愛蔵ピースメーカーのうち2丁
を友人に進呈することにした。
どちらもハートフォード製の
モデルで、元々は東京CMCと
いうアメ横にあったモデルガ
ンメーカーの金型を受け継い
だ製品だ。
原形は1970年代の金型だが、
CMC倒産後は紆余曲折の後
ハートフォードが引き継いだ。
旧式金型に手が加えられ、現
在ではCMC時代よりも確実な
アクションをするモデルに仕
上がっている。
現在行なわれる国内でのファ
ーストドロウ競技では、圧倒
的にこのハートフォード製ピ
ースメーカーがシェアを持つ。
この2丁のうちの上はファース
ドドロウ・カスタム・モデル、
下は私がブルーイング技術を
駆使した一般観賞モデルである。
余談だが、私はあまりファス
トとは書かない。原音から遠
いし、かつて日本ではきちん
とファーストと記載されてい
たが、いつの間にかフィスト
みたいな書き方が一般化した。
コンピューターではなくコン
ピュータのような。
ファーストについては私は極
力ファーストと書きたい。こ
れは中学の時習った英語では
明確にfast と first の発音は分
けるのだが、表記はどちらも
ファーストだったからだ。
fast と first の混乱を避けるた
めにfast をファストと書き始
めたのだろうが、それは発音
から離れるので私は避けたい。
アルクホールをアルコールと
は呼ぶが、ファーストドロウ
をファストドロウと呼ぶのに
は私には非常に抵抗があるの
だ。現行世間で一般化した表
記であるファストも使うこと
もあるが、できるならファー
ストと原音に近くかつての日
本語での表記のように記載し
たいと思っているのである。
FastとFirstの発音の違い // Pronouncing "first" vs "fast"〔# 034〕
ハートフォード(以下HWS)
のファーストドロウカスタム
(以下FDC)は、シリンダー
を止めるベースピンに標準で
ロングピンが装着されている。
これは作動トラブル等が起き
た時に、シリンダーを素早く
外すための工夫で、1980年頃
から米国の実銃ファーストド
ロウ射撃の世界で流行しはじ
めた。
日本では1990年代以降からの
モデルガンでの登場だったと
記憶している。
ピンを抜いて前方に出すと、
ちょうどエジェクターロッド
ハンドルに当たってそれより
先に抜けず、また、丁度シリ
ンダーが外せる位置までピン
が移動するので便利なのだ。
ノーマルのピンでもそのよう
な動きができるのが1896年以
降の無煙火薬モデル=1stジェ
ネレーションのレイトモデル
SAAのピンのサイド固定方式
であるのだが、ノーマルの場
合は全部抜くことができる。
ピンが長いと真っ直ぐそのま
ま抜くとエジェクタロッドハ
ンドルに当たって止まるので、
ピンが脱落せずにシリンダー
を脱着できるのだ。
ファーストドロウモデル用ピ
ンも、もちろん、エジェクタ
ロッドハンドルの位置をずら
せばピンを抜ける。
ノーマルピン
FDC用ピン
FDC用ピンを抜く場合にはエ
ジェクターロッドの位置をず
らす。
このピンをフレームサイドか
らとめるスプリング入りスク
リューの考案は大発明だった
と思う。1896年からこの方式
に変更された。
それまでのファーストモデル
=黒色火薬モデルは、ピンを
固定ネジで締め付けてあり、
ドライバーがなければシリン
ダーを脱着できない構造だった。
HWS社のFDCモデルの特筆す
べき点は、シリンダーのノッ
チに摩耗防止の金属プレート
が埋め込まれていることだ。
これは革命的なことだった。
なぜならば、激しいアクショ
ンを繰り返すと、モデルガン
では金属だろうがプラ製だろ
うがこのノッチが摩耗して、
シリンダーがオーバーランし
てしまうトラブルが必ず発生
したからだ。
実銃は鋼鉄製なのでそれほど
ダメージを受けないシリンダー
ノッチだが、モデルガンの亜
鉛合金製ではシリンダー本体
にえぐれ溝が入り、やがてノ
ッチのエッヂは摩耗してオー
バーランしてしまう。
これはプラでも同じ現象が起
きる。
東京CMC製のモデル(金属。
1972年購入物。1968年式金型)
実銃SAAがこの世に登場した
丁度100年後に私はこれを買
った。
激しいアクションの連続で、
シリンダーにはえぐれが出来
ている。
こうなると勢いよくハンマー
をコックするとオーバーラン
してしまう。
だが、このモデルで私は練習
をし、渋谷ラボでファースト
ドロウの記録を作った。国内
最速の12歳だった筈だ。大人
よりずっと速い。
これは少しばかり痛快だった。
10数年後にコクサイスーパー
ウエポンのXM177E2を買いに
目黒のコクサイに行った時、
再会した店長をしていたウェ
スタンガンアクションの業界
人平田氏(1972年当時は雑誌
等によく載っていた)は懐かし
がり、大量にオマケを付けて
くれた。ガスボンベやBB弾数
千発等(笑)。
他にも「〇〇君、これもやる
よぉ。もってきなよ」といろ
いろくれた。
実は1973年春にCMCモデル
ではなくMGCモデルを購入し
にアメ横に行った時、平田氏
はマルゴーの店員をしていた。
MGCの帰りに顔出ししたら、
マルゴーで平田さんに「あれ?
