日々雑感

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言うだけ番長

2012年02月27日 | Weblog
言うだけ番長

今となれば、前原氏に対するこのあだ名は彼の本質をズバリ指摘したと僕は思う。以前はそうでなかった。八場ダム反対の時は彼の言うとおりだと思った。歯切れの良い明確な言葉だったから信用してたら、あっさり引っ込めた。彼の様な人物が、、、この時点ではまだ彼に期待するところがあった。
税外収入をめぐっての発言も実現には不安を抱かせる物で有り、政府・与党で孤立を深めており、これで目標を達成できなければ、、また口先だけかと思った。
集団的自衛権行使を容認すると言った彼は政権政党である民主党の政調会長だ。
オオカミ少年じゃ無いけれど、明言とその結果が裏腹な事に
なると、不信感が募る。そして思い返してみると、今までの彼の言葉には非常に危うい物を感じる。また裏切られるのでは無いか。期待の大きさの裏返しはその分失望感を増幅する。

結局はお粗末な政治家のお粗末な発言だ。それを信用した方が馬鹿だったと言うことになる。そして彼は僕の信頼を失った。期待しただけに失望感も大きい。
今では「言うだけ番長」それは彼にふさわしいあだ名と思う。
期待した彼から裏切られた思いは、「言うだけ番長」というあだ名の適切さを実感する事になった。
彼の言葉を信用して、裏切られたのは僕だけじゃない。産経新聞の記者も僕と同じような思いをしたから、こういうあだ名を付けだのだ。それは同感だ。
だが彼は言う。産経新聞の記者が会見場に居るのは不都合だと。
彼は出席拒否の理由について
「事実に反すること、人をおとしめるための悪口を書き続けることは、ペンの暴力であるという思いを持っている」と説明した。
「馬鹿もん。どこまで甘えているのだよ。自分の発言には責任を持て。己の発言を振り返ってどこが齟齬を来しているか振り返れば直ぐ判るじゃ無いか」大勢の人が君の発言に期待し結果は「いうだけ」におわって失望している事実を直視して、何故もっと謙虚にならないのだ。