実在したならば、ワイルド7のリーダー
飛葉は今年で66〜67才になる(笑)。
矢吹丈の1〜2才年上。
ちなみに連載開始時に高校生だった
このバリ伝グンちゃんは今年で54才
になる(笑)。
一番凄いのはBE-BOPハイスクールの
ヒロシとトオルだ。
連載開始が1983年、終了が2003年。
20年間も高校生をやっていた(笑)。
ワイルド7も飛葉は私の7才年上だっ
たのが、いつの間にか歳下に描かれ
るようになったが、それでもシリーズ
の作品の中で飛葉が年齢が進む表現を
させていたからまだましだ。
驚異的なのはゴルゴ13デューク東郷ね。
あの人、どうやらケネディ大統領狙撃もやった
みたいだから、実在していたらとうに
80才を超えている(笑)。
しかし、以前から思っちゃあいたが、
自分でてめえのこと「デューク(公爵)」
と名乗るのは、ちょいとイタくねえ
か?(笑)
でも、Duke は握り固めた拳の意味も
あるから、そっちか?
つまりゴルゴ13は「げんこつ東郷」
て訳だ。
まるで「どっこい大作」みたいだ。
自分で描いておきながらこう言うのもなんだが、
武士が刀検めや手入れ検分(鑑賞とは異なる)の
時に懐紙を口に咥えたというのは、まことなりし
や、と思う。
一次資料等で精査していないので、確かなことは
なんとも言えない。
刀剣を裸身で抜刀した際には、一切一言たりとも
言葉を発しないのは過去も現在も日本刀取り扱い
の常識の心得としてある。
喋ると、目に見えない唾が飛ぶからだ。
それを防ぐために、現代では医療用マスクを着用
することさえもある。
そのための口を閉じる目的で懐紙を口に咥えるの
ならば理解はできる。
ただ、時代劇等では、その口に咥えた懐紙で刀身
を拭ったりする。
これは、現実的にはあり得ない。
炭素鋼は僅かな水気で錆を呼ぶ。そのため、刀剣
が裸身の時には一言も喋ってはならないのであ
る。鼻で息し、吐く息は真下に静かに抜けさせ
る。
刀身に顔を近づけて精査する場合には、鼻からの
息も刀身にかからないように鼻と口の前に懐紙で
衝立をする。
しかし、口に咥えた懐紙で頭身を拭うのは、それ
らの防錆上の細心の注意を全く無効にしてしま
う。
咥えた懐紙で拭うのは時代劇での創作だろう。
それと似た時代劇の所作で、刀剣吟味の時に刀身
を鞘から抜く際に、柄を下にして鞘を立て、鞘を
上に抜いて行く所作が時代劇で時々みられる。
これもあり得ない。
刀剣取り扱い作法を大きく逸脱しているからだ。
刀身は刃を上にして、左腿の上に置き、静かに
そのまま鞘を床と水平にしたまま少し上に取り、
鞘を一切動かさず、静かに刀身を鞘内こすりしな
いように最大限に注意しながら抜いて行くので
ある。
この「静かに」というのは「ゆっくり」とは異な
る。牛歩のような遅い速度で刀身を鞘から抜く
と、刀剣というものは鞘内では中空に浮いて保持
されているため、抜刀速度が遅すぎると鞘の内側
に刀身が揺れて身をこする可能性があるからだ。
決してもたもたとではなく、乱暴にでもなく、
静かに水が軒をつたうようにスーッと淀みなく
抜くのである。
それが刀剣の抜刀の仕方であり、日本刀鑑賞や
検査吟味の際の正しい作法である。
鞘は立てない。武技での抜刀法のように鞘寝かせ
もしない。
武技ではない日本刀の抜刀は「切る」為ではない
ので、刀身にヒケ(擦過痕)が着かないように細心
の注意を払って鞘を払うのだ。
刀剣吟味の際の懐紙咥えについては、折をみて
一次史料まで遡って調べてみようかと思ってい
る。
上掲画は、時代小説の挿絵風として、某画伯への
リスペクトを抱いてタッチを模して描いた手慰み
