小林亜星さんに同感 2
1,
「今売れればいい。という刹那的音楽は残るはずがない。 今の若い人たちが年を取った時に自分の青春時代の思い出の思い出の曲は無いのではないか
また若い人と中年以上の人との間に音楽的断絶ができている。」
鼻紙のような唄が量産され、良い唄をじっくり歌うという時代ではなくなった。青春時代に歌った歌は生涯歌える歌であってほしい。
今はやりの唄は果たして中高年になったときに歌えるだろうか。
無理である。近頃のテンポの早い唄は高齢化するとついて行けない。したがって歌えない。加えて詞がお粗末だから心にしみることはない。
もう20年もたてば歌う歌がない世代が沢山出てくる。つまり唄失った連中・世代である。
2,
「ある程度大衆的な歌であっても、そこには人生の哀愁とか、含蓄音楽的なものを含めて、わりに高等な人間感情のトロがあったが、今は余りにもなくなった」
どうして人間の高等な心情の吐露がなくなってしまったのであろうか。
人間は高等な心情をもっていない訳はない 。それを引っ張り出す音楽の分かるプロヂュサーがほとんどいなくなったのだ。というかそれが金儲けにつながらないからという理由で放置しているのである。
1,
「今売れればいい。という刹那的音楽は残るはずがない。 今の若い人たちが年を取った時に自分の青春時代の思い出の思い出の曲は無いのではないか
また若い人と中年以上の人との間に音楽的断絶ができている。」
鼻紙のような唄が量産され、良い唄をじっくり歌うという時代ではなくなった。青春時代に歌った歌は生涯歌える歌であってほしい。
今はやりの唄は果たして中高年になったときに歌えるだろうか。
無理である。近頃のテンポの早い唄は高齢化するとついて行けない。したがって歌えない。加えて詞がお粗末だから心にしみることはない。
もう20年もたてば歌う歌がない世代が沢山出てくる。つまり唄失った連中・世代である。
2,
「ある程度大衆的な歌であっても、そこには人生の哀愁とか、含蓄音楽的なものを含めて、わりに高等な人間感情のトロがあったが、今は余りにもなくなった」
どうして人間の高等な心情の吐露がなくなってしまったのであろうか。
人間は高等な心情をもっていない訳はない 。それを引っ張り出す音楽の分かるプロヂュサーがほとんどいなくなったのだ。というかそれが金儲けにつながらないからという理由で放置しているのである。