渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

歴史的な隠れた名作ナイフ ~ ブローニング277 ~

2017年07月30日 | open




これは私が2012年前半に購入したブローニング277の第1号だ。
私は277をこれまでに6本購入している。
この第1号機の木部が一番美しい。
現在手元にあるのは3丁だ。他の3丁はすでに人に進呈した。

1号機。(もう手元に無い)






1号機はすぐにサムスタッドを除去した。ネジ式なので、プライヤー
で両側から挟んでねじればすぐに取れる。赤いネジロックでとめて
あった。


2号機。綺麗な個体だった。


3号機。ウッド部の木質がココボロ風だ。だがバーチだろう。
この3号機からメインスクリューの仕様が変更になり綺麗なR頭となる。


現在の4号機。一番愛用している個体だ。メインスクリューが綺麗なRタイプ。




上から4号機、5号機、6号機。5~6はつい最近保管用に入手した。


最近の277は作りが荒いのではという疑問点もあったので、検証
確認の意味も含めて新品を2丁入手してみた。
真相は逆で、むしろ6年前よりずっと作り込みが丁寧に仕上げられ
ていた。

右から4号、5号、6号。


同。




5号と6号。5号は4号と木質が似ているが6号は別系だ。
色も灰色がかった物となっている。



上から5号、6号、4号。


同。


現行モデルは5年前とは完璧に仕様が違うことが判る。パッと見て
即判断できる。

右から4号(2012年)、5号(2017年)、6号(2017年)。
4号機(2012年)までのメインスクリューはクリップを外してからで
ないとドライバーで回せない裏側に凹部があったが、現行モデルは
表側にドライバー回転面を持って来ている。これは作業性は非常に
高くなるが、ガードという面と美的な外見上の問題としてはやはり
裏側に凹面を持って行ったほうがよいように思える。現行仕様は、
メンテ
ナンス性を考慮してでのことではなく、組み立ての作業効率
優先のために
こちら向きにしたような雰囲気が強く伝わって来る。


同。


上から現行モデルの2本(上、中)と2012年モデルの1本(下)。


昔のネット広告。私の1号機~2号機と同じタイプのスクリューだ。
これは向きが逆なのではなく、スクリューヘッドの形状が異なる。
元ソースはその当時の仕様のラインの個体であることだろう。

(旋盤ビットの痕跡状のものがスクリューの頭に残っているタイプ)


こうしたナイフの見方というのは、実はモデルガンマニアがモデル
ガンの製造年ごとの特徴を把握して比較することに似ている。
だが、「違いを把握する」、「違いが分かる」ということは、モデルガン
フリークにとっては必要不可欠な素養であり、どれもかれも一緒
としか見えないようではモデルガンのマニアなどやってられない。
また「違いの分かる男」でなければ、日本刀の良否や真贋なども
見抜くことなど到底できない。
日本刀ファンにモデルガンファン、実銃所持者、バイク乗りが多い
という三つの共通項があるのは、それは「違い」がその物品の主
たる存在要素を決めることによると思われる。ちょっとの違いが
死に直結したりするのが後者二つでもある。
そして、何がどうでどうなっていてどれとどのように違うか。これを
見抜ける人々が日本刀に惹かれて行く。
どれもが同じに見えたり、AとA'どころかAとCの違いも分からない、
理解できないような人は日本刀には永遠に興味を抱かない。
だが、武術や刀術などをやっている人でも、「違いが分かる」という
人は存外少なく、そういう違いの解からない人たちは大抵は日本刀
そのものに興味がない。どんなに綺麗事を並べても運動用具として
しか日本刀を捉えていないのだ。
なので、私はそのような刀術者ならぬ試合人などは一切信用しない
ことにしている。
どんなに見た目が綺麗な業を抜こうとも、そんなものは日本文化の
伝統継承には屁のつっぱりにもならず、無意味だと確信しているから
だ。
日本人の固有の歴史的文化的な財産である日本刀を大切にし、
日本刀の世界を身近に引き寄せ、日本刀の本質に肉迫し、刀剣を
知悉すること抜きにして、なんの帯刀者かと思うのだ。
本質的に掃除用具と何ら変わらぬ運動用具としか日本刀を扱って
いないのではないかと。

このブローニング277のこの6年での変更点はメインスクリューの
向きだけではない。
左2012年、右2017年。クリップの塗装は現行モデルはマットに
なっている。これも、仕上がりにごまかしがきかないクリアよりも
塗りだれなどが目立たないマットのほうが都合が良いからの
ように思える。しかも、以前のクリアはカチオンのようなドブ漬け
塗装と思える。現行モデルはサッとガンで吹いただけだろう。


