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■【専門業】経営コンサルタント独立起業 5つの要諦 4-1 必要資金の準備

2020-12-18 12:03:00 | 【専門業】 経営コンサルタント独立起業5つの要諦

■【専門業】経営コンサルタント独立起業 5つの要諦 4-1 必要資金の準備

 

 仕事柄、経営士・コンサルタントへの独立起業の相談をしばしば受けます。

 最近は、検索サイトで「経営コンサルタント」をキーワードとして検索して、「経営士・コンサルタントへの道」のページから相談に来られる方が多くなりました。

 経営士・コンサルタントとして、いきなり独立するのではなく、手順を踏んでから独立起業されることをお薦めしています。

 その手順を「5つの要諦」としてまとめてみました。

メモ

■4 独立起業のおける必要資金と予算
  

 経営士・コンサルタントとしての独立起業するのには、資金をどのくらい準備をしたら良いのでしょうか?毎月どのくらいの経費がかかるのでしょうか?

 独立起業する人であれば、誰しもが気になるところです。

 経営士・コンサルタントに特化して説明しますが、一般の独立起業関連の市販書も参照してください。

 

4-1 必要資金の準備

 しばしば「コンサルタントは資金がなくても開業できる」と言うことをしばしば聞きますが、これは正しいでしょうか?


 私は、これから独立起業したいとういう人から相談をしばしば受けますが、「必要資金は充分お持ちですか?」と問うようにしています。

 「コンサルティング業は資金がなくても開業できるのでは?」という答えが返ってくることが多いのです。


 経営士・コンサルタントに限らず士業としての独立起業は、すぐにクライアント・顧問先がつくわけではありません。

 何年もクライアント・顧問先なしの人も結構いますし、経営士・コンサルタントが見つかってもいつまでもその経営士・コンサルタントが自分の顧客として続くわけではありません。

 収入には波があります。それに持ちこたえられるだけの資金を持ち合わせている必要があります。

 すなわち、経営士・コンサルタントといえども起業時に資金がなければ独立起業すべきではないのです。


 では、どのくらいの資金が必要でしょうか?

 「起業時に必要な資金プラス3年分の生活費」が必要でしょう。

 起業時にどのくらいの資金が必要かは、後述の条件により異なりますが、自分でも算定できるでしょう。

 一般的な市販書籍なども参考になります。

 

【 注 】


経営コンサルタントを目指す人の60%が閲覧するといいます「経営コンサルタントへの道というページも併せてご参照くださると幸いです。

 

■ 経営コンサルタント独立起業5つの要諦 サイトからも閲覧できます。

1. 自分自身を見つめ直す
2. 必要な知識・能力を身につける
3. 事業ドメインの明確化と差異化
4. 独立起業の必要資金の準備と予算
5. 事業計画書で自分の考えをまとめる
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■【きょうの人】 1218 柳沢 吉保 綱吉に重用されて権勢を振るう

2020-12-18 06:33:00 | 【話材】 きょうの人12月

■【きょうの人】 1218 柳沢 吉保 綱吉に重用されて権勢を振るう

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 柳沢 吉保 綱吉に重用されて権勢を振るう


 やなぎさわ よしやす、正字体:柳澤吉保、正仮名遣:やなぎさはよしやす
 万治元年12月18日(1659年1月10日)-正徳4年11月2日(1714年12月8日)


 江戸時代前期の幕府側用人・譜代大名で、第5代将軍徳川綱吉も重用され、元禄時代には大老格として幕政を主導しました。

 柳沢氏は、清和源氏の流れを引く、甲斐源氏武田氏一門の末裔を称する、甲斐国北西部の在郷武士団である武川衆に属しました。

 武田氏の滅亡後、武田遺臣の多くが徳川家康の家臣団に組み込まれ、柳沢氏は吉保の祖父にあたる信俊が、家康に仕官しました。

 寛文4年(1664年)12月18日、館林藩主・徳川綱吉に初めて謁見し、これが契機で後に大役を担うことに繋がります。

 世の中で注目される人は、良きにつけ、悪しきにつけ、チャンスをものにするのが上手と言えます。

 コナン度役などを経験した後、川越城を拝領するなど頭角を現し、常盤橋内の隣地に屋敷を拝領しました。

 翌元禄8年4月21日に駒込染井村の前田綱紀旧邸を拝領し、後にこれが六義園となります。柳澤が、なぜ、遠いかが後に名を残すのか、お恥ずかしながら知りませんでしたが、これで納得できました。

 綱吉から徳川将軍家の菩提寺である寛永寺(東京都台東区上野桜木)の根本中堂造営の姪を受け、成功させます。

 それらの功績が認められ、元禄14年(1701年)将軍綱吉から松平姓および「吉」の偏諱を与えられ、松平吉保と名乗るようになりました。

 犬公方の手伝いをしたり、忠臣蔵の判断に大きく関与したり、桂昌院の官位などでは裏工作をしたりと、綱吉寄りの政策を続けました。

 綱吉死後は、次第にその陰が薄れ、隠居後は、江戸本駒込(東京都文京区本駒込6丁目)で過ごし、綱吉がたびたび訪れた六義園の造営などを行いました。

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。

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