【空飛ぶバイク】開発会社が破産“売りに
出せる商品じゃない”“給料未払い”元社員
が明かす開発の実態|ABEMA的ニュースショー
アナウンサーの最初のコメントに
笑ってしまった。
うちの近所にはこんな快走ロード
がある。
近所といっても、5キロや10キロ
ではないのだけど、まあ、こちら
中国地区の感覚で言うならば「す
ぐそこ」。
このロードは道幅も広く、路面の
状態も良好であるのだが、交通量
が多いので、絶対に攻めてはなら
ない。危険。
ゆっくり、ブーンと軽いバンクで
走りましょう。
ヘアピンというよりも、鈴鹿のス
プーンよりは少しきつい位程度の
Rなので、攻めちゃうと、とんで
もない速度になってしまう。あぶ
ない。
鈴鹿S字と同じくらいかな。
鈴鹿ではそのS字を抜けてダンロッ
プからデグナーに向かう所の速度
は200km/hを超える。200km/h
超でバンクさせる。
鈴鹿の東セクションが面白いのは、
低速(S字の120km/h程)と高
速(200km/h超)が合わさってい
るからだ。スプーンと並ぶバトル
ポイント。
公道はサーキットではないので、
公道なりの制限速度で、どぞ。
途中鉄橋もあるほどで、高低差も
かなりある。
道行きを楽しみながら安全に走っ
てください。
このルートは山の上だけど、路上
からの下りで海が見える場所が
コース上に2ヶ所ある。
走る人は探してみてください。
私はオカルトめいた事は
信用しない。
ただし、科学では説明が
つかない現象がこの世に
存在する事は認知してい
る。
嘘か真か分からぬが(まず
創作)、私の直系先祖は
京都の六道珍皇寺という寺
の井戸から魔界に行き、閻
魔大王と昵懇で、現世での
人々の罪科を報告していた
という伝承がある。
冥府魔道の出入り口は京都
に残る寺の井戸。
もう完全に科学的には
あり得ない話なのだが、
将門塚の怨念と同じく、
昔の人たちは信じ切って
いたようだ。
なんとも非科学的であるの
だが、まあ饅頭怖いや信心
も鰯の頭から、みたいな
ものだろう。
その往来者は、あまりに
弓馬ばかりに専念するの
で嵯峨天皇から呆れられ、
また時の御政道を批判し、
遣唐副使たるもボイコット
した為に隠岐に島流しに
なった。
その時に詠んだ歌が
わたのはら 八十島かけて
こぎ出でぬと
人にはつげよ あまの釣り舟
だ。百人一首の11番目あたり
に出て来る。
この一首なのだが、実はこれ
は悲嘆の歌ではなく、この時
に及んでも、と思えるいかに
も彼らしい歌なのだ。
和歌を読解でき、歴史学の
政治情勢に詳しい人なら気
づくだろう。これは決起の
檄文なのだ。
だが、日本文学の中では、そ
のような解釈は存在していな
い。字面の文面を文学的観点
からしか紐解かないからだ。
この一首は水底の歌のような
激白感情と蜂起の教唆扇動が
裏に秘められているのである。
宇治拾遺物語の「無悪善」を
「さがなくばよからん(嵯峨
天皇がいなければもっと良い
世の中になるのに)」と読ん
で天皇を激昂させた人物だ。
冥府魔道に生きる者、恐れを
知らぬ。950年後の拝一刀かっ
つーの。
渓流で不思議な体験をしてい
るケースが多い。
不思議というよりも奇怪な実
体験。
私もいくつもある。
不思議というならば、そうし
た奇々怪々な実体験をした事
がある人がやたら多いという
事実そのものだろう。
いずれ、それらの聞き取りの
体験談や私の体験を纏めて綴
って行きたいと思う。
なってしまった。
私はあまりオカルトめいた事は
信じない。
だが、見える人何人かによると
私には異常な程の力の守護神が
背後についているとの事。
うしろの百太郎ではないが。
何か武者装束を着ているらしい。
そいういや、不思議と「もはや
これまで」という状況から生還
している。病歴では医師複数名
が「あり得ない」という全快を
も以て。また、妻に関しても。
他にも物理的に「もはやこれ
まで」という状況からも何度も
生還している。
