北欧三点セットはこれだね。
・斧
・ナイフ
・ククサ
俺も持ってるよ。斧は日本製、ナイフは
アメリカ製だけど、ククサだけは本場
物だ(笑
しかし、北欧ナイフというのは、和式
ナイフに形が似ているなぁ。
イタリア在住のヤマハXSR700開発
総責任者からの頂き物のククサは、
クルミ油ではなく、植物油の中で一
番臭いがないというグレープシード
オイルでオイルアップした。
これ。
私のククサは英名カーリーバーチと呼ば
れる種類の白樺製で、
北欧名はヴィサコイブと呼ばれる物だ。
この白樺もとても貴重なのだが、瘤材
となるとウルトラ超貴重であり、大変
高値で取引されているのだそうだ。
通常のククサの場合でも、白樺コブで
作られることは少なくなってきたと
いう。
私のククサはクルミのような香りが
する。
ただ、ククサは製作工程において、
塩水で煮込むので、ククサカップ
に水を入れて飲むと、ほんのりと
塩っけを感じる。
ガラスコップとは違うので、これも
味わい。
木製食器というのは、ククサのよう
に塩ゆでせずとも、経年変化で木の
エキスが出るので内容物の味が
変わってしまうことがある。
また、白木でも木材によって強い芳香
を放つ物もある。
枡などは檜の香りが良いため枡酒など
は白木の枡が好まれる。
だが、一般的には料理や食材に食器の
香りが移るのは食材の良いところが
薄れるケースが多い。
だから日本の古い食器は漆でコーティ
ングしたのだろうね。
漆食器は職人技の極致だが、北欧
ククサのような野趣あふれる食器も
なかなかいいなぁと思う。
ちなみに私は箸は家ではマグロ黒檀の
八角形を愛用している。
塗り箸はあまり好きではない。
ククサは、日本人の箸のように、個人
の所有物であるのだそうだ。
日本人が箸を他人と使いまわししない
ように、北欧のサーメ人は自分個人の
ククサを持っていたのだそうだ。
ククサ、なかなか味があって良い。
これは本当に良い物を頂いた。
さようならギャングたちとはいえ、
俺のようなアウトローにも幸せ
運ばれてくるのかな?(笑
ヴィサコイブ=カーリーバーチ
ククサを作る
お!
これはいいな。
セルマーのギターの音も良い。フランスのジプシーJAZZの風。
ジャンゴラインハルト風味だね。
ロックなどは聴いていると「よし!行くぜ!」という気になるけど、
JAZZの悪いところは、JAZZを聴いてると何もしたくなくなるんだよ。
ず~っとJAZZを聴いていたくなる。何にもしないで。
これはフライフィッシングと同じで悪魔の調べだな(笑
白樺ではなく杉で作るククサだが、北欧ではククサを贈られた
人は幸せになるという言い伝えがあるらしい。
ククサを作る時の秘密兵器はえぐり用のスプーンナイフ(フックナイフ)
だな。これがないとまず作れない。
木工旋盤なんかで作っちゃだめだよ。それ違うから(^^;
ハンドルの穴もナイフでグリグリやって穴グリで開けるんだよ~。
こちらも。白樺コブ材からではなく丸太から作っている。
裏山ブッシュクラフト-#20- 木のカップ「ククサ」 (Wooden cup "Kuksa")
こういうのやるのが本当のクラフトなんだよね。
外でラーメン食ってそれでブッシュクラフトって・・・。ねえだろ、それは(^^;
だからおいらはブッシュクラフトとは言わずに、自分でやるそういうのは
「山めし」とか「外めし」とか言ってる。
こちらもいいよ~。本物のブッシュクラフターぽい。
Fazendo uma Kuksa
こちらのおっちゃんは、動画チャンネルで「プロじゃないよ。好きで
やってるんだよ」と自己紹介していますが、ククサを作るときにフック
ナイフを使っていないのでかなり苦戦している。というか、ぶきっちょ?(^^;
刃物の先に手を置いたら絶対に駄目だってば。危ないよ。
基本的にクラフトカービングナイフ=彫刻刀の使い方を知らないみたい。
