渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

今夜も西部劇 続・夕陽のガンマン ~映像ミスと見抜きの楽しみ~

2015年02月22日 | open

西部劇の中で全米トップ10のうちNo.1の人気を誇る作が
『The Good, the Bad and the Ugly』(1966年)だ。
直訳すると「いい奴、悪い奴と汚い奴」になるが、邦題は『続 
夕陽のガンマン』ということになっている。
クリント・イーストウッドのマカロニ・ウェスタン三部作は第一作目の
『荒野の用心棒』(1964)、二作目の『夕陽のガンマン』(1965)、
三作目の本作となる。
イーストウッド演じる主人公のガンマンは一応公式コメントでは別人
とはされているが、全作を通して観ると、オマージュではなくどうやら
同一人物の時代ごとのエピソードをにおわせるシーンがいくつか
出てくる。
時系列としては『続 夕陽のガンマン』→『荒野の用心棒』→『夕陽の
ガンマン』という流れのようだ。
イーストウッドは三作通じて「名無し」という役柄だが、『夕陽の~』では
モンコとも呼ばれ、『荒野の~』ではジョーとも呼ばれている。仮に彼が
同一人物だとすれば、ジョー・モンコという名なのかもしれない。発音は
本当は「モ」ではなく「マ」なのだが、邦訳で「マ」は公序良俗に反しない
のかどうかという問題があるので、映像で明らかに「マ」発音でも字幕は
「モ」としたのだろう。

本作『続~』では「ブロンディ(金髪野郎)」とイーライ・ウォーラックから
呼ばれている。

名無しが同一人物だとにおわせる演出は各作品に映し出される。
特徴的なのは、使う拳銃で、グリップに蛇の銀細工インレイが施されて
いるのだ。
これは初作『荒野の~』で使用したコルトSAA(イーストウッドの私物。
私物ガンベルトと共にイタリアに持ち込んで撮影された)のグリップに
施されていた。
最終作の『続』(時間軸では南北戦争時代であり、三作で一番古い時代
設定)は、ピースメーカーSAAではなく、時代が古いのでパーカッション式
(雷管式前装銃)コルト・ネービーM1851を使用している。
ただし、イーストウッドは雷管式からカートリッヂタイプに変更したコンバー
ジョンモデルを使用してる。
そこでも、別な銃なのに持ち主のマークである蛇の象嵌がグリップにある。

それと、トレードマークとなったイーストウッドのメキシカンなポンチョは
この第三作目(時系列では一番古い時代設定)に由来が出てくる。
名無しの金髪は南北戦争で死にゆく兵士を憐れんで葉巻を咥えさせて
やり、その後、ポンチョを形見のように
貰い受けるのだ。
その時以来、何か自分に言い聞かせるように、あるものを噛みしめるように
咥え葉巻とポンチョを常に自分のスタイルとするのだった。
いや~、このイーストウッドのポンチョはガキンチョのとき真似したね~。
幼稚園の時、「なんでいつも緑の風呂敷はしょってるの?」とか言われてた
もの(笑
もうなんというか、大友克洋の劇画『ハイウェイスター』の中に出てくる反帝
学評の青ヘルメット被って仮面ライダーベルト締めて横にらみしているクソ
ガキのようなもんだ。(すまん、マニアックな漫画ネタで)
つまり、私はこの三作の初作『荒野の用心棒』を劇場で観ている。5歳の頃に。
たぶん親父に連れられて藤沢のオデオン座あたりに観に行ったのだろう。
もしくは銀座か新宿だろう。劇場の記憶はない。だが、『馬鹿が戦車でやって
来る』と同じく、劇場で観たのは鮮明に覚えている。


さて、映画というものには撮影上の齟齬=ミスショットシーンが時々ある。
有名なものは『ローマの休日』で、広場でアイスクリームを買いに行って
すぐに戻ったら数時間たっていたりする。背景に時計台が映っており、
時計の針が数時間過ぎたことを示しているからだ。
こうしたことはCGが存在しなかった時代にはよくあった。
シュワルツネッガー主演の『プラトーン』でも、ジャングルでサソリを踏み
つぶしてブーツを上げたら潰れたサソリが頭と尾が逆向きになっていたり等
映画においてカットが替わったら配置が大ずれだったりしていることはよく
ある。ビリヤードの映画などは、テーブル上の配球そのものがまるで違って
いたりする。