意外と覚悟を決めて生に執着
しないと生還できるものだと
思っている。仮に死んだら死
んだで、それはその時はその
時だ。人間ならば誰でも100%
死ぬのであるから、それがいつ
かだけの違いでしかない。
与えられた命は大切に思うが、
生には執着しない。
そして、私には物心ついたとき
からおかしなことがある。
それは幽霊妖怪もののけの類に
対して一切恐怖心が無い。
それは出てきたら驚きはする
だろうが、びっくりしても恐怖
心は無い。不思議な程に皆無。
それどころか、子どもの頃から
そのような不届きなものどもが
出張ってきたら成敗してくれる、
という気持ちが強くあった。
幽霊に対しては「殺すぞ」と。
相手は死んでいてもまた殺す
ぞ、と。成仏を願うとかでは
ない。成敗してくれよう、だ。
これ、不思議なもので物心が
ついてからずっとそう。
これはいにしえの先祖筋の妖
怪退治の伝とは無縁だろう。
伝はあくまで伝説、伝承だ。
私のこうした性分は単なる一
個人的気質、気性の問題だろう。
ただし、それは後付けではなく、
生まれながらのものだ。
ちなみに、父も祖父もまったく
化け物の類は怖がらなかった。
父に関しては、存在は否定せず
とも「いたからどうした」だっ
た。
実際の所、うちの本家屋敷は
よくその手が出た。
私はオカルトは信用しないが、
不可解な現象というのは発生
したのは何度か経験している。
斬り伏せるには惜しい存在も
いたりもした。
一番怖いのはそうしたもののけ
や幽霊妖怪の類ではなく、天の
裁きであり、また人間そのもの
だ。
人間が生きていながら魔物になる。
それが一番恐ろしい。
ちなみに一番怖いのは饅頭だ。
これは江戸古典時代から怖いのは
それと相場が決まってる。
そして、「ニッポン饅頭」の時の
黒宮れいちゃんなどは、怖すぎて
困ってしまう。
「天然魚」保護の為
これより先は
自粛区域
○○川漁業協同組合
かつて自粛区域ではなかった頃、
この支流はバンバン釣れた。
アマゴの宝庫。怖い程釣れたし、
怖い体験もした。
アマゴとクマとお化けさんいらっ
しゃいの流域。
お化けは怖くはないが、この川
に関しての入渓前の情報とその
後の情報がゲゲゲのゲッだった。
そして、原因不明の高熱にうな
されて仕事を一週間休んだ。
帰還したベースロッジから高熱
で出られなかった。
いるのよ、ウハウハと。
シュートしたらヒット、投げたら
かかる。もう入れ食いとはこれ、
みたいな。気持ち悪かった。
そして、どんどん知らないうちに
おいでおいでをされるように上流
に引き込まれていく。
上流部なのに水量は異様に多い。
そして、これは私の経験ではな
いが、この川には水深が浅い瀬
の場所があり、そこは足首程の
水深の場所。やや広い。
そこでハゲのおっさんが笑いな
がら首だけを水面から出してい
たりする。
真夏だし誰か涼みで泳いでいる
のか、こんな山奥にまで来て。
挨拶しても笑ってこちらを見て
いるだけ。
変なおっさん、と思って背を
向けて場所を移動しようとした。
と思ったら、あり得ない事に気づ
いた。
そこは水深は足首ほどなのだ。
そして垂直に首から上だけを
水面から出しているのだ。体は
見えない。
うわっ!となり、恐る恐るゆっ
くりと振り向いて確認すると誰
もいない・・・。
その体験をした人は、帰宅後に
一週間謎の高熱で仕事を休んだ。
そういう川。
私が聞いたこの話を別なフライ
マンにすると、似た経験をそこ
でしたと言う。やはり高熱も出
たと言う。
二人とも二度と行かないと行っ
ていた。
漁協の人に禁漁区ではないです
よね、と私が電話で尋ねた時、
「禁漁区じゃないけど、あそこに
行くのですか?」といぶかしげ
に尋ね返してくる。
そんな川。
渓相は抜群だ。
なぜ禁漁区ではなく「自粛区間」
なのか。
何か裏がありそう。
そんな川。
私の場合も、え?と思った。
私が釣り上がって行くと、先行
者がいるのだ。白いシャツの釣
り人?