何か買って来たの?」と言わ
れて、私は買ったばかりの
MGCのSAAを見せた。すると
「MGかぁ」と言いながら、
私のSAAでガンアクションを
目の前で見せてくれた。私は
目を見張った。そのことも
10数年後に再会した時に言っ
たら懐かしがっていた。「今
でもドロウやってる?」と言
われて、当時はサバゲしかし
ていなかったのでやっていな
い旨を告げたら、「・・・そう
なんだぁ・・・」と少し寂し
そうだった。
二人して目黒のその日はM10
の話題でマニアックに盛り上
がった。
二人で「M10が最高!」と飲
んでもいないのに店で気炎を
上げていた。
私は話しこんで、店に5時間く
らい滞在していた(笑)。
1985年の暑い夏の日のことで
あった。コクサイがあった目黒
通りの歩道の木陰には、私の愛
車RGガンマを停めたまま。
TRC=中田商店の金型のSAA。
絶妙な調整により、シリンダー
ストッパーが溝のフィーディン
グランプから上がるように設定
してあり、シリンダーには疵が
一切つかない。すばらしい。
中田商店のモデルガンを1960年
代に組み立てていたのは中学生
の国本圭一氏だった。当時のモ
デルガンは作動が悪かったが、
国本氏が組み立てた中田製はノ
ークレームだった。中田社長から
国本氏は「けいちゃん」と呼ば
れて可愛がられていた。世界に
誇るトイガンメーカーのウエス
タンアームズはこの中学生国本
圭一氏の組み立てアルバイトか
ら開始されたのである。
そして、彼は都立高校に通う傍
ら日本初の「拳銃殺陣師」とし
ての仕事を確立し、多くのアク
ション映画のガンアクションの
振り付けを担当した。加山雄三
氏はじめ多くの名優たちの1960
年代ガンアクションは、ほとん
ど国本圭一氏が殺陣をつけたと
いってもいい。
本人自身俳優になれるのではと
思える程の男前だったが、裏方
の技術アドバイザーの道を彼は
選んだ。
コルトウッズマンについて説明
する国本圭一氏(1884年34才時)。
そして、中学時代の同級生と協
力して各地をガンアクションシ
ョーで廻り、後に正式に企業と
して1976年にウエスタンアーム
ズを興すのだった。当初は六研
製の販売会社としてスタートし
た。六研とは、中田製のモデル
ガンを設計していた稀代のトイ
ガン技術者六人部登氏が1967年
に中田商店から独立して設立し
たメーカーである。
だが超リアル路線だった六研の
金属製モデルガンは、1977年の
第二次銃刀法改正により製造不
可となり姿を消した。
1968年製の東京CMCの金型モデ
ル。これも六人部氏の設計だ。
1974年製中田モデル金型のマル
シンリリースバージョンモデル。
こちらも六人部氏の手による。
このモデルはTRC(東京レプリ
カコーポレーション=中田商店)
のモデルと全く同じだが、72年
発売のTRCモデルがCMCと共通
のカートリッジを使用する貫通
シリンダー(スリット無し)で
あったのに対し、74年金型モデ
ルは半閉鎖シリンダーで、シリ
ンダー内で激発させるカート式
に変更された。(現在のモデル
ガンは法規制の関係からすべ
てこれ)TRC自体のリリースは
短命で、中田商店は当初の設立
目的の「反戦意識の普及のため
の戦争博物館の設立」という趣
旨を果たせぬまま、モデルガン
界からは撤退し、衣料品店にな
ってしまった。MGCと共に世界
を牽引した「中田のモデルガン」
は1970年代初期に消滅したので
ある。衣料品店としてのアメ
横の中田商店は現在は人気店と
なっている。しかし、中田商店が
かつては世界を牽引したレプリカ
ガンメーカーだったと知る若者は
少ない。
なお、TRCとCMCのSAAカートは
互換性があったが、TRCはブレッ
ト部が先細りの形状であり、CMC
