身繕い
知人に満103歳の女性の先生がおられる。
今までずっと独りで暮らしてこられたが、近頃どうやってすごしておられるのか、お訪ねもしないので、子細は分からないが、たぶん介護の力を少し借りてやっておられるのだろう。手足はまだまだしっかりしたもので、頭が時々こんがらがるくらいである。
あの姿を見ていると100歳以上までこの地上においてほしいとは思わない。ただし独力で身繕いが出来るくらいは、生かしておいてほしい。これが僕の希望である。
だが、これは自分の単なる願望で努力によってと言うわけにはいかない。こういう次元のことは神の御手にゆだねられている。自分が生きるのも、死ぬのも、おおかたは自分の手の届かない分野のことである。ましてや医者の手を借りても、人間としての尊厳を失わないで生きるには限度がある。
自分が生きているのは、出生から死まで、実は生かされて生きているのである。
神によって命が与えられ、生かされると思うと、命を粗末にすることなどは、とんでもないことで、一生懸命に生きて、命の灯火が消えるまで、がんばることが大切だ。
そう思うと知人の先生に学ぶことも大切だ。先生は御年103歳まで介護にほんの少し頼るだけで、身繕いの大部分は独力で、されているからである。
自分のことは自分でやる。出来る。それが人が生きていく上で最低限度のことである。
出来なくなれば、おさらばするのが、理想だ。
現実を見てみると、多くの人が介護施設や、手をかりて生きているのを見るとき、ホントにそう思う。
知人に満103歳の女性の先生がおられる。
今までずっと独りで暮らしてこられたが、近頃どうやってすごしておられるのか、お訪ねもしないので、子細は分からないが、たぶん介護の力を少し借りてやっておられるのだろう。手足はまだまだしっかりしたもので、頭が時々こんがらがるくらいである。
あの姿を見ていると100歳以上までこの地上においてほしいとは思わない。ただし独力で身繕いが出来るくらいは、生かしておいてほしい。これが僕の希望である。
だが、これは自分の単なる願望で努力によってと言うわけにはいかない。こういう次元のことは神の御手にゆだねられている。自分が生きるのも、死ぬのも、おおかたは自分の手の届かない分野のことである。ましてや医者の手を借りても、人間としての尊厳を失わないで生きるには限度がある。
自分が生きているのは、出生から死まで、実は生かされて生きているのである。
神によって命が与えられ、生かされると思うと、命を粗末にすることなどは、とんでもないことで、一生懸命に生きて、命の灯火が消えるまで、がんばることが大切だ。
そう思うと知人の先生に学ぶことも大切だ。先生は御年103歳まで介護にほんの少し頼るだけで、身繕いの大部分は独力で、されているからである。
自分のことは自分でやる。出来る。それが人が生きていく上で最低限度のことである。
出来なくなれば、おさらばするのが、理想だ。
現実を見てみると、多くの人が介護施設や、手をかりて生きているのを見るとき、ホントにそう思う。