日々雑感

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10-49 東海村原子力事故を思い出す。

2012年02月20日 | Weblog
東海村原子力事故を思い出す。 3,784位 / 1,685,549

1999年原子力臨界事故で2人の命がなくなった。これは人為的に手抜きが事故の原因で原子力は安全であるという結末になって幕は下ろされた。僕はこのとき保安院や安全委員会の安全の根拠を心許なく思い、彼らは頼りにならないと不安を表明した。科学者として冷静な目で原因追及するのでは無くて、安全神話のお先棒を担ぐのが、僕のような素人目にも判ったからだ。
ここでもう一度原発とメデイア朝日新聞の記事を重ねて再び考えて見たい。安全委員会の事故調査委員会は安全神話や観念的な標語を捨てろと指摘した。それに加えて科学技術庁と通産省原子力安全委員会の体制不備を指摘・当時記事を書いた記者は「三月足らずで最終報告をまとめたのはまじめさに欠ける。安全神話を捨てろと言うだけでは原因の深層を掘り起こさない姿勢は問題がある」と指摘している。

当時原子力発電に国民の関心が持った高かったら、そして何よりも安全担当者、安全委員会や保安院が責任感を持って原子力発電の問題点を掘り下げていてくれたら、福島もここまで深い傷を負わずに済んだのでは無いだろうか。

ガレキ置き場の問題にしても学者や政府が国民から信用されていないから遅々として解決に向かわない。

斑目委員長は誤りを認めて謝罪したが、実際の所、責任を追及したら切腹物だ。未だにその任にあるとはどんな面下げて仕事をしているのか。ふさわしい学者か。菅総理との緊急場面でのやりとりなどを読んでいると人物的にこんなレベルなんかと軽蔑感が生まれる。
こんな人物の誤った判断で福島県民は生活を台無しにされた。
悔しい限りである。加えて原子力については東電の方が技術力も学問的知見も、また経験的にも政府関係者よりは上だと聞く。今の日本の原子力行政は、生徒が先生を指導するようなものだ。滑稽では無いか。