邦画にしては近年珍しくかなり面白
かった。
ただ、深キョンは『ワイルド7』でも
はっきりしたが、かなり素がどんく
さい。
この映画でも、走るシーンは別人が
吹替していた。
清野菜名さんのような走り方だった。
もしかして、走りのシーンは清野さん
なのでは。
清野さんの主役デビューが2016年。
この映画公開が2015年。撮影が2014年。
清野さんはそれまでスタントなどの
下積みをこなしていた。
この映画での深キョンが走るシーンは
深キョンの走り方ではなく、その後ろ姿
の走り方とお尻(これ大切)は清野菜名
さんのそれなのだ。多分当たっていると
思う。私の見抜き鑑識眼でしかないが、
まずガチかと。
清野菜名さんは女優の中で一番走り方
が綺麗な人だ。そして走る時の後ろ姿
のお尻がとてもいい。三振連発のプロ
野球投手のようなお尻をしている。
女優の中で、この人、スポーツできる、
とすぐ判る綺麗な歩き方をするのは
綾瀬はるかさん。
深キョンは、「走れない人」であること
がこの作品でも前からのカメラのカット
で即わかる。
このハイス鋼の丸ノミがどれ程の仕事を
のカトラリー彫刻刀「内彫り」も使う事
にした。間もなく到着。
元々は能面の面打ちの内彫り用に
作られた刃物だ。
ククサ作りでもこの「内彫り」が一番
ザクザクと大仕事をしそうな気が
する。
50センチに届かなかったアコウ。
マグロがキター!
よっこらせっと。いい感じ。
『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』
本予告 2020年9月18日(金)公開
頑張れ!京アニ!
公開されたら観に行くよ。
このナイフは、その名もガルダリク。
北の帝国と戦った時、鹵獲したんだ(笑)。
研いだなら、あれよあれよとよく切れる。
1時間に80ミリ以上の予報だ。
嫌な太陽だ。こりゃまた昨日のように
当選発表の号には名前が載ってた。
ありがと、アコギマガジン。
ナイフはどれを選ぶか。
答えは一つだ。
「自分が気に入った物を買えばよい」
これに尽きる。
そして、実際に使用する事、実行の
実践を通して自分なりの所見と知見
が得られることが大切だ。
いくら人やネットの受け売りでナイフ
を買っても、元々が自発的な能動性が
希薄なので、愛着が持てないのでは
なかろうか。
ただし、経験豊富なベテランの発言を
慎重に情報として参考にすることは
大いに良い事と思う。
しかし、実際に自分が何でもそのナイフ
で長年多角的にやってみないことには
話にならない。
私個人は自分自身が経験した事と
実績を積んだ事しかノウハウ系と
しては語らない。
先達の行動については、参考紹介を
したりすることもあるが、「だろう
か」「ではなかろうか」的な表現は
使っても、さも自分がやって来た
事であるかのような表記は一切し
ない。私は分らない事は分らないと
明言し、推測や類推判断できる事
はその旨を記載する。
あとは、自分の経験値に基づいてモノ
を書いている。大切なことは知識
よりも、知見だと私は確信している。
私は知識のコレクターを全否定する。
いわゆるカタログオタク。
私にも解っている(だろう)事と
まったく分かっていない事もある。
行動においては間違っている事も
あるだろう。
だが、少なくともある程度の知見
を得た領域まで達したものについて
は、そうであると書いている。
所見と知見は体験が積まれて経験
として初めて肉付きを得た判断力
として構成される。
人様の受け売りや焼き直しを自分
の体験のように言うのは盗用で
あり、それは剽窃だ。
ナイフ選びの場合は、どのような
シーンで使うかで方向付けが決まる。
刃物という特性上、どうしても刃物
は使用目的に特化して進化してきた
歴史を持つ。
刃物も、ゴルフクラブのように
パターでドライバーの代用はでき
ないのだ。それぞれに適した使用
方法があるし、否、使用目的に
依って刃物は各パターンの刃物が
誕生してきた。
その刃物の中で、一番汎用性を
もたらされたのがナイフである。
最初は打製石器でのナイフが