お気づきになっただろうか。
クリップは塗装だけが変ったのではない。形状が変っている。

俯瞰するとよく判る。フレームの形状は同じであるがクリップ
の曲り角度が変更になっているため、押さえる位置が変わって
きている。




2012年モデルと現行2017モデルを比較して、ある程度の結論を
導き出そうとすると、工業的なクオリティとしては、2012年モデルの
ほうが高いということがいえる。削り加工の仕上げは現行モデルは
丁寧になったが、それは作業要領の徹底という生産部門の作業
管理の問題であり、工業製品的には現行モデルは明らかなコスト
ダウンが実行されている。
だが、工業製品の品質とは、一体どこを基軸にするのかという視点
と指標で品質の高低が決定されてくる。ゆえに一概にどちらが良い
と一面的に断定することはできない。削り等の加工性は現行2017
モデルのほうが丁寧で高品質だが、工業生産物としての手間暇は
2012年モデルのほうがかかっているし、組み立て一つにしても
「なぜそのような手間をかけたか」という息吹のようなものが見える。
私の3号機とそれ以前では、メインスクリューのヘッドが単に向きの
問題だけでなく違いが見られ、明らかに1号機よりも3号、4号では
丁寧なスクリューヘッドのR処理が為されたものが装着されている。
現行製品では、その丁寧にRを綺麗に削ったスクリューヘッドを
裏側に持って行ってしまい、スクリューのねじ込み部を表に出して
作業性をアップしている。
だが、そこでの作業性とは、納品後の調整の利便性確保というよりも、
どうも組み立て時の作業性優先のようなものが何かしら見える。
こういうことは生産性確保として行なわれる改善であり、ユーザー
サイドに立った製品の改善とはいえないという意識が私にはある。
私も工業界に身を置く人間なので、日々生産拠点における原価低減
などには直接関与していないポジションであるとはいえ(むしろ使い
勝手の向上を主軸としてメーカーにフィードバックするポジション)、
本当の良品質とは一体何かを常に考えている。
ブローニング社の社内呼称製品ナンバー32227は、生産効率の面
からいったらこの5年でいろいろ変更点が実施されている。削り込み
の作業も丁寧になった。
だが、製品の品質基準をどこに視点を置くかという点において、ユー
ザーサイドから見た品質性という観点に置くと、決して高品質に変化
したとは断じることはできないという矛盾に達する。
ごまかしが利くマット塗装よりもドブ漬けカチオンでのクリア塗装のほう
が手間暇はかかるが物質的品質は高いし、スクリューヘッドのR仕上げ
や向きにしても、生産性よりも使用上の不具合等を優先した場合、5年
前のモデルのほうが生産者の人間らしさを感じることができる。

ただ、この私の手元にある(あった)3つのジェネレーションのブローニング
モデルナンバー277は、通しで歴史を見る限り一つのことが見えてくる。
それは、たとえ生産効率優先化であろうとも、「常になんとか改良しようと
している」という生産者の人間的な脈動が感じられるのだ。
物は人が作っている。
それをこのブローニング277には感じられて、何だか言い知れない安堵感
が湧いてくる。無機質な機械がオートメーションでポコポコと生産している
のではない人の手を介した製品という息吹がこのモデル277からは感じ
られるのである。
そういう意味でも良いナイフだと思う。

友人ふたりから連絡あり。
277を手に入れたとのことだ。また愛好者が増えた(笑)。
いや、このトゥーセヴンティセヴンは本当に使い勝手も良いし、出来も良い
ナイフだと思う。
この277は実はかなり古い型で、中国でOEM生産がなされるずっと前に
米国ブローニング社の型番にラインナップされていた。かつては、同じデザ
インで大きさにいくつかのバージョンがあったようだが、今では277がメイン
となっているようだ。ブレードは6センチを多少超えるため、日本版の銃刀法
を考慮して作られたモデルではない。

游雲会の友人の一人が購入したブローニング277。
目が細かいウッドハンドルだ。


別な友人が購入した277。これまた面白い柾目の強いウッドだ。


初期刃付けはまったく問題なしとのこと。よく切れる。


ブローニング社のモデル277(社内記号32277)は本当に
「良いナイフ」だと私は心から思う。
これはフォールディング・ナイフでは私は一推し。
デスクナイフでの使用がメインだが、アウトドアでも軽作業用
に非常に重宝する。
もしかすると、密かに隠れた「歴史的な名作の一作」かも知れ
ない。
私の周囲には10名の愛用者がいる。
これは1機種としては少ない数ではない。メジャーなバック110
のようなナイフならばともかく、無名ともいえるブローニング277が
私のごく親しい周囲だけでも10名(私を 含めて11名)が愛用している。
少なくはないと思う。
さしずめ11人のカウボーイというところか。
どの面子も少年ではなくいい歳した男たちだが(苦笑)。

このブローニングのトゥーセヴンティセブンは、全体のデザインも
古過ぎず新し過ぎず、それでいて何かしら郷愁めいたものを感じ
させる、そんな温かみのあるナイフだと思う。
しかも、良好な作動性と切れ味。
これほんまに良いナイフ。


ブッシュクラフトと武術から何を学ぶか

2017年07月29日 | open


ケラム製J.P.ペルトネン(フィンランド)。
軍人からの頂き物。


北欧系ナイフ=puukko ナイフは、軍用
ナイフであっても、

ベースはラップナイフ(フィンランドの
民族ナイフ)であり、
そのままの形状で
ブッシュクラフトに適している。


ラップナイフ(マルティーニ/フィンランド)




ラップナイフは元々は実用ナイフである
ので、金額は高くはない。

だが、最近は北欧ナイフブームのためか
普通に1万円を超える
価格で日本では販売
されていたりする。私が頂いたプーッコも
日本
国内で入手しようとすると日本円では
2万円近くしてしまう。

だが、一般的に北欧現地で手に入るラップ
ナイフは日本円にすると
3,000円~5,000円
程だ。

しかし、価値は金額の高さではない。
実用性は非常に優れている。ある場面では

アメリカンナイフよりもずっと優れている。

北欧のナイフの形状は日本刀にどことなく
似ている。
プッコについての過去記事 ⇒ プッコ

ラップナイフの典型的な姿。
このナイフなどは、とてつもなく使い勝手
がよさそうだ。


日本の和式刃物(短刀を含める)に太めの
柄を着けたような姿だ。

この太い柄というのはとても大切で、北欧
の樹木を削ぎ落す作業
では細いハンドル
だと力負けしてしまうため、この太さは
必須なの
である。物理的な必要性からこの
形状が誕生した。手の内を利か
せるために
細い柄に進化した日本刀の柄の思想とは
用法が違う
ために物理的な姿も違う物と
なっており、これは比較文化として
非常に
面白い現象だ。


フィンランドのエンゾーも非常に日本刀の
形に似ている。

私のプッコとほぼ同形状といえる。
こういうことから、北欧ナイフは
何を求め
て進化したのかという点に考察が及ぶ。



ブッシュクラフト三点セット。
斧、ナイフ、ククサ。なぜククサかという
と、現代化学素材を極力
忌避するという
思想性がブッシュクラフターの心の中には
あるから
である。
そのために、ファイアークラフトにおいて
も、ガスライター
や着火剤は使わずに、
極力火打石と火口(ほくち)を用いて着火