であり、物知らぬ素人の戯れ事とご笑覧賜れば
幸いである。
これはトイガンだ。
私の手によってフルチューンナップされている。
第二次世界大戦で敗戦国となるまでの日本では
誰でも拳銃の所持ができた。街の銃砲店で猟銃の
みならず、拳銃も自由に購入して所持することが
可能だった。
今の世界有数の厳しい銃器取締国となったのは、
敗戦国ゆえの「作られた」「平和」イメージに
よる法整備によるものである。
それと、アメリカ主導の戦後思潮を背景とした
国民的武装の解除ね。
敗戦までは、日本では自由購入としては旧軍人
将校などの拳銃は個人購入の自弁装備だった。
当時の資料見ると、ベルギーのFN1910ブローニ
ングなどは小型で人気があったみたいね。私の
伯父も戦中にその拳銃を愛用していた。
これね。
戦後も日本警察の私服警察官などがずっと1910
を使用していた。1980年代には警視庁管内の所
轄私服刑事もブローニングM1910をホルスター
にぶっこんで職務に就いていた。(が、指紋録取
室で拳銃をちらつかせて被疑者の頭に銃を突き
つけたりするのは明らかに警職法違反。事実は小説より奇なり。現実にはいろいろある)
ブローニングM1910は同口径のワルサーPPKと
並ぶ名銃だ。
ナチスドイツの警察軍用銃ワルサーPPKは、日本
ではまだ皇宮警察の一部が使用している。
皇宮警察。
しかし、仮に明治時代に北米大陸にいたとした
ら、やはりコルトSAAを私は迷うことなく選択
することだろう。
1873年に登場してから、黒色火薬時代から1896
年に無煙火薬対応モデルへのバージョンアップと
いう小変化はあったが、登場当時から構造は完成
されていた。
銃器というものは、ときどき滑った設計の物が
世に出るが、殆どの場合は最初から完成されて
おり、100年以上前の銃が今でも現役であるなど
というのはザラだ。コルトM1911A1ガバメント
などもその一つだろう。
日本の明治時代に北米にいたとしたら、私はSAA
を選ぶなぁ。
それはロマンとかそんなのではなくて、ソリッド
フレームの耐久性と軽量小型のリボルバーとして
の圧倒的な信頼性から。
戦後こんな日本になってしまったから、銃器その
ものがまるで麻薬と同じ悪であるかのように国民
は洗脳されているけど、本当はその感覚のほうが
おかしいのよ。
武器の独占は国家権力だけに集中していて、人民
の自立的自衛権を100%剥奪しているのだから。
これは人類の世界史的に見ても、絶対に異形で
奇形なの。
今の目の前のことだけが普遍性を持つ当たり前の
常識だなどと思っていたら、視野が狭すぎて世界
から笑われるよ〜。
銃器が悪ではなく、法律での決め事だから不法所
持をしてはならないのよ。
そこ大切。
銃器が悪なら、警察官や海上保安官や自衛官は悪
のアイテムを占有していることになる。
植え込まれた平和ボケでの勘違いはいけない。
平和を訴える側にも平和ボケというか、大きな
勘違いをしているのが多くて、例えばオスプレイ
を悪い兵器だからいけない、というニュアンスで
言う者たちもいる。
これは、殺人事件で一番使われるのが包丁だから
包丁は悪、刃物はいけない物、という発想と同質
地平に思考の軸がある。
てんで観点が滑っている。100%も。90度直滑
降だ。
論理性が無くヒステリーが先行するとそうなる。
その手の観点は、基地問題の問題の本質を突く事
などできないし、解決策も模索できない。
問題解決策とは別なところに、それらのニュアン
スに依拠して何かを主張する連中には目的がある
からだ。
人よ、騙されるなかれ。
目を見開いて覚醒せよ。