日々雑感

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知らぬが仏と言うが1

2011年02月04日 | Weblog
知らぬが仏と言うが1

 人間と猿とが共用して、同じボトルの水を飲むなんて。
想像だにしないことが、時としてこの世では起こるのだ。
そのとき僕は南インドにある、サイババのアシュラムで寝起きしていた。
バンガロールから南へ25キロ行ったところにホワイトフイールドがある。バスの終点から歩いて15分くらいのところに、サイババのアシュラムがあった。
誰が注意するわけでもないが、アシュラムでは人は、動物との共生を心掛けている。これもすべての生き物の命を大切にする、サイババの教えのひとつなのだろう。
 広いアシュラムの中に、猿が群をなして住んでいた。
日本では同じ建物の中で、野生の猿と人間が共生するなんて事は考えられない。
東京は麻布に猿が出たといっては住民が大騒ぎするし、テレビカメラが猿を写そうと走りまわる。同じ所に仲良く住むなんて事は考えられない。所がこのアシュラムでは周囲に張り巡らされた高い塀の上を猿が集団をなして、我が物顔に歩き回っている。時には近くの高い木に登り、またあるときには、木から木へ飛び移って宿舎の建物に侵入してくる。
この会場の中には、犬も何匹かいるが、猿と喧嘩をしているのを見たことが無い。猿が堂々と犬の前を横切っても吠えもしなければ、追いかけもしない。平和に共存しているのかどうかは知らないが、表面上は、何のいさかいも無い。
ところが部屋に侵入してくるサルは人間にとっては厄介者である。
昼寝をしていると入り口から入り、食べ物や水や興味のありそうなものを盗んで、出口から出て行く。
人間にとっては厄介な動物で、必ずしも猿を歓迎しているわけではない。
特に僕の場合、猿に限らず動物は苦手なので、これらのサル軍団は、目ざわり以外の何物でも無い。追い出そうと声を出すと、牙をむいて威嚇してくる。可愛げの無いことおびただしい。 
僕の場合、サイババのいう共生の思想は、表面上はともかくも、腹の底ではとても現実として納得して受け入れるわけには行かない。だから猿がいたずらをした段階で、さるを追い払おうとするし、猿はこれに反発して、牙をむいて怒る。
サルと人間の共生とはいっても、所詮サルはサルで、人間の邪魔をする。食べ物を手に入れるために、人間の住処に堂々と入ってくる。そのままにしておくと、それが常態になって、人間のほうが遠慮させられてしまう。それだけではない。時として噛み付いては傷を負わせる。それでも、このアシュラムの中では、人は穏やかに動物達に接している。
誰一人として物を投げつけたり、わるさをする猿を捕まえて、ひどい目に合わせるということをしない。ひょっとしたら猿達は、そこにつけこんで、わるさをするのかも知れないのだが。 続く