さて、本『続 夕陽のガンマン』でもそのようなシーンがいくつもある。
ラストシーンでの世紀の名場面と呼ばれた決闘シーンでそれを見て行こう。

三つ巴の対決である。
いい奴の名無し、悪党のリー・バン・クリーフ、こずるいイーライ・ウォーラック
が墓場に隠された莫大な強奪金を巡って最後の対決をする。
まさに三すくみの状態になるのだが・・・


















銃に詳しい方は見てすぐに分かるだろう。
私もビデオ初見ですぐに見抜いた。
ウォーラックのガンには雷管がかぶさっていない。
実はこれはブロンディ(イーストウッド)によって事前に抜き取られて
いたのだ。これでは発射できない。
リーバン・クリーフの銃にはきちんと雷管がかぶさっている。
レミントン・ネービーだ。
だが、先込めパーカッション式銃であるのに、なぜガンベルトには
カートリッヂ式の弾丸が納められているのか(笑

一番最初に銃に手を掛けたのはリー・バン・クリーフだったが、早撃ちの
金髪野郎は迷うことなく右側の彼を狙い一発で命中させる。




必死になって銃をファニング(煽り撃ち)するウォーラックだが、
弾などは出ない。

ここで、イーストウッドは歩きながらイーライに寄ってくる。
その途中、最後の力を振り絞って反撃をしようとするリー・バン・
クリーフにとどめの一発を発射する。墓穴にすっ飛ばされて
オダブツの悪党。


ここで、金髪野郎はいかにも西部劇的な(日活無国籍映画が好み
そうな=1960年代初期の世界の若者が好みそうな)アクションを
する。残された帽子と銃を撃って弾き飛ばし、死者の墓穴に放り
込むのだ。






リー・バン・クリーフの拳銃も歩きながら撃ってすっ飛ばす。






キャプチャリングしたら判り易いだろう。
撃たれて落としたリー・バン・クリーフの拳銃は、何もしていない
のに、カットのたびに落ちている位置と向きが違うのだ。
帽子を撃った時の衝撃で銃が動いたとかいうものではない。
最初にリーバンクリーフが撃たれて落ちた位置とは銃身とグリップの
向きがまるで逆なので
ある。
その後もすべて異なる。


映画というのはシナリオの流れ通りに撮影はされない。いきなり
ラストシーンからの撮影ということもある。
しかも、OKテイクまで何度も撮るし、一つのシーンでも何カットも
ある場合はそのカットごとに何度もテイクする。
物が置かれている配置など、バラバラになってしまうのだ。
こうしたことのチェックはスクリプターや他のスタッフの仕事なのだが、
こと正確には手描きの時代には描写を記録できない。
だからしてこのような間違いが往々にして起きていた。
ポラロイドが発明されて普及してからはそれが大いに活用された
ようだが、デジカメがあったらねえ。すぐにチェックできたろうに・・・。
まあ、なんというか時代なり。

映画はこういうのも楽しめる。製作者のミスというか隙みたいな部分で。
まあ、大抵は劇場で観た初見でわかっちゃうのだけどね。クロサワ以外は。
なんというか、こういう発見は狙撃兵養成訓練の「キムのゲーム」に似て
いる。さすがに5歳の頃には判らなかったが、ティーン以降は初見で大体
判る。

ただ、13才の時に友人たちと劇場公開で観て、それを担任に感想を書けと
いうことで私が『ダーティハリー2』の感想文というか、レビューを書いたが、
そこでも齟齬を見つけて指摘を絡めて映画評として考察をまとめた文を
提出した。商業ベースではないので、書きたいことを書かせてもらった。
担任に「どこかのネタ本をまるまる書き写したりしたら駄目だ」と言われた
時には、さすがに「ちょっとまて」と抗議した。
担任曰く「中学1年がこんな文章書ける訳がない」というのだ。私の身長は
中2の最初から現在まで変化がないが、文章も中1の頃から今とほぼ変わ
らない。信じようが信じまいが、事実だからしかたない。
実際に今中学の時の日記や文章を読むと、「何だ?このクソガキは」と自分
でも思う程に今と思考パターンや言語使用方法は変化がない。食えないガキ
だと自分でも今思う。
文章はまず読んで読解できなければ始まらないので、大人の文章-子供の
文章などというものは本来存在しない。子供に理解できるようにした文章は
本当は子供向けなのではない。同時に書く文章にも年齢なりなどというものは
存在しない。例えば、新聞は小学生だろうと、読んで理解できなければなら
ないのだという概念が私にはローティーンの頃からあった。
理解できるという事は、表現力においてもそれに近接するということだ。
この論は話すと長くなるから、ここでは割愛する。
俺は早い時期からチーチーパッパを脱していただけのことだ。良い事でも
悪いことでもない。成否などというそういう次元とは問題が異なるし、俺自身は
私的には問題や不都合は一切なかったので、結論的には問題はない。ただ、
周囲と比べるとまったくの「異質」ではあった。