だが、それなのに嘘のように釣
れる。遡上速度は同じなのに、
上流のスラリとした白いシャツ
の人は見えなくなった。
そしてどんどん上流に誘い込まれ
る。
一尾だけ〆てフィッシュシートで
包んでフライベストのポケットに
収めた。ベースのロッジに持ち帰
り肴にするためだ。
それからも何度も釣れる。
なんかおかしい。投げるたびに
ヒットするのだ。
そして、どんどん奥の上流に誘い
込まれる。
もう一尾持ち帰るかと、釣り上げ
たアマゴを手に取って、ナイフを
頭部に突き立てようとした瞬間、
アマゴがギョロリと私を睨んだ。
通常あり得ない。
ワッ!となって手を緩めたら流れ
に逃げて行った。
なんだかここは様子がおかしいぞ。
気味悪いからけえるべ~と、道ま
で這い登って、その道をかなり歩
き下って車を停めた所まで戻った。
見ると、車の周りはクマの足跡だ
らけだった。
そんな川。
そして、ベースに戻ったら謎の高熱
で仕事を何日も休んだ。42度近く
出た。命を持っていかれそうだった。
キャンプ場支配人が救急車を呼ぼう
かとした程だった。
そんな川。
なお、入渓前の情報としては一ヵ月
ほど前に、この流域で釣り人がクマ
に顔を半分そぎ落とされたそうだ。
それを聴いた時には、まだその人は
入院中だとの事だった(漁協情報)。
首出しおっさんの話は定かではない
が、他はすべて私の実体験だ。
もはや遊歩道扱いされてる険道区間
(幅員1.7m) [山口県道308号明木美東線]
この人は車も渋いがやる事も
渋い。
ほとんど、探検家(笑
例の広島県と島根県を結ぶ閉鎖
国道488号線もレポートしている。
私がフライでアマゴ釣りに行って
いた頃は全線開通していたので、
このように吉和の町から折れて
国道に入ってすぐの所での通行止
めというのは結構衝撃的。
で、この動画で省かれている林道
は、実は国道488号線よりもずっと
整備されている道路(笑
地元の人らはそこを使う。
ただし、併行する小河川にはマス
族はいるにはいるが、魚影は極め
て薄い。ひとつ西の488号沿いの
主川(太田川源流)のほうが同じ
薄いながらもまだ魚影がある。
フライフィッシング専用エリア
もかつてはあった。
クマに遭遇しながらも、広島県内
の渓流源流部の支流は、ほとんど
全てに近い程訪れている。当時の
私の地図にはびっしりと訪問日時
と状況が書き込まれている。
年間釣行90日。
また、地図にさえ載っていない
支流源流部は多くある。それらも
釣行したが、殆どが大正時代に
移殖されたゴギ(イワナ亜種)
の流域になる。
地図に全く載っていない湧水や
泉、池もかなりの高原部にあっ
たりする。伏流水の河川も多い。
それらの源流域はフライでもロン
グキャストは物理的に全くできず、
わずかのラインとティペット長だ
けで川面を叩く釣りとなる。遡上
はほぼ沢登り。熊さんウハウハ
うろうろの場所。
沢辺の岩場の岩は掴んではいけな
い。大抵マムシが丸まっていたり
するからだ。それらのノウハウは
地元の人から直に教わった。
動物のハンティングと同じく、厳
しい山攻めになる。ほとんどサバ
イバルフィッシングのような(笑
時々思った。これは釣りなのかな、
山登りなのかな、と。
その国道ゲート、12年間未だ通行止め。
[国道488号酷道区間 車窓動画]
というか、国道488号は通行止め
になっても通行禁止直後は動画の
場所のようにこんな手前からの通
行止めではなかった。
はブレーキや旋回などの車
の動体性能だけでなく、絶
対に求めてる事柄があると
思いますよ。
うに誹謗する風潮が二輪乗
りの中にさえある。
かししか口にしない良市民
ぶったカスだと思っている。
飛び高速バイクを選ぶ連中
は、ある程度、腹括ってる奴
