アメリカンナイフメイキングにはこの耐水ペーパーのスペーサー
が欠かせない。
何に使うかというと、ハンドル部のブレードへの圧着のためと、
デザインを引き締めるためだ。前者の意味が強い。
実はこれは日本刀の金具装着にもとても有効なのだ。
なぜならば金属同士をいくら密着させても、必ず隙間ができて
しまうことが挙げられる。また、摩擦係数の関係から滑りやすく
動きやすくなってしまう。極端な話、ティッシュ一枚でも金属同士
の間に噛ませると密着度は抜群に向上する。
色が目立たない薄紙を日本刀金具の切羽と鍔の間に噛ませる
ことは、武用刀剣の実用的見地からは非常に堅牢性が高い
組み立て方法であるといえるのだ。私はそれを実行している。
紙は薄い黒色を用いているので、まったく目立たない。
このナイフ製作専用の耐水紙のスペーサーなどは日本刀にも
使える。しかも武用刀剣としての実用性はアップする。
スペーサーの紙の厚みは各種あるので適宜選択できる。
ナイフ製作の神様ラブレスもこの固定用スペーサー紙を使用している。
まあ、しかし、ボブ・ラブレスという人が造ったナイフは、どうして
これほどまでに美しいのだろう。ナイフであるのに、まるで日本刀
を観る時のように釘づけになる。
デスクを整理していたら、懐かしいのが出てきた。
これ、95年頃から使っていた愛用ナイフだ(笑)。
特にこのビクトリノックスのクラシックは、色々な色のボディの
物をネクタイを替えるように日によって取り替えて楽しんでいた。
スーツの上着の右ポケットの小さなポケットは、実は英国人が
ポケットナイフを入れるために考案したものだ。
日本では小銭入れのようになってしまっているが(笑)。
今は取り締まりが厳しくなったのでナイフは持ち歩けないが、
かつての前世紀では私は常にポケットナイフを持ち歩いていた。
仕事でも郵便物を開封するのに日常的に多用していた。
警察に職質されてそのナイフを見られても、文房具ということで
検挙もされなかった時代のことだ。
今はキーホルダーにミニナイフを着けていても検挙対象となる。
固定装置がないスリップジョイントは8センチ未満の刃渡り、固定
装置がある物は6センチ未満のナイフは、携帯していても銃刀法には
抵触しない。
だが、現在は軽犯罪法で全て検挙される。
軽犯罪法では、正当な理由なく刃物を携帯することが禁じられて
いるからだ。
カッターナイフさえも法的に携帯禁止なのである。文房具として
持ち歩くのも禁止されているのだ。
これは戦後の日本の歴史がそうさせた。
これね、鍔に「喧嘩上等」と
カブいてる着物共に誂え物で
茨右近。面白い。
って、元々は林不忘の『大岡
それを杉良太郎さんが企画し
DVD化はされていない。残念。
再放送を個人視聴用に録画す
右近は挟み納刀。こりゃ危ない。
まあ、空想演劇ですから(笑
よいこはまねをしないでくださ
「日本刀探究苑 游雲会」の刀友から連絡あり。
「鍔手に入れました~」とのことだが、この人は何なの
でしょうね。
重刀になりそうな古刀三原を手に入れたり、初代兼元
正真を入手したり。
目が利くというとかとも違う。
本人曰く、何かが舞い降りて来て導かれるとのことなの
だが、この人が選ぶ物は間違いのない確かなものばかり
なのよね。たまがったばい。
こちらは今回手に入れた野晒図の鍔をフラッシュで撮影
したもの。イロガネの具合とか、鍔師の仕事の様子が
よく判る。なんか凄い。いかさま、それがし眼福に御座る。
剣友から金具が届いたと連絡あり。
まだ現物は見せてもらってないが、なかなかよさげ。
鍔も揃ったし。これでgoで拵仕様書も出せるね。
はっ!
目貫はどうするだ?
