渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

自作キュー

2017年03月27日 | open



自作 Luke Landwalker キューの
グリップをバイナル系ケミカル
でコーティングした。


吊るして乾かす。


先日、試し撞きでグランドマッセ
を何度もやったら若干タップに不具
合が生じた
のでタップを新品に交換。
先角はLBM(リネンベースメラミン)に
している。



一応完成した。
重量は19.47オンス。
50円玉は1枚4グラムなので2枚
だと約8グラムで0.282オンス。

ただ、バランスポイントが私
のTADと若干異なるので
キュー
は重量よりもバランスが大切
というセオリーを踏まえると、
セッティングとしては現19.75
オンスよりも、50円玉無しの
19.47オンス設定のほうが
振り抜きの抜けがTADと同じ
感触となって良好だ


とりあえず、どんなものか、重量
セッティングではなく、バランス
セッティングにして、
友人を誘っ
て昨日軽く試し撞きに行っていろ
いろと試してみた。
マスワリ連続する15歳に持たせて
みたら「かるっ!」と叫んだが、
実は軽くないのだよ。19.47オンス
もある。構えてショットの時に
軽く感じるのはバランスポイント
のセッティングのせいなのだ。
前でも後ろでもないバランス。
構えた時にどこに重量配分を置く
かのバランス。
36時間連続勝負でも疲れない
バランス(笑)。

狙い通りの手玉の制御で、私の
ような下手っぴが使っても、この
キューで
マスワリがサクサクッ
と出たので、問題ナッシング。
十分に使える。
というかかなり良いぞ、この
キュー。
押し引きヒネリ、すべてよく働く。
私はこれを当分使うことにした。

味も素っ気もない無垢材一本木
のキューだが、この一本物という
のがなかなか出来ないのよ、木は
動くから。コンマ単位で少しずつ
削って30年かかった。
シャフトもネルソナイトなどの
化学固定剤は使用していない。
無垢の削り出しソリッド一本木
「ノーマル」だ。
これがとても良い。



最近思うのだが、キューンという
抜けるような澄んだ高音を発する
キュー
というのは、先角の素材が
まず第一、あとは振動の伝達が
どのように
後ろに真っ直ぐに抜け
て、バットエンド材の硬質さに
伝わるかでは
なかろうかと思う。
デルリン素材というのは、叩い
たらまるで金属のような音がする。

先角以外の高音の要素は、その
デルリンの音なのではなかろうか
最近思っている。
このキューは、TADとまったく
同じ音、つまりキュピンという
撞球音がする。撞いていて非常
に気持ちが良い。時々ズピンと
いう音もする。


ところで、よく考えたらさぁ。
在来工法のソリッドシャフトの
ことを「ノーマルシャフト」

呼ぶよね、ビリヤード界では。
ソリッドとかではなく「ノーマル
シャフト」と。

では、ハイテクシャフトは、
「アブノーマルシャフト」と
いうことになるが、ソリッドの
シャフトを「ノーマルか」と時代
遅れのように馬鹿にしている人
たちは、
自分たちが好んで使う
ハイテクシャフトなるものが
「アブノーマル」である
という
括りになることを自覚している
のだろうか。
自分たちが言う言質の論理性
としては(苦笑)。

ソリッドシャフトを小馬鹿にする
風潮というものは2000年頃から
始まり、
2005年前後には最高潮
に達して、猫も杓子もハイテク
シャフトに飛び
ついた。
そしてそれまでの在来工法のシャ
フトを「ふん。ノーマルか」と
まるで良くない製品のようなこと
を実に多くの者たちが口にした
(これまじ。歴史の真実)。

ここ数年、ようやくソリッド
シャフトの良さがビリヤード業界
では見直されて来て、ハイテク
シャフト
メーカーも、ソリッド
シャフトの特性を加味したハイ
テクシャフトを開発して
発売する
ようになった。

尤も、それらの販売戦略は、ノー
マルソリッドシャフト遣いたちを
もハイテク
商品ユーザーに取り込
もうとしてのことであるのだが、
厳選された無垢木のソリッド
シャ
フトの特製は、業界でもここ数年
見直される傾向にある。