らだとは思うよ、俺は。
てる世の中の奴らが如何に
くそダサいかを。
ジャーナリストの奴らかも
ね。
45PSあったマッハⅡではTON-UP
は当たり前だった。
だが、1981年に登場したこれも
軽くTON-UPどころか、メーター
を振り切って真下まで指した。
45馬力2気筒パラレル。重量が
軽いのでバカッぱや。
KH400でも、160km/hから二人乗
りで力強く加速したが、これも
二人乗りで160からの加速などは
楽勝だった。(1981年R17新大宮
バイパス)
メーター誤差はあるにせよ、そう
いう二輪だった。
後ろに乗っていた後のかみさん
は、「オートバイってこんなに
出すんだ」と思ったと後年語る。
全く速度は怖くはなかったが、
転んだら死ぬなぁと何となく
思ったらしい。
かみさん自身も自身が二輪に乗
ってからは速度を出しすぎる人
ではあったが、無事故無転倒
無検挙だった。それは二輪を降
りるまでそう。
この速度に対する恐怖感の有無
はスピードスポーツには結構重
要なファクターとなる。
速度が怖い人は、たとえ20km/h
でも恐怖を感じる。二輪車とか
で。
多分だが、スキーやスケボーな
どはやれないだろう。
まして、ジェットコースター
(せいぜい100km/h前後)に
乗ったら絶叫オンリーだろう。
ジェットコースターに乗るには
恐怖感があるなら克服する方法
がある。
オートバイと同じく、コーナリ
ングの時に首を垂直にして曲が
る先のイン側を見るのだ。顎は
やや引いて。
絶叫マシンといえどもバイクより
かなり遅いので、それをやると
まったく怖くも何ともなくなる
のが良くないのではあるが。
ただ、コーナリングのGは楽しめ
る。
この方法を教えたら、子どもだっ
た娘はネズミ陸海国でコースター
大好きになってしまった。面白い
と言う。
妻がバイクに乗れたのは速度への
恐怖感は持たない人だったから
かも知れない。
二輪に乗っている人でも、怖くて
80km/h以上出せないという人は
かなり多い。
高速道路で120km/hまでOKの場所
でも80km/hまでしか出さない。
そして、一般道でも怖い怖い怖ーい
とか叫んでたりとか。
恐怖で身体がまともに動かない
から二輪走行は危ないのでやめ
といたほうがいいかと思う。
それは先天的なものなのでなか
なか克服は難しい。
例えば私などは高所だ。
飛行機も山登りも自然断崖も平気。
子どもの時、小田原城の石垣を
ある程度昇って大目玉を食った
事があった。
だが、現代人工建築物の高い所は
まるでダメだ。ある都内のビルの
エレベーターが故障して外にむき
出しの鉄の非常階段で10数階を
降りた時などは、歩きながら心臓
麻痺で死ぬかと思った。
不思議とジェットコースターの
登りの高度は平気。だが、巨大
観覧車などはからきしだ。自分
でも頭の中の構造がよく分から
ない。
自分が空挺作戦は万一できても
高層ビルやタワーや橋脚建設の
とび職は絶対に無理というのは
分かっている。これは抗いよう
がない。
しかし、世の中上には上がいる。
私が高校時代に属したレーシング
チームのオーナーは、建物の1階
の張り出し屋根にさえ昇れない程
の高所恐怖症だった。
また、特装トラックでも、後ろの
昇り梯子を2段以上上がれない人
も何人か見て来た。
オペレーター運転手や製造や整備
現場では不採用にもなっていた。
速度への恐怖感は無くとも、危険
への予測能力と対処技術と事前
回避能力が無いと、これまた二輪
は危険だ。
速度も、直線ならば300km/hも
出せるだろうが、問題は旋回。
旋回時にマシンや自分の限界を
知らない怖いもの知らずは命取
りになる。
それらは速度への恐怖感の有無
とは別に、危険認知度が皆無と
いう事になり、とても危ない。
