【心 de 経営】 美しい日本語再入門 102 相手の発言・意見に対するスマートな対応法 6-126-4922
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私には、「正しい日本語」とはなにか、というようなことを書いていくだけのバックグラウンドがあるわけではありません。一方で、人前でお話をする機会が多々あります。少しでも「美しい日本語ですね」と言われるような言い方をしたいと平素からこころがけています。
わたくしなりに「美しい日本語とは何か」ということを常に考えるようにしています。ここでは、わたくしの模索をご紹介することによって、わたくし自身の日本語の能力を高めていきたいと考えています。
文法的に間違えていたり、社会的通念に反するようなことを、意図せずにお伝えしたりすることもあるかもしれません。その点をご容赦くださり、読者の皆様の判断で参考にしたり、時には反面教師として利用したりしてくだされば幸いです。
わたくしなりに「美しい日本語とは何か」ということを常に考えるようにしています。ここでは、わたくしの模索をご紹介することによって、わたくし自身の日本語の能力を高めていきたいと考えています。
文法的に間違えていたり、社会的通念に反するようなことを、意図せずにお伝えしたりすることもあるかもしれません。その点をご容赦くださり、読者の皆様の判断で参考にしたり、時には反面教師として利用したりしてくだされば幸いです。
■102 相手の発言・意見に対するスマートな対応法 6-126-4922
ほかの人話しているのを聞いていて、違和感を感じることがあります。あるいは、ときには、相手の意見に対して、別の考え方を持っている場合もあります。
人にはそれぞれの立場があり、それは、それぞれの立場によって、価値観やときには風習の違いがあります。これらは、その立場によって、固定的な面を持っていることが多く、そのことでやりしあっても、なかなか結論には至らないことが多いです。
自分の意見を通すことに躍起となるのではなく、相手の意見や考え方を傾聴思料することが、まずは、とるべき姿勢と考えます。この種の問題は、結着がなかなかつかないことが多いのです。
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相手と意見が合わなかったり、異なったりしたときに、「偏見だよ」などと言って、自分の立場ばかりを主張しても、自分の考えを押しつけようとするにしかなりません。
「その意見には反対です」とはっきり言うことも必要でしょうが、「正解は○○です」というように断定的に言ってしまったり、断言してしまったりしますと、相手の感情を逆なでしたり、プライドを傷つけたりするだけです。この行為は、ただ反論するだけに留まらず、相手の意見を「正しくない」と決めつけていることになります。これでは相手と同じ過ちを繰り返していることと同じことです。
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ヘーゲルの弁証法における概念の発展の三段階に「正反合」という言葉があります。すなわち、どちらが「正」で、どちらが「反」かが判然としないときには、第三の道である「合」を考えることが、多くの場合に、この問題を解決してくれます。換言しますと、第三の考え方を見いだすことに繋げるのです。
意見や考えが対立したときには、次のステップに入るときの切り出し方が大切です。その一言が、解決の方向に向かうか、こじれるかの岐路に立っていることを認識すべきです。
そのようなときに、「あなたのおっしゃりたいことが分かりました」とまずは、相手を肯定し、立てることを、私は第一に考えます。それにより、「自分の言っていることも分かってくれているのだ」と、感情的になった相手も、その気持ちを静める方向に向いてくれます。
とりわけ、会議の時などは、意見が伯仲すればするほど、複数の人が感情的になっています。すなわち、私は、上述のやり方を「会議で議論するときの鉄則」としています。
そして、次のステップとして、「私のところでは」と自分の部署や会社ではと表出し、次に続けて、「おっしゃることはよく解りましたが、こちらとしては、今のお考え(ご意見)とはちょっと違っています」というように、役割と立場の違いで、意見の違うことをまず判っていただきょうにします。
すなわち、個人対個人の意見の「戦い」ではなく、また、相手個人に対する反論というのではないということを理解していただきます。その上で、「当方としては○○と考えているのです」というように、自分達の考えを伝えるのです。
そして、最後は、既述の通り、正反合を基準に、双方の落とし所を見いだすようにしています。ただし、「立場を主張しすぎない」という視点も忘れないように努力をしています。
もちろん、この方法ですべてがうまく行くわけではありませんが、感情的になることは避けるようにして行きたいと考えています。
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ほかの人話しているのを聞いていて、違和感を感じることがあります。あるいは、ときには、相手の意見に対して、別の考え方を持っている場合もあります。
人にはそれぞれの立場があり、それは、それぞれの立場によって、価値観やときには風習の違いがあります。これらは、その立場によって、固定的な面を持っていることが多く、そのことでやりしあっても、なかなか結論には至らないことが多いです。
自分の意見を通すことに躍起となるのではなく、相手の意見や考え方を傾聴思料することが、まずは、とるべき姿勢と考えます。この種の問題は、結着がなかなかつかないことが多いのです。
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相手と意見が合わなかったり、異なったりしたときに、「偏見だよ」などと言って、自分の立場ばかりを主張しても、自分の考えを押しつけようとするにしかなりません。
「その意見には反対です」とはっきり言うことも必要でしょうが、「正解は○○です」というように断定的に言ってしまったり、断言してしまったりしますと、相手の感情を逆なでしたり、プライドを傷つけたりするだけです。この行為は、ただ反論するだけに留まらず、相手の意見を「正しくない」と決めつけていることになります。これでは相手と同じ過ちを繰り返していることと同じことです。
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ヘーゲルの弁証法における概念の発展の三段階に「正反合」という言葉があります。すなわち、どちらが「正」で、どちらが「反」かが判然としないときには、第三の道である「合」を考えることが、多くの場合に、この問題を解決してくれます。換言しますと、第三の考え方を見いだすことに繋げるのです。
意見や考えが対立したときには、次のステップに入るときの切り出し方が大切です。その一言が、解決の方向に向かうか、こじれるかの岐路に立っていることを認識すべきです。
そのようなときに、「あなたのおっしゃりたいことが分かりました」とまずは、相手を肯定し、立てることを、私は第一に考えます。それにより、「自分の言っていることも分かってくれているのだ」と、感情的になった相手も、その気持ちを静める方向に向いてくれます。
とりわけ、会議の時などは、意見が伯仲すればするほど、複数の人が感情的になっています。すなわち、私は、上述のやり方を「会議で議論するときの鉄則」としています。
そして、次のステップとして、「私のところでは」と自分の部署や会社ではと表出し、次に続けて、「おっしゃることはよく解りましたが、こちらとしては、今のお考え(ご意見)とはちょっと違っています」というように、役割と立場の違いで、意見の違うことをまず判っていただきょうにします。
すなわち、個人対個人の意見の「戦い」ではなく、また、相手個人に対する反論というのではないということを理解していただきます。その上で、「当方としては○○と考えているのです」というように、自分達の考えを伝えるのです。
そして、最後は、既述の通り、正反合を基準に、双方の落とし所を見いだすようにしています。ただし、「立場を主張しすぎない」という視点も忘れないように努力をしています。
もちろん、この方法ですべてがうまく行くわけではありませんが、感情的になることは避けるようにして行きたいと考えています。
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