し、火を育てるワーキングを行なうのが
ブッシュクラフターだ。



私のプッコで火口(ほくち)であるフェザー
を作る。かなり使い易い。



シュッシュとフェザーが作れる。


火口は火山の噴火口ならば「かこう」、
鍛冶炉の空気穴ならば「ほぐち」、火の
焚き付けならば「ほくち」と読む。
それぞれ全部意味が異なる。
日本語の場合、「音(おん)」が同じ
ならば漢字の区別には厳密さは求めない
という文化が明治までは存在した。
そのため、音が同じであれば借り物の
外来文字である漢字などはどうでもいい、
というのに近い感覚があった。松五郎は
末吾郎でもよいし、満津五朗でもよかっ
たのである。
また、逆に、音が違えば別な事象を表し
ていることが日本語には多い。
そのため、当て字である漢字による
表記は、どのように読むかによって
意味がまるで異なる別な事象を表現
しているケースが日本語には多い。
本数の読み方のように、別音ながら
同じ意味というケースは、日本
語ではあまり多くはないのである。

[本の読み方]

1・・・ぽん
2・・・ほん
3・・・ぼん
4・・・ほん
5・・・ほん
6・・・ぽん
7・・・ほん
8・・・ぽん
9・・・ほん
10・・・ぽん

これには外国人は非常にとまどう
らしい。
そして、「火口」は焚火において
は「ほくち」と読み、焚き付けの
火種のことである。

ブッシュクラフトにおいて木片を削り
そいでフェザーを作るのは、着火し
易い形状に木片を変化させるのが
目的であり、フェザーを作る事そのもの
が目的ではない。
ここ、結構大切で、この本質を心得
違いすると、フェザーを作ることが
目的化して、ブッシュクラフトを
単なる小手先の表層を求めることに
矮小化してしまい、ブッシュクラフト
本来の思想性と大きく乖離してしまう。
それらは道具自慢のキャンプや庭先
友人招待バーベキューで高級ワインを
開ける方向と同じ方向性に視点が向く
ことになる。

ブッシュクラフトはそうしたことをやる
アウトドア活動ではない。
フェザーを作ることが目的化するという
ことは、着火においてもガスバーナー
でもよいということに繋がる。
理由は、本来の目的が目的として意味
を成していなくなるからだ。
買い物をするのは、その物品を入手する
ことが目的であり、その物品の入手目的
は何かにその物品を供するためである。
ところが、買い物そのものが目的となり、
買ったらポイ、次にまた別な物に目が
移り買うということになってしまったら、
それは一種の精神的な迷路に落ちている。
さらに喩えるならば、例えばフライ
フィッシングにおいて、綺麗で見栄えの
良いフライを巻くことが目的化して毛鉤
のフライタイイングに精を出すような
もので、絶対的に本末転倒なのだ。
フライフィッシングのフライ=毛鉤は
トラウトという鱒類の魚を釣るために
作製される。毛鉤を作るために毛鉤を
作るのではないのである。
ここのところをブッシュクラフターは
よくよく自問することが結構大切
なことだろうと私は思う。
要するに、本質性の希求から乖離して
目的と手段を逆転させると本道を見失う。
どの分野でもただの知識のコレクション
などはそれの典型例で、実に空虚になる。

ブッシュクラフトにおいて、火を熾す
ためではなく、フェザースティックを
作ることが目的となってしまうような
精神性というものは、森で道に迷うよう
なことなので、アウトドアマンはブッ
シュクラフターとなりたいのであるなら
ば、充分に自問して自戒する必要がある
と私は思う。
道具自慢や知識自慢の知識収集家と何ら
変らない行為はブッシュクラフトに
おいては「不要」そのものであるのだ。
そういう暗愚に包まれて前後不覚に
なるためにブッシュクラフトがあるの
ではない。
ブッシュクラフトに「こうあるべきだ」
という定義も縛りも規則も何も無いが、
何も無いがゆえ、なおさらに、ブッシュ
クラフターたらんとするアウトドアマン
は、己の立ち位置、精神性に確固たる
思想性が必要となってくると思料する
のである。
それは何か。

フェザースティックはナイフの刃付け
や断面形状により簡単に出来る場合と
出来ない場合がある。
手持ちナイフでフェザーがうまく作れ
なかった場合は、このようなチップ
でもよいのである。目的はフェザーを
作るのが目的ではないから。


フェザーはあくまで「火口(ほくち)の
一つ」なのだとしっかりと捉えることが
必要なのだ。
フェザースティックでなくとも、解いた
ヨリ縄でもよいし枯葉でもよい。
枯草などは最適だし、松類等の針葉樹林
は油分が多く燃えやすい。
「目的は何か」ということを見失わない
ことが、ブッシュクラフトで得よう
とする人としての学習のコア部分なのだ。

これまた、なぜか。
ブッシュクラフトはサバイバルワーク
ではないあくまで「趣味」「嗜好」の
領域に属するものであるが、「ブッシュ
クラフトから何を学ぶのか」ということ
こそがブッシュクラフトの目的だからだ。
無論、ブッシュクラフトによって心の
癒しを感じる人もいるし、そうでなく
ストレスを感じる人もいる。
しかし、それらを行なっているのは「人」
である。
人について見つめ直す時間と行為、これ
こそがブッシュクラフトの中心領域を
構成しているのである。
フェザースティックはなぜ必要なのか。
では、火口はなぜ必要なのか。
さらにならば火はなぜ必要なのか。
ナイフはなぜ絶対に必要なのか。
そうしたことを常に感知して体感して、
そのアウトドアワークから人が
人として生きることの意味を学ぶのが
ブッシュクラフトだ。