Bushcraft - Carving a Kuksa for the first time - Pt 1 - Eat Carbs
このようにスプーンナイフ=フックナイフがないとスープや飲み物を
入れる凹形のカップボール部の綺麗な削りは無理っす。
Carving a Kuksa
- Part 2/4 Carving a Kuksa bowl using Nic Westermann twca cam knife
時間がなくて作れないけどククサがほしい!という方にはこういうお店もあります。
北欧白樺のコブから作るのが本式。
こちら → ワイルドローズ国立
関東で一人暮らしをしている
若い友人がいる。
友人といっても親子ほど年が
離れてはいるのだが、何かと
話が合う。
その彼はアパートメント暮ら
しなので動物を飼えない。
彼は猫好きだ。
刀剣の話で盛り上がっている
時、その彼からこんな話を聞
いた。
「遊びにくる野良猫君に魚あ
げたら(頭と内臓を取らない
と食べない)、返礼にデケェ
どぶねずみの死体が玄関にあ
って朝からショックです(笑)。
ヤツはちょっと誇らしげな顔
なのが笑えますね」
絶対に猫の恩返しだな。
その光景が目に浮かぶようで、
思わず笑った。
動物好きは犬派と猫派と分か
れるというが、私はどちらも
好きだ。
ある調査によると、これまで
は日本国内では犬好きの人が
6割以上だったのだが、最近
猫好きの人の比率が犬好きを
上回ったらしい。
これは、近年の住宅事情にも
よるだろうが、猫は驚くほど
手がかからない。
トイレもすぐに覚えるし、猫
はイエネコと呼ばれるほどに
人間との共同生活に馴染んで
くれる。
猫はとにかく、かわいい。
「猫かわいがり」という言葉
はあるけど、「犬かわいがり」
という言葉はないものね。
犬は悪い例えで云われること
が多かった。
だが、これを少し考えてみる
と、犬のように権力(飼い主)
に阿ることをよしとしない、
いにしえの人々の反骨心の表
れがそういう多くの例えを生
んだのではなかったろうか。
現代なら、さしずめ、犬も良
い表現の例えとして云われる
のかもしれない。
権力や権威に尻尾フリフリを
することが真面目で分別があ
って良い事であると思い込ん
でいる人が圧倒的に増えたか
ら(苦笑
いや~、それにしても猫はか
わいいす。猫も犬もどっちも
好きだけど。
そういえば、『黒猫のタンゴ』
を歌った児童歌手は、私が通
った学園(高校)の商業高校
に通っていた。私の2学年下
だった。
私の属した普通科高校の2学年
上には欣ちゃんファミリーの
芸能人がいた。黒猫のような
愛称だったが、当時はよくTV
に出ていた。
私が1年の頃、昼休みによく一緒
に体育館でバスケの3 on 3 を
やった。優しくていい人だった。
黒猫を見ると、この二人を想
い出す。
今は私が卒業した高校は現在
は芸能活動禁止なので、今後
は芸能人は通えない。
歌舞伎俳優の卒業生も多かっ
たし、研ぎの本阿弥家の人た
ちも先輩に多かったが、今後
は一切そうした芸能関係者は
わが校から巣立つことはない。
歌舞伎の家の子に芸能活動す
るなというのは死ねと言うの
と同じだ。
自動二輪の免許取得も完全禁止
された。私のクラスメート(全
学で一番速かった。私が二番手)
は国際A級になり英国マン島TT
を走ったが、今後モータースポ
ーツの世界のモーターサイクル
競技でそういう人材もうちの高
校からは出ないだろう。
本当につまらない学校になった
ものだ。
学年主任まで務めた私の担任だ
った恩師は、とっとと見切りを
つけて開成高校に転任したし
(のちに開成の副校長=教頭
になっていた)、歴史担当の
教師は千葉大で教鞭を執る事
に鞍替えした。
そういうの正解かも。
難関大学合格者を出すことに
躍起になってばかりとなり、
残念至極な高校になった。
大学受験がすべてなのか?高校
は。偏差値が65から69になった
からと幸せなのか?