閑話休題-

このような映画上のちぐはぐなミスは存在しない作品はないほどに
ほぼすべての映画に存在する。
しかし、ひどいのはデジカメが普及した後も、監督はじめスタッフが
まったく気づかないまま撮影終了し、後で事態が発覚してもキャストの
スケジュールがまったく調整とれず撮り直しが不可能なため、おかしい
絵のままで上映した作品もある。『たそがれ清兵衛』などはその典型だ。
河原の決闘のシーンでね、大杉漣さんがでっかい指輪したまま本番
撮影に入っちゃったの。で、撮り終えて、編集終わるまで誰も気づかな
かった。もう後の祭り、という奴で。
だから、現代指輪をしたままという非常に珍妙な侍の決闘というまま
で山田洋次監督は上映に踏み切った。
だめだろ、それ(苦笑
もしかしたら、腕時計をしていても上映したかもしれない。
おいちゃん、ごめんよ、なんてなノリで。
クロサワならば、絶対に撮り直していた。





文字通りのミステイクがOKテイクとなったが、この『続 夕陽のガンマン』の
名シーンの作りはカット割りと役者の演技の重なりが映像的に秀逸だし、
西部劇史上に残る傑作シーンだ。
ご覧あれ。

それにしてもさあ。
超ワイドスクリーンの映画って最近ないよねぇ。
映画館も昔のようなでっかいスクリーンではないし、席数も異様に狭い。
地方では、一つの映画館の同じフロアに小劇場がいくつもあって(10以上?)
好きな映画を選んで観るようになっている。同じ映画館でいくつもの作品
が上映されているのは便利は便利だが、昔でいうところの300人劇場
よりも狭い映画館でスモールなスクリーンというのは・・・劇場行く意味は
どこにあるのだろう、という気もする。
超ワイド作品と大型映画館の復活を臨むが、経済状況と社会状況がかつて
の時代とは異なるから、もう無理なのだろうなぁ。

↓この動画はクリックでyoutube元サイトに行き、さらに最大モードでご覧になる
↓ことを推奨します。この横幅が大劇場一杯に広がってたのよ、昔の映画は。


The Good, the Bad and the Ugly ending scene.avi


『オイディプスの刃』 ~映画に出てくる場所とロジック~

2015年02月05日 | open


『オイディプスの刃』

『オイディプスの刃』は私にとってかなり印象的な作品だ。
なぜ印象的で特別扱いかというと、日本刀がメインの現代劇だからだ。

【過去記事】

映画『オイディプスの刃』レビュー(2007年1月28日)

小説『オイディプスの刃』レビュー(2007年7月3日)

映画『オイディプスの刃』に関して、刀の研ぎについての雑感(2011年12月21日)

映画『オイディプスの刃』(2014年3月31日)

この作品は原作の世界の映像化として実によくできた秀逸な作なのだが、
昨夜、また観ていて、やはりこの映画の演出の詰めの甘さが目について
しまった。
真剣日本刀が多く出てくるのだが、タイトルバックに使われる刀身や
アップでの刀身の研ぎのひどいこと。美濃現代刀三本杉を互の目調に
刃取りをしている研ぎだが、刃取りがカクカクしていていただけない。
また、いわゆる刃をやたら白くするコンクール用の花魁研ぎだ。
1980年代にすでにもうこのような研ぎが出回っていたことがよく判る。

