知らぬが仏というものの3
このアシュラムでは、よほどの害を与えない限り、猿は人と共生している。誰も積極的に猿に危害を加えようとする人はいない。それはひとえにサイババの教えである。
汚いゴミ箱あさりをした猿の飲んだ水を僕が飲んだ。病気になりはしないかと随分気を揉んだが胃も腸もどうもなかった。もちろん下痢もしなかった。
猿と水を分ち合って飲むなんて、想像を超えたことだし、良い経験をしたなどと笑って済まされない。病気にならなかったのが、せめてもの救いである。ひょとすると僕は共生が無理な、幅の狭い人間に生まれついているのかもしれない。
理由は何であろうとも、あの汚いゴミ箱をあさっていたサルと、1本のボトルの水を仲良く飲んだとは。むしずが走るような気分で、今思い出しても胃腸の辺が変になる。
知らぬが仏と言うが、果たしてサイババはこういうことを知っているのだろうか。
いやいや、まいった、まいった。
このアシュラムでは、よほどの害を与えない限り、猿は人と共生している。誰も積極的に猿に危害を加えようとする人はいない。それはひとえにサイババの教えである。
汚いゴミ箱あさりをした猿の飲んだ水を僕が飲んだ。病気になりはしないかと随分気を揉んだが胃も腸もどうもなかった。もちろん下痢もしなかった。
猿と水を分ち合って飲むなんて、想像を超えたことだし、良い経験をしたなどと笑って済まされない。病気にならなかったのが、せめてもの救いである。ひょとすると僕は共生が無理な、幅の狭い人間に生まれついているのかもしれない。
理由は何であろうとも、あの汚いゴミ箱をあさっていたサルと、1本のボトルの水を仲良く飲んだとは。むしずが走るような気分で、今思い出しても胃腸の辺が変になる。
知らぬが仏と言うが、果たしてサイババはこういうことを知っているのだろうか。
いやいや、まいった、まいった。