ただ一つ、速度については定理
がある。
それは、「速度を落としさえ
すれば安全」という事は存在
しない、という事だ。
例えば、運転に集中せず、動画
撮影でずっとくっちゃべりなが
らのながら運転などは極めて
危険。最近小銭稼ぎ目的の連中
がそれをやりまくっているけど。
あれは道交法としても危険運転
になる。条文はよく自分で調べ
てほしい。
音楽をヘルメットの中で聴きな
がら等の運転も危険だ。
インカムは情報伝達手段として
有効で、走行者同士の会話は
手短にすればむしろ情報伝達で
は安全に寄与するだろう。
だが、小銭稼ぎ動画配信者のよ
うにず~っと会話し続けながら
の二輪運転は極めて危険だ。
要するに、速度を落としても、
こうした運転をしていたら、
それは全く以て安全運転とは
いえない。
二輪運転者は注意が必要だ。
45PSあったマッハⅡではTON-UP
は当たり前だったが、牙を抜かれ
てマイルドにされたといわれた
KH400でも、160km/hから二人乗
りで力強く加速した。(1977年
R17新大宮バイパス)
メーター誤差はあるにせよ、そう
いう二輪だった。
スルスルした加速ではなく、グン
とトルク感もある加速を見せた。
こういうのはタイムリーに乗って
走らしてみなけりゃ、あの実感も
実態も分からないだろう。
ただ、これは体感だが、スズキ
サンパチの回るエンジンには
参った。
まるでモーターのようだった。
なお、1977年あたりまで、ホン
ダは350~400のミドルクラスで
はトロい車しか作れなかった。
これ事実。
カワサキ、スズキが速かった。
大阪府警交通指導課寝屋川署管内
暴走族取り締まり 90年代映像
なんだ?このバイク。
世間一般では暴走族というのは
今はこういうチンドン屋みたい
なのをイメージするのだろう。
だが、1978年道交法改正以前
の本物の暴走族はこういうの
ではない。
この動画の少年たちも、ちん
たら走っていて全然「暴走」
してないし。
1チームで2輪200台、4輪400台
とかで街道を100km/hオーバー
で集団暴走するのが暴走族で
しょうに。それが土曜の夜には
何チームも爆走し、万という人
間が走り回る。それが暴走族。
これ、動画のは違法走行してる
けど、ちんたら族でしょ?
警察からしたらひとからげなの
だろうけど。峠族でさえ暴走
族規定しているし。
あいつとララバイに出て来る
ようなのが歴史上の本物の暴
走族。原宿ティディボーイズ
みたいなのとか。
もっと厳密にいえば、特攻服
など着ていない時代ね。
というか、時代と共に形式が
違うのでしょうね。
暴走せず集団でちんたら走り
でも暴走族、ねえ・・・。
幹線道路では集団TON-UP
(160超)も普通だったのだ
けど、まあそういう連中は
1980年代には絶滅した。
この90年代の集団は、「暴走
族」と一括りにしていいのか
疑問が残る。
1970年代。
ジャングルじゃないです、現役駅前です。
[秘境駅まで運転してみた第十弾]
こいつぁ凄すぎるぜ(驚
ここを徒歩で通らないと現役
稼働している鉄道駅に辿り着
けない。
というか、どうやって、駅舎
を建築したの?
あ~。
先に線路を敷設して、貨物車
で建材と人員を運搬したのか。
それしかねえべ。
四国の大歩危小歩危に行った
とき、土讃線が走っているの
を偶然ラッキーにも観られた
のね。
山肌の崖みたいなところを走
っていた。
この路線も廃線になる前に乗っ
てみたいなぁ。
どんどんこういう過疎線は廃
線になって行ってる。
こちらもどうぞ。
【陸の孤島】もし降り立って
しまたら脱出が絶望的な秘境駅
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