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沖縄平和祈念像讃歌

2013年06月22日 | Weblog
沖縄平和祈念像讃歌


沖縄平和祈念像讃歌

   諸人の願い 天地もなびく

   今 みなが郷に 諍いを捨てん

   見よ、白雲の果て 聖なる空に

   沖縄の風 さやかに歌う

                  渡久地 政信
    
摩文仁の丘に開堂された沖縄平和祈念堂に流れる「沖縄平和祈念像讃歌」である。    
「お富さん」「踊子」「上海帰りのリル」など、昭和20年後半から30年代にかけて、一世を風靡した名曲の数々を作られた、高名な作曲家渡久地政信氏によって作詞されたものである。

私は初めてこの詞に触れたとき、心が震える思いがして、胸が熱くなった。
 なんとすばらしい詞なのだろう。どこまでも透き通る深さがあって汚れなき魂の人の、心の内からなる叫びとでもいうたらよいのだろうか。
この詞を歌う心境はとても世俗に、慣れ染まった通常の人間のそれではない。
 宗教哲学の雰囲気が漂っている。欲も得もない唯ひたすら、心の中にある一つの想念を、思い続けたときに、瞬間的によぎるひらめき。
その珠玉の言葉が光を放って詞になり、言葉は芳香をはなって詞を構成している。

この地上にある人類は、争いをしつつも、一方では、心から平和を望んでいる。人々の純なる願い、平和を求める気持ちの集合体。その声には、天地もなびくであろうし、鬼神も耳を傾けざるをえないだろう。

 そして今、沖縄・日本は言うまでもなく、60年昔に血みどろの地獄絵図を繰り広げ、死闘を繰り返した、アメリカの里に置いてすらも、諍いを捨てて平和な日々を過ごしたいと、心より願っている気持ち。それが日米一般大衆の素朴な感情である。

そして、詞は続く。

聖なる空に日米両軍の激戦の中に、死んでいった、その修羅場。この沖縄の地には、沖縄の風が、さわやかに、歌っていると。

この世界は、まさに、御仏の世界である。修羅世界から、涅槃の世界に入ったときに、経験するであろう世界である。

 私は従軍の経験もなければ、内地の空襲の修羅場をくぐり抜けた経験もないで、体験的にはよく分からないが、「殺すか、殺されるか」のギリギリの人間の極限状態の中に置かれた人間が、どれほど、どう猛化しているが、想像するに難くない。

 先日、私の街で行われた戦争展でみた沖縄戦の実写フィルムや写真のパネルは、実戦さながらの迫力を持って私に迫ってきた。なんという暴力だ。戦争の犯罪性、非人間性、残虐性は、百万言を持ってしても語り尽くせない。人間悪の極限である。

 六十年昔のこの小さな実写フィルムが、その事実を雄弁に物語っている。お互いの憎悪が火を噴いて悪逆の限りを尽くす。その様子をまざまざと見せてくれる。
家は焼けて、田畑は戦場と化し、逃げ惑う非戦闘員の老人、女、子供。累々と重なる死体。これが、地獄絵図以外の何物であろうか。

日本本土が、戦場になる前に、沖縄はその前哨戦で、まず最初に悲劇の舞台となった。非戦闘員とくに年頃の女性は生きて恥ずかし目を受けるよりは、死を選んだほうがよいと、断崖から飛び降りて、生命を断ったという。

 筆舌に尽くせない生き地獄に放り込まれてどっぷり身をつけたままで、この世を去った人たちの心の思いは、いったいどのようなものであったろうか。

 悪逆非道の業火にやきつくされて、苦しみの中にどっぷりつかったまま死に追いやられていった人たちが、この世に残していった恨みは、誰がどのようにして、はらせばよいのだろうか。深い深い悲しみと怒りを果たして癒す方法があるのだろうか。
 全世界に向かって再びこの過ちを繰り返さないと誓うことだけによって、果たして怨念を解き放つことができるのだろうか。

 降り積もった膨大な怨念を解き、鎮魂させるためには血を吐くような思いを込めて、平和を守る誓いと、真心からなる鎮魂の情の発露ではあるまいか。
今はすでに魂の世界へ還っていった人々の霊を慰め、癒すために、生きている者の、心からなる鎮魂の真心に源を発する言葉によって、それらの次元をさらに高め、高める真心から作られた音楽によって、生きている者の思いや願いが今は、神仏の世界に住まわせる人々のこよなき慰めとなって、天高く伝わっていく。そんな風景にぴったりするのが、沖縄平和祈念像讃歌である。

渡久地政信先生。よくぞをお作りくださった。あなたの平和を愛する気持ちから、生まれたこの作品は、千代に平和の灯となって、日本はもちろんのこと、世界を照らすことでしょう。それは、生者はへの平和の働きかけと同時に、犠牲者の魂のこよない慰めとなりましょう。