日々雑感

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江田法相の発言

2011年02月01日 | Weblog
江田法相の発言: 11/01/30


自分が、手を染めなくてもよい場合は、第三者の立場から評価額出せる。
自分が責任者になった場合、たとえそれが法律の判断であっても、ある程度自分の思いや感情が紛れこむのは人間である以上、避けられない。
だからと言って法律の趣旨。死刑を執行する。ということを個人の裁量、法務大臣の裁量で、曲げることは許されない。

江田法務大臣は、死刑の執行には、慎重であるべきだという。
個人としての思いはそうであろう。しかし、大臣の職務という点からは、問題がある。
死刑囚は、たいていの場合、恣意的に他人の命を二人以上奪っている。
殺された本人の恨み、無念さ、残念さ。遺族の怒りや悲しみ、警察、検察、それに裁判官(一審から最高裁)まで、幾人の人が、死刑囚のために、暗い悲しみのどん底に突き落とされることか。

そして、その挙げ句の死刑判決だ。被害者やその他の関係者の思いが、落ち着く先が、死刑ということになった。この間の関係者の思いというものは、大変なものである。
その重みを法務大臣個人の価値観や、主義主張にてらして、死刑執行書にサインしない。法務大臣は、その職務を果たさなくて済む立場の人間か。

死刑廃止論者は、現段階で、死刑制度がある、我が国の法務大臣に就任することを個人的に辞退すべきである。法務大臣に就任することを受託してはならない。

江田法務大臣の発言について、彼は、最初「死刑は欠陥である。」という発言を撤回し、
「どんな命も、命である限り、大切にということが世の中になければ、暖かい人間社会はできない。取り返しのつかないという意味で、死刑にどう向き合うか、本当に悩ましいことだ」と、発言を変えた。
彼がそう思うことは別にして国家が死刑制度をきめて、それを国民が支持している以上,こんな甘い個人的生命観は許されるはずがない。

僕に言わせると、何も悩むことはない。粛々と大臣の職務を果たすだけでよいのだ。たとえそれが死刑執行命令書にサインすることだとしても。

それが嫌だったら、というより、自分の意志を通そうというのであれば、法務大臣就任を断るべきである。今の段階では、法務大臣という位につきたいわ、だけど、死刑命令書に、サインするのは嫌だ。というのが、本当の腹ではないか。

そんな人間が法務大臣につくこと自体が、ナンセンスである。大臣が、職務の執行に、疑問を抱いたとしても、それは大多数の国民が納得していることであるから、国民の意思に従って決めた法律に従うべきだ。
つまり、死刑執行命令書にサインしないということは、理屈が如何なるものであろうとも、職務怠慢である。