は実弾風にカーブしていた。CMC
はさらに1975年からはブレット部
のみアルミ製にすることにより、
外見を全真鍮製よりリアルな物に
変更した。
左:TRC製カート 他:CMC後記型カート
ガンアクションで平玉火薬で
撃発を繰り返し、平玉の黒色
火薬で真っ黒に変色した物を
保存用に洗浄ポリッシュした。
CMCの銃口。これは1971年規制
以降の合法モデルで、いわゆる
俗に業界で豚鼻と呼ばれる物だ。
銃腔は安全基準により閉塞して
いるが、ガスが抜ける構造にな
っている。現在所持はOK、転売
禁止の法規制モデル。私はこれは
1972年に購入。ゴールドメッキ
モデルである。
こちらは中田金型モデル。
こちらは完全閉塞である。そのた
め、中田金型モデルよりもCMC
モデルのほうが大変人気があった。
作動性が良いMGCも中田も1971
年銃刀法規制以降のモデルは銃
口からガスが抜けないため、シ
リンダーと銃身根元のフォーシ
ングコーンのところで火薬を激
発させるというありえない無理
な構造になってしまったからだ。
そのため、激発させた火薬はシ
リンダーと銃口基部からドカン
と炎と煙が爆発するというまる
で暴発状態のような激発アクショ
ンのモデルガンとなってしまった
のである。これでは人気は出ない。
唯一、知恵を絞って法律をクリア
したCMCの銃身構造のみが銃口
から発射ガスが抜けたので大人
気となった。
焦ったMGCは起死回生の手を打っ
た。
それが「黒いモデルガン=プラス
ティックボディのモデルガン」だ
ったのである。
世界第一号のプラスティックモデ
ルガンがこれ。SAAから話が逸れ
るが、後のプラ製SAAを語るに欠
かせないのでこの歴史的なモデル
ガンを紹介する。
MGC製ハイウェイパトロールマン。
1973年製。私は発売されて即購入
した。
いわゆるテンプラと呼ばれるメ
タルの骨にプラを被せた物だが、
当時「黒い拳銃のモデルガン」
という物はこれだけしか存在し
なかった。これが世界第一号だ。
ドラマ『太陽にほえろ!』や
『ワイルド7』等、アクション
物作品はすべて(すべてである)
このMGCのハイウェイパトロー
ルマンがプロップガンとして使
用された。黒いモデルが71年法
規制により存在しなかったから
である。
インサートが奥にあるため銃口
からインサートが見えない(後年
当局からの指導で改善されたの
かインサートはもっと前進した)。
私のこの個体は数百発以上の激
発によりシリンダーが破損して
いる。
ファーストロッドは黒くはない。
ガンブルーのような紫がかった
ABSで作られていた。金型に流
す際のヒケやスによって完品と
なる製品が少なかったほど初期
には苦労をしたという。
このモデルガンは.357コンバット
マグナムの実銃をモデルとしては
いるが、実際には存在しない架空
銃である。.41マグナム。
実在しないイメージ製品といって
いいモデルだ。
遊び感覚なのか、S&W社のロゴ
が逆立ちしたようなしたような
MGCロゴ。グレコギターのギブ
ソンロゴ似せやアリアドレッド
ノートのマーティンロゴ似せの
ようなもので、1970年代初期に
こうしたナンチャッテロゴが流
行った。MGCもモデルガンでや
っていた。好みは強烈に分かれた
というが、私のギターはグレコ
エレキとアリアドレッドノート
だったので、パチのナンチャッテ
でもオッケーよ♪だったから、
迷わずハイパトは即断で購入を
決めた。
裏側も同様。
ヘヴィデューティーマグナム(笑
なんだかインスタント食品の
キャッチコピーのようだ。
とにかくこのMGCハイウェイパ
トロールマンが世界のトイガン
の歴史を変えたのであった。
さて、今回友人に贈るHWSの
SAAだが、FDCのベースピンで
