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■【専門業】経営コンサルタント独立起業 5つの要諦 3-1 経営コンサルタント業界の競争は厳しい

2020-12-04 12:03:00 | 【専門業】 経営コンサルタント独立起業5つの要諦

■【専門業】経営コンサルタント独立起業 5つの要諦 3-1 経営コンサルタント業界の競争は厳しい

 

 仕事柄、経営士・コンサルタントへの独立起業の相談をしばしば受けます。

 最近は、検索サイトで「経営コンサルタント」をキーワードとして検索して、「経営士・コンサルタントへの道」のページから相談に来られる方が多くなりました。

 経営士・コンサルタントとして、いきなり独立するのではなく、手順を踏んでから独立起業されることをお薦めしています。

 その手順を「5つの要諦」としてまとめてみました。

メモ

■3 事業ドメインを明確にして差異化(差別化)を図
  

 独立起業までのスケジュールを明確にします。

 その中でも重要なのは、どのような企業にするのか、事業領域・ドメインを明確にすることは重要です。

 

3-1 経営コンサルタント業界の競争は厳しい

 

 日本のコンサルタント業界の市場規模は3,000億円といわれています。1兆円産業になると成長産業といわれますが、まだまだの市場規模です。

 一方で、日本の市場規模は、全世界の市場規模の1.5%程度にしかすぎません。

 世界におけるGDP比率は日本は10%暗いですから、見方を変えるとまだまだ成長し切れていない産業と見ることもできます。

 それは、これから期待できる市場という見方もできます。


 コンサルタントと呼ばれる人が5万人とか言われますが、一方で、経営士・コンサルタントで生計を立てることができる人は数%ともいわれています。

 簡単にクライアントが見つかるほど甘い世界ではありません。

 非常に厳しい業界ですので、安易な気持ちで参入されることは経営士・コンサルタントとして独立起業することを辞めた方が良いと考えています。


 「定年退職後は、コンサルティングでもして社会貢献でもしよう」とお考えの方も結構いますが、「経費くらい出してもらえれば無報酬でも良いです」と言っても「ではお願いします」という企業がどれほどあるでしょうか。

 コンサルティングというのは、企業側にすれば裸になるわけですので、無報酬だからと言っておいそれと引き受けていられないのです。

 

【 注 】

経営コンサルタントを目指す人の60%が閲覧するといいます「経営コンサルタントへの道というページも併せてご参照くださると幸いです。

 

■ 経営コンサルタント独立起業5つの要諦 サイトからも閲覧できます。

1. 自分自身を見つめ直す
2. 必要な知識・能力を身につける
3. 事業ドメインの明確化と差異化
4. 独立起業の必要資金の準備と予算
5. 事業計画書で自分の考えをまとめる
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■【きょうの人】 1204 円珍  天台寺門宗(寺門派)の宗祖 ■ 西有 穆山 曹洞宗の僧侶、総持寺貫首

2020-12-04 08:46:00 | 【話材】 きょうの人12月

■【きょうの人】 1204 円珍  天台寺門宗(寺門派)の宗祖 ■ 西有 穆山 曹洞宗の僧侶、総持寺貫首

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 円珍  天台寺門宗(寺門派)の宗祖


 えんちん
 弘仁5年3月15日(814年4月8日- 寛平3年10月29日(891年12月4日)


 平安時代の天台宗の僧で、天台寺門宗(寺門派)の宗祖でもあります。 (写真:Wikipedia)

 法号は「南無大師智慧金剛(なむだいしちえこんごう)」で、諡号は智証大師(智證大師、ちしょうだいし)と称し、入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人ですので、最澄・空海らと肩を並ぶお人なのです。

 讃岐国(香川県)金倉郷に誕生しました。その地の豪族・佐伯一門のひとりで、俗姓は「」和気」といいます。空海(弘法大師)の甥(もしくは姪の息子)にあたるといわれています。

 15歳で比叡山に登り、義真に師事、12年間の籠山行を終えました。

 役行者を慕い、大峯山・葛城山・熊野三山を巡礼しました。吉野での修験道の発展に寄与することになり、承和13年(846年)には、延暦寺の学頭となりました。

 仁寿3年(853年)に、新羅商人の船で唐に向かう途中で暴風に遭って台湾に漂着したいりしました。

 天安2年(858年)帰国後、比叡山の山王院に住した後、第5代座主となり、園城寺(三井寺)を賜りました。三井寺には、円珍が感得したとされる「黄不動」「新羅明神像」等の美術品の他、円珍の手による文書が他数残されており、日本美術史上におきましても注目されることです。

 

■ 西有 穆山 曹洞宗の僧侶、総持寺独住三世貫首

 にしあり ぼくざん
 俗名:笹本万吉
 文政4年10月23日(1821年11月17日)-明治43年(1910年)12月4日


 陸奥国(青森県)八戸出身の日本の曹洞宗の僧侶で、横浜市總持寺独住3世貫首でもあります。法名は瑾英(きんえい)、直心浄国禅師で、俗名は、笹本万吉です。

 天保3年(1832年)に地元の長竜寺で出家し、金栄と名乗っていました。天保10年(1839年)に、仙台に移転し、天保12年(1841年)に江戸に出て、吉祥寺旃檀林学寮に入りました。浅草本然寺の泰禅の後を継ぎ、牛込鳳林寺住職となり、小田原海蔵寺月潭全竜の下で修行しました。

 瑾英に改名し、1861年、諸嶽奕堂会下の龍海院で修行中に大悟を得て、奕堂より印可を受けました。

 宗参寺・鳳仙寺を経て、大教院に呼ばれて中講義・大講義、總持寺出張所監院、本山貫首代理になりました。法光寺・中央寺・可睡斎・伝心寺を経ています。

 明治33年(1900年)に、信者の寄付により、横浜に西有寺を創建、翌明治34年(1901年)に總持寺貫首に選ばれます。翌明治35年(1902年)に、曹洞宗管長となりました。明治38年(1905年)に横浜で引退し、明治43年(1910年)12月4日に遷化しました。

 著書に『直心浄国禅師語録』4冊、『正法眼蔵啓迪(けいてき)』3冊などがあります。

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。

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