始まりだ。やがて磨製石器が登場
し、その後金属の刃物が誕生する。
それは獣の皮剥ぎや食材の切断、
農耕文化発生後には稲刈りや収穫
に使われたことだろう。
現代においては、ナイフを持って
いない家庭はほぼ無いだろう。
台所にある日本語でいう包丁
(中国語では日本式包丁のこと
は庖丁と書く)というクッキング
ナイフをほぼ日本の全家庭は所有
している。
家で料理を作る家庭は、日常的に
そのナイフを使用していること
だろう。
野外活動でのナイフには、汎用性
という性格が求められる。
何本もナイフを携帯しての野外
活動は装備において現実的では
ないからだ。
ただし、上述した通り、刃物は
使用目的に応じて発達発展進化
してきたので、特化された刃物
のほうがその分野では圧倒的に
優位性を持っている。
キャンプだろうと、包丁を持って
いったほうが野外でも料理は
やりやすい。
また、巻き割りならば斧、直線
切断ならばノコギリというように、
汎用性ナイフよりもその目的専用
に作られた刃物のほうに軍配が
上がる。
ちなみに料理には包丁が圧倒的に
ナイフよりも適している。
ナイフ選びは自分自身の直感
を信じて、好きなデザインと
好きなブレードシルエットや
ハンドル材で選べばよいだろう。
それが一番だ。
私は、ナイフ単体で見たならば、
上掲画像のナイフなどはとても
好きだ。
たとえ、バトニングがやりにくく、
背でマグネシウム火花が飛び
づらくとも。
バックのバンガードよりも外への
持ち出しが今後多くなるかも知れ
ないほどに。
ナイフ選びには一つ重要なポイント
がある。
それは「常に持っていたいナイフ」
であり、「持っていると安心感の
あるナイフ」であることだ。それで
なくば、というものに似た。
愛用の湯飲みやマグカップや箸の
ような、そんな存在としてのナイフ。
それには、「愛着がわくもの」という
要素が絶対に必要なのだ。
そして、ナイフに関しては、お見合い
結婚よりも恋愛結婚のほうがいい。
人からのすすめなどではなく、自分
自身が一目ぼれして見初めたナイフ
を選んだほうがよい。
ただ、横恋慕というのは大いにアリ
で、ナイフならば他人が持つ物と同
モデルが複数ある場合には同じ製品
を買うことが現実的に可能だ。たま
たま好みが重なるものだったり、人
のナイフを見て「お、あれいいなぁ」
とかのパッションで。
ゆえに買う。いいな、と思ったらナイフ
は買う。これ正解。
ただし、日本でのナイフの流通を50年
ほど流れとして俯瞰するに、明らかに
「流行」があるのでハヤリモノには
注意を要する。
流行に真っ向から対立する北欧ナイフ
が今流行っているのが何だか珍妙だ。
たぶん、ブームであるので、仕掛人に
「乗せられた」のであろう。
実力ある伝統ナイフなので、北欧ナイフ
の良さが広まって定着すればよいとは
思うが、多分、この先長く北欧ナイフ
を愛する人は少ないだろう。
「これからはこれぜよ」的な「新しい
物はいい物だ」的なことを初めて
日本人に植え付けたのは坂本龍馬だが、
その考え方に乗った日本人は現代まで
も資本にその特性を利用されて操作
されている。
次から次に新製品を出し続けなければ
市場原理が回転しない歪んだ購買構造
は、本質性において北欧ナイフや
日本刀のようなトラディショナルな
世界の物品とは対立する。
それを思うに、今の北欧ナイフや
数年前の日本刀ブームなどは、ブーム
でよいと私は個人的に思う。
どうせ浮かれていたって、長いスパン
で本当のファンなどは定着しないの
だから。
ナイフも日本刀も、本当の本物の
ナイフ好き、日本刀好きの人たち
だけが残っていればいいと私は思って
いる。
商売人はどんどん次から次に矢継ぎ早
に転がし捨てるように商品は売らない
と困るのだろうけど。
でも、そういう高度経済成長期に
パターン化されたやり口は、今後
長続きしないのではないかなぁ。
ショートタームのアメリカンセールス
方式は、日本の伝統文化を真っ向から
否定せざるを得ない商魂戦略なので、
目先の利鞘よりも地道な利益を計画
したほうがいいように思えるけどなぁ。