武術、武道において目的が「稽古する
こと」や「知識を集めること」という
ようなことに矮小化された本末転倒現象
が起きるのは、武術の本当の目的が
現代社会においては物理的に認められ
ないこととも大きく関係がしている。
それは人の死を直接司ることがかつての
武術の存在意義であったからだ(武道に
しても根源的には同)。
だが、人を殺してはいけないことと
なった現代であるからこそ、なおさら
武術の持つ意味をしっかりと捉える必要
が生じてくる。
これはある意味、武術の単純目的通りに
完遂してそれが良とされた時代よりも
厳しい視点と自覚が現代人には問われて
いるということでもある。
そのことをどれほどの武術を行なう人が
自覚しているのだろうか。

現代において武術、武道を何の為に
修練するのか。
無論、鍛練・訓練・修練・稽古すること
が目的ではない。
では何か。
かつて人の死に直截に関与した武術という
ものを現代人が学ぼうとするのはなぜか。
その目的は何か。
何を得ようとしているのか。
それは、武術がかつて持っていた本質的
目的の自己否定化に向かわない限り、現代
における武術修練の意義は見いだせない。
武術の神髄を知れば知る程、習得すれば
する程、目を逸らさずに人の死と面と
向かうことになり、人を大切することの
重要さを思い知ることになる。
そうしたところが見えていないと、人は
武術餓鬼となり、「強くなること=偉い
こと」とか、「人を虐げること」とか、
「人より優越している」などということを
嗜好する方向に精神が向かい、心はどんどん
ダークサイドに支配される。
事実、そうした実例は腐るほどある。
暗黒面に心が支配された武術餓鬼はこの世に
非常に多く、武術をやっていることが偉い
ことであるとか、人より優れているとか
大きな勘違いをして道を外すことを自分で
選ぶ。
暗黒面に心が支配された武術餓鬼は、
かつて本来は人の死を司った時代の武術の
表層面だけを形だけなぞって、武術家に
でもなったようなつもりになる。
暗黒面に陥った愚者の行ない、大きな
心得違いは個人的な問題だけではなく、
社会的な問題性を惹起する。
これは現実にあちこちで発生しており、
人が人を傷つけ、踏みつけ、愚弄し、
嘲笑し、罵り、睥睨し、差別して排外
することを好む人間が自称武術家を
名乗っていたりするという現象を生じ
させている。

武の象徴の一つを剣とするならば、
剣は心である。心正しからずんば剣また
正しからず。
そして、現代剣士は剣士であるがゆえ、
換言すれば武人であるがゆえを以って
人の上に立つものではない。人は人で
あり皆同列だ。
やっと人が人として認められ認め合う
ことが許される時代が来たのである。
現代武術者は、心得違いをして人の道
を外してはならない。

ブッシュクラフトというアウトドア
活動は、自然の中で人間が生活時間
を持つことで、危険や死を身近に意識
して、それを回避し、人として生き延び
ることの意味を自問する環境に自らを置く。
そこで得るものは、現代人が武術修練
で得る本質的なものと共通する精神的
な面が非常に強い。
「人を大切にすることの重要さ」
これを得ない現代における武術修練や
ブッシュクラフトなどは、一切意味を
持たない。


30数年来の恋人

2017年07月28日 | open



30数年来の恋人の手入れをする。
洗ったら木部が乾燥してカサカサだ。

少し油を注したが、もっと本気で油分を
摺りこむ。









ハンドメイドの文字が誇らしげな石川
刃物製作所のバック社コピー
モデル
ブレードだ。加工精度は極めて高い。
たぶん1970年代物
だろう。




ハンドル木部に摺り込む油は
これである。







アマニ油ね。
亜麻の種子から採れる油で、結構健康
に良い。

また、木製ピッケルシャフトの強度を
保つために磨きこむ
ことに主として
亜麻仁油は使われるという。


こんなビンテージピッケルの頃は
アマニ油で磨くのが常識
だったの
だろう。


う~む。かっこよすぎる。

また、家具などのオイルステインにも
アマニ油が使われる。


亜麻の色はこういう色だ。






どう見ても綺麗な落ち着いた水色、日本
の和色でいったら、
縹(はなだ)色と
いう物に少し紫が入ったような色である。


縹色。会津藩剣術指南番の下げ緒の
指定色である。



亜麻の花の色はこういう色だ。亜麻自体
の茎は当然にして緑だ。

ところが不思議なことに、「亜麻色」と
いうと、薄茶色のことを指す。



こいつぁ、おいらは子ども時分には
解せなかったね~。

亜麻の花の色は小さい時から好きな色
で亜麻の花が
青色と知っていたからだ。
そもそも一番好きな花の色は紫陽花
の花
の色だ。(生えている土地の酸性度の
違いによりアジサイ
の花は赤系か青系
か決定して来る)


存外植物は子どもの頃から好きだった。
これは亜麻。


植物は好きだったが、ハカランダとブラ
ジリアンローズウッドがまったく
別種の
植物だとはつい最近人から教えてもらう
まで知らなかった。

ハカランダとは南米全域に生息する紫色
の花を咲かせる桜のような
大木であり、
一方、ワシントン条約で輸出が禁止され
ているブラジル
のブラジリアンローズ
ウッドは、白い花をつけるブラジルの
ごく一部の
エリアにしか存在しない樹木
のことだったのである。

