日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

子は授かりもの

2013年06月19日 | Weblog

子は授かりもの

夜逃げをしているから、親父は隠れ家から、女房のところへ通ってくる以外、通常の夫婦生活はなかった。

女房は、新宿駅の近くで飲み屋をやっていて酒に酔って、アパートへ戻ってくると、夏の早い太陽は、東の空を、白々と明け初めていた。毎日がそんな生活の連続だった。
そんなある日、女房はいつものように、フカのようになって、熟睡していた。朝、目が覚めると、パンツのあたりがどうもおかしいとは思ったが、大して気にもとめなかった。それから暫くしたら、おめでたの兆候が現れた。
 借金に追いまくられ、夜逃げしている身なのに、よりによってと、
女房は身の不運を嘆いた。
 思い当たるのは、ぐてん、ぐてんに酔って帰ったあの日のことである。それとて、親父が忍んできたという、はっきりした意識は無い。ただ、パンツのあたりが、いつもとちょっと違っている程度であった。
親父が、夜這いに来たのだろうか?。女房はあの夜のことを思い直してみた。心当たりがあるとすれば、それだけである。

 産もうか、産むまいかと迷ったら、答えはいつも決まって、堕ろすこと。ただ一つだった。しかしそのための金もなかったし、忙しさに、かまけて、もたもたしているうちに、堕ろすにも堕ろせないような状態にまで腹の子は成長した。

 臨月になって、女の子が生まれた。女房はこの子を里子に出そうと決めていた。なぜなら、女房の生活状態からすると、親父は夜逃げしていて、あの時だけ通ってくる一家離散に近い状態だったし、経済的にも精神的にも、この子を育てる余裕も状況もなかったからである。
 ところが、あれやこれや思い患っているうちに、子供はかわいい盛りに成長した。

 今度は女房は、何があっても、この子を手放せないような気に、心変わりした。
やがてその子は100人に一人の倍率という難関をパスして、スチュワーデスに合格したのみならず、親思いで、いちばん親孝行ものだった。

 女房はつくづく「こどもは授かりもの」であると思った。親父も女房も自らの意志で、この子を作ったわけでは、決してない。あの夜の親父の気まぐれから生まれた子が、他の兄弟姉妹から群を抜いて、夫婦にとっていちばんの親孝行者で、宝物になるなんて。いったい誰が想像し得たであろうか。

 神様は時としていたずらをされることがあると、夫婦は真剣に考えた。また実感していた。
子供は夫婦よって作る。というものではなく、神様が夫婦に授けなさる、、、というのが人間の本当の姿かもしれない。
「子は授かりものである」。なるほど。昔の人はよく言ったものだ。夫婦は今もそう確信している。