日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

俗世

2011年02月02日 | Weblog
俗世

俗世は、金の多寡で大方かたがつく。
だが、僧の世界は金の多寡だけでは片づかない。
と言うのは僧の世界には、信念 信仰というものがあるからだ。
これは僧にとってみれば、絶対的なものであるから一旦もめるとなかなか難しい。
そう簡単には、片づかない。

話は変わる。

ゆっくり のたり のたり旅をしたい。私には今の列車はスピードが早すぎる。
このスピードは何基づくものだろうか。経済原則なのか。人間の本能か。
車窓から眺めていると、あれもこれも飛んで行く。場面転換が早すぎてついていけない。
作曲するにしても、作詞それにしても、自分のペースというものがあって、それと列車のスピードとの狭間にあって、おたおたしている自分を発見した。

団地の2階に、蛇がきた

2011年02月02日 | Weblog
団地の2階に、蛇がきた: 11/02/01

私が住んでいる団地の2階のベランダに、蛇が入った。どうして垂直のコンクリート壁を這い上がってきたのだろう。
この団地にかれこれ40年近く住んでいるが、こんなことは初めてである。
もともとこの団地ができるまでは、ここはのんびりした水田地帯だった。つまり、蛇やカエルの王国だったわけである。

しかし、この水田は、大阪市内から、10キロ程度離れているだけで、道路整備や地下鉄が開通すれば、至便の好立地であった。
団地が造成整地される前には、水田が広がり、蛇やカエルの住処であった。それが埋め立てられ、造成されて蛇もカエルも住めなくなって、今では何十年に1度しか蛇の姿を見ることはできない。

ところが、今年の夏に、この団地の2階に住むベランダに、30センチほどの灰褐色の蛇がいた。
想像できない出来事で、蛇との遭遇に、家内は悲鳴をあげて、部屋に飛び込んできた。
「お父さん蛇」 と叫ぶが、最初、何のことか分からなかった。
「ベランダにへびがいる。」という声に、信じられなくて、「ええっ?」と、飛びだして、ベランダに出てみた。

このベランダの高さは地面から、3メーターは悠にある。どうしてこの蛇は3メーターもの垂直の壁を登ってきたのであろうか。それが不思議だった。

蛇のみならず爬虫類は、身震いするほど嫌いな動物だ。もちろん、このベランダに置いておくわけにはいかない。竹の棒を持ってきて、それで地面に、おろそうとする。が、にょろにょろしていて、なかなか棒で捕まらない。
1発叩いて、弱ったところを棒に巻き付けて、地面へ投げ捨てる。という方法は、ある。

しかし、よく考えてみると、私が今住んでいるところは、蛇の王国であったはずだ。それが人間様の都合によって、団地になって、その2階に私が、住んでいる。

蛇に言わせれば、
「人間という力に任せて、もとから住んでいる、自分たちを追い出して、大きな顔をして住んでいる。ちょっとくらいベランダに上ったからといって、棒で、こつきまわされる覚えは全然ない。だから、鎌首を持ち上げて、棒に噛みつくわけだ。これは自衛の手段である。」

なんか、蛇の口からそんな言い訳が聞こえてきたように感じた。
言われれば、これはもっとなことであり、納得のいく話で、棒でたたきのめすということは、してはいけないと思った。
そこで、この蛇をつかんで、地面に向けて、放り投げた。というより落とした。
蛇は、目が回ったらしく。じっとしていたが、しばらくすると、ほうて草むらのほうへ消えて行った。
こんな団地の草むらにいたところで、餌になる小動物はほとんどいない。いったい何を食べて生きているのだろう。蛇といえば、カエルを連想する。しかし、カエルは、全くいない。とすれば、昆虫がばったの類いだろう、。

3メーターほどの高さから掘り投げられたとしても、それでへたるような動物ではない。おそらく元気にどこかに潜んでいるんだろうが、それ以後、姿を見かけたことは無い。
それにしても、蛇が、2階のベランダにいたということは、どうしてできたのだろう。ベランダの壁は垂直である。3メーターの高さの垂直の壁を、どのようにして、落ちることなく、2階まで登ってきたのであろうか。たとえいかにして2階まで登ってきたとしても、コンクリートだから、餌になる小動物は、いるはずもない。

とすると、この蛇は、何の意味で、2階のベランダまで上がってきたのだろう。何か深い意味が、ありそうな気がした。蛇は巳さんといわれる。巳さんは、神様の遣い手である。神様といえば、弁財天のことだ。ひょっとしたら、我が家に祀ってある弁財天に会うために、ここまでやってきたのかもしれない。そう考えると、神の使いである蛇を、地面へ叩きつけるように放り投げた自分の行為が気になりだした。
言い訳になるが、こんなところまで蛇がやってくることの驚きと、爬虫類に関する嫌悪感や恐怖感が、放り投げるという行動に出てしまった。あの時はそれ以外に、考えることもなければ、仕方がなかったのだ。

もし、神の使いであるならば、手荒なことをして申し訳ない。と謝っておこう。