渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

毛鉤釣り

2024年07月24日 | open



武士が毛鉤釣りをしたという
のは本当の話。良渓相のある
藩には記録が残されている。
藩によっては釣りは武士の

武芸のたしなみの一種として
推奨していた藩もある。

日本の毛鉤釣りは、戦国期に
西欧人が日本にもたらした釣
法が日本で定着発達した。
だが、本場西欧では中国から
太鼓式リールが導入されてバ
スの先にハリスを結んで遠投
する方法に発達した。
その後、木材の竿ではなく、
東南アジアからトンキンケーン
を輸入して割竹接着のロッド
が西欧では発達し現在に至る。
一方日本では、日本に渡来した
当時の様式のまま、布袋竹等
を使用した毛鉤釣りがそのま
まの形で残存した。
ポルトガル語からテンカラと
呼ばれて、その和式毛鉤釣り
は現在も存在する。
リールを使わず、定尺の糸で
毛鉤を投げてマス族を山岳渓
流で釣る。
日本のテンカラはタイムカプ
セルのように世界の歴史の中
で最初の西欧式毛鉤釣りが残
された形になった。ガラパゴス
的なものとして。
現代西欧式毛鉤釣り=フライ
フィッシングにおいても、テン
カラのようなアクションで源流
域は釣り上がる。ドライフライ
や半沈めのフライでは水面(みな
も)を叩くように釣るのだ。
ウハウハ釣れる。
かといって、毛鉤を浮かせて
流す釣法でもウハウハ喰いつく。
アマゴやヤマメは非常にセンシ
ティブだが、イワナあたりは
猛烈にアタックしてくる。
日本式の毛鉤はかなり和風の
細かい造り込みで発達した。
日本で洋式フライフィッシン
が一般化したのは1960年代
だが
その当時の日本製フライ
フィッ
シング用の毛鉤は稚拙
な造り
だった。私は父から貰
った往時
の毛鉤をサンプルと
して持って
いるが、実物を見
ると本物の英米フライフィッ

シング用毛鉤を模して何とか
日本人が稚拙ながらも模倣し
ていたのが1960年代だったと
判る。戦後黎明期の国産自動
車みたいなものか。
日本で本当に本格的に西洋式
フライフィッシングの技法や
毛鉤の製作方法が広まるのは
1980年代末期~1990年代の
初頭だった。

こういうところをガンガンと
遡上して行く。淵があったら
山を藪こぎして巻く。
渓流釣りはほぼ沢登りだ。



基本的にフライフィッシングは
川の中に入る釣りだ。
中流域の水の汚れた里川には
よほどの田舎でないと鱒族は
棲息しない。
当然、上流域の渓流への釣行
となる。
中国地区では熊さんコンニチハ
も多いエリア。
私も4度熊と遭遇している。
適正対処で事なきを得ている。
ツキノワだからと舐めてはいけ
ない。
九州の山岳渓流にフライフィッ
シングで行った時には、熊が
不在なのでそのストレスは全
く無いので気楽にフライがで
きた。
逆に九州人は本州や北海道での
クマの脅威に疎いから、クマを
舐めているフシも多く見受けら
れる。
死ぬよ、大自然を舐めてると。
クマが一頭も山にいない安全地
帯のお花畑感覚でいたら。

あと、渓流では不用意に岩に

手を触れてはならない。
マムシが岩にいるケースが多い
からだ。
それは田んぼなどは遥か下流の
渓流の源流域においても。
山中でマムシに噛まれたら血清

投与が間に合わない事も多いの
で致命的となる。
下手すればそれでも死ぬ。
また、山岳渓流で足を骨折など
したら下山できなくなる。
一人での釣行は非常に危険が伴
う。
計画的に釣りを実行しないと、
かなり危ない釣りが渓流釣りだ。
しかも、のんびり竿を垂らして
待つような釣りではなく、ガン
ガン攻め上がるのが毛鉤釣りな
ので、アクティブな行動には
慎重さと繊細な感性も必要に
なってくる。
山を読み、渓(たに)を読み、川
を読み、魚を読む。
適正判断がピタリと周囲の状況
に合った時、釣果は抜群になる。
その時、正の成果と同時に負の
危険
が待ち受けているケースも
多い
ので、気を緩めず兜の緒を
引き
締めてさらに釣り上がる。
それが渓流の毛鉤釣り。










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