剣友が鍔を格安で入手した。
これ、タンニンで煮れば真っ黒になると思う。
これの意匠は揚羽蝶ですね。
アゲハの幼虫と成虫でしょう。
なかなか味のあるデザインで、好感が持てる。
幼虫が羽化して成虫となって空を舞う。
いいじゃないですか。
修行者にぴったりだ。
松坂慶子「本職の絵描きさん?」
真田広之「卵や」
松坂慶子「大きな卵やね」
(映画『道頓堀川』)
という気がしないでもないが(笑)。
そりゃそうと、なんか、在銘ですね、これ。
鍔を刀の茎(なかご)にぴったりとフィットさせるために
鍔の茎孔(なかごあな)に噛ませる銅のスペーサーの
ことを「責金」という。
これは二つの読み方が刀剣界にはある。「せきがね」と
「せめがね」だ。
「責」という漢字の意味は以下。小学校5年の学習漢字だ。
刀装具の鍔のスペーサーの責金は「せきがね」であろうと
「せめがね」であろうと間違いではない。
ただ、私は個人的には「せめがね」だろう、という思いがある。
それは「切先(きっさき)」のことを「せっさき」とは読まないから
という意識が働いている。
「切羽(せっぱ)」も「責金(せきがね)」も重箱読みで、そういう
音訓ちゃんぽん読みも刀剣用語には存在するのだが、私個人
は「責」も「金」もどちらも訓読みで「せめがね」と読むことが自分
自身はシックリとくる。なので私個人は「せめがね」と呼んでいる。
なお、「責」は「シャク」とも読むが、「責金」を「しゃっきん」とは
読まないのはあたりまえ(笑)。
「鐡(かね=金属の王なり)」という漢字は「鉄」という漢字に変化
した。
しかし、鉄という漢字を見たら、どうにも金属を失うのではなく、
金(かね=money)を失うに思えてならないということが、刀剣
世界にハマると多く出てくる伝染症状のようなので、みなさん、
どうかお大事になさってください(笑)。
御刀、刀装具等のご利用は計画的に(笑)。
刀友と鍔談義をしていて、私がこの鍔を指して「この甲冑師風
の鍔がさぁ」と私が言うと「甲冑師に見えないけど」とのことだった。
そりゃそーだ。それは刀匠鍔やった。
甲冑師鍔とはこういう物どした。
つまり、これがあるのが甲冑師鍔とか呼ばれてるんだな。
マサオ、ほんまのこと教えたろか。(映画『道頓堀川』)
「甲冑師鍔」とか「刀匠鍔」とか刀剣界で呼ばれている作は、
実は本当に甲冑師や刀工が余技で製作したのかどうかは
確定していない。「だろう」ということでそのように呼称して
いる。しかも、かな~りいい加減なところで。
ほんまのこと言うと、それが実態なんやで。いや、まじで。
ということは、おいらのこのとても薄い鍔は何だろう。
応仁鍔か?