ずっとハカランダ=ブラジリアンローズ
ウッドかと思っていたが、違った。

ブラジリアンローズウッドはハカランダ
の範疇であるが、ハカランダ=
ブラジリ
アンローズではない、という関係性なの
だった。


亜麻仁油は銃の木製ストックやナイフの
ハンドルにも使われる。

まったくベタつかずサラサラしていて、
それでいて必要な油脂を補給
できるから
だ。

特に食用アマニ油は、油自体を引用する
こともでき、サプリメントにも
なって
いる程で、無臭に精製されている。

木製品をオイルアップするには胡桃油
や葡萄油などよりもベタつか
ないので、
やはり伝統のアマニ油が最適のようにも
思える。


亜麻仁油で磨き上げてみた。


なんだかイイ感じっぽいですよ。




折角だから、これも磨いてみることにした。
ヤマハの友人がヨーロッパから日本に持って
来て私にくれた
北欧のククサだ。


アマニオイルアップ!
をひ。なんだかとてもいい感じ♪




比較画像


これね、作るのすんごく大変だと思い
ますよ。製作動画とか
見たりしたけど、
とても手間がかかる。くりぬきだから
ねぇ。

しかもろくろなどは使わない手捻り(違
日本の御御御付けを飲むお椀も木製だ
けど、あれはロクロ
を使ってるからね。
同じ無垢材からの削り出しでもこの手
作業
掘り込みカップとお椀はかなり
異なる。お椀は漆塗が世界的
な技術
だよね。漆文化は日本文化だし。



ククサの良いところは、北欧の人々の
空気が身近で感じられる
ことです。
こういう民族的な物って、とても味が
ある。

でもって、日本の民族的な物といった
ら、そりゃあもう味噌汁だね。

御御御付け。

なんか西日本って「おみおつけ」って
言わないんだよなぁ。「はぁ?」

なんてこと言われちまう。
あと、「御新香(おしんこ)」も言う
と「はぁ?」だよ。最近でこそ吉野家

が西日本にも進出したから「おしんこ」
が全国区になったみたいだけ
ど。
俺ね、一番ショックなのが、西日本
での握り寿司(そもそも江戸前
握り
ではない刺身シャリでしかないが)
にはコハダが存在しない事
がすごく
ショックだった。

あとのり巻き=かんぴょう巻きが存在
しない。

かんぴょうだけだと寂しいとか言われて
たりするんだよなぁ
(笑
かんぴょうを出汁煮込みするのって、
結構難しいんだぜ。


ということで、30数年前のICカット
のナイフ(下手したら40年物)に

フォーリン・ラブだ(表現が古)。
ブラスボディの憎いやつ!夕刊フジ!
みたいなのね(関東人に
しか解らない
CM)



でもって、1979年頃には、おいらは
どんなナイフを愛用していたかという
と・・・フォールディングではなく、
もっぱら軍用ナイフだったという・・・。
レジャーキャンプなどで使えるか、
あんなもん(笑
まったく考えて作ってねえよな(苦笑
ありゃあ、鉈というか鈍器みたいな
もんだぜ。

ナイフは難しいよね。
汎用品であるのがナイフなのだけど、
特化された物のほうが優れている真実
がある。汎用品であるナイフこそ優れて
いるのに特化品を凌駕できない事実が
ある訳で、そうなると、別な視点では
汎用性の高いナイフは優れていない、
という論理も成立する。
難しいよね。


ナイフ用手入れ油 ~ヤマハ・バルブオイル・ビンテージ~

2017年07月25日 | open



私は日本刀も和式小刀も洋式ナイフも、手入れはこのヤマハ・バルブ
オイルのビンテージグレードを使用している。
この100%合成油の防錆力といったら頭抜けている。

よく油のことを知らない人が、CRC5-56を日本刀にシューッとやって
いるようですが、はっきり申し上げてよした方がいいです。
理由はいろいろありますが、それは研究なさってください。
スプレータイプがお手軽だからと求めているのならば、エアガン用の
シリコンスプレーを塗布したほうがまだいい。
5-56に防錆効果を期待する方がおかしい。5-56は酸化鉄を分解して
崩落させて錆を落とすための油で、ベースオイルさえ不明の物に灯油
混ぜたような物ですから。
あれならば、普通のミシン油を日本刀に塗ったほうがまだマシです。

日本刀には旧来から丁子油等が使われてきましたが、植物油は24時間
ほどで酸化するので扱いが難しいものです。
なので、昔の刀身などは丁子油での「油焼け」を起こしたり、固まって
黄化してこびりついたりしていましたよね。
その後、昭和時代に鉱物系の刀剣用良質オイルが開発されて、それに
丁子の芳香剤を混ぜることが流行しました。
私自身は丁子油のあの鼻にツンと来るような香りは、刀身の臭い消しの
役目を持たせるための先人の工夫だと思うのですが、日本刀の刀身は
臭いがある物と無い物があるのは事実で、臭う刀身はどんなに研いでも
臭いが取れないとも言われています。
そういえば、出刃包丁などは、どう洗っても刀身の魚臭さが消えません。
これはお湯に浸けても中性洗剤で洗っても、全体を研いでも消えない。
多分、日本刀で臭いが着いている刀身も何かしらの物理的な事があって
臭いが着いているのでしょう。
数百年も臭いが消えないものかと自分でも信じがたいのですが、実際に
臭う刀と臭わない刀があることは事実ですので、何かしらの原因がある
かと思います。

実はヤマハ・バルブ・オイルは、防錆剤が添加された管楽器のバルブ
(金属可動部分)の潤滑防錆油としてヤマハが開発した物で、たぶん
音楽部門のヤマハではなくヤマハ発動機のレーシングオイル開発などの
ノウハウとジョイントしているだろうことは想像に難くありません。
楽器屋さんがオイルなんて開発できないもの(^^;
まあ、油そのものを作っているのはヤマハではなくて石油会社である油脂
メーカーなのですが。
余談になりますが、ヤマハの2ストオイルはかなり優秀で、そこらのレー
シング2ストオイルなどよりも良好だったりします。
これも、多分ですが、油脂会社との共同開発でかなりのデータをヤマハ
が提供したのではと思います。
ヤマハ2スト青缶は、東日本と西日本で別会社が製造しており、
それは日石とシェルです。