私自身はハイテクシャフトも実験的
に使ったが、ソリッドシャフトを
好む。

そもそも、名匠が作るカスタム
キューには当然にして厳選され、
よくシーズ
ニングされたソリッド
シャフトが使われているし。

そして、材料とシーズニングと
時間をかけて削るのも大切だが、
シャフトの
命はテーパーにこそ
ある。それが例には、エフレン・
レイアスの細いAテー
パーなどは
まるでハイテクシャフトのような
手玉の動きを可能にする。

横に玉が割れず、縦系の手玉の軌道
をエフレン・テーパーは描くのだ。

多少のトビはあるが、それでも通常
のノーマルシャフトよりは格段に
少ない。

そしてグイッと手玉を弾むように
持って行く「玉離れの早さ」がある。

私自身は私の数値のプロテーパー
を好んで使用してきたが、エフレン
Aテー
パーのシャフト(1本持って
いる)で撞くと、やはりエフレン・
レイアスの非凡
な選択眼とセッティ
ング能力いうものを強く感じる。


この私のキューのシャフトはエフ
レン・テーパーではないが従来の
プロ
テーパーとはせずにAテーパー
にしてある。これの作り初めの頃
はエフ
レンシャフトの概念を持って
いなかったので、長さも標準的な
長さだが、
木の質はかなり良い
ものを気が遠くなるほどに寝かせ
ている。


国産竹を使ったバンブーロッドを
造ろうと1998年に切り出して寝か
せて
ある竹があるのだが、あれ
から19年が過ぎた。それもそろ
そろ竿材料と
して使えるかも知れ
ない。

そういえば、バンブーシャフトと
いう竹肥後のような細割材を何本
もシャフト
のハードロックメイプル
で挟んで削り出したハイテクシャ
フトを先日撞かせて
もらったが、
素晴らしい感触だった。

というか・・・、あれって、優れた
材のノーマルシャフトの味なん
だよね。
良質竹材の量確保が困難なようで、
バンブーシャフトは発売されて
すぐに廃版なのだそう
です(笑)。
このバンブーシャフトのような
シャフトは、何が何でもハイテク
シャフト、と
いう潮流が生んだ、
時代の落とし児なのかも知れない。

ハイテクシャフトを売るメーカー
の基本戦略は、「次から次に新製
品を開発
してそれを客に買わせる」
という方針だ。

今やビリヤード業界はゴルフや
釣り業界と同じく、新製品ラッシュ
で客に
金を消費させることで成立
する業界となってしまった。

そのようにビリヤード界がゴルフ
界の模倣の世界になったのは、
今世紀に
入ってからのことである。
新しい物がまるで良いものである
かのように錯覚しがちの日本人がその

潮流にドッカと乗って、自ら汗だく
でオールを漕いでいる。無論漕いで
いるのはメー
カーではなく消費者だ。
私のような30年前のキューを普通
に今でも使ったり、新製品には目も
くれ
ないで、古くて長く使える
良品を求めたりする人間は、現今
の撞球界からは
疎まれる存在なの
だろう。私のようなのが大集団で
層として存在するように
なったら、
今の販売方針の業界は成り立た
なくなるからだ。


でも、日本刀などは500年前の
刀でも、今でも即使える物だか
らね。

それは「作品」であろうが「製品」
であろうが、そういうことは関係
なく。

「古い」とか「時代遅れ」とか
いうのは日本刀には存在しない。

ある時、岡山で私の玉の撞き方
を見て「その撞き方は時代遅れ
だ」と言った
インストラクター
がいた。ハイテクシャフトが
出始めた時の頃のことで、撞点
とレストの位置関係を言うのなら
ばまだ分かるが、私のストローク
について指摘して「時代遅れ」
だと言うのだ。古いキューを
使っている人間に関しての指摘
としては、そんなのはあり得
ないのである。つまり玉ならぬ
的外れなことを「流行」という
目先を追うその老人には理解が
及ばなかったのだろう。
インストラクターとのことだが、
その「時代遅れ」と指摘された
その私のストロークで勝負して
ボコった。勝負は結果がすべてだ。
指導者とのことではあり、斯界
の普及に貢献している方らしいが、
人を時代遅れ呼ばわりして型に
ハメようなどと、きさん、しぇ
からしか。腹かいておらんばっ
てんが、玉でボコったばい。

