今日半日、



読み上げを徹底的にやめてみよう、と試みました。
徹底的にやめてみると、
食事以外でも
思っている以上に1日中、生活のあらゆる場面や、
余暇、というか遊びの場面に至るまで、
ずっと大人に読み上げてもらうことに
執着していました。
これは、、
行動が多動で激しくていろんなものを口に入れるなど、
目が離せないことに加えて、
ずっとしつこくひらがなを読み上げさせられる。
これはこちらも疲れが溜まっているはずだとも思いました。
応える続けるのも大変だけど、
今日は
応えない、でいることも
すごく大変でした。
食べるときは
私が読み上げてくれないので、
ずっとしつこく待って食べないし、
お腹がすいて食べ始めても
やっぱり
読み上げへの要求はずっと続いてました。
かなりしつこい。
こちらとの我慢比べ。
みーくん食べたいのに、私が言ってくれないから食べない。
どんどん冷めてくる。
みーくんは悲しそうに泣くし、
私も
言ってあげないことに
罪悪感を感じて、
涙が出てきたり。
お互いに大変だった。
少々読み上げなくて、
ご飯が進まなくても、
蓄え(笑)があるから、1食、2食くらいはいいと思った。
読み上げなくても
他で
要求は答えてあげるし、
みーくんのことは私が一番よくわかってる。
読み上げなくても信頼関係も無くならないと思ってる。
読み上げも自分の世界でするなら
いくらしてもいいと思うけれど、
そして、
1度だけ、ならまだいいけど、と思えるのだけど。
すっごくすっごく泣いて、疲れたと思うし、
多大なストレスを与えてしまったとも思います。
でも
今もなんとかご機嫌に居ます。
みーくんに
「〇〇してください」や
「〇〇のおかわりをください」など、
大人に伝えないといけない情報と、
そうでないものとの区別が
使い分けることは
難しいと思いました。
ずっと要求に応えずに居ました。
お風呂のときも。
「ばぶ」(入浴剤)と言ってきても無視。
一度ならいいけど、
何回も何回も言ってくるのです、毎日。
なので無視。
「うえのふくをぬぐ」
「ずぼんをぬぐ」などの
手順ルーティンの読み上げも、
これをまったくの無視はさすがに可哀想だと思ったので、
ひらがな表では応えずに
私が
自分のペースでさっさと言って、
はい、入ろ!!
とさっさとお風呂に入り、
それでなんとかみーくんも切り替えられました。
その後、風呂上がりは
よほどお腹がすいていたのか、
ひらがな表が腰についていなくても
ご飯を黙って食べ始めました。
読み上げなくても食べれるやん!!
でもおかわりを・・・とか、
なにがほしい、とかも
言えないので、
勝手に立ち上がって、勝手に食べたり、
私の手を引っ張って要求したい場所まで連れていくクレーンが再開してしまったりして。
そんな様子を一通り見ていて。
やはり
ひらがな表は
みーくんにとっては、なくてはならない
大切な
コミュニケーションツールであって、
まったく応えないのは可哀想で胸が痛むし、そうでなくても、
みーくんの楽しみや、
語彙をさらにこれから増やそうという意欲、
せっかくついた伝える力。。。。
それまでもを奪ってしまうことになる。
私も
みーくんがひらがな表で伝えてくれる
いろいろな言葉に
「みーくんこんな言葉いつ覚えたん!!」と
とても楽しませてもらってたんだった。
1日の中でもどう対応していくのがいいのか、すごく
考えが
ブレました。
だったら、
やっぱり
一度だけ・・・読み上げる。
その線引きも実はとても難しいのですが、
一回読み上げたことを再度何回も要求してきても
もう「1回だけ!!」と言って、
2回目は言わない。
こだわり過ぎていないところで、やめさせる。
濁点をつけたり
自分流に変換させる言葉遊びは
やらない!
今できる範囲の落とし所は、
そのあたり、、、、かなぁと今日は思ってました。
みーくんのしつこすぎる要求を拒否し続けること、泣いてもひたすらに無視すること、
自分も心が痛み、
そんな1日に今日は疲れました。
最近の育児疲れや
コロナの猛威で何度ももう罹ったな、と思わされ、、、
夫の機嫌に振り回され。。。
私自身の自信というか
アイデンティティを取り戻したくなったとき、
新しい曲を弾こうと思います。
また新しい曲集を買っちゃいました。
そして
なぜだか
みーくんが真剣な目で
楽譜を確認しています(笑)