劇中、最後のほうの山場で、主人公(古尾谷雅人)の弟(京本政樹)が
ある人物に書類を渡してほしいといまわの際で願う。
その時の待ち合わせが昭和63年3月21日〇時〇〇分、皇居前祝田橋
なのだが、「その橋のたもと」と指定している。
祝田橋はかつて江戸城としてあった頃~明治初期は土橋だったが、
現在はただの道路だ。

(千代田区観光協会)




原作者赤江瀑(1933~2012)は山口県下関生まれだが、日大芸術学部
出身で東京は知っているはずだ。
『オイディプスの刃』で第一回角川小説賞を受賞した時は1974年なので
41歳という遅咲きだが、若い時分には東京で過ごしたことがある筈で、
皇居周辺に昏かったとも思えない。
映画のシナリオは中村務と成島東一郎監督が担当した。
中村務は1933年富山県出身で島根大学を卒業後、通信合同社を経て、
大映京都撮影所に入社している。仕事場は主として京都の映画人だ。
監督成島東一郎(1925~1993)は東京生まれの東京育ちで、映画ファン
なら成島を知らない人間はいない。昭和22年に松竹大船撮影所撮影部に
入社し、木下恵介に師事した。昭和26年には日本最初のカラー映画である
『カルメン故郷に帰る』に撮影助手として参加した。秀作に多く関わったが、
自らメガホンを取ったヒット作としては『戦場のメリークリスマス』がある。

成島の脚本担当は、ディティール等の修正のみで、メインの本書きは
東京をよく知らない中村が担当したのではなかろうか。
戦後までの有楽町数寄屋橋は『君の名は』で、日本中の風呂屋から
女性が放送を聴くために消えたと言われた程ヒットした作品だったが、
映画版『君の名は』(1953年松竹)でも、まだ橋として存在した数寄屋橋
が登場した。
岸恵子が演じるスカーフの「真知子巻き」は、30年後の聖子ちゃん
カットと同じように、当時の若い女性の誰もが真似をした。




モノクロの頃の日本映画はとても美しい。いかにも「銀幕」だ。
まるでフランス映画のような別世界が広がっていた。
だからこそ、映画俳優は銀幕のスターであり、スクリーンの中、
仮想空間の天使たちだったのだ。だから、一般庶民的な面は
プライベートにおいても絶対にスターたちは見せなかった。
このスタンスを現在でも頑なに守っている俳優は、日本では
田村正和ただ一人である。彼のみがプライベートでも絶対に
立ち位置を崩さない。これは彼自身も言っている。映画俳優は
こうであるべきだ、と。現在、「銀幕のスター」は彼一人である。

銀座有楽町の数寄屋橋。


私が生まれる2年前の高度経済成長期の入口で堀は埋め立てられ、
数寄屋橋は無くなった。地名だけが今も残っている。




かつての数寄屋橋御門界隈。堀がまだある。


現在。


現在の数寄屋橋交差点。



映画『オイディプスの刃』で出てくるセリフ「祝田橋。その橋のたもとで」
という待ち合わせ場所は、映画製作時の1985年どころか原作出版時
の1974年でさえ、場所の状況にそぐわない違和感がある。
橋はそこにないのだ。1974年時点では、地名だけが残っていた。
当然「橋のたもと」というような場所もない。

『オイディプスの刃』ではこのような齟齬がいくつか散見されるが、映像の
ちょっとしたちぐはぐさは見過ごしてしまったとしても、台詞は観客の脳裏
に言葉として残る。
これは、ストーリーの流れからして「辿りつけない場所」としての暗喩なの
だろうかと私は深読みしてしまう。
事実、劇の展開は、妖刀備中国住青江次吉をめぐって悲劇がつぎつぎに
起こる。
そして、すべての人が死んだ。
なぜ備中国住青江次吉がこの作品のメインに据えられているのか。
「次吉」という銘の刀をあえて選択したのではなかろうかという逆説的
ロジックを私はさらに深読みしてしまう。
望んでも望んでも次の吉はやっては来ない、という赤江瀑による絶望的な
未来の暗示をこの作品に私は見るのだ。
「青江」は赤江の自己投影だろう。
このことからも、赤江瀑は三島文学の正統系統者に名を連ねるべき
存在だとする瀬戸内寂聴の言にも私は頷けるのである。