いや、ちゃうな。応仁鍔とも違う。あえて言うなら鎌倉鍔かな。
桃山時代の鎌倉鍔や。
でも確定はできない。
ちゅうことはだ。これは金工鍔だな。
それならばオーロブゼンで、間違いない(≧∀≦)
刀鍛冶だろうと甲冑師だろうと鍔師だろうと、鍔を作る時は
みんな金工や。
これこそ確定事項やで。
知らんけど。
しかし、何度見てもこの鳳凰の顔はヤッタラン(笑)。
道場の先輩がくれた時、最初「なすびですか?」と言ったら
「バカ!(≧∀≦)」と言われた。
今は埼玉で指導者となっている先輩が自分の刀に着けていたこの
鍔をくれた。
以来、四半世紀、この鍔を愛用している。
これは鑑定書付だ。江戸初期(桃山)と鑑されている。
刀剣史では普通の歴史区分とは異なり、江戸初期慶長年間(慶長は
戦国安土桃山末期から江戸時代初期までの元号)は桃山時代と区分
している。
後年、全く同じデザインの赤銅覆輪山銅地の鍔を手に入れた。
どちらも薄い銅板を叩き出しで形作ってそれを銅板にサンドウィッチ
した3枚仕様の作り方で、プレス機も無い時代にどうやって仕上げた
のか、方法は解明されていない。
所謂、注文誂えではなく、既製品として仕上げる仕上物という作だが、
その技法は簡単ではない。(誂え品は仕立物。既製品は仕上物)
覆輪には赤銅が巻かれ、全体的に黒く色あげされているが、現在は
純金の鍍金部分とともに禿げてきている。
この鍔工房は美濃系だが、同工房作の作品は多く見る。
同じ技法なので、すぐに同工房作と判るが、状態が悪く廉価な物から
そこそこの値段が張る作まである。
この合わせ銅(がね)の仕上物の鍔は、なかなか楽しめる。
私は、脇後藤の時代物赤銅縁頭をあしらった柄前にこの鍔を装着して、
全体の意匠的なバランスを取るようにした。
後藤系の赤銅魚子(ななこ)地の金具ならば、やはり魚子の赤銅物が
合うだろうとのことでトータルコーディネートした。
刀装具の楽しみは、バラバラに買い求めても、一つの物語をその
金具構成の中に設定できることだ。
こうしたことは、昔から武士たちは楽しんでいた。
源平合戦絵巻を柄金具に織り込んだり、中国故事に倣ったり、
あるいは自分だけの思いを乗せた金具を揃えて一つののストーリー
性を武士は刀装具に持たせて自己の感性を表現した。
「刀は人を表す」とはいにしえより云われる事だが、まさに持ち主
の感性、持ち主の人柄が刀には現れる。
日本刀の世界は面白い。
刀を見ると人も見えてくる。
ちなみにヤッタランとはキャプテンハーロックの海賊船アルカディア号
の乗組員。松本零士先生が考えたキャラだ。右はそのモデルの漫画家
新谷かおる先生。松本先生のアシスタント時代にモデルにされた。
天正八年製古刀に装着してある
赤銅鍔(江戸時代初期、鑑定書
付)
装着してある鉄鍔(古金工師、
安土桃山)
鍔の固定には刀に合わせたガチ
ガチの隙間ない責金を専門金工
師に誂えてもらい、鍔の穴に打
ち込んで嵌め込み、刀身が微塵
たりともぐらつかないように
ギチギチに固定されているの
が望ましい。
責金を作りに出さない時はどう
するか。
ガンを使ってみたが、やり方が
下手っぴなためかうまく行かな
かったので、旧古の方法に戻った。
のクサビをキッツキツに隙間なく
きつく打ち込むのだ。
空気斬りだろうが実試斬だろうが
全くビクともしない。ピッタリに
木片を削る技術が必要。
クサビは廃棄となり、また新たに
作らなければならない点だ。
は使えない。竹目釘と同じく、
消耗品と考える必要がある。
合から発生する。
にその緩みのクリアランスは増幅
して危険極まりない事になる。
模擬刀だろうと、武人の心得無
き者なので、そうした刀振り
の近くには寄ってはならない。
ンデモない事なのだ。タイヤの
ホイールボルトが緩んだまま車両
を走らせるようなもの。危険過
いとんでもさんが多いけど。
梅の花を彫り込むつもりだったが、
途中で錆付をしてしまった(笑)。
下ろして止めた時、木製刀身が
左右に微動だに揺れないよう
に切り下ろすにはかなりの技