そもそも、
そういう指摘の言質
自体もその潮流的な中身も私は
信用していない。

スポーツ医学的なものはあるとは
いえ、たとえば、バイクのロード
レースなど
では最近の流行で妙な
乗り方があり、直線でのブレー
キングでは片足を前に
出す走法
がある。私は信用していない。
ハングオフの走法とは違い、単
なる
流行だ。たぶん、マシンが
変な構造になってるのでは。

似たようなことに小銃の撃ち方が
ある。左腕を伸ばしてフォア
ストックを握る
のである。PMC
などの戦争屋がここ数年で流行
らせた小銃保持方法だが、
私は
信用しない。一点前方遠射主義で、
機敏な操作性での動体能力を著し
く下げる
方法だからだ。
それを実銃射撃をしない日本の
サバゲーマーたちが軒並み真似を
してその
ような保持の仕方をし
始めた時には、私は正直いって
笑った。これがいわゆる
猿真似
というものか、と。砂漠でのロング
ディスタンスの地が戦場となって
いる現代の特定局地戦での一過性
に基づいた銃器使用法であるという
本質を全く理解せずに、コスプレ
サバゲーマーたちは密林地帯のゲーム
フィールドでその猿真似をして
いたりする。これまさしく珍妙と
いうものなり、と。


「~が今は流行(はやり)」という
のに乗っかってウキウキして喜んで
いるのを
見ると、私個人はとことん
アホやなこいつ、と思うのである。

ある時、超大昔からの馴染みの女
(5歳の頃からの知り合い)が私に
言った。
「今年はベレーが流行
なんですって。あなたは時代を
先取りしているのかも」と。

アホか。ミリタリーベレーがハヤリ
すたりで着用されるなどというのは
古今東西
人の世では聞いたことが
ない。

それに、こちとらは除隊して別組織
にいた元英軍兵士から直伝された
ベレー
かぶりで、1970年代後半
からベレーはかぶってるし、一応
日本国内ではミリ
タリーベレーの
オーソリティーで通ってる。アホ
ぬかせ、と思っただよな。

ことさらに流行を追いかけたり、
新し物好きで買い漁るようなのは私
には興味
がない。
どうせ流行好きの奴らは、流行と
やらが過ぎたらその入手した物はポイ
なの
だから。私からすると、そうした
潮流とは対極にいたいと思っている。
考えてもみなよ、おいらと同世代
もしくはちょい上のおいさん、おば
はんたち。「ぶらさがり健康器」って
どうなった?どこ行った?(笑

日本刀?もう流行じゃないよ、なん
てのは当然にして私にとっては存在
し得ない。

これからはこれぜよ、の土佐のおっ
さんが歴史の中ではそうした新し物
指向の傾向の端緒を作った
と思うが、
いくら法律書を出しても、それで
身を守ることはできず殺されてし
まった。
現実とはそんなもんだ。
悪しき因習を墨守することは宜しく
はないが、とりあえず、なんでも
新しい物に
飛びついて従来存在した
良質な物を捨象していこうとする
傾向は、私は拒否
するのである。

まして、それが商業戦略の一環と
して向けられた作戦だと見切った
ならば、見切った側には対処法が
あるでしょう?と。
大量消費と買い続けることを前提
とした新製品戦略を前提にしている
業界は、それはもはや純粋スポーツ
の場ではなく、企業産業の利益の
ためだけの複合蜜月関係でしかなく、
スポーツが企業利益のためだけ
に利用されることについては、私は
批判と共に否定するのである。
なので、ビリヤード業界が今世紀
に入ったあたりから企業産業の
利益搾取の土壌と成り果てたこと
は残念であるのだが、私個人は
「新製品」を買い続けるということ
はしない。30年前のキューでも普通
に使って普通に戦うのであるし、
材料も強制乾燥と強制補正材の
化学薬品を使用しない材料で作ら
れた物を用いるのである。
チョークでさえ、30年前のストッ
クを使用している(笑

