってきた。
 ケンジもRINAの姿に気付き、お互いの視線がかち合った。
 まだ精神的ショックから立ち直っていないRINAは、彼と目が合った瞬間、硬直してしまいその場へ座り込んでしまう。

「へへへ……丁度いいや。《仕切り直し》と行こうじゃねぇか?」

 汗で整髪料は溶け落ちて、トサカ立っていた髪の毛も垂れ下がり、だらしない長髪となっていたケンジが、自分へ危害を加える気配のない武道少女の元へ、一歩一歩じりじりと距離を縮めていく。
 闘わなくちゃ――頭の中では十分すぎる程判っている。だが未遂に終わったとはいえ、彼に強姦されかかった忌々しい体験により、RINA自身の《おんな》としての本能が《武芸者》というアイデンティティーを拒絶してしまっていた。
 とうとう壁際へ追い詰められ、身体を小さく縮ませて目をつむるRINA。幼子のような彼女のポーズにケンジは打ち震えるような感動を覚え、卑しい笑顔を浮かべながらゆっくりと手を伸ばす。
 その時―― 

「やめんか!」

 その場にいる人間全員が、肚に振動を感じるほどの怒声が劇場内に響き渡る。その声を合図にビアンカをはじめ、外国人女性武芸者たちが一斉に攻撃の手を止める。
 突然の《終了宣言》に、一瞬戸惑う絵茉と遥。
 舞台の袖口から、革靴と固いステッキの音を舞台の床に響かせ、何者かが皆の前に姿を現した。
 白く短い髪に細い目、そして彼の《人生》そのものが刻み込まれたかのような皺が縦横に走る顔。誰がどう見たって《ただものではない》事が一目瞭然である――RINAと絵茉とは入れ違いで、黒い高級車に乗って神社の中へと消えたあの老人《その人》であった。
 老人が、獲物を射るような鋭い眼光で周りを見渡すと、RINAたち三人以外は皆静まり返り頭を垂れる。勧善懲悪ものの時代劇のような、あまりにも壮観な光景に、絵茉は目を白黒させた。

「凄い……いったい誰だろう、あの人は?」

 彼女がぽつりと呟くと、遥が慌てて駆け寄ってきて絵茉の口を押えた。

「ばかっ、口のきき方に気を付けな! あの方はね……」

 普段からは想像できない狼狽ぶり。どうやら遥だけは彼の《正体》を知っているらしい。
 ゆっくりと、足元に注意しながら舞台から降り、呻き転がっているケンジの配下などを完全に無視して、謎の男はRINAたち三人の元へやってきた。
 遥は絵茉の頭を無理矢理押さえつけ、この恰幅の良い老人に対し深々と頭を下げる。

「……ご無沙汰しております、初居(そめい)大人」

 《初居》と呼ばれた老人は、先ほどまでの恐ろしいほどの威圧感は何処へやらで、遥に挨拶をされた途端に細い目を、更に細くして柔和な笑顔を見せた。

「おぉ、遥か。そう固くなるな、ワシをただの《じじい》だと思ってリラックスすればよい」

 そういうと初居老人は、壁に寄りかかり小さくなっているRINAに近付いた。すっかり《男性》に対して恐怖感を植えつけられた少女は、彼が少し手をかざしただけでびくっ!と反応する。笑顔は崩さないものの、初居老人に少々困惑の色がみえる。

「は、遥姉ぇ? この《初居》さんって……知ってる人なの?」
「知ってるも何もこの御方はね――」

 遥が話し出したその時、それまで黙ってこの光景を見ていたケンジが大きな声で怒鳴った。

「邪魔するなよ、伯父貴!」

 ケンジの声に反応し、眉をぴくりと動かす初居老人。そして腰を持ち上げ彼の元へと歩いていった。
 対峙する伯父と甥っ子。百戦錬磨の雰囲気を漂わせる巨躯の老人に対し、ただ粋がっているだけの若造。どちらに分があるか一目瞭然であろう。

「“邪魔するな”とはどういう事だ、ケン坊」
「あいつの……あいつのせいで俺が、三年越しの念願だった祭に出れなくなった一番の《元凶》なんだよ。だからこうして復讐しようと――」
「なるほど。《蹴撃天使》を自分の《武》では敵わなんので、人員と精神的負担を与えて憂さを晴らそうと……こういうわけじゃな? 馬鹿めが。だからいつまで経っても祭には参加できんのだ!」
「なっ……?! お、俺はもう子供じゃねェ、それに誰よりも強いっ!」

 子供のような甥の《言い訳》に、しばらく耳を傾けていた初居老人は情けないような、それでいて悲しそうな表情をケンジに向けると、素早く重い拳を彼のどてっ腹にぶち込んだ。
 老齢の男性が放ったとは信じ難い、目にも止まらぬ速さのボディブローに反応すらできなかったケンジは、口から嘔吐物をまき散らしながら、四~五メートル後方へと人形のように吹き飛んでいき、破損され積まれた連結椅子の上へがしゃん!という音を立てて落下する。
 憐れケンジは白目を向いて気絶した。

「ふん、物事の分別が未だに付かないクソガキめが」

 『骨皮震打(こっぴしんだ)』――遥は老人の放った《武功》の名を口にする。

 《大人(たぁれん)》こと初居幸太郎(こうたろう)は、かつてこの地域はもちろん、東日本一帯にまでにその名を轟かせていた江湖の英雄であった。
 この地に古くより伝わる東方起源の格闘術を習得し、岩をも砕かんとする、その重く剛強な拳技から彼は武林では《金剛鐡臂(こんごうてっぴ)》と称され、多くの好漢英雄たちに尊敬されまた恐れられた。闘いの第一線から退いた後、彼は生まれ育ったこの里で会社を興し多くの温泉掘削工事に携わり、全国に名の知れる大温泉街として発展させた《郷土の名士》である。
 現在は主に、御鍬神社で行われる《角力祭》の保存と発展に力を入れており、運営や参加者の人選に口も金も出すプロデューサー的な立場として厳しい目を光らせ、いち地方の土着的神事から観光産業の目玉のひとつとすべく奮戦しており、いま最も彼が全情熱を注いでいる《ライフワーク》なのであった。
 初居大人が再びRINAたちの元へ戻ってきた。

「お見苦しい所をお見せしてしまったな……さて、リナちゃんの件じゃ。このままの状態では明日の祭はおろか、後々の日常生活にも悪影響を及ぼしかねん。未来あるひとりの女性としてこれは大問題だ。だから……少々荒療治になるが僅かの時間だけ、ワシに任せてくれんかのぅ?」

 RINAに手荒な真似をするのでは?と心配する絵茉を無視して、遥は初居を全面的に信用し、心の壊れたRINAの《治療》をお願いした。
 
「いいの? 遥姉ぇ」
「短時間でリナちゃんの内功を復活させるには、より大きな気力を持つ人物による『外気功』しかない。そしてこの場でそれが出来るのが《大人》しかいない……任せる他は無いわ」

 ふたりは事の成り行きを息を飲んで見守った。