私がヤマハ・バルブオイルを日本刀に使用するにあたっては、約1年半
自分の刀剣数種で試験したところ、極めて良好な結果が出たので使用
状況の公開に踏み切りました。
私の周囲でも日本刀にヤマハ・バルブオイルを愛用している人も増えて
います。
最大のメリットは、その防錆力もさることながら、航空機の機内持ち込み
および手荷物預けがヤマハ・バルブオイルは可能であるということです。
一般の刀剣専用油は成分が公開表示されていないために一切航空機
で運搬することができません。これはANAもJALも。
一方、ヤマハ・バルブオイルはOKと認可されています。
このことはとても大きい。
そもそも、私が一般刀剣専用油の代替油を探し始めたのは、日本刀と
一緒に手荷物預けしようとした刀剣油を旅客機搭乗の際に断られた
ことによります。
日本刀自体はアルミ製のとても頑丈な専用コンテナ(銃砲類用と一緒)
で厳重に航空会社が無料で梱包してくれるのですが、刀剣油だけは
ゲートでかなり時間をかけて問い合わせ等してくれたのですが、持ち
込み不可でした。
受け付けゲートで出発までまだ時間があったので、高価な刀剣柴田の
刀剣油(刀手入れ箱に納めた分と銀座柴田で大人買いした分)を羽田
空港カウンターの宅配便に託して自宅に送付することができましたが、
もし時間がぎりぎりだったら、数万円かけて購入した柴田刀剣油をその
場で廃棄処分しなければなりませんでした。

(その時に購入していた銀座柴田の刀剣専用油。太田製。最高級の
品質の刀剣専用油で東京国立博物館でも使用されている。しかし、
航空機内には手荷物だろうと預けだろうと一切持ち込みが禁止され
ている)


航空機で刀剣手入れ用の油が運搬できるかできないかということは、
刀を武術で使われる方で北海道の方、九州・沖縄の方、四国の方、
そうした遠隔地の方々で航空機を利用される剣士にとっては死活
問題となります。
ネルに染み込ませた刀剣油も旅客機では運搬できませんので、くれ
ぐれも航空機運航関連法規に抵触しないようにご注意ください。
ヤマハ・バルブオイルであるならば、飛行機での移動の際も運搬が
OKです。

ヤマハ・バルブオイル、ビンテージグレード。
管楽器用の潤滑防錆オイルですが、刃物油としても質が最高です。
本当におすすめ。
実勢価格600円~750円程度。





※オイルの使用は自己責任でお願いします。





今夜も西部劇 ~背景が絵であること 『続・夕陽のガンマン』~

2017年07月17日 | open



ブロンディ(クリント・イーストウッド)に見捨てられて砂漠を100キロも
歩かされた仕打ちを受けたアウトローのトゥーコ(イーライ・ウォーラック)
は、復讐のために
銃砲店を襲って銃を入手し、仲間を雇い、ホテルに
いるブロンディを
襲撃する。
その時、南軍の大軍の行進が止まり、ホテルの二階に忍び寄る敵3名
の拍車の足音に気づいたブロンディは、コルト・ネービー・コンバージョン
の分解組み立て中だったが、急いで弾を5発だけ銃に装填し、入口から
侵入してきた敵3名をファニング連射で一気に倒し、さらに1名には
とどめの1発をお見舞いする

刹那、窓際から入ってきたトゥーコが拍車を鳴らして銃をブロンディに
突きつけて言う。
「足音にも二つある。入口から来るやつと窓から来るやつ」と。

その時の窓の外の背景、思いっきり下手くそな絵ですがな(笑
しかも歪んでるし(^^;
窓外のテラスの床レベルと窓のレベルもあってない「変な絵」になって
いるし。

スタジオで撮影したシーンであること確定だが、もう少しましな演出は
できなかったのか。つか、絵が下手過ぎ。


こういう手法は映画『ワイルド・ギース』(1978)でもあった。
兵舎の中での傭兵作戦会議の時、室内を移動する登場人物に
合せてキャメラをパンさせたら窓の外の風景が同時に動くのだが、
それが明らかに写真。
動きも手動でやっているのがありありと判るような、カメラの移動と
合っておらずとても不自然なのよね。
撮影上の下手(げて)、拙劣な演出というやつです。
非常に作品の造りが安っぽくなる。
007シリーズなどでも、1960年代などの車のシーンでは、移動中
の車内から外の景色は撮影された景色を合成しているが、非常に
稚拙でチャチだったりする。
いくらCGが無い時代で合成が難しかったとはいえ、日本の円谷
プロの合成技術の高さを今さらながら思い知る。円谷プロの特撮
合成技術は世界トップクラスだったのではなかろうか。


今夜も西部劇 ~『アウトロー』と西部劇鑑賞法~

2017年07月17日 | open



私と友人の西部劇鑑賞法は同じである。
昨夜、友人からメールが来た。
本来昨夜は『リオ・ブラボー』を観る予定だったのだが、急きょ
クリント・イーストウッドの『アウトロー』に変更したそうだ。
そこで画像送信と共にこう言ってきた。
「二丁拳銃だから今夜は二丁」

・・・・アホや(≧∇≦)


ブルーレイやDVDでどんどん映画作品が出てくるのはよいことだが、
映像が綺麗になりすぎて折角の視覚効果が消える場合もある。
典型的なのは角川映画の『汚れた英雄』で、ビデオでは再現されて
いた世界初の「ブルー感光フィルム」による夜と夜明けの青みがかった
独特の映像美がDVDではただの夜景になってしまって消えていた。
キタノブルーはその角川春樹の手法を真似たものだが、真実を知らない
世界中の人からは「キタノブルー」などと呼ばれるに至っている。角川
春樹の『汚れた英雄』(1983)の劇場フィルムこそが世界初の角川
ブルーであり、劇場で観るとたとえようがない美しさだった。私は劇場
で『汚れた英雄』を6回観た。


この『アウトロー』(1975)でイーストウッドが使用したコルト・ウォーカー
はナショナル・ファイアアームズ博物館(米国バージニア州フェアファッ
クス)に展示されている。





The Outlaw Josey Wales (1975)
Clint Eastwood as Josey Wales
Italian Colt Walker - .44 caliber

This gun, and the similar Walker used in True Grit,
were both used in The Outlaw Josey Wales by Clint
Eastwood. Both revolvers are Italian reproductions
and have been converted to fire five-in-one blanks
for film use. At some point in its rental history a
loading lever catch similar to those used on Dragoon
revolvers was added to the gun. The poster for this
film featured an enraged Josey Wales holding both
revolvers.