目先の流行を追うことがビリヤード
以外でも大嫌い、ということも
ある。
人の真似して何が面白い。出来る
冴えた人の真似ならばまだよいが、
「赤信号、みんなで渡れば」みた
いなノリは俺個人は嫌いなのだ。
ここでは個人的なことを言ってる。
撞球をするにおいて、手袋なんて
俺は絶対にしない。
あれね、はっきし言って、ダサいよ。
インディコのブルージーンズはいて、
ウエスタンブーツやハーフブーツ
ではなく、おじさん通勤革靴はい
ているくらいにダサい。
あるいは、スニーカーに薄手のおじ
さん(もしくは昔の国士舘ツッパリ
御用達の)ナイロン靴下はいている
くらいにダサい。
といっても、世の中の定理として、
ダサ坊は自分ではダサいとは感じて
おらず、カコイイとか思ってるの
だから助からない。
石田純一にしても、靴下はかずに
靴はくのがカコイイと思ってる
みたいだが、彼は以前はネクタイ
の裏返し締めをカコイイとして
やっていた。
ネクタイのほうはさすがに流行り
さえしなかった。靴下なしは真似
する人もいるみたいだが、実は
最初にやったのは岩城晃一さんだ。
それを石田氏が真似をして自分が
やり始めみたいなことを言った。
ところが不思議なもので、岩城さん
だとダサくないが、石田氏だと
超ダサのように感じるこの不思議。
まあ、ダサいかそうでないかと
いうのは、非常に微妙な分水嶺が
あってですね(笑

 


貝三原

2017年03月03日 | open



刀剣界でも何を意味するのかが不明である貝三原の刀工群。
「貝」の意味するところが一切解明されていない。
天文年間には三原城は無く、辺りは一面海だったので、三原と銘する
場所が今の三原城がある三原でなかったことは確かだ。
この天文時代に「三原」と呼ばれた場所がどこであるのかは学術的
にも明らかになっていない。

空想的な推測だが、もしかしたら、貝三原の貝とは蝦夷(カイ)のことでは
なかろうか。
同時期の西隣り鍛冶の安芸国大山住仁宗重が住人ではなく住仁とした
のが、仮にさらに西隣りの二王=仁王との関連性を示す符号として仁
を使ったのと同質であるならば、周辺一帯で同時代的に関係者にしか
分からない符丁なりを銘に残して用いた可能性もある。
尾道の辰房さえも、何と読み、何の意味であるのかは解明されて
いない。

貝三原の貝が蝦夷を意味する暗号であるならば、ヤマトに征圧された
まつろわぬ出雲系のオロチョンの末裔の矜持とも念とも取れる。
ヤマタノオロチの意味はマウリ語では赤い鉄の人を表す。
となると、辰房は赤い丹の意味なりしか。
それならば、辰はタツではなくシンと読むことになる。
辰房は「シンノボウ」と読み、赤い物=鉄を扱う廠という意味であった
のかも知れない。
この地区の砂鉄は出雲真砂砂鉄ではなく、赤目(アコメ)と呼ばれる
砂鉄であった。

こうなると、一気に赤と白の神社の古代対立の構造とそれの複雑な変化
に連鎖するように思えてくる。
日本の製鉄の材料の歴史は、赤土→岩→砂と変化してきたことだろう。
これは同時に赤から白への転換変遷と符合する。
その歴史の中で、熾烈で血に塗られた権力争いが行われてきた。

・二王→仁王。逆転で王仁=ワニ。和邇。
・貝→蝦夷(カイ)。
・辰房→辰砂、褐鉄鉱、赤目砂鉄。

という秘められた古代製鉄と己の鍛人(カヌチ)としてのルーツを示す
暗号が隠されているのではなかろうか。

う〜ん。これで一冊本書けそう。
梅原猛『水底の歌 -柿本人麻呂論-』のような(笑