日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

壺阪観音

2012年02月28日 | Weblog
壺阪観音 7,905位 / 1,688,337ブログ中

「お邪魔します。一応、作曲をしていますが、」
「ほう 、どんな曲を」
「今日は、壺阪観音を作曲して持参しました。」
「テープですか。」
「はい。」
「すぐ聞けますね。」
「今テープレコーダーを持っているから、すぐ聞けます。かけてよろしいか」
テープレコーダーのプレイボタンを押す。
曲はクラシック調のオルガン演奏。

「ほうほー。近ごろこんな美しいメロディーを聞いたことがない。どこで勉強しましたか。音楽大学は、?」
「いいえ違います。大学は東大です。在学中に山田耕筰先生について勉強しました。」
「そうでしたか。後輩ですね。わかりました。」

それからしばらくして、先生から直々に電話があった。
「舎利礼文」の作曲依頼である。
娑婆世界の住人である僕にはお経の意味が分かるはずがない、
舎利礼文って一体何だ?

お経の本を買ってきて読み始めた。要旨は、お釈迦様のお骨と一体になるという人間の究極の場面。火葬場で、まさに点火する前に、唱えられるお経である。真言宗では毎日の勤行集に載っているが。

人間の形がなくなる最終の場面を想像しながら厳かな曲想で始めた。
完成したので、壺阪寺へ届けに行って、先生に聞いていただいたら、
発菩提心、、、の4小節を1オクターブをあげた方が良い。何もかも超越して、お釈迦様の胸の中に飛び込むところだから、人間としては、ここのところを最も力を込めて、輝かせるのが良い、とのことだった。

「へえ。お坊さんのくせに、どうしても音楽が分かるのか、?
その謎を解くカギは、最近ある誌上で発見した。
先生は、日比谷高校(府立1中)から、東大で進学されるときに、新宿にお住まいで、そのときに正統派音楽を学ばれ、ピアノ演奏も自在だった。
その話を知って、團伊久磨さん作曲の観音賛歌(作詞は常盤先生)を2度にわたって書き換えさせたという話も納得できた。

知らないふりをして、そのじつ、その道の専門家がいるものだ。用心しなくては、天狗になるなんて滅想もないことはだ。これは観音様のお知らせだ。僕はこのことを心に深く止めておいた。