術がいる。
も少ない。
な効果を発揮する。これの鍛錬を
積んだか積まぬかで、実際の切り
のレベルは雲泥の差が出ることは
確実だ。
馬鹿だらけだから。刀法の運刀の
何たるかに理解が及ばない。
ちりと斯界の我々後進たちに
残し伝えている。
通り振るのは極めて難しいので
ある。
力を使う限り刀は全く本来の使い
方は不能になるのだ。
振ることなどは簡単なのだ。
ごまかしがいくらでも利くのだか
ら。
素振りでも物切りでも刃筋が狂お
うが鉄の絶対量と重量で畳表巻き
などはそうした刃物では切断できる。
城などしたら咎められるのだ
から。武士はそういう変な
慮外も起こさない。
流儀の剣理はこれら偽物群とは
別物)
チーンと澄んだ綺麗な高音が響く。
あまり良くはない。
仏壇前のチーンのようだからでは
だ。
ではなくジャランという音がする。
カシャンという音がする刀が頑丈
だ。キーンはダメ。
での斬撃を受け止めたりすると、
鍔もろとも甲手を切り落とされて
しまうかも知れない。
「鍔は滑止めの役割」とする思想
も武の世界にはあるくらいだから、
一概に決め付けはできない。馬鹿
な決め付けで思考固定させると
ホゲタラさんになってしまう。
忌避する。
は死に直結するからだ。バイクの
操縦と全く一緒だね。
大学生になって刀術を始めるお子さんのために模擬刀をリサーチ
しているお父さんから、ある模擬刀の標準仕様について「龍図の
金具と菖蒲の鍔というのは何だろう」という話題が出た。
私はこれは「五瑞の合わせでは」と即答したが、果たして合っている
かどうかは分からない(笑)。
画題では、文人画などでは五瑞という概念がある。
ちょっと調べてみた。
これは中国の天子が公・侯・伯・子・男の五等の諸侯に賜ったとされる
瑞玉に始まり、瑞相としての画題では文人画に五瑞が多用された。
植物おいては、葵(あおい)、菖蒲(しょうぶ)、蓮(はす)、柘榴(ざくろ)
および枇杷(びわ)を五瑞とした。
これとは別に、漢代に黄龍、白虎、喜楽、甘露、木連理を五瑞とした
ことも、画題設定の際には関連して来るだろう。
その五瑞については、以下だ。
黄龍・・・こうりゅう。五行思想に現れる黄色の竜。黄金に輝く竜との
異説あり。
白虎・・・びゃっこ。中国の伝説上の神獣である四神の一。五行説では
白は西方の色とされ、白虎は西方を守る。
喜楽・・・きらく。中国の戦国から漢代に発生した黄老思想の中の一。
甘露・・・かんろ。古代中国で天子が仁政を行なった治世に天が降らせた
という甘いツユ。
木連理・・・もくれんり。中国における祥瑞(しようずい)の一。根や幹は
別々だが、枝がひとつに合わさっている樹木。『白虎通』封禅篇では、
王者の徳のめぐみが草木にまで及ぶ時、朱草や連理の木が生ずると
してある。別意は男女の契が深い仲の喩え。日本では『続日本記』の
大同年間の出典が初見。
まあ、武士は中国故事の瑞相をつとめて好んだ。
龍図と菖蒲は、黄龍(おうりゅう、とも)と菖蒲=勝負の掛け合わせ、
「五瑞の合わせ」であろうと私は推察している。
あながち、外れていないと思うが、詳しいことは美術史の学識経験者
に尋ねたほうが正確かも~(^^;
まあ、なんといっても、中国は今はあんな国になってしまったけど、
古代中国は世界大文明の一であるので、理知的な思想等も世界
トップクラスの叡智を備えていた。「中華=世界の文化は我らから
始まる」とする思想の通り、その学問や哲学的深さは地球の中で
突き抜けていた。西方なら古代ギリシアのように。
龍と菖蒲の合わせ画題は、哲学思想からすると違和感は無いと
私は思います。
ただ、龍は龍で、いろんな龍があって、これまた意味が深い。
絵描きさんというのは、特に日本画や南画を描く人たちは、こうした
中国故事にも精通していたのだろうなぁ。
ということは、日本刀の刀装具の職方たちも、絵師と同じく一般的な
常識的学識としていろいろ知っていたということだよね。
絶対に現代社会のあたしたちのほうがバッカ~ンのような気がする。