日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

礼節

2011年12月08日 | Weblog
礼節

近頃の中国の道徳やマナーは一体どうなっているのだろうと、考えさせられるとが日本のマスコミでも報道されている。
1つの例を挙げると、尖閣諸島のトラブルに見せた中国人のマナーの悪さ、上から下に至までやることが紳士的では無い。どこに道徳があるのか、と首をかしげてしまう。
そして挙げ句の果ては 、嫌中感情のみが残る。つまり中国が見せた覇権主義に日本人は辟易する。

本来日本人がもつ道徳観は、中国人が日本人に教えたものだ。中国は日本にとっては尊敬される師匠の国である。対中国外交史をひもといてみると、今日本が持っている道徳観や礼節は皆中国から学んだものだ。特に江戸時代には中国の聖賢が説いた孔子孟子の教えは日本では官学になって、日本の道徳を支えた。その影響はまだまだ日本人の家庭の隅々まで行き渡って残っている。言葉を換えて言えば、中国文化の影響を受けて現在の礼節は世代送りになっている。悪い言葉を使えば、中国文化や思想の支配を受けているとも言える。ただしそれは古代中国、中世の中国と言うことになるのだが。、、、

中国の道徳観がどのようになっているのか知らないが、最近拝金主義のはびこりが目に余る。金になれば命さえも、、、と言う風潮が広がっているのではないか。
例えば子供の誘拐事件の多発など。どこまで礼節が崩れているのだろうかと思わないではいられないのが、中国社会の現状である。

いくら経済成長を遂げても、それで曽てアジアを支配することは出来ないだろう 人品が卑しい人間にひれ伏すのは、背景に暴力があるときだけである。中国はアジア制覇を狙って軍事力増強をしても、尊敬の念が持てないだけに、一体何をしでかすか判らない国だと警戒心を強めるだけである。

アジアの盟主に返り咲きたいならば、中国人自身が道徳心を養い、その範を率先して示さなくてはならない。新幹線を走らせ宇宙船を打ち上げても、心がついて行っていないならば、まともなデモにもならない。
僕はそう思う。

焼却灰

2011年12月08日 | Weblog
焼却灰

焼却灰の始末についての報道を聴いて残念に思った。
送り先の自治体が受け入れを断って送り返してきたというのだ。送られた地元では住民感情に配慮して、送り返さざるを得なかったと言うのだ。
それではこの灰を一体どこへ持って行けというのか。
気分的に受け入れたくないというのは判るが、被災県を助けるためには、全自治体が気持ちを一つにして、団結しなければならないときでは無いのだろうか。

低レベルの放射能と国が言っても、信じられないと言う思いが、国民の間に蔓延してしまっているのだろう。確かに今回の福島原発では国民に安全だといって嘘をついて、いざとなったら被害者はその地方の住民であることを思うと、国家といえども不信感を持たざるをえないというのが国民感情なのだろう。
それも理解できる。だが、さりとて現実の問題として、焼却灰はちゃんと片付けないとたまる一方では、焼却することさえ止めなくてはならないようになる。

困ったときはお互い様だ。助け合いをしようぜ。それでないと地域エゴばかり強調すると日本国は待たなくなると思う。