絶対に無理。
俺ならば、土壇+圧し斬りで
たぶん確実に殺しちゃう。
というか、昔、武器を常時携
帯していた時代は本当に本気
で殺しに来ているエネミーの
斬撃なのだから。
俺でなくとも、これでジゲン
流などの斬り込みをもしのげ
るとでも?
〇〇で〇〇といいう動きを磨
いたほうがまだ現実的。
続けて強烈な突きが繰り出さ
れてくるけど。
本来ならば△△で◇◇◇を使
うとかなり有効なのだが(そ
れは△△の戦闘原則でもある)、
この図のような××で××が××××
というようなのは絶対にでき
ない。これは絶対にである。
平和な世の中はホントによい
ものです。
殺し合いは一部の特殊世界で
しか展開されていない。
本当に殺しに来る敵を相手に
しているならば、こうした脳
内平和な空想創作演劇は生ま
れない。古流剣術などと嘘つ
いてもすぐばれる。
現実は現代でもいにしえと同
じだ。
学食で女子学生が食ってた
カレーの皿に頭蓋かち割られ
た奴の脳症が飛び散ってきた
りとかね(横浜国大)。シャレ
になんないんだよね、現実は。
平和な世の中ってホントによい
ものです。
よい時代になったもんだ。
大嘘ついても咎めも受けない。
『ALWAYS 三丁目の夕日 '64』
(2012年)を観た。
平和な映画ですね・・・。
五木寛之の『青春の門』のよ
うな重くシリアスな作りでは
ない。
ただ、CGが殆どとはいえ、オ
ープニングのプロペラ飛行機
の視点からの東京の街の景観
が圧巻だ。これはすごい。
これだけでも観る価値あり。
「文学」のキャラは相変わら
ずうっとーしいし(目の前に
いたらぶん殴りそうだけど。笑)、
どいつもこいつもほのぼのし
ている良人ばかりで、「綺麗
事の嘘つくな」とは思うが、
まあ、これはあくまで作品だ。
おどろおどろしい本当の人間
社会は描いてはいない。
これはこれで「作り物」とし
て楽しむ作品なのだろう。
そういう意味では、原作の世
界をよく体現してはいる。
舞台は私が4歳の頃の東京、
愛宕下界隈だ。
第一作目の1959年から5年後
の1964年が時代設定となっ
ている。
この年は東京オリンピックに
国内が沸いた年でもあった。
私も国立競技場にオリンピッ
クを見に行った。私の幼稚園
は2年保育だったので、幼稚
園に入る前の4歳の時のこと
だ。
「アベベ、裸足じゃないじゃ
ない」とか思ったのをよく覚
えている。
国立競技場も「でっけー!こ
んなでかい建物の体育場見た
ことない」とびっくりした。
時々巨人阪神戦を観に行った
後楽園球場とかは別にして。
(その頃/『三丁目の夕日 '64』
の時代そのものの頃)
実は、1960年代の東京の景観
は1980年代末期に訪れたバブ
ル経済の頃まではいたるとこ
ろに残っていた。
しかし、バブルで街の景色は
一変した。
それまでも、霞ヶ関ビルが建
設され、土地がない東京では
高層建築ラッシュとなり、新
宿副都心高層ビル群が建設さ
れて街並みが変わったりして
いた。
池袋サンシャインや新宿に高
層ビルが建ち並び始めたのは
私が中学~高校の頃だった。
高校~大学時代の遊び場は池
袋だったが、高1の時、下校
途中に当時の彼女と池袋の東
武デパートの屋上に出て、夜
景の中で建築中のサンシャイ
ン60を二人で見て「きょうは
〇〇階までできたね」などと
と言ったりしていた。
(その頃/生徒手帳から)
現在(笑
東京の街は戦後から高度経済
成長期に大きく変わったとは
云われるが、それは緩やかに
変わっていた。
それが一気に急変したのは、
やはりバブル期に土地価格の
急激な高騰によって大型地上
げが横行してからだった。
知人の実家は歌舞伎町にあっ
たが、たった6坪の地面はバ
ブル期に2億4千万円で売れた。
私も原宿のワンルームマンシ
ョンを600万円で購入しない
かと持ちかけられ逡巡した結
果購入はしなかったが、その
物件は数か月後には6,000万
円で売却されていた。そうい
う時代だった。
やはり、日本の歴史の中で、
「何かがおかしい」時代が
1980年代末期のバブル狂乱
時代だったと思う。
ただ、給料は倍々ゲームの
ように上った。
私が社会人になった時は月
給14万だったが、それがアッ
という間に月額30万超になっ
た。28歳位の時だ。今から
30年近く前の話だ。まさに
ほんの3年程で収入が倍。賞
与も「はぁ?」という程に跳
ね上がった。年収も文字通り
倍増だった。
「これがホントの所得倍増じ
ゃね?」などと思ったが、国
の金融操作による仕込みであ
るので、そのような国内経済
がやがて弾けるのは目に見え
ていた。
街の景観もバブルを境に一気
に変わった。
私の居合の先輩がバブル後に
大分経ってから私にぽつりと
呟いた。
「歩道に敷石が最近また設置
されただろう?あれを見て、
俺たちのあの時代の中での闘
いは本当に敗北したのだ、と
痛烈に感じたよ。これで終わ
ったと」と。
1960年代末期の学生運動の唯
一の変革の功績は、全国の歩
道から敷石を除去してアスフ
ァルトに変えたことだけだっ
た。敷石は投石武器に即変身
する「そこらにある武器」と
なったために、国を挙げて日
本国内の歩道の敷石はすべて
アスファルトに変更されたの
が1970年代初期だったのであ
る。
居合の先輩は全学連ではなく
社会人なので見学連の野次馬
だったとは自分では言うが、
時代の中で、首都内戦の時代
に、石の一つでも機動隊に投
げていたのだろう。
ただし、「自分たちの新時代
を作る」というところで燃え
ていた若者たちの一人であっ
たことは確かなようだ。日本
だけではなく、全世界の若者
があの熱病にうなされたよう
な季節の中で。
私の友人の南米の元兵士は
「俺の兄貴も学生運動やって
たよ。もう凄かった」という。
そやつはチェ・ゲバラを殺し
た部隊に所属していた元兵士
だったが、日本やヨーロッパ
だけでなく南北のアメリカ大
陸においても、フランスのカ
ルチェラタンのような闘争が
繰り広げられていたのが1960
年代末期だったのである。
地球上が若者の激動パワーに
震撼していた。
(ジョン・レノンとオノ・ヨーコ)
今の日本はすべてが変わった。
何が一番変わったかというと、
それは今が「戦後」ではなく、
「戦前」となったことである。
CG多用なので製作費が大分か
かるだろうが、この『三丁目
の夕日』は、シリーズ化して
ほしい作品だなぁと思う。
ほのぼの系のおためごかしで
あるとは分かっていても、や
はり忘れてほしくない大切な
何かを日本人の心に刻む作品
だと思うからだ。