さらに偏差値70後半まで持って
行って、かつてのように私立高
東大合格者1位になれば嬉しい
のか?100年前の幻を追って。
黒澤明監督が卒業した頃の幻影
を求めて。
難関大学合格のみを「教育」と
教育担当者が勘違いしている
限り、生徒たちに真に拓かれ
た未来はない。
高校は大学受験予備校ではな
いのだ。
まず学ぶべきことがあるのは
教師たちではないのか。
私が通った高校の生徒たちも、
今は、昼休みにバスケもやら
ないのかもしれない。
ただひたすら受験のために3年
間を過ごしているのかもしれ
ない。それを目指す教師と共
に。
猫はそんな人間たちのことな
どはお構いなしで、自分の好
きなように生きている。
猫、よろしい。
君たちは充分パンキーだ。
真剣ではない。模擬刀である。
どうやったら、こんな表現ができるのか。
合金刀身にメッキされた物にどうやって錵(にえ)や小杢目風の働きのような
表情を与えられるのか。単に画像を加工しているのか。
(拡大)
映画「たそがれ清兵衛」では明らかに模擬刀と見て判ったが、「武士の
献立」では真剣と見紛うほどに加工された模擬刀が使われていた。
本職の日本刀研磨師が手がけたものだが、これには唸らされた。
勿論、手に取ると当然ながらすぐに看破できるが、遠目からでは模擬刀とは
なかなか判りにくい。
こうしたことも、包丁研ぎ屋にはできない。
日本刀研磨師、おそるべし。
(豊後国高田-現大分市鶴崎)
九州の刀工群に、古刀期から新刀期まで続いた豊後高田鍛冶がいます。
古刀期の作は便宜上平高田と呼ばれ、新刀期の高田刀は藤原高田と
呼ばれています。
豊後高田というと現在の豊後高田市を想像しがちですが、それは誤りです。
かつて現在の豊後高田市の場所は豊前国領であり、豊後国ではありません。
こうしたことは、事実に照らし合わせて精査しないと、「古三原とは現在の
広島県三原の地で作刀した刀工正家が・・・」などというのと同じ大間違いを
犯します。
三原鍛冶については、多くの刀剣商さえも不勉強ゆえ、「鎌倉南北朝時代に
現在の三原に刀鍛冶がいた」と思い込んで、地形的な歴史を確かめもせずに、
これまで刀剣界中央で云われてきたことを盲目的に反復して言うばかりです。
地面が存在しない場所に刀鍛冶がいた、というもので、誤認が甚だしい。
鎌倉南北朝の頃に現在の三原の地はありません。地でなくそこは海です。
現在の三原エリアに地面が登場したのは、戦国最末期の天正年間に
海上の小島をつないで埋め立てた「三原城」が築城されて以降のことです。
同時に戦国末期になぜか一気に河川の土砂が堆積してデルタ地帯を構成
しはじめますが、これについては学術界は言及していません。私個人は
鉄穴流しの土砂堆積により、戦国期に一気に河川河口部にデルタ地域が
形成されたのではと読んでいます。
豊後高田鍛冶が鍛刀した場所は、やはり広島や三原と同じ河川の河口付近
のデルタ地帯の中州で、現在は鶴崎と呼ばれる地域です。
ここらあたりが、かつては海岸線領域だったのではないでしょうか。
豊後刀は刀剣界では「脇物」と呼ばれ、備前刀などよりは二段も三段も格下に
みられがちです。
しかし、確かに備前刀には名刀も多いながら、こうしたピラミッド的な見方は
五箇伝第一主義に基づくもので、時の権威者によって意図的に「造られた」
概念です。
現在の美術刀剣鑑定の視点からしても、豊後刀にも見るべき作品はかなり
多く、備前刀と比べても見劣りしない物も存在します。
また、備前刀と美濃刀が夥しい戦国期の軍需に応えたように、豊後刀も
肥後菊池同田貫派と並んで戦国武用刀を多く作った鍛冶集団でした。
戦国期の戦国大名(大友氏)と密接な関係にあったためか、つとめて実用的
な刀剣を多く作っていたのが豊後高田刀です。
勇猛で名を馳せた加藤氏が肥後菊池同田貫を備え刀とし、臣下の差料にも同田貫
を用意して同田貫軍団としたように、豊後高田鍛冶も戦国武将の求めに応じて
真に時代に即した刀剣を作った鍛冶たちでした。
こうした脇物については、肥後同田貫、豊後高田、周防二王、備後三原、
越前、加賀、武州下原、奥州物等々がありますが、いずれも武人たちの
要求を充分に満たす戦場刀でした。
だからでしょうか。新刀期に入っても、新刀特伝系の新興都市部の刀鍛冶
とは違った古刀風味を色濃く残す作品が脇物と呼ばれる鍛冶の新刀期の作
には多くみられるようです。
つまり、脇物は、タイムスリップした古刀のような作域を新刀期の作においても
見ることができ、画一的に「慶長以前を古刀、慶長以降を新刀」とする視点(これ
も後年「造られた」概念)にとらわれず、日本刀の歴史の複雑さ、不思議さに
触れて刀剣を楽しむことができます。
これらの「脇物」は刀剣界では「郷土刀」と呼ばれておりますが、ご自身の
お住まいの地域の刀ということだけでなく、別地域の方も、是非とも「脇物」と
して邪見にされている刀に目をやってください。
かなり、見ても触れても(じかに触ってはだめですが)楽しめる日本刀に
出会うことができるかと思います。
現状の日本刀の世界では「安物」として見下されている「脇物」ですが、
富豪ではない私のようなごく一般的な庶民でも入手しやすく、とても楽しめ
ます。作風も面白い作が多く、いくら眺めても見飽きない観賞に耐える作
も多くあります。
どうか、郷土刀と多く触れ合ってください。
もし縁があって入手される機会がありましたら、どうぞ大切になさってください。