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■【きょうの人】 1012 ■  覚心(法灯国師・心地覚心) 臨済宗法燈派本山由良興国寺(昔は西方寺という)開山

2020-10-12 08:46:00 | 【話材】 きょうの人10月

■【きょうの人】 1012 ■  覚心(法灯国師・心地覚心) 臨済宗法燈派本山由良興国寺(昔は西方寺という)開山

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■  覚心(法灯国師・心地覚心) 臨済宗法燈派本山由良興国寺(昔は西方寺という)開山

 

 しんち かくしん
 承元元年(1207年)- 永仁6年10月13日(1298年11月18日)


 鎌倉時代の臨済宗の僧で、姓は恒氏、諱は覚心、無本と号しました。

 臨済宗法燈派の本山であった由良興国寺(昔は西方寺という)を開山しています。京都宇多野に位置する臨済宗建仁寺派の妙光寺の開山でもあります。

 1221年(承久3年)信州戸隠の当時まだ神社と寺院が一体であった神宮寺の忠学律師につてい読み書きを習い、1225年(嘉禄元年)に出家し、得度しています。

 高野山で伝法院主覚仏や正智院道範らから真言密教を学び、この時、法燈国師は源実朝の霊を弔う為に高野山を訪れました葛山景倫(後の願性)に出会います。

 しかしその年の9月に栄朝が遷化しましたので、無本覚心は、翌年の1248年(宝治2年)には甲斐の心行寺に赴きました。

 兄弟弟子にあたる円爾の勧めにより入宋を志し、1249年(建長元年)に、覚儀、観明らを伴ないまして紀伊由良から九州に渡り、博多を出て入宋しました。

 その後、1253年(建長5年)杭州の霊洞山護国仁王寺の無門慧開(1183-1260)に参じて、遂に臨済宗楊岐派の法を嗣ぐことができました。

 1258年(正嘉2年)には、金剛三昧院の住職(第6世)となりましたが、しばらくして禅定院住持を退き、由良に戻り、ときに紀伊由良荘地頭、葛山景倫(願性)の要請によって、西方寺(後の興国寺)の開山となりました。

 1281年(弘安4年)亀山上皇(1248年 - 1305年)は、円爾の示寂後、京都洛東勝林寺に招かれました。亀山上皇や後醍醐天皇より法燈禅師、法燈円明国師と諡されました。

 中国からもたらしたといわれる金山寺味噌は、径山寺(きんざんじ)の味噌の製法を模したものといわれています。

 時宗の開祖である一遍上人とも同時代を過ごしています。

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

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 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

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◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

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【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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