Collection of The National Firearms Museum



クリント・イーストウッドは『勇気ある追跡』(1969)で使用された
コルト・ウォーカーの個体そのものを使用していたのだった。
これはなんだかプチ・トリビアだ。

クリント・イーストウッドは1975年作『アウトロー』において、この
ジョン・ウェインが握る個体そのものを使用していた。








この2010年のリメイク版でもコルト・ウォーカーは登場するが、博物館
展示物の個体ではない。こちらのリメイク版の出来は散々で、見るも
無残なものだった。役者の力量というよりも、監督の力量の差だろう。


違いが判る人は即判別できただろう。
NFA博物館に展示されている『勇気ある追跡』でお嬢ちゃんが
使う銃はパーカッションではなくカートリッヂコンバージョンである。
つまり、『アウトロー』の宣伝用ポスターにあるクリントが構える
二丁拳銃の個体ではなく、次に示す
金属薬莢コンバージョンモデル
である、ということ。
そういうところは、映画作品ではお見逃しなく。
宣伝用ポスターやスチールというものは、作品本編とは別物の
ヤラセ撮影用の銃などを使用することも多いのだ。『アルパーサの
決闘』のDVDなどはひどいもので、スペインのデニックスというレプ
リカガン・メーカーの実銃とは似ても似つかないシリンダーを持つ
SAAもどきがDVDパッケージに合成写真で使用されている。

作品は凡作であるが、銃撃戦のシーンは異様にリアルだ。
娼婦でもないのに病的オサセの女性がヒロインという西部劇も
珍しい。結局、この女のせいで男の友情(三角関係ではない)に
亀裂が入って行く。自分の保身のためには敵だろうが誰にでも
媚を売ってシナを作りホイホイ股を開くこの女は、観ていて「死ね
ばいいのに」と思うのだが、この映画はそうではない男同士の
心のやりとりが見所なのだろう。極めて「大人」の男の映画だ。
俺なんかだと、こういうのはグーで女の顔面連打しそうだ。
そして、こういう女は現実世界でもいる。男の体無しでは日常が
過ごせないという女なのだが、誰彼かまわずなので、まあ、なん
というか完全に精神病の類だろう。
漫画家守村大は『あいしてる』の中でそういう女性をマリアとして
描いたが、実際のところ、アブダラのマリアは売春婦であった
可能性もある。だが、売春婦はオサセとは違う。あれは人類で
一番古い職業だ(二番目に古い職業が傭兵)。オサセは麻薬
中毒患者のようなものだ。タチの悪い癖以上のものであり、あれ
は病気なのである。

(『あいしてる』守村大)
カワサキSSマッハの理想形のチューンナップの形。



NFA博物館展示の銃はこれではなく・・・(これはパーカッションのまま)


こちら。


今夜も西部劇 ~街の今昔 「エルパソ」~

2017年07月16日 | open


『夕陽のガンマン』(1965年)
より。

西部劇でおなじみの西部の町に
テキサスのエルパソという町が
ある。
メキシコとの戦争で米国が勝利
して分捕ったのがテキサスだが、

この時、国境の町となったのが
エルパソで、町が二分されて町
の一部はメキシコ領とされた。
そのため、エルパソからメキシ
コに行くには、現在でも出国手
続き
も入国手続きも無く、30
ドルを払って自動改札口を通れ
ば外国で
ある隣国に行ける方式
になっている。パスポートの
提示も要らない。

歩いて出られる国境改札口もある。

エルパソの国境(車道)。




現在のエルパソ。
人が集まり人口は増えたが、
西部劇に出てくる
町が近代化
されただけというような埃っ
ぽさを感じさせる。


なんとなく、西部開拓時代の
ままという雰囲気。ビルが建
っただけ、
というような。

こちらは、映画『夕陽のガン
マン』に出てくるエルパソ。

イーストウッド扮する「マン
コウ」がエルパソにやってくる
シーンだ。



スペインロケの『夕陽のガンマン』
で遠方に見える山は、このエルパソ
の山のつもりなのだろう。これは
現在の写真。エルパソは乾いた土
地で赤道にも近いので気温も熱い
のだろうが、なんだか景色が寒々
しい。気候は砂漠気候、山は2200
メートル級の山である。



夜景は綺麗なようで、なかなか
のビューを見せている。



エルパソの大門寺焼き。UFOも
時々エルパソの上空には訪れる
らしい(笑

日本の大門寺焼きよりも、こち
らのほうが規模は大きそうだ。



現在の町中。


『夕陽のガンマン』で出てきた
推定1870年代末期のエルパソ。



エルパソは1850年に郡として
創設した若い町で、1881年に
鉄道が
開通してから町が発展
した。

しかし、サンフランシスコや
ロスアンゼルスのような超大
都会となる
ことはなく、今世
紀初頭の人口は56万人だ。
埼玉県さいたま市の人口129
万人
よりもかなり少ない(笑
エルパソは、今も辺鄙な田舎
の町、といった
ところだろうか。

映画『夕陽のガンマン』では
エルパソに鉄道は通ってない
ため、賞金
稼ぎの殺し屋である
モーティマー大佐(リー・バン・
クリーフ)は、途中
で列車を
強引に停めて下車し、馬でエル
パソに向かっている。

