■【きょうの人】 1016 ■ 伊藤 博文 千円札の肖像画でおなじみ ■ 阿部 正弘 安政の改革
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■ 伊藤 博文 千円札の肖像画でおなじみ
いとう ひろぶみ
1841年10月16日〈天保12年9月2日〉- 1909年〈明治42年〉10月26日
旧千円札の肖像画でおなじみですが、長州藩の武士で、明治政府の政治家として活躍、従一位大勲位公爵を賜っています。諱は、博文(ひろぶみ、「ハクブン」)で、号は春畝(しゅんぽ)でした。貧しい農村に生まれ、幼名は利助(りすけ)でした。
松下村塾の門弟となり、後に吉田松陰から俊英の俊を与えられ、「俊輔(しゅんすけ)」となり、さらに「春輔」と改名しました。
幕末期の尊王攘夷・倒幕運動に参加しました。「長州ファイブ」の一人として、長州藩の公金を、半ば横領に近い形で利用して、仲間4人と共にイギリスに留学し、土木学など、実利的な学問を学びました。
その最中に、下関戦争が勃発、急遽帰国して戦後処理に奔走しました。
それらの実績が評価され薩長の藩閥政権内で力を伸ばし、岩倉使節団の副使を務めるなど、頭角を現しました。帰国後は、参議兼工部卿、初代兵庫県知事(官選)を務め、大日本帝国憲法の起草の中心人物となりました。
初代内閣総理大臣になったことはよく知られていますが、その後も何回か総理大臣を務めています。
立憲政友会を結成し、初代総裁となり、外交では日清戦争の勝利に伴う日清講和条約の起草・調印などのメンバーにもなっています。
1909年、ハルビン駅で、朝鮮民族主義活動家の朝鮮人・安重根に暗殺され、女性問題が多かったり、死後、渋沢栄一によって幕末時の暗殺稼業が暴露されたりと、波瀾万丈の人生でもありました。
伊藤博文は、松下村塾では、劣等生だったようです。しかし、「人の話を聴く」という点では、すばらしいものがあり、情報収集力に長じるようになったそうです。それを武器に、人脈作りの達人にもなりました。
彼は、自分と意見を異にする人とも、人間関係を維持し、それらの人を通して、異なったモノの見方を学んだようです。彼が、総理大臣を務めたときには、自分の政敵ともいえる人達を大臣に登用するなど、人の使い方もうまかったのでしょうね。
■ 阿部 正弘 安政の改革
あべ まさひろ
文政2年10月16日(1819年12月3日)- 安政4年6月17日(1857年8月6日)
江戸時代末期の備後福山藩第7代藩主で、江戸幕府の老中首座を務め、幕末の動乱期にあって安政の改革を断行しました。
天保15年(1844年)5月に江戸城本丸焼失事件が起こり、さらに外国問題の紛糾などから水野忠邦が老中首座に復帰することになりました。
しかし正弘は、一度罷免された水野が復帰することに反対し、家慶に対して将軍の権威と沽券を傷つけるものだと諫言したといわれます。
水野が復帰しますと、天保改革時代に不正などを行っていた町奉行鳥居忠耀や後藤三右衛門、渋川敬直らを処分し、さらに弘化2年(1845年)9月には老中首座であった水野忠邦をも天保の改革の際の不正を理由にその地位から追い、代わって老中首座となりました。
また、薩摩藩の島津斉彬や水戸藩の徳川斉昭など諸大名から幅広く意見を求め大胆な人材登用を行いました。
ペリーの再来により、日米和親条約を締結させることになり、約200年間続いた鎖国政策は終わりを告げさせることになります。
開国派であった井伊直弼らと反りが合わず、開国派の堀田正睦を老中に起用して老中首座を譲り、両派の融和を図りました。
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【 注 】
【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。