若山牧水記念館にて
日向の山やまで、尾鈴はつとに有名である。高いというよりは優しい感じがするが、山は西を最高峰として東に向かってなだらかな稜線をなしている。その尾鈴の北側のふもとに若山牧水の生家がある。今は牧水記念館になっている。彼の旅好きは知っていたが、韓国まで旅したことは知らなかった。
あたかも尾鈴山の持つ優しさを、地でいくかのごとく、若山牧水は抒情性あふれる作品をたくさん残して43歳で世を去った。
旅好きという性質だったのか、それとも人生は旅という哲学に殉ずるため、はたまた旅は彼の仕事場だったのか、すなわち全国津々浦々を巡りながら、自然のなかに自分の魂を入れてわき起こる感興を得たという形をとって、その中に己を閉じ込めるのを唯一の生き甲斐として生涯を送ったのか。
彼の生家の前を流れる坪谷川のせせらぎは年がら年中変わることのない清流の美しさを奏で続けたことだろう。そしてそのせせらぎは今もなお私に語りかける。
「幾山河越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく」
旅は独りがいい。酒の上のことに限らず、なにかにつけて独りがいい。深い山などにさしかかったときの案内人すら、いらない気持ちで私は孤独の旅を好む。
寂しく、苦しく、つくづく厭わしく思うときがある。何の因果でこんなところまで、てくてく出かけてきたのだろう、と我ながら恨めしく思うときがある
私の最も旅を思う時期はモミジがそろそろ散り出すころである。
枯野の中を行きながら、遠く望む高嶺の雪、これはもう拝みたい気持ちである。
わらじを履きマントを被った彼の旅姿の等身大の写真、パネルが飾られている。一方彼が旅したところは、日本地図のみならず朝鮮半島にも足跡を残している。それを見ると日本列島は表も裏も歩き尽くしている。全国津々浦々を巡り歩き、言葉の不便もあっただろうが、朝鮮にも足を延ばしている。車や飛行機のない時代。わらじがけの足を頼りに強烈な意志と旅への憧れがないと、これほど壮大な旅はできるものではない。
雨の日も雪の日も晴れた日も、体調の良い時の悪いときも、気分が晴ればれとしたときも沈んだときも、孤独と酒を友として黙々と旅をして、黙々と作品づくりに励んだ彼の姿が目に浮かぶ。旅がいいというのは一般論で、生涯歩き続けるというのは並大抵のことではない。強烈な意思と個性の持ち主だったことがうかがえる。
人生はよく旅にたとえられる。もし時の流れを足の歩みと考えるならば、確かに野を越え、山を越え谷をわたり、辺りをきょろきょろ見まわしながら歩く旅に似て、時間の流れとともに移り変わる我が心を眺めれば人生は時を歩む旅人に相違ない。
日向の山やまで、尾鈴はつとに有名である。高いというよりは優しい感じがするが、山は西を最高峰として東に向かってなだらかな稜線をなしている。その尾鈴の北側のふもとに若山牧水の生家がある。今は牧水記念館になっている。彼の旅好きは知っていたが、韓国まで旅したことは知らなかった。
あたかも尾鈴山の持つ優しさを、地でいくかのごとく、若山牧水は抒情性あふれる作品をたくさん残して43歳で世を去った。
旅好きという性質だったのか、それとも人生は旅という哲学に殉ずるため、はたまた旅は彼の仕事場だったのか、すなわち全国津々浦々を巡りながら、自然のなかに自分の魂を入れてわき起こる感興を得たという形をとって、その中に己を閉じ込めるのを唯一の生き甲斐として生涯を送ったのか。
彼の生家の前を流れる坪谷川のせせらぎは年がら年中変わることのない清流の美しさを奏で続けたことだろう。そしてそのせせらぎは今もなお私に語りかける。
「幾山河越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく」
旅は独りがいい。酒の上のことに限らず、なにかにつけて独りがいい。深い山などにさしかかったときの案内人すら、いらない気持ちで私は孤独の旅を好む。
寂しく、苦しく、つくづく厭わしく思うときがある。何の因果でこんなところまで、てくてく出かけてきたのだろう、と我ながら恨めしく思うときがある
私の最も旅を思う時期はモミジがそろそろ散り出すころである。
枯野の中を行きながら、遠く望む高嶺の雪、これはもう拝みたい気持ちである。
わらじを履きマントを被った彼の旅姿の等身大の写真、パネルが飾られている。一方彼が旅したところは、日本地図のみならず朝鮮半島にも足跡を残している。それを見ると日本列島は表も裏も歩き尽くしている。全国津々浦々を巡り歩き、言葉の不便もあっただろうが、朝鮮にも足を延ばしている。車や飛行機のない時代。わらじがけの足を頼りに強烈な意志と旅への憧れがないと、これほど壮大な旅はできるものではない。
雨の日も雪の日も晴れた日も、体調の良い時の悪いときも、気分が晴ればれとしたときも沈んだときも、孤独と酒を友として黙々と旅をして、黙々と作品づくりに励んだ彼の姿が目に浮かぶ。旅がいいというのは一般論で、生涯歩き続けるというのは並大抵のことではない。強烈な意思と個性の持ち主だったことがうかがえる。
人生はよく旅にたとえられる。もし時の流れを足の歩みと考えるならば、確かに野を越え、山を越え谷をわたり、辺りをきょろきょろ見まわしながら歩く旅に似て、時間の流れとともに移り変わる我が心を眺めれば人生は時を歩む旅人に相違ない。