はなくオールドモデルのノーマ
ルベースピンがご所望とのこと
で標準ピンに交換した。一見
FDSモデルには見えず、オール
ド風だ。
私が1972年当時から愛したSAA個体
はこの金属モデルガンSAAだが、
プラスティックのモデルガンも、
現在では主流となり、また材質
も粘りがある良質のABSなどが
使用されていて、カチリカチリ
と歯切れが良い作動を見せる。
この45年で技術は大幅に進歩した。
特にHWSファーストドロウカス
タムは、かつて我々チューナー
たちがいろいろ手を加えて加工
施工したノウハウが最初から投
入されている。
このハンマースプリングの形状
などは、製品化でこうした中え
ぐれのテンション下げ形状とな
っているばかりか、ハンマーロ
ーラーのガイド溝まで形成され
ており目を見張る。
また、トリガーはドロウで人差
し指がかかり易いようにワイド
トリガーになっている。こうい
うノウハウは実銃の世界からの
フィードバックだろう。
こちらノーマルトリガー。
先ほどのハイウェイパトロール
マンではないが、.41口径という
のは、実は実寸としては日本の
SAAモデルガンのカートリッヂ
の寸法がキャリバー.41だった。
SAA用カート各種。左から44-40
ウィンチェスター実弾薬莢、.45
ロングコルト実弾薬莢、HWS社
SAA用モデルガンカートリッヂ
(.41口径同寸)。
友人に送る前に、作動上多少不
具合がみられたので、最良作動
を得るために、ある加工を施し
てチューニングした。
作動は完璧だ。OK!明日康宏短刀
(のようなナイフ)と共に発送す
る。(動画のバックには昨夜の『家
を売る女』のTV放送の音声がノイ
ズで入っている)
COLT SAA, PEACE MAKER ACTION
実銃コルト.45シングルアクショ
ンの発砲シーンを見たい。
そこで出てもらうのは、いつも
のヒコック45おじさんだ。
ファーストジェネレーションの
超貴重な1884年製で発砲してい
る。
正真虎徹で試斬しちゃうような
もの。豪気だ。
Colt 45 SAA 1884 Vintage
世の中の銃好きには二種類ある。
それは地球上の人類を称して
「人間には二種類ある。バイク
に乗る奴と乗らない奴だ」と言
った横浜ケンタウロスのボスの
名言並みにある。
銃好きには「ピースメーカーを
好む者とそうではない者」の二
種類いるのだ。
私も部類のSAA好きだ。かなり
好きだし、一部業界ではSAAマン
として知られていた。
だが・・・
実はSAAが特別な存在であるの
は確かなのだが、私が一番好き
なオールドリボルバーは、コル
ト1851ネービーのリチャード・
メイスンがカートリッヂ化させ
たコンバージョンモデルが一番
好きなのだ。
リチャード・メイスン・コンバ
ージョン
S&W社が貫通シリンダーと金属
薬莢のパテントを掌握していた
関係上、金属薬莢を使用するリ
ボルバーを正式製品としてコル
ト社は1872年まで造れなかった。
そのため、民間ガンスミスによ
って改造扱いでコルトの銃に金
属薬莢が使えるように改造した
ものがコンバージョンモデルだ。
幾人かの職人によってその加工
がなされたが、リチャード・メ
イスンが名手として人気を博し
た。この画像の銃の銃身の長い
モデルは、映画『続・夕陽のガ
ンマン』においてクリント・
イースドウッドが愛用した。
この画像のバレルが短いモデル
が私が一番好きなオールドガン
である。
だが、コルトネービーおよび
アーミーには欠点があった。
それはピンを押せばすぐにバ
レルごとボディ半分が合体解除
できる構造であり、これはパー
カッション式のリボルバーとし
ては利便性が高かったのだが、
耐久性に難があった。バレルは