ということは、『夕陽のガン
マン』は、舞台設定がエルパソ
に鉄道が通っていない1881年
以前である
ということだ。
出てくる銃はコルトSAAだが、
1stジェネレーションの無煙火薬
モデル
(1896年~)であると
いう撮影演出ミス(ハリウッド
西部劇もほとんどそうだが)は
見逃すとして、SAAの5.5インチ
が登場
して民間販売もされたの
が1876年以降であることを勘案
すると、映画『夕陽のガンマン』
での舞台設定の年
は1876~1880
年の間ということになってくる。

さらにモーティマー大佐は18
インチならびに9インチ
(推定。
多くのネット情報では10インチ
と出てくるが、4.75インチバレル
とほぼ面一のエジェクターチュー
ブの長さの2倍以下であり、10
インチには達していないこと
から、私は9インチバレルで
あると読んでいる)銃身を
持つ
バントラインスペシャルSAAを
所有している。
バントラインスペシャルのコルト
シングルアクションは、西部劇
小説家
のネッド・バントライン
がコルト社に特注して西部開拓
に貢献した者5名
に贈られたと
されているが、コルト社の記録
にはそのような長銃身の
モデル
を作ったという記録は一切ない。
バントラインスペシャルの存在
は、
小説家と取り巻きの捏造自
己宣伝である可能性が高い。

12インチ銃身は使用上はさらに
短く切って使用されたという
まことしや
かな話まで設えら
れて伝承されており、バント
ラインスペシャル自体が
創作
であるとしたら、尾ひれはひれ
が付いた人々の猟奇的興味を煽
る盛り沢山のオハナシとなって
いる。
さらにバントラインスペシャル
はワイアット・アープ(16イン
チ銃身)をはじめバット・
マス
ターソンなど著名人5名に贈ら
れたとの話がしっかりできあ
がっている。

しかし、実際にはこれを贈った
とされている1877年のコルト
社の記録
には製造記録がない
のであるから、コルト社では
作っていない。
銃身
だけを製造するのは、一般
鍛冶屋では無理であり、近代
機械を有した
銃器メーカーで
ないと製造できないので、やは
りバントラインスペシャル

存在自体が眉唾ものであると
見るのが自然だろう。

そのように歴史事実であるかの
ように捏造創作することは万国
で悪意
ある者によってよく行な
われてきた。現在もよく見られ
る詐欺行為だ。

だからといって、「記録に無い
からと存在しなかったとはいえ
ない」など
と埒外のことを言い
出して存在を強引に認めようと
する族も出てくるから
始末が悪
い。悪魔の証明は不可能だ。

そうした事実を踏まえたうえで、
娯楽活劇として楽しむの中で、
多少
考証をするとするのであれ
ば、映画『夕陽のガンマン』の
時代背景は、
1876年からエル
パソに鉄道が無かった1880年
までの物語、ということに
なっ
てくる。

なお、SAAは1872年に米軍の
軍用銃のトライアルに合格し、
1873年から
発売が開始された
が、1873~1875年まではすべ
て軍が一括して納品を
受けて
いたため、民間に販売開始され
たのは1876年からである。
いかにハリウッド作品を含む
映画やTVドラマの西部劇が
時代考証を無視しているかと
いうことだ。特にマカロニ
ウエスタンでは時代考証の
無視が甚だしい。


イーストウッドの劇中の台詞
「こんな銃は見たことないよ」。


そりゃそうだ。バントライン
スペシャルは実在していない
のだから(笑)。
ま、映画だから。映画は映画
として楽しまないとね。
ただ、日本でも時代劇を実在
の歴史だと思い込んでいるキテ
レツたちが大真面目にトンチキ
のチグハグな頓珍漢をやらかし
ているという、人たちもいたり
する。しかも、詐欺行為で集客
集金。洗脳したりとか。
困ったもんだ。バウンティハン
ターの賞金稼ぎが登場してほし
いくらいだ。

映画『夕陽のガンマン』は、遊
び心あるマカロニウエスタンな
ので、娯楽活劇として見るのが
正解だろう。
突っ込むとしたら、ウィンチェ
スターM1892が出てくるのであ
るならば、1892年以降の物語だ
から、エルパソには鉄道が通っ
ていなければおかしいことに
なる(苦笑)。
つまり、リアル世界の歴史を当
てはめると、『夕陽のガンマン』
の物語の舞台は成立しないこと
になる。
それは八代将軍の暴れん坊将軍
の時代に江戸城天守があるような
ものだからだ。
つまりドラマや映画は実在の歴史
事実とは合致していない。

(ウィンチェスターM1892を
構えるモーティマー大佐。
西部劇にはよく使われるM1892
だが、1880年を舞台にしていて
も登場することが多い。多くの
西部劇は時代考証を無視してい
るのである)


今夜も西部劇 ~ダスターコートの登場~

2017年07月16日 | open

以前、イラコバさんことイラストレーターの小林さんの画集で、
ダスターコートの初登場が『ヤングガン』であるということを
書いた。


その中で私は『11人のカウボーイ』(1971)の例を出したが、
さらに古い作品の『続 夕陽のガンマン』(1966)ではオープ
ニングのシーンで出てくる賞金稼ぎ3人が全員ダスターコート
着ている。

『続 夕陽のガンマン』(1966)




一人はハーフコート、二人がロングコートだ。





西部を馬で行くには埃よけ、雨よけのこのコートは欠かせないのである。


私のダスターコート(ハーフ)。
10数年前に購入したが、ほとんど着ていない。
これね、撥水スプレーとかガンガンに利かせたら、レイン
コートとしてもいけると思うよお。 


今夜も西部劇 映画『レッドサン』で表現された武士の魂

2017年07月12日 | open







映画『レッドサン』は武士の心とは

何かを正確に描いている。