押し込んでとめるだけだったた
めに命中精度も低かった。
ところが、ソリッドフレーム構
造を導入した1972年製1973年か
ら公表されたコルトSAAは、.45
口径という最大最強段を使用し
ながらもとても小さいボディ
で、かつ堅牢無比だったのだ。
これが人気がでないわけがない。
1884年製実銃ファーストジェネ
レーションのコルト・シングル・
アクション。
黒色火薬モデルの特徴で、シリ
ンダーベースピンはフレーム前
方下部からのネジにより固定す
る構造。ねじ回しがないとシリ
ンダーを外せない。
しかし、この初めてのソリッド
フレームの登場は、すべての他
社製品の銃を西部から駆逐する
勢いで普及した。
この時期、まだ、オートマティッ
ク拳銃は地球上に登場していない。
コルトSAAは、シングルアクショ
ンながらも、当時のハンドガンの
最先端であり、登場当初から完成
形だった。この構造は今でも広く
シングルアクションモデルとして
採用されているし、ルガーやベレ
ッタなどのSAAコピーも、基本構
造はまったくこの1872年登場の
コルトSAAと同じである。
ただ、このリボルバーの基本構造
は、1830年代に合衆国南部コネチ
カット州出身の青年が考え付いて
いた。それがブローニングとなら
ぶ銃器の父サミュエル・コルトで
ある。
サミュエル・コルト(1841~1862)
コルトは南北戦争中に没している
ので、歴史的名銃シングル・アク
ション・アーミー=SAA=通称ピ
ースメーカーは、コルトの死亡後
に後継者が完成させたことになる。
だが、コルトリボルバーの構造は
コルト自身の設計思想がよく継承
され、その後も多くの名銃を世に
出した。
全リボルバーの最高傑作はコルト
パイソンというモデルで、「拳銃
のロールスロイス」と呼ばれてい
る。カスタムガンではない。
一般売りのモデルだ。
だが、パイソンはパーフェクトな
作動性と耐久性と超絶丁寧仕上げ
が施されており、コルト社の技術
の粋を結集した最高モデルだった。
命中精度も格段に良く、カリフォ
ルニアのハイウェイパトロールが
4インチ銃身モデルを装備していた。
日本の白バイ警官は拳銃を所持し
ていなかったが、今世紀に入り、
白バイ隊員も拳銃を携帯してバイ
クを走らせるようになった。
米国の場合は全警察官が拳銃を
携帯し、白バイ警官も車両停止
させた際等は銃器の使用も前提
となっている。
コルトSAAにはモデルにより
「世代」がある。
・1stジェネレーション・・・1873年から1940年まで。1896年から無煙
火薬仕様モデルに変更。
・2ndジェネレーション・・・1956年~1975年
・3rdジェネレーション・・・1976年~1981年
・4thジェネレーション・・・1992年~
「鉄と人は古い程良い」では
ないが、SAAの4thモデルは出
来が非常に雑で、専門家は3rd
までしか本格SAAとしか認めて
いない傾向もある。
とにかく1stモデルがSAAの真骨
頂だと私は思う。
何故ならば、本物の西部開拓時
代に存在したモデルだから。
さて、コルト・ピースメーカー。
その名を聴いて心が躍るか踊らぬ
か。
この二種類の人が確実に存在する。
私は踊る。ピースメーカーのピー
スと聴いただけでアドレナリンが
ドドッとなる。
こうしたことは、どうしようも
ない。善も悪も可も不可もない。
実際に世の中には、そうした二
種類の人間が確実に存在するので
ある。
マイSAA。マイフェイバリット。
このシルエットと造形を見ただけで
生きようという活力が湧いてくる。
きっと西部を開拓した男たちも
そうだったことだろう。この姿を
見てドキドキするか何とも思わな
いか。
地球上には、その二種類の男